このぐらいヘーキでしょ。たぶん。
意識は常に残っていたつもりであったけれど、今が何時かはわからない。カーテンも閉めて暗闇になっている部屋の中では日付も太陽という概念もあまりない。
誰も自分を見ないように包まった布の中は存外心地よかった。いいや、自己嫌悪で死んでしまいそうになるぐらいには心地よくなどはなかった。
生きる意味を探していた。
それは人を助けるだとか漠然とした物でもよかった。神様に好かれてしまうなんてオカルト的な事でもよかった。魔王を倒すという明確な目的があってもよかった。
単純に生きている理由が俺には元々無かった。生き方がわからなかったと言ってもいい。
ただ生きているだけなのだ。呼吸をして、人間としての最低限の生活をして、ただ生きているだけなのだ。
それでも何かをする為に知識は蓄えた。人の為に尽くした。世界の為に尽くした。
けれど俺が生きている理由なんて物はどこにもなかった。
代わりに死ぬ理由も、また無かった。
だから、自分の為に死ぬ事はしなかった。それが罰か報奨かは俺にはわからない事だったけれど、あの無間に続く虚無を抜け出す事などできなかった。それだけの事を自分は許されてなどいなかった。
この世界にやってきた俺にはすべき事が沢山あった。
それは貴族としての義務であったり、責務であったり。少なくとも元の世界の俺には無かったモノだ。その中で自身の褒美として奴隷を二人購入した。貴族としての責務などよりも以前の記憶で黒いモノを知っていたから、自分の意思で動かせる、自分に忠実な手がどうしても欲しかった。
貴族としての責務が増える事は苦ではなかった。増えると同時に生きている理由に繋がったのだから、苦に思う必要性など一切無い。
その中で、俺はアイツと出会った。シルベスタ王国第二王子、リゲル・シルベスタと。
可愛い男の子だと思った。男性に性愛を見ない俺であったけれど、私はそれなりに好みであると感じた。それでも彼に恋愛は出来ないと心のどこかで確信はしていた。
だからこそ、俺が彼に立てたのは身勝手に彼を否定しない誓いであった。彼を守る為の誓いであった。彼に人生を捧げる誓いであった。
リゲルという存在こそ、ディーナ・ゲイルディアの生きがいだと判断を下した。
それは貴族としての責務もそうであったし、ただ単純に守りたいと思ったのも事実だ。だからこそ彼の子を生む事に対して不快感を覚える意味も見出だせなかった。
生きる理由を見つけた。だから死ぬ理由から逃げれたとも思えた。生き方をようやく見つける事が出来た。
だから、彼に尽くした。裏側から彼を守る事に徹したし、ソレに彼が気付いて矜持が傷つかないように細心の注意を払い行動した。それを愛と呼ぶのならば、そうであろう。
俺は彼を愛した。けれど彼からの愛を受け取る資格など俺にはなかった。
だからこそ、アサヒとリゲルが愛し合う事に俺は異を唱える事など無かった。俺としても、私としても、捧げた愛を受け取ってもらえるだけで生きる意味を見出していたのだから、少しばかりこちらに気を向けてくれるだけでよかったのだ。
俺はリゲルを愛していたのだろうか? いいや、それを愛と呼ぶには歪すぎる。人は空気を愛する事はない。だから生きる理由としてリゲルとの関係を続けていた俺はソレを愛などとは呼べない。
生きている理由を求めていた。異世界に転生してもそれは何も変わりはしない。
俺は私であったが、同時に私は俺でもあった。
けれども、それは消失した。
ふわりと、俺の前から消えてなくなった。
あの時の選択に後悔は無い。そうしなければリゲルとの関係も崩れてしまっただろうし、リゲルが悲しんでしまうのは俺の生き方に背いた。それにアサヒとリゲルの関係も崩れてしまう可能性もあった。
後悔はしていない。
あの時――、いいや、それより以前からだ。俺はどこかで間違えてしまったのだろう。
何を間違えたのかはわからない。自分の中の選択としては常に最善ではなくても最悪ではない選択をし続けた。それのどこかが悪かったのだろう。わからない。そんなもの俺に分かるわけがない。
どうすればいい。俺はこれからどう生きればいい。
生きて、生きるべきなのだろうか?
生き方すらもわからずに、貴族としての責務もゲイルディア家の名に傷をつけてしまった。生きる意味はあるのだろうか?
私が生きている理由など、ありはしない。
生まれながら、自身の事を悪役令嬢などと銘打ってみせたが言い得て妙である。けれどもそうならないように努力はした。した筈だった。けれども結果はどうだ。全て意味など無かったではないか。
生きる為の目的も、その為の努力も、その為の知恵も、全てが無駄だったのだ。
もしも
どうしてリゲルの為になる事を考えてしまうのだろう。もう俺は必要ではないのに。
どうして。どうして。どうして。
けれども自害すればリゲルは悲しむだろう。アレでいて人をよく見ているし、相応の信用はあるつもりであった。いやどうだろう。もう無いのだろうか。
それでもリゲルはきっと……たぶん。少しだけでも悲しんでしまう。
だから俺はスグには死ねない。リゲルに忘れられた頃に、ひっそりと死ぬべきだ。
けれど、リゲルが忘れているのならば、死ぬ必要もなく、それでいて死ぬ意味すらなくなってしまう。
ならば死ぬ事は誰の為なのだ?
結果も出せずに、こうして無間の虚無を歩く自身の褒美だろうか?
「ディーナ様」
鼓膜を揺らしたのはお付きのメイドの声であった。
よく聞く声だからこそ、顔も姿も見なくても誰かはわかる。俺が買った褐色のメイドだ。
扉の開く音、閉まる音が嫌に大きく響いた気がした。彼女が歩く音が近付く。布越しに蝋燭の薄ぼんやりとした光が瞳に当たる。
彼女の影が布に当たる。目の前でしゃがまれて、頭に引っかかっていた布が緩やかに捲られる。
「また、泣いてらしたのですね」
泣いてはいない。と言いたかった。それでも勝手に私の瞳は水を流すし、止める術を俺は知らなかった。俺の時は無間だったモノが、たった一拍だけ希望を見せられて崩れ落ちた。何もかもが、耐えられなくなった。
苦しい。死にたい。生きたい。死にたくない。生きたくなどない。辛い。
無限に続く祈りを神は聞いてなどくれない。俺に生き方を与えてはくれない事など、最初からわかっていた事だというのに。
「立てますか? そこは冷えます」
冷えるからなんだと言うのだろうか。もう既に生きている価値など無い俺が生きる為の努力をする意味もない。
開いた両の瞳がアマリナを捉えて、また涙が溢れてくる。どうしようもなく、苦しい。嗚咽にすらならない声が溢れそうになる。
泣きそうな私の顔に柔らかいモノが当たる。布のザラつきとよく知る香りに包まれる。
鼓膜を一定の間隔で揺らす鼓動。髪が指で梳かされる。
抱きしめられていた。強く、強く。まるでそこに在る事を証明するように。
「ディーナ様……」
よく聞くアマリナの声が頭上から響いた。熱の籠もる吐息が頭に当たる。
抱きしめる力が緩んで、鼓動が離れる。頬を撫でた手が緩やかに私の顔を上を向かせる。
瞼に降りてきた唇に抵抗など出来なかった。私がまだ生きている事を証明してくれた。耳を軽く甘噛されぬるりと熱い舌で舐められる。こそばゆい感触に身が縮こまってしまう。
首筋を強く吸われて、ゾクゾクとした感覚が体を支配していく。
「ぁッ」
自身の口から自分のモノではないような甘い声が出てきてしまう。無理やり声を飲み込もうと口を噤めばそれを否定するようにアマリナの唇が当てられる。
一度目は軽く。二度目は唇を食むように、緩んだ唇に舌が入れられる。
舌が絡め取られ、吸われ、嬲られる。
甘い蹂躙が一頻り終わればアマリナの顔が離れて、酸素を求める為に呼吸が少しだけ荒くなる。
「そこは冷えます。ベッドに行きましょう。ディーナ様」
取られた手にキスをされて、彼女が私を立たせる。
数時間ぶりに立ち上がり、力の入らない私を抱きとめた彼女は微笑んで優しくベッドへと導いてベッドを軋ませる。
私の上に覆いかぶさったアマリナは右瞼にキスをして瞳を閉じさせる。
「貴女が死にたいのは、わかります。けれど、私の為に生きていてください」
どうしようもなく泣きそうな少女が私の目の前に居た。
慈悲のように与えられた生きる目的はきっと間違っている。けれど、今の私はそれに縋り付くしか選択肢が無い。
私は抵抗をせずに、彼女を受け入れた。私が生きる為に。死ねない私の為に。醜悪な私を誤魔化す為に。そんな私を生かそうと願う彼女の為に。
「ディーナの様子はどうだ?」
「ご自室で眠っておられます」
「……そうか」
クラウス・ゲイルディアは厳しい顔に刻まれた眉間のシワを更に深くして息を吐き出した。その表情に変化はあまり見えないが、言葉からは確かに心配が滲み出ている。
自身の娘に巻き起こったこと。その全てを彼は知っている。それは娘本人から直接告げられたからであるし、そして彼自身がある程度調べているからだろう。真実を手繰り寄せることは出来ずとも、どういった事態であるかは安々と理解したであろう。
罪を告白をするように、罰を欲するように、けれども淡々と事実だけを告げた娘は事態が起こって二日程自分の部屋の中へと籠もり、他者からの接触を拒んだ。それは父である彼からもであるし、母であるイザベラからも、である。メイドも、誰も彼もの接触を拒んだ。最低限すらない。
「ディーナを頼む、
「お任せ下さい。旦那様」
「俺は暫く王都に滞在する。殿下の考えも伺わなければならん」
普段はその表情を変化させない男であるが、今は珍しく表情が少しは理解することが出来た。怒り、憤り、只管に強い感情が表情と拳に現れ、それを霧散させるように深く息を吐き出して頭を抱えた。
この男が私を頼る時は無かった。それこそ、今の今まで名前など呼ばれたことも無かった。それは私が奴隷という立場であるからであるし、何よりベリル人である事も起因しているのだから当然と言えば当然である。それでも今は頼るしかなく、その事に関して私が彼を下に見る事はない。ただ当然の選択を当然にしただけなのだから。
リゲル殿下が何を考えていたかなどわかりはしない。そこに何か陰謀が蠢いた結果としてあの事態になったのかもしれない。
私にとって、それはどうでもいい事である。
ゲイルディア家がどうなろうが、この国がどうなろうが、この世界がどうなろうが。
どうでもいい。
あの弱い主が生きていれば、それだけでいい。
他に何が必要だと言うのだろうか。
あの細い躰に支えられる責任など、全て消えればいい。
あの優しい心を蝕む苦痛など、全て消えてしまえばいい。
主がそう願うのならば。あの人がそう思うのならば。彼女がそう言うのであれば。
私があの男を殺してみせよう。
けれど彼女はそれを願わない。あの人はそう言う訳もない。主はそう思いはしない。
だから、今暫くはご主人様を愛してあげよう。
愛を与えるのには慣れているのに、与えられる事は不慣れな不器用な主の為に。
私は少しだけ感情を表に出そう。隠そうと思っていた感情を少しだけ貴女に返そう。
返しきれない愛を、貴女に。