悪役令嬢は百合したい   作:猫毛布

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31.第二王子は欺きたい!

 手加減の中にも鋭さを保ったその剣筋を目で追いながら剣で受け止める。力負けしないようにリゲルは両足で地面を踏みしめて剣を弾きレーゲンの瞳を見て、次の攻撃を予測する。

 けれどレーゲンの瞳にはリゲルは映っておらず、どこか遠くを見ている。その事に気付いたリゲルは荒くなった息を深く空気を吸い込む事で無理やり正した。

 ようやく聞こえてきた複数の足音にリゲルは振り向いた。

 

「お兄様! どういう事か説明してください!」

 

 今にも殴られそうなほどの迫力であった。自身の妹が暴力的ではない事を重々に理解した上で、そう感じてしまったリゲルであるが表情に焦りは無い。

 

「何の事だ? お前の菓子をとった事は昔に精算しただろう」

「お姉様の事です! それもお姉様が取り持った事でしょう! いつの話をしているんですか!」

 

 リゲルの手がピクリと動く。今は聞きたくもない名前であった。感情を抑え込むように、誰にも悟られないように溜め息に隠蔽して気持ちを落ち着ける。

 

「スピカには関係の無い事だ」

「かんけッ……確かにそうですが! それでもお姉様との婚約破棄だなんて馬鹿げてます!」

「俺が決めた事だ。ゲイルディア嬢も納得した。それでこの話は終わりだ」

 

 スッパリとスピカの怒りを受け付けないように、話すらも切って捨てたリゲルは剣を鞘へと収める。

 スピカは怒りを露わにしながら内心で舌打ちをした。思い描いた未来を全て崩されたのだ。ディーナの事を知りたいが故に自身に就いているメイド達から沢山の噂話を聞いたのだ。だからこそ、ディーナのしていた事はわかる。悪辣な手を用いて自身の利益になるように動いていた事は知っている。

 けれど、()()()()()()()()()()()()()()()()。それは情に基づいて導かれた結論かもしれない。しかし、ディーナという人間を知る自身だからこそ、兄妹だからこそわかっている筈だ。

 自身の兄はその結論に行き着かなかった。それだけの話である。それだけの話だからこそ、怒らずしてどうする。奥歯を食いしばり、小さな拳を握りしめる。感情が体を動かす。理論では理解している事を、本能が誤魔化す。

 

 振りかぶり、足を進めて勢いをつけながら拳は振るわれる。

 スピカ自身、剣術などの武術を修めている訳ではない。蝶よ花よと育てられている自覚はある。そんな中であろうとディーナと過ごしている時は沢山の事を聞いた。認められたい、褒められたいという欲求に従って勉学にも励んだ。同時に剣を握ろうとすればディーナ自身は困ったような顔をして咎めるのだ。

 沢山の事を学んだ。足りない部分がわかる程に学んだ。

 だからこそ、目の前の結果は見えていた。

 容易く片手で止められた拳などわかっていた事であるというのに、悔しくて仕方がない。

 同時に、目の前の光景が()()()()()()()()。受け止めた手を見ながら、息を飲み込んだ。

 

「何をする、スピカ」

 

 乾いた音すらしなかった手を払い除け、リゲルは目の前で体勢を少しだけ崩したスピカを見下す。

 そんなリゲルへと憎々しい感情の篭もった視線をぶつけ、スピカは感情を落ち着けるようにして瞼を閉じる。

 一呼吸を置いて、表面上に怒りは収まった。心の奥底は煮えくり返りそうな感情があるが、それに蓋をした。

 

「別に。ただお兄様を殴って差し上げたかっただけです」

 

 気持ちのいい笑顔を浮かべながらスピカは防がれてしまった右拳を撫でる。リゲルは「そうか」と短く呟きを漏らす。

 

「では、私の気は済みましたので、剣術の稽古を続けて下さいな。オークを倒せるようになればいいですね!」

 

 イーッと歯を見せて嫌味を残したスピカは踵を返して珍しく気品の欠片もなくリゲル達から離れていく。

 そんな妹を見ながら盛大に溜め息を吐き出したリゲルを労るようにレーゲンがリゲルへと近寄る。

 

「大変だな、お兄様」

「茶化すな」

「ハハッ、それでどうすんだ? オークを倒せるようになるまで訓練するか?」

「……いや、父上に呼ばれているらしい」

 

 二人の視線の先に一人のメイドが立っており、距離がありながらも二人が気付いた事に察したのか頭を下げている。王に着くメイドの一人だというのは遠目でも確認はできた。

 

「こりゃぁ、ご愁傷さま」

「……ああ」

 

 肩を竦めて友を労ってみせたレーベンに対してリゲルはまったくだと言わんばかりの溜め息を吐き出して足を進め始める。

 

「いい酒を準備して待ってるぞ」

「いや、今日は飲まない」

「今日も、の間違いだろ」

「……そうだな」

 

 友人の軽口に口元に笑みを浮かべ、離れていく友人を見送ったリゲルは小さく溜め息を漏らし、スッと表情が消える。それも一瞬の事でスグに表情は柔らかい物に変化したけれど、どうにも不格好であった。そんな不格好で微妙な表情をメイドに見られている事に気付いたリゲルは力無く表情を崩し、困ったように笑う。

 

「父上はどこにいる?」

「ご案内致します、殿下」

「そうか。では案内を頼む」

 

 恭しく頭を下げたメイドは踵を返して歩き、リゲルはその背を追うように歩幅を合わせて歩く。

 父上――陛下の話、というのは自身の婚姻の話であろう。その事は容易に考えついた。アサヒの事、ディーナの事、自身の事、それらを考えればどれだけ喋れるかはわからない。その弁解とも言える説明がどれだけ取り合ってくれるのか、わからない。

 自身の無理を通した自覚はある。父がどれほどの事を把握しているかはわからないけれど、それでもリゲルはこの話ばかりは自身を曲げるつもりはなかった。

 

 

 

 考えに耽ていれば到着した扉にリゲルは一つだけ深呼吸をする。思考を正す。

 

「父上、リゲルです」

「入れ」

 

 扉を前にして声を掛ければ中から入室の許可が発せられて、扉を開く。部屋は重い空気が張り詰め、厳しい顔をした灰銀の偉丈夫と自身の父である王が椅子に腰掛けていた。

 厳しい男は鋭い瞳でリゲルを睨めつけ自身の感情を隠すように瞼を落とした。

 

「座れ。何故呼ばれたかはわかるな?」

「……俺の婚約の事でしょう」

 

 知っていた質問に対して用意していたように応えたリゲルは椅子に座る。ちらりと視線だけでクラウス・ゲイルディアを見てから父へと視線を合わせる。

 

「そうだ。アサヒ・ベーレントとの婚約は認めよう」

「……本当ですか?」

 

 リゲルは表情に出てしまう程驚いた。まさか認められるなどとは思っていなかった。頭の中で考えていた弁明の類の半分は意味が無くなってしまった。

 呆気に取られるリゲルを睨みながらシリウス王は口を開く。

 

「アレを側室に迎えれば済んだ話だが、何故ディーナ嬢との婚約を切った」

「……彼女のした事を考えれば妥当ではありませんか」

「娘が何をしたという……!」

「ゲイルディア卿。彼女は自身の立場を用いて人を陥れたのです。地位を手に入れればどうなるかなど、想像に難くない」

 

 事実を口にするリゲルに対してクラウスは歯を食いしばる。

 そんな物は虚偽だと口にしたかった。娘がどれほど彼に尽くしていたか、相手には全くわからない事である。けれど、少なからず事実でもある。

 この時点で、ディーナがリゲルを守っていた事を伝えるのは容易い。更に言えば真実を伝える事も容易い事である。そんな事はディーナにもわかっていた筈なのに、そうはしなかった。あの合理的な娘がその行動をしなかったというのは、()()()()()()()と計算したからに違いない。

 だからこそ、言えはしない。その権利はクラウスにも無い。娘の矜持を踏み躙る行為など、出来よう筈がない。

 

「ゲイルディア卿。彼女を俺の前に出さないで頂きたい。出来ることならば、王都へ近付く事すらないようにして頂きたい。……魔女と交友を持っているなどと、要らぬ噂が立つ前に」

「――貴様ッ!」

 

 頭に血が昇った。娘の矜持も、努力も、何もかもが踏み躙られた。どれほど汚名を被ろうが気にしなかった娘が泣いていたのだ。この男の為に。

 けれどその全ては否定された。拒絶された。怒りが、感情を支配する。

 振り上げた右拳が正確にリゲルの頬へと入り、その勢いでリゲルは椅子から転げ落ちる。荒く息を吐き出して、目の前のリゲルを憎々しい瞳で睨むクラウスは強く握った拳を震わせて、どうにか自身の怒りを飼いならす。

 殴られ床へと転がったリゲルは鉄の味がする唾を飲み込み、口の端を手で拭う。赤が手の甲で引き伸ばされ、それをチラリと見てからクラウスへと視線を戻す。

 

「落ち着け、クラウス。リゲルも下がれ。話はここまでだ」

 

 一触即発の空気を切り上げたシリウス王の声は嫌によく通った。シリウスの鋭い視線の先でリゲルは少しだけ揺らぐ体をどうにか立ち上げて、頭を下げて部屋から退出した。

 扉をしっかりと閉めたリゲルは口の端を指で拭い、赤を握りしめる。

 

「……痛いな」

 

 ボソリとそう呟いてから一度瞼を閉じて、呼吸を一つだけしてからリゲルは廊下を歩く。殴られた頬が外気に晒されて強く熱を感じる。

 

 

 

 部屋へと到着して開けば、待ち草臥れたように友人がソファに座っていた。座っていた、というべきか寝転がっていた。その格好にも慣れてしまったリゲルは息を分かるように吐き出した。

 

「レーゲン。誰かに見られれば咎められるぞ」

「先に無断で殿下の部屋に入ってる事が怒られるから大丈夫だ」

「それは、大丈夫ではないのでは?」

 

 至極真っ当な疑問であったけれどレーゲンは聞く耳を持たずにカラカラと笑う。そんな友人にも慣れてしまったリゲルはそれ以上何かを言うでもなく、既に所定の位置ともなった椅子へと座り、頬を撫でる。

 

「ん? ……殴られたな?」

「……ああ、()()にな」

「なんでだよ。陛下には説明をしたんだろう?」

「まあ、な。しかし半ば無理やりな婚約破棄とアサヒとの婚約だ。そのお叱りだ」

 

 甘んじて受けるさ、と追加するように言ったリゲルは窓から空を見上げた。誰かのように答えが降りてくる訳もない、只々静かな空だけがリゲルの視界へと映り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「落ち着いたか」

「……申し訳ありません」

「いや、お前が殴ってなければ俺が殴っていたな」

 

 ケラケラと笑い自身の家臣が仕出かした事を水に流したシリウスと一時であろうと感情に支配されてしまった自身を恥じるクラウスは水を一口飲んで昂ぶった感情を落ち着ける。

 

「それで、どう感じた」

「糸を引いている者がおりますね」

「誰だと思う」

「……正確には掴みかねます。ゲイルディアは敵が多いので」

「しかし、リゲルを巻き込んでいるのだ……最悪は国の乗っ取りか?」

「その頃には陛下は亡くなっておいででしょうな」

「ハッハッハッ、だろうな。その前に突き止めろ」

「御意」

 

 短く、けれど力強く王命を受けとったクラウスは頭を下げる。そのいつもの様子に満足したシリウスは嬉しそうに口を開く。

 

「しかし、リゲルか。思い切りがいいのは認めるが、詰めが甘いな」

「殿下の立場を考えれば、陛下も敵である可能性も見えてしまいますので」

「まあいい。試験紙としてお前に殴らせたのだが」

「……これで不利になれば陛下を恨みますぞ」

「安心しろ。その時はやけ酒にぐらい付き合ってやる」

「陛下が羽目を外したいだけでしょう……」

「おう。宰相のヤツがきつく縛ってくるからな。少しは市井を見ておきたい」

「……手配しておきます」

「頼んだぞ。このままでは死んでしまう」

「はぁ……御意」

 

 次の王命は溜め息を吐き出しながら、呆れたように受け取った。命令を出した方はニコニコとしながら自身の忠臣を見つめる。きっとこの忠臣ならば完璧に自身の命令を熟してくれる事をシリウスは知っている。

 シリウスからの全幅の信頼を向けられている事をクラウスは知っている。だからこそ、シリウスの事は信じる事が出来る。

 

 けれど、市井に出る事だけはしっかりと宰相に伝えておく事を心に誓った。


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