悪役令嬢は百合したい   作:猫毛布

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32.褐色執事は傅きたい!

 彼女は出来の悪い剣であった。柄と鞘だけは綺羅びやかに装飾された刃毀れのある剣である。

 けれど刃毀れして尚、その剣は美しかった。

 

 初めて会った時の事を忘れてなどいない。綺羅びやかな金色の髪が揺れ、蝋燭の光だけの世界だったというのに、彼女は輝いていた。お伽噺に登場する女神のように。けれど、悪辣に微笑むその顔は正しく悪魔のようであった。

 

 

 彼女はよく優秀だなんて言われていた。剣の腕にしろ、勉学にしろ、魔法にしろ。彼女は全てに置いて秀でていると思われているらしい。彼女に才能などという恵まれた物は無いというのに。あるのは環境と自身だけであった。

 環境、つまるところのゲイルディア侯爵令嬢という立場が才能であるというのならば、彼女に与えられた才能はそれだけなのだ。

 勉学にしても、剣術にしても、魔法にしても。彼女はただ積み上げただけなのだ。何度も失敗を繰り返し、ボロボロになりながら得た結果だけを周りに見せている。たったそれだけだった。

 

 彼女が人間だと思ったのは、初めて剣術で勝った時であった。

 今思えば当然の結果であるが、それまで負け続けていた俺にとってその一勝は極めて大きな意味を持っていた。正直に言えば、勝てるなんて思っていなかったのだ。

 負けた彼女は指導していた師の前では珍しく感情を露わにして俺を睨んでいた。散々に負けていた俺がよく知る感情を彼女もまた持っていた。そんな当たり前の事を知って、ようやく俺は彼女が人間に見えたのだ。

 その次の一戦は彼女が奇襲気味に魔法を使って俺を潰した。気絶する前に見たのは彼女が両手を挙げて喜んでいる姿であったし、次に目を覚まして見たのは彼女の整った顔であった。

 頭を膝に乗せられて休まされていた俺が起きたのに気付いた彼女は大層安堵したような顔で微笑んだ。そしてバツの悪そうな顔になって俺達の訓練で魔法は少しの間禁じ手となったのである。

 

 

 何でも出来ていた悪魔から何かしか出来ない人間になった彼女は実に人間らしかった。彼女自身に変化は何も無いのだけれど、俺から見た彼女は変化し続けた。鋭いと思っていた刃は傷もあった。綺羅びやかな柄や鞘は彼女自身が日頃磨いた結果であると知った。

 彼女はよく笑った。まるで自由だと言わんばかりに彼女は笑って、男のような口調で喋るのだ。気安く、壁など無いように。

 それでも彼女は自由などではなかった。そんな事、彼女も、俺達も、誰しもが知っていた事だ。たった一つの才能であるゲイルディア侯爵令嬢という肩書が彼女を束縛した。

 彼女はその束縛も楽しんでいたように思える。楽しんでいた、というよりは受け入れていたと言うべきなのだろう。少なくとも悲観などはしていなかった。確かにその才能に誇りを持っていた。だからこそ束縛を苦と思っていたとしても、表情には出さなかったし、その才能を存分に活かした。

 

 

 ディーナ・ゲイルディアは、至って普通の女なのだ。ただ才能が在った。立場があった。それだけなのだ。自身を優秀に見せただけの、綺羅びやかな装飾に彩られたハリボテの剣こそがディーナという女だ。

 積み上げた知識も、身を削った努力も、たった一滴の黄金の裏に隠されている行為だ。それを彼女は是としたし、隠れた努力を誇るような事もしなかった。

 彼女は「自身に出来る事は優れた他者が容易く到達出来る地点」であると口にする。それは剣の才能で言えば俺に当て嵌まるし、自身の弟にも当て嵌まる事である。魔法式という学問で言うのならば師と仰ぐシャリィ・オーベの事である。

 だからこそ、彼女はゲイルディア家という立場に誇りを持っていても、ディーナ・ゲイルディアという存在に対しては誇りの欠片も持っていない。なんせ自分の代わりとなる才能はそこらに在るのだから。

 

 

 そんな主であるからこそ、護りたいと感じた。頼ってほしいとも思った。

 その想いは簡単に叶えられた。間違った形ではあったけれど、いとも容易く叶えられた。

 

「よぉ、ヘリオ。奇遇じゃねぇか」

 

 慌てて追いかけた俺の事など知らずに彼女は男性のような口調で俺を迎えた。貴族の子息など入りもしないであろう酒場で極自然に彼女は腰掛けていた。

 その時の俺の脱力具合を彼女は知らないし、その時点では彼女は”彼”に扮していたのだから普段呼ぶような形では呼べもしない。

 ケラケラと笑いながらエールを傾ける彼女を止める術を俺は知らないし、止めた所で彼女は止まるわけもない。苦言は呈したけれど、それだけである。

 

 実の所、彼女が酔っ払う事は沢山あった。前後不覚になるという事はなかったけれど、それでも足取りがやや乱れるぐらいには酒精を取る事はあった。俺に凭れて上機嫌で自身の寮部屋へと戻っていくのを考えれば完全に酔っていたという事も無いのだろう。気を抜いていた、と言えばいいのかもしれない。少なくとも、俺の前では無防備であったのだろう。

 

 望まぬ形ではあったけれど、自身を頼ってくれるのは嬉しかった。嬉しいと同時に、別の感情に気付くことになる。

 変な話だけれど、彼女は女であった。どれほど男装していようが、俺の目には彼女は彼女でしかなく、その認識を改める事など一切出来ない。

 彼女は男に扮する事が病的に上手かった。絡み方や、距離の取り方、口調や仕草も。所作だけは染み付いた作法が少しばかり表に出る事はあったけれど、男装した彼女はまさに男とも言えた。

 上手すぎた男装と俺の認識は見事なまでに俺を狂わせた。

 貴族令嬢である彼女がまるで男の友人のように俺に絡むのだ。肩を組む事もあった。酒を酌み交わす時に彼女が俺の酒を少し貰う事もあった。彼女は楽しそうに酒精を楽しんでいたが、俺は気が気じゃない。

 彼女は、女であった。そんな当たり前の事が問題であったのだ。

 

 昔一緒に眠った時よりも強く香る女の匂い。細い肩。少し筋張った肉の柔らかさ。油に照らされる唇。脳髄を直接揺さぶられるような感覚が俺を持続的に攻め立てた。

 彼女は恩人で、貴族令嬢であり、主であり、親であり、友人であり、姉であり、そして女であった。

 

 俺は彼女を愛していた。叶わぬ想いが確かに俺の胸に秘められた。

 けれど、俺はそれを良しとした。少なくとも、誰かに言う事もなく、誰にもバレる事もなく、今の関係が続く事を願った。ソレ以上進む事を願わなかった。

 俺の感情は、恋愛と呼ばれる感情である事は確かであったが、ソレ以上に俺は彼女に恩を感じていた。だからこそ自分の感情を秘匿する事に違和感も嫌悪感も無い。

 

 

 

 彼女が姿を見せなくなってから七日。誰かに何かが起こっても、陽は昇る。

 日課となった剣術の鍛錬は精が出た。何かをしていなければ頭が他の事を考えてしまう。例えば王族の暗殺方法、だとか。例えば王城への侵入経路、だとか。そんな事をした所で彼女は喜びもしないだろう。分かりきっていることだけれど、それでも無駄を思考してしまう。

 剣を振りながら目の前に現れた黒い髪の男の幻影を消そう(ころそう)として剣を振るうも防がれる。それは見知った顔だ。自身と同じか、それよりも少しだけ力を持った王子付きの騎士。振るう剣は容易く抑えられ、返すように振るわれる剣を防ぐ。その間に黒い髪の男は逃げるだろう。急かされてしまう心で剣が揺れる。

 幻影に斬られた首を撫でれば汗が指を濡らす。

 どうにも勝ち切る事ができない。狙いが別であるのならば、勝てるけれど目標の達成を考えれば負けてしまう。意味のない行為だと理解していても、それでも繰り返してしまう。

 

「ヘリオ!」

「アマリナ?」

 

 一息吐いた所で同じ褐色肌をした妹が俺の名前を呼ぶ。その表情は慌てたような、何かに焦っているような、少なからずいい知らせでは無いだろう。

 

「どうした?」

「ディーナ様が、ディーナ様が」

「……落ち着け。お嬢がどうした?」

 

 この七日間、一番彼女に近かったアマリナがコレほど焦るような内容に最悪を思い浮かべる。いいや、もしも最悪であったならばこの妹ならば一緒に最悪を行っている筈だ。俺がそうするのだから、アマリナもその道を選ぶだろう。

 アマリナが落ち着くまでの少しの時間で最悪を取り払う。

 

「それで、お嬢がどうした?」

「ディーナ様が、その、いなくなって」

「……影は?」

「わからない……。どうしても繋がらなくて……」

「……わかった。アマリナは館の中を頼む。俺は心当たりを探してくる」

 

 お互いに行動を開始する。もしも館の中に居なければ、と考えればある程度の予測があった。

 今のアマリナを動かせば何らかの失敗をするだろう。それでも館の中であるのならば他の女中が手助けをしてくれるし、アマリナも彼女の為に上手く振る舞うだろう。

 厩に行けば予想通りに彼女の愛馬が消えていた。予測を絞り込みながら馬へと乗り、駆ける。最悪の予想が一致していたのならば、まだ男装をして街で酒盛りをしている方が幾分もマシである。

 彼女に何があろうと変化が無かった筈の陽は不安を煽るように分厚い雲に隠れ、

 

 

 

 

 

 

 

 ヘリオが馬を走らせて到着したのは街から少し離れた森である。幼い時に館から抜け出したディーナに連れてこられた森だ。 移動中に降り出した雨は外套を濡らし、葉にその体を打ち付けて軽い音を響かせる。

 あの時から始まった剣術の鍛錬……とは言い難い木の棒での遊びもヘリオの土台となり、そして黒星の数が増え始めた瞬間でもある。

 森に入って少しすれば芦毛の牝馬が生い茂る草を食みながら耳をピクリと動かした。その牝馬を見てようやくヘリオは安堵する。本当にここに居るなどと確証はなかったのだ。

 幼い時のように彼女の愛馬の隣で馬を降りれば、牝馬は鼻を震わせてから顔をヘリオへと向けて、その顔をさらに森の奥へと向ける。

 方向はよく知っていた。なんせあの時から幾度か訪れて、何度もそこでディーナと時を過ごしたのだから。ヘリオは牝馬を一撫でして、足を進めた。

 幼い時に届かなかった枝が視界の邪魔をして、鬱陶しくヘリオを行く道を阻害する。幼い時は追いつこうとしていた背を求めるのを邪魔するように。

 邪魔になる枝を腕で退けながら暫く歩けば、木々が途切れて視界が開けた。

 

 広い湖がそこにはある。幼い時から変化のない湖があった。

 幼い時の記憶が視界に被り、神にも似た金糸の少女が笑みを浮かべていた。

 幼い記憶は雨で流されて、そこには一人ぼっちの女が濡れながら立っていた。

 

「……ヘリオか」

 

 ディーナは曇天を見上げていた顔をようやく下げて、身体をヘリオへと向けて異色の両目を開いた。

 瞳から流れ続ける水を拭う事もせず、雨と共に流し続ける。

 

「アマリナが心配してましたよ」

「そうか。一人で少し考えたかったけど、言わずに出てきたのは拙かったかな」

 

 小さく息を吐き出したディーナを見ながらヘリオは息を飲み込む。雨に濡れたドレスが彼女の肢体に張り付き、女性らしい肢体を惜しげもなく晒す。その肉体を誇るでもなく、羞恥を覚えるでもなく、ディーナはただ在るがままに立っていた。

 奥底で燻る情欲を抑えつける。これ以上煽られない為に、ヘリオは着ていた厚手の外套を脱いでディーナへと差し出す。

 

「お嬢、身体が冷えますよ」

「お前もだろう。俺は、まあ、もうずぶ濡れだからな」

「それでもだ」

 

 無理に強い語調で差し出した外套をキョトンとしてから苦笑してからディーナは受け取って身に被せる。そこでようやくヘリオはため息にも似た息を吐き出した。

 

「それで、どうして一人で?」

「死ぬ、と思ったか?」

 

 ゾクリとヘリオの背筋が凍りつく。自身の思案を当てられた事もそうであるし、それを否定しないディーナにも驚いた。自身の予想が当たっていた、と言われた気がした。

 

「それでもよかったんだがな」

 

 自嘲するように漏れ出た言葉にヘリオは反応すら出来なかった。それでもディーナはヘリオの様子を可笑しそうにクスクスと笑う。

 既にどうしようもない。自身の立ち位置や父であるクラウス・ゲイルディアの思惑を考えても、答えは出ない。自身がどれほど悪影響であるか、そして国にとって、リゲルにとって汚点であるか。様々な要素が自身を追い詰めていく。

 

「お前達を自由にしてからでも遅くはない」

「……必要ありませんよ」

「お前らならそう言っちゃうだろ?」

 

 だから一人でゆっくりと考えたかった、と口を尖らせて言ってみせたディーナは一つため息を吐き出した。

 

「何が正解かわからなくなってた。これでもなるべく正解を選んで生きてきたつもりだったけど、どっかで間違えちまった。神様に嫌われた、いいや、ディーナ・ゲイルディアはそもそも神様に好かれちゃいなかった」

「……だから俺達にアンタを捨てろって言うんですか」

「でもお前らはソレを否定するだろ?」

 

 肯定してくれるように育てたつもりなんだけどな、と困ったように口にするディーナはヘリオ達が感じている恩を正しく理解していない。

 

「喩え地獄であろうと、死刑台にだって俺達はアンタについて行きますよ」

「……重いなぁ」

「そう育てたのはお嬢でしょ」

「それもそうか」

 

 ディーナは苦笑する。生き方(チャート)など最初からわからなかった。神様には元々嫌われていた。そんなモノは存在しないのかもしれない。決められた生き方であれば、こうして迷う必要もなかった。

 自身が死んだ後の二人の行動など想像に難くない。普通に生きてくれれば、と思う。けれど二人はそうならない事をディーナはようやく理解した。

 神様には嫌われた。運命など生まれた時から脱線している。それでも生きたいと願ってしまう自身が居た。だから運命にも愛想を尽かされたのかもしれない。

 

 ディーナは大きく息を吐き出した。考える事をやめた訳ではない。悩む事も、やめれていない。いつだって「どうすればいい?」と自問を繰り返していた。

 それでも答えなど出る訳がない。何が正答であるかなど、現実ではわからない。

 

「ああ、簡単な事だったな」

 

 ディーナ・ゲイルディアは生きている。

 思わず笑ってしまう。長く生きていたというのに、ようやくそんな事に気付いたのだ。他者に抑圧されていた訳ではない。他ならぬ自身が最も抑え込んでいた。

 好き勝手生きられるとは思わない。そんなモノを望める程自身は優秀ではない。けれど、それで良い。それこそがディーナ・ゲイルディアである。

 晴れ晴れとした気分で空を見上げれば、厚い黒雲が覆い尽くしている。天の思し召しか、まるで神様に嫌われているかのようだ。

 だからこそ、ディーナは反抗心を擽られた。最初の日なのだ。立ち上がり、前に進むと決めた。神などには屈しないと決意した。運命などという流れに対抗すると決めた。

 

「ヘリオ、ありがとな」

「お嬢なら大丈夫でしたよ」

「さてな。でも、いい天気だ」

 

 よい天気、というのがディーナにとって雨であるのならば今は良好である。けれどもディーナが晴天を好いている事はヘリオはよく知っていた。

 疑問を感じているであろうヘリオにニッと歯を見せて笑ったディーナは右手を空へと突き上げる。極彩色の右目を万華鏡のように煌めかせ、魔力を集める。あの時のような違和感は無い。世界に漂う魔力も、自身の中に存在する魔力も、全て把握できる。

 指が打ち鳴らされ、身体を駆け巡る魔力が右腕に奔る。世界を改変して巻き起こる風が右手の指し示す方向へと巻き上がる。

 大きな世界で見れば小さな反抗であった。

 それだけしか、ディーナ・ゲイルディアには行えない。

 世界全てを改変させるような力など無い。けれども自身の運命だけは改変出来る。

 それだけが、ディーナ・ゲイルディアには行えた。

 黒雲にポッカリと穴が開く。差し込む陽光がディーナの濡れた金髪を煌めかせ祝福する。

 

「いい天気だろ?」

「……ええ。我が主」

 

 ディーナ・ゲイルディアは自身の従者に満面の笑みを見せた。これから先も迷う事もあるだろう。正解を答えられる保証もない。けれども、それでいいのだ。

 ポッカリと開いた空を見上げてディーナは世界を瞼に閉じ込めた。

 

「ありがとう、ヘリオ。愛してるぜ」

「……は?」

「ん? 俺のなんだから、当然だろ?」

「ああ、そうでしたよね。お嬢はお嬢でした」

「なんだよ、その反応」

 

 一度呆然としたヘリオであったけれど、すぐに呆れたようにため息を吐き出した。ディーナはディーナでさっぱりわからない様に唇を尖らせる。自身の所有物に愛情を見せたというのに、その反応は如何なるモノか、と文句を言ってみせる。

 キャンキャンと小さな口喧嘩をしながら二人は愛馬へと向かう。

 自分達を待っているであろう、愛するメイドの待つ居場所に戻る為に。

 


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