私が公式です(天下無双)
王城というのは俺にとって居心地のよい物ではない。
それこそ幼い時からゲイルディアに対する雑多な中傷もあれば、遠回しな誹謗もあった。俺の耳に届く範囲で言っていたのだから、気分の良いモノではない。それでも止める術も無く、止めた所でそれが新たな罵詈雑言と化して俺に向かうのだからきりがない。
居心地、という事を考えればそんな中でもリゲルやスピカ様と会える事は俺にとっての清涼剤になり得たし、それがあるからこそ王城にいる事が出来たと言ってもよかった。
つまるところ、今の王城というのは俺にとってただ単純に居心地の悪い場所と成ってしまった。その半分ぐらいは噂を止めなかった俺にもあるのだろうけど。
それでも俺は王城に居た。
長期休暇も終えて学業の始まるリゲル達はこの王城には居ないが、クソみたいな貴族達の世辞と面倒な言い回しの皮肉。その大半がリゲルとの婚約破棄関係なのだから気が滅入ってしまう。それほど気にしてはいないつもりであるけれど、こうして責め立てられればいい加減に鬱陶しくも感じてしまう。
それでも目的があるからここに居なければいけないのだけれど……。
「よく来たな、ディーナ嬢」
「陛下におかれましてはご健勝でなによりですわ」
表向きの用事であったゲイルディア卿としての役目をさっさと終わらせ、あの時の様に陛下に呼び出されてようやく謁見が叶う。こうして呼び出してくれるとは思わなかったが。
思ったよりも気に入られているのだろうか……? いや、リゲルの行動を補填していると考える方が妥当か。
「クラウスのヤツに頼んでいた事だが、まさかお前が来てくれるとは思わなかった」
「私もゲイルディアの一員ですわ。当主の手が空かない時は動きますわ」
空かない、というよりも俺が頼んだことなのだけれど。その事は陛下もわかっているだろう。あのヴィラン顔を「悪ではない」と断じているのだから。
「それで、リゲルの事か?」
「……他の貴族も無駄な言い回しをせずに陛下を見習ってほしいですわ」
「ハッハッハッ、お前を相手に腹の探り合いをする必要もないだろう」
かと言って直接腸を掻っ捌きに来るのはどうかと存じます。とは言わないけど。
俺としては王城での短い時間で無駄な言い回しで疲れていたから陛下との会話は随分と楽に感じる。気を抜く事はないけれど。
それでもリゲルの事を聞いたという事は彼の行動は彼自身が決めた事なのだろう。それならば、それでいい。彼を責める為にここに来たわけではない。
「リゲル殿下の護衛の引き継ぎをしようと」
「……」
「あの、陛下?」
「アッハッハッハッハッ! そうかそうか! いや、許せ。お前はそういう女だったな」
キョトンとした後に哄笑されてしまった。ムッと見てしまったのがバレたのかすぐに笑いは笑みに変わったし、陛下に言われると許さざるをえない。
というか、俺は嫉妬深くて未だにリゲルに執着しているか、何かしらの賠償を求められると思われていたのだろうか。そうしていいのならするけど、そこで陛下との繋がりが消えてしまうのは勿体ない。
「来年度にはスピカ様も入学されますので、万全にすべきですわ」
「そうだな。お前の弟はどうだ?」
「……剣ではありますが、盾にはなりませんわ。あまりお薦めできません」
「……ディーナ嬢は親族でも容赦がないな」
「あら、私はお父様を悪と断じる娘ですわよ。贔屓目で選んでスピカ様の身に何かあったなら弟を斬らなければいけませんし」
「それが出来ないお前ではないだろう」
「私にだって情ぐらいありますわ」
だからこそアレクを斬る選択をしなければならないのだが。
どちらにせよアレクは護衛向きの人物ではない。アレは守勢よりも攻勢で力を発揮するだろう。守りが下手という訳ではないけれど、スピカ様を守るのならば力不足も甚だしい。あと羨ましくて魔法をブツケたくなるし。
あと陛下。どうせ俺が学校で仕出かしたアレクとの決闘を知ってるんだろうけど、クツクツ笑うのはやめろください。
コホン、と一つだけ咳を挟んでから口を開く。
「それに私が薦めればまた要らぬ不和を呼びますわ」
「黙らせる事もお前なら可能だろうに」
「過分な評価ですわ。命令を戴ければ微力を尽くしますが」
「いや、いい。俺の方で準備をしよう」
まあ要らない諍いを起こすのはイヤだろう。それに陛下も俺程度の力を尽くした所で黙らせられない事は理解している筈だし。
予め纏めておいた引き継ぎ内容を書いた文書を陛下へと手渡しとりあえずの目的は達成である。これでリゲルへの最低限の義理は果たした。同時に俺と陛下の繋がりが切れてしまう訳だが、それは俺としても困るので追加で文書を一つ渡す。
「これは?」
「私とシャリィ先生……オーべ卿と実験している魔法式の仮説です。まだ机上理論でしかありませんが、利便性は今の想像魔法よりも優れた物になりますわ。学問として纏めていますので、未来の魔法使い達や騎士達の底上げも期待できます」
「……なるほど。こちらが本命か」
答える必要はない。この有用性を陛下は理解できるだろうし、お父様のように瞳や俺の事を知っている訳ではない。国に利益を出す存在を容易く手放したくはない筈だ。
「実験期間は?」
「三年以内には必ず」
「……国庫からの出資をしよう」
「ゲイルディアに、特に今の私に資金を与えれば陛下の立場も悪くなりましょう」
「
「一代貴族、男爵位を戴きたい」
「……クラウスのヤツも嫌われているな」
「お父様の事は嫌いではありませんわ。ただ、手綱をゲイルディア家に握られているのが気に食わないだけですの」
リゲルにフラれた事で俺の未来など中指を立てるような物になるだろう。それにゲイルディアに縛られていては出来ない事もある。百合とか、百合とか、百合とか。
家族との関係が切れる訳ではないけれど、俺個人としての爵位を持っている方が何かと都合はよくなるだろう。
「わかった。楽しみにしていよう」
「お任せください」
よし! これで俺の未来は安泰だな!
個人として利益を出せば陛下から男爵位を戴けるし、ゲイルディア家にとっても嫁がせる必要性が無くなる。三年の猶予も貰えたし、カチイで監視の目を掻い潜って実験してれば余裕で出来る算段である。
カチイの政務も含めても、余裕はある筈だ。シャリィ先生に呼びかけもすれば完璧な布陣だろう。敗北を知りたい。
意気揚々と陛下との密談も終わり、耳障りな嫌味を聞き流していれば黒い髪をした天使が居た。頭の上に天輪が無いのは落としたのだろうか? いや、スピカ様だった。天使じゃん。
天使は俺に気付いたようで天真爛漫とも言える満面の笑みを浮かべて俺に近寄ってくる。
「お姉様!」
……。
さて、どうにも困った現実が俺を責め立てている訳である。いつもならば抱き上げてくるりと一周回って差し上げるけれど、今の俺はそれを許されていない。
曖昧に笑い、一度深呼吸をする。
「……スピカ様。私はもう『お姉様』と呼ばれるべき存在ではありませんわ」
そうなのである。義理の姉候補としての俺はリゲルにフられた事によって消え去ったのだ。つまり、俺は天使のお姉様ではない。辛い……。リゲルとの婚姻を結び直すか? いや、無理だが。
俺の拒絶というか、言葉にビシリと音が鳴りそうなほど固まったスピカ様。今の俺とスピカ様の関係は王女様と貴族令嬢でしかない。加えて言うのならばこの貴族令嬢は負け犬である。
「……それでも、お姉様はお姉様です!」
「スピカ様……」
意を決したように宣言したスピカ様であるが、俺は困ったように笑みを浮かべるしかない。
あまり一緒にいるとスピカ様にも要らぬ噂がへばりついてしまうから、今はなるべく距離を置いておきたいんだけど。この天使を突き放す事が出来るだろうか? 否、出来ない。しかししなくてはならない。
抱きしめたい欲を心の奥底にねじ込み、我慢する。
ダメである。今、抱きしめたら絶対いつもの様に振る舞ってしまう。そうすればスピカ様と俺の関係を勘ぐった馬鹿がまた噂を立てて、スピカ様との関係を本格的に切らなければいけなくなる。
まだ他の貴族を黙らせられる程の力は俺にない。スピカ様は純真であらせられるので、そんな陰謀には無知であるし、それで汚される必要はない。
「今は気軽にディーナとお呼びください、スピカ殿下」
「うっ……ディーナ、様」
「はい。スピカ殿下」
賢い娘である。そう思うと同時に申し訳なく思う。
いつものように扱われたいだろうに、それを我慢して俺の要望を聞いてくれた。そうするのが自分の欲を押し通すよりも正しいと判断した。
「ディーナ様をわたしから奪ったのは、あの女ですか?」
んんんんんんんッ!? 急にそういう事を言うのはやめてくださいスピカ様、困ってしまいます助けて。
いや、待って、スピカ様、待って……脳処理が追いつかなくなるから待って……。
いつもの笑顔でそういう事を言わないで……。可愛いけど怖いぞ……。
「違います。私が、悪かったのですわ」
「ディーナおね……ディーナ様は悪くなんてありません!」
「私は悪い女ですわ。だって、こうしてスピカ様を泣かしてしまったでしょう?」
感情が溢れたのか、泣きそうになっているスピカ様の目尻にハンカチを軽く当てる。これで四日は耐えれるな!
涙を流すと俺が悪くなってしまうからか、必死に涙を止めようとしているスピカ様だけれど、涙を止めた所で俺はこの会話を続けるつもりも無いのだけれど。
素早く撤退しなければ俺が我慢出来ずにスピカ様を抱きしめて思いっきり頭を撫でそうになる……。
「アサヒはいい子ですわ。私と違って、明るくてきっとスピカ殿下とも話が合うと思います」
「でもお姉様じゃないもん……」
「ええ。彼女は私ではありませんわ。だから頭から否定せずに、彼女を見てあげてくださいまし」
頼むから喧嘩とかしないでね……。アサヒと喧嘩するとリゲルとスピカ様の関係性も拗れて面倒極まりない状況になるのは目に見えている。出来る事ならば二人の関係は良好であってほしい。アサヒはいい子だからスピカ様も気に入るだろう。
スピカ様から見ればぽっと出のアサヒが俺からリゲルを奪った様に見えたのだろう。実際はリゲルが俺を捨てたからアサヒでなくとも、いつかはこうなっていたのかもしれない。
「ほら、スピカ様。笑ってください。私はこれからカチイに……遠くに行く事になります。私を笑顔で見送るのはお嫌ですか?」
「ディーナお姉様は卑怯です……」
「はい。私はゲイルディアの娘ですもの。スピカ様が笑ってくれるのなら卑怯な手も使いますわ」
微笑んでみせればスピカ様も涙を浮かべながら、それでも笑顔になってくれる。どうして魔法式で写真は取れないのだろうか……? 欠陥では?
一礼をして、スピカ様から離れる。スピカ様が黒くなっていた気がするけど、たぶん気の所為に違いない。きっと気の迷いとか、そういうのに違いない。そうに決まってる。決まってるんだ。
ディーナ・ゲイルディアの背を見送ったスピカ・サトゥ・シルベスタは自身の瞳に溜まっていた涙を拭い、足を進める。悲しみに暮れている暇はない。
「お父様、よろしいでしょうか?」
「スピカか。どうした?」
この国の王でもある父に頭を下げてから口を開く。
「お姉様はどうしてお父様の下に?」
「……ゲイルディア卿の使いだ」
「お父様。わたしは何も知らない少女ではありません。お兄様とお姉様の事で、沢山調べましたの」
「……はぁ。お前が人を動かしていたのは知っているが、俺が答える事は無いぞ」
「えぇ。お父様がお姉様に何を命じていたかまでは知らないです」
シリウス王の顔が歪む。自身とディーナとの密談は二人しか知らない事であるし、人を動かした所で露見する事はないだろう。
けれど自身の娘、まだ幼いと思っていたスピカがそれを追い求めて辿り着いたというのならばそれは驚愕する事だ。
「さてな。何の事だか」
「わたしの予想だと、お兄様の影の警護ですけれど」
「推察でしかないな」
「はい。でも、遠くは無いと感じてます」
シリウス王は決して答えは言わない。それがディーナとの約束でもある。スピカに露見した所でリゲルに伝わるとは思い難いが、それでも言う必要などない。
「お父様の命令で、お姉様はお兄様を奪われましたわ」
「なんだ、俺を責めに来たのか?」
「まさか。お父様を責めるだなんて」
花を思わせる満面の笑みを浮かべながらスピカは否定する。父を責める気は少ししかない。
あの優しいお姉様をあの運命に乗せた原因でもあるのだから。それでも、その運命は正しく自身に味方をしてくれているので、父には感謝もしている。
「それで、話は戻りますけど。お姉様はどうしてお父様の下に?」
「……わかったわかった。どうせここで俺が否定してもお前は人を動かすだろう。無駄に動かすな」
「あら。わたしが必要だと思ってるだけです」
「それで、何が知りたい。ここにディーナ嬢が来た理由も見当が付いているんだろう」
「お姉様の事です、自分を売り込みに来たのでしょう? お父様は元々手放すつもりがなかったのに」
「……お前はどこまで見えているんだ?」
「さぁ? 見えていてもわたしの手はお父様程長くありません」
スピカからしてみれば推察でしかない。姉と慕うディーナの能力と性格を考慮して、自身の父と国の事を考えれば自然と答えは見える。
けれど、見えるだけでは意味がない事をスピカは少し前に嫌というほど理解した。
あのまま進んでいればお姉様との学校生活が待っていたというのに! お姉様との王城での生活がまた戻ってきたというのに!
「自分の研究を出汁に男爵位を求めてきたぞ」
「……一代貴族ですか。お姉様はもっと上を求めていいと思います」
「俺も思う。が、アレは早々に隠居するつもりだ」
「……隠居させるつもりですか?」
「まさか。そんな勿体ない事をさせる訳がないだろう」
使える人材を手放す趣味はシリウス王にはない。リゲルとの婚姻破棄で手放しそうになったが、向こうから繋がりを求めてきたのだからシリウス王にとっては渡りに船であった。
元々別口で手を回していたが、それも必要なくなるかもしれない。
「お姉様の地位も、お父様の目論見も両得する案があります」
「……一応言ってみろ」
「わたしの近衛騎士です」
シリウス王の表情が固まる。
スピカは花を咲き誇らせて更に口を開いた。
「お姉様をわたしにくださいな、陛下。悪評も醜聞も何もかもと一緒にお姉様をもらいますわ」