感情を落ち着けて、冷めてしまった紅茶を一口喉の奥へと流し込んで思考へと埋没する。
リゲルが俺を信じていた。ただその一点だけ、俺は彼を信じられていなかった。
約束。そう、約束だ。
俺は彼を裏切らない。ただそれだけの事で、俺は彼を信じていた筈だったのに。あの瞬間は頭が真っ白になって、つい先程まで約束の事なんて忘れられていたと思っていた。
彼が俺を突き放したという事実。
アサヒの事を思って、虐めの主犯である俺を離した。けれど、それは俺を信じるというリゲルの想いに矛盾する。未だに俺との繋がりを捨てずに持っていた。リゲルにとって何の効力もない、不格好な子供の作成物を。
反転させる。
ディーナ・ゲイルディアを突き放さなくてはいけなかった。
理由と結果が反転する。理由の為に結果があるのではなく、結果が欲しくて理由ができた。
その理由の部分はわからない。今更俺への罵詈雑言など、リゲルも知っていた事だ。なら、どうして?
リゲルが何かに気付いた? 或いは何かの取引材料であったか?
俺を突き放しアサヒを据えた理由は……。けれど、それでもアサヒなのだ。あの人の心にズカズカと踏み込んでくる天真爛漫天然記念物娘が原因だとは思えない。要因ではあるだろうけど。
誰が敵かがわからない。誰が何を求めているのかが見えてこない。
「……まったく分の悪い賭けですわね」
きっと彼には「ディーナ・ゲイルディアが全ての元凶である」という情報が幾つかあっただろう。我ながら俺を信じるという判断は分が悪い賭けだと思う。それでもリゲルはベットした。
カードは配り終わり、見えないディーラーの手札も、リゲルの手札も開示されていない。更に言えば俺は捨札なのだ。
捨てられたという事実があるカード。ディーラーも見捨てた、盤面にはもう上がれないカードの筈であった。
両手の指先を合わせ、瞼を落とす。緩やかに流れる魔力を掌握しながら、欠片を紡ぐ。
俺の位置を正しく理解できている人物は俺とリゲル、そしてスピカ様ぐらいか。
見えない敵の最終目的は不明。リゲルに近い人物は敵と思った方がいいかもしれない。ただ知らないだけの可能性もある。できることなら、そう信じたい。
知らずに、巻き込まれているだけ。敵の思惑も知らず、ただ
そうだと言ってくれよ、レーゲン・シュタール。
「ゲイルディア様。よろしいでしょうか?」
ざわついた感情を紅茶を飲み干すことで抑え込んで、会場も賑わいも取り戻したであろうからそろそろ帰ろうと思えば、メイドに呼び止められた。
振り向けば顔の知っているメイドである。あの人に呼ばれる時はいつだってこのメイドさんだったから、つまりはそういう事で。
お互いにわかっている事であり、ニッコリと笑い合いながら俺はメイドの後ろを付いていく。やっぱいい尻してますねぇ。
珍しく、というべきか普段入れられている密談室ではない。疑問に感じながら着いていけば普段は絶対に入れない場所。王族の私的区間。これはもしかして拙いのでは?
「どうぞ、こちらです」
「……」
「陛下、ゲイルディア様を連れてまいりました」
「おう、入れ」
幼い時にリゲルやスピカ様と探検した時に聞いた。ここって陛下の私室じゃん!! えぇ……。入りたくない……。
と言った所で俺にはどうする事もできないので深呼吸をして扉を開く。嫌過ぎる。帰りたい。
「失礼致しますわ、陛下」
「よぉ、ディーナ嬢。元気そうで何よりだ」
「陛下も……」
と定型文を返そうとして、陛下に視線を向ければベッドで座っている。服もラフな物で散見している書類の束はベッドの周りしかない。
目を細めて、腹部が縮み上がるのを感じる。改めて息を吐き出して気持ちを持ち直す。
「息子の元婚約者をベッドルームに誘うだなんて、ご壮健で何よりですわ」
「おいおい、随分な言い方だな」
カラカラと笑っている陛下は俺の後ろへと視線を向けて、メイドに扉を閉めさせる。同時に人払いも完了しているのだろう。
ベッドに寄って、一言だけ断ってから近くにある椅子に座らせてもらう。
「……それで、病状をお聞きしても?」
「相変わらず話が早くて助かる。俺の状態を見て抱えの主治医ですら動転したというのに」
「生憎と医学の心得は無いもので」
ベッドの横に置かれた小さなテーブルの上には見覚えのある小瓶。中身は空であるけれど、魔力の残滓が残っている。
それを一瞥して、陛下へと向き直る。
「主治医が言うには毒らしい。解毒方法も不明。今は持ち直しているがな」
「……エルフとの交流を急いだのはこれが理由ですか」
「都合がよかった、だな。オーべが言わなければ今も根性だけで政務をしていただろう」
「無理無茶をする立場では無いでしょうに」
「お前が言うか」
カラカラと笑う陛下であるけれど、事態としてはそれどころではない。
見えない敵の目的はコレか。将来的にはリゲルを操り、国の乗っ取りだろう。大きすぎる目的だが、見えている目的であるし、陛下の状態を見れば掴める目的だ。
「……犯人はお分かりですか?」
「わからん。上手く隠れられている。クラウスにも調べさせてはいるが、空振りだな」
「他国から、という可能性は?」
「恐らく無い筈だ。俺を卸したところで隣国に利益はそれほどない」
それはそうか。現状の平和条約を覆す理由もないだろうし。隣国との関係はそれなりにいい。
つまるところ国内部での事なのだけれど。それはそれで厄介だ。
「まあ安心しろ。もう暫くは粘ってやる。エルフの秘薬もある事だしな」
「従者を介したのならバレる可能性もありますが」
「問題ない。確実にバレてはいないだろう」
「…………そうですか」
頭の中で別の欠片が出てきたが、今は考えなくていい。全部終わってから洗いざらい聞き出してやろう。
不敬になる事を承知で大きく溜め息を吐き出して思考を纏め上げる。
「お前が舞踏会に出ていて都合もよかった」
「……陛下が呼んだ訳ではありませんのね」
「呼ぼうと思ったがな。あまり俺が動くと警戒される」
「あら。ベッドルームに連れ込まれた私は悪女だなんて噂されるんですのよ?」
「ハッハッハッ、今更だろう!」
「それもそうですわね」
お互いに冗談を吐き出しながら笑う。俺にとっては笑えない冗談であるが、それこそ本当に今更だろう。
陛下が死んだ場合の事を考えれば、リゲルが王になる。そしてそれは傀儡としてだろう。後ろに誰がいるかはわからないが。俺を排除する動きがあるのだから、ゲイルディアごと消しにくるのは目に見える。
今だって、陛下が居なければさっさと悪役として没していたに違いないし。
あまり噂になってもお互い困るので、さっさと俺は部屋を後にしようとする。話す事も話した。
扉に手を掛け、開く直前に陛下の声が聞こえる。
「……俺はお前たちに賭けたぞ」
変に重圧を掛けられた。けれど賭けられたのだから損をさせるワケにはいかない。
俺は応えずに、笑みを見せながら部屋を後にした。
カラカラと車輪が転がる。
少しデコボコした路だというのに乗っている少女はそれほど揺れを感じずにただ前を見ていた。
編み込まれた白髪が肩に乗り、胸元辺りまで垂れ下がっている。街の様子を見てか、それとも車椅子を押してくれている友人の雰囲気を察してか白髪の少女は微笑みを浮かべている。
「おぉ~!」
無口な車椅子の主とは違い、感嘆の声を漏らしながら車椅子を押している赤毛の少女はキョロキョロと辺りを見渡しながら街の様子に興奮を隠してはいない。
こちらは車椅子を押していなければいまにもどこかに飛び出していきそうな雰囲気をずっと出している。
対してその後ろでゲンナリとしながら二人を見守る一人の男がいた。褐色肌に腰には剣。藍色の髪を面倒そうに搔きながら欠伸を一つ。
なんで俺が、とは口に出すことはない。面倒極まりない命令であっても、それは愛する主からの命令である。面倒ではある事は隠す事はないけれど。
「それで、フィア。王都で行きたい所でもあるのか?」
「はい。ヘリオさん。少しお世話になった方がいらして」
「ほー……お前らの世話なぁ」
元々カチイで孤児として生き抜いた二人であり、主の連れてきたフィアとレイ。更に言えばレイはスリの常習犯であったし、更には捕まらなかった。警備の穴を抜け、逃げ切る進路を伝えていたのはこのフィアである。
警備網と緩みの予測。それを合致させるだけの能力がフィアにはあった。その事を時折逃げ出す主を探すついでに警邏に参加していたヘリオはよく知っていた。お陰で給与が減らされた事も忘れてはならない。
「なぁ、フィア」
「どうしました?」
「……ボク、王都に来たのは始めてだし、知り合いなんていないけど?」
「まあまあうふふ」
レイとフィアはずっと一緒にいた。レイにはその自信があった。フィアの事はなんだって知っている。けれどもフィアほどよくない頭の記憶をひねり出した所で一切の知り合いは出てこない。
フィアしか眼中になかった、というのはそうだけれど他人に対しては一定の警戒度を持っていたからある程度の人物の顔は思い浮かぶ。それこそ未だに今の主が男装してきた時の悪どい笑みを覚えているほどだ。
話をわかりやすくはぐらかしたフィアを見ながらヘリオは大きく、そしてこちらもわかりやすく溜め息を吐き出してみせた。
「危険な所じゃないだろうな?」
「ボクがフィアをそんな所に連れていくわけないだろっ」
「お前は弱いんだからもっと考えて動け、馬鹿」
「はー! ヘリオ兄もこのまえリヨースに負けそうになってたくせに!」
「勝ちましたぁ! 剣だけなら圧勝でしたぁ! 魔法込みでもギリギリ勝てますぅ!」
「あらあら。ヘリオさん。安心してください。ちょっと周りの人が危険なだけで安全ですよ」
「あぁあぁ、そういう危険に突っ込む所だけはお嬢に似やがって……」
「主様ほど無茶はしませんよ」
されても困る、とはヘリオは言わなかった。
既にディーナの庇護下に入った二人がどうにかなったのならば、あの主は淡々と犯人を殺すに違いない。尤も、ヘリオもそれには賛成である。
「あ、ここです」
「……商店?」
「はい。尤も、真っ当な商店ではありませんけど」
その言葉にヘリオは眉を寄せ、少しだけ警戒度を上げる。不意打ちであろうと遅れは取らないつもりであるし、二人を逃がすぐらいならば出来る自信もある。慢心ではない。それが出来る程度には力はつけた。
変わらず首を傾げながらフィアに言われた通りに車椅子を押すレイと一緒に商店の門を潜る。
「いらっしゃいませ。ようこそボーグル商店へ! 何をお求めでしょうか?」
「店主さんはいらっしゃいますか?」
「店主ですか? 失礼ですが、ご用向をお伺いしても?」
「そうですね。カチイの魔女が来た、と言ってくれればわかると思います」
「?」
売り子の女性と一緒に首を傾げたレイ。ニコニコとしているフィアの言葉に眉を寄せて溜め息を吐き出したヘリオは周りの商品を見ながら更に眉を寄せる。
「今、カチイの魔女……と聞こえたけれど、嘘ではないね?」
その声は開いた戸枠に凭れかかった女から吐き出された。踏みそうになるほど長い紫白の髪の女は口元に咥えた長い棒から空気を吸い込み、煙を吐き出す。
「あ、店長! 起きてたんですね!」
「……モラン君、まるで普段からワタシが眠っているような言い草はやめてくれないかい?」
「だって店長この時間はいつも寝てるじゃないですか!」
「……はぁ、まあいい。奥に案内しよう」
「あ、店長!」
「なんだい? これ以上ワタシの尊厳を崩す気かな?」
「ここ、禁煙って言いましたよね?」
ニッコリと笑う売り子、モラン。バツの悪そうに細長い棒を咥えた店主――ボーグルは煙を今一度吸い込んだ。
「まさか、カチイの魔女がこんな少女だったとは驚きだね」
「こうして会って話すのは初めてですね。ボーグル様」
「敬称はやめてくれ。アンタには儲けさせてもらってるよ」
店奥の客間へと連れてこられたフィア達とソファに座り、消された火を灯し直したボーグルは強く煙管を吸い込んで濃い煙を吐き出した。
レイにしてみればやはり初対面の顔である。細く開いた怪しい瞳も、紫白の髪も、見覚えはない。癖のようになった眼の前の人物からはスれるか、という判断もやめておいた方がいいと直感している。そういう獲物ではない相手は記憶に残るのだけれど、それでもレイの記憶にはやはりない。
当然、言葉の通りフィアとボーグルがこうして顔をあわせるのは初めてであるから、レイの記憶にないのも当然である。
「本当にゲイルディアの子飼いになってるとはね。魔女と悪女とは中々の組み合わせじゃないか」
「あら。そこまで情報は知っていたのですね」
「カチイの情報が一切、いいや、意図的に漏れてくる分しかなかったからね。予測でしかないけれど、まあ生きているとは思っていたよ」
「……あの商品は盗品だな?」
「そうだよ。ああ、尤も一度バラしているから盗品という証拠はないけれどね」
ヘリオは頭を抱える。知らない方がよかった事を知ってしまった。正義感という物はそれほどないヘリオであるが、これほど堂々とした犯罪に対してどうすればいいか頭を抱えてしまう。
対してさもなんでもないように事実を告げたボーグルは白い煙を口から吐き出しながらフィアへと向く。
「それで、手紙の事を実行に移すのかい?」
「いいえ。それは主様に止められましたので」
「なんだ。つまらないね。街一つを落とす、なんて孤児の少女の夢物語は面白かったのに」
「あら。孤児が貴族に取り入って、ある程度の権利を持つのも面白いとは思いませんか?」
それもそうか、とクツクツと喉を引き攣らせるように嗤うボーグルにフィアもクスクスと笑う。
ああ、また厄介事に巻き込まれてるな、と主の呪いが自分にも降り掛かったような気持ちになるヘリオであるが、目の前にいるボーグルへの警戒は解かない。
なんせ、彼女は自然体でありながら隙が無い。勝て、と言われれば勝てるだろうが、それでもある程度の損害は考えなくてはならない。
「それで、こうして姿を見せたという事は何かあるんだろう?」
「ええ。ボーグル。ゲイルディアに着いてください」
煙管の灰を落とし、フィアを睨むボーグル。薄く開いた鋭い瞳がフィアを威圧するが、それでもフィアはただ真っ直ぐにボーグルを見つめる。
「そうか……そうか。これでも裏には詳しいけれど、ワタシをあのゲイルディアに。くくっ、なるほど……それを君が言うのか」
「報酬も用意いたします」
「いいや、面白いね。やっぱり君と知り合えてよかったよ。必要な物はなんだい? 武力かい? それとも国家の転覆かい?」
「……情報をください。我が主様を守れるだけの、助けられるだけの」
「うんうん! いいね! とっても君はいい! ヒッヒッヒヒヒ!」
笑う。蛇は嗤い、自分の瞳から流れた涙を拭って、息を整える。
「あー、さて、うん。契約の話をしよう」
「……私には情報を」
「うん。ワタシへの報酬は必要無い」
「……なぜか聞いても?」
「君の主が素敵だからさ。以前の状況からの転落。けれど、彼女自身は諦めていない。うんうん、とってもいい。負けは必至なのに、それでもソレをひっくり返そうとしている。ソレを特等席で見れる。これ以上の報酬を求めるのは野暮ってものだよ」
まあ少しぐらいワタシが手を出しても変わりはしないだろうけど、と喉を引き攣らせながら笑うボーグル。その言葉を聞いて、いい気はしない。三人ともあるが。同時に、それほど主が絶望的な状況であるかがよくわかる。
けれど、ディーナ・ゲイルディアには平穏に生きてほしい。というのは彼女に恩を感じている三人の願いだ。
「あ、でも」
「?」
「モラン君に怒られるからちょっとだけは貰っておこうかな」
けろり、と先ほどの自分で言った事を覆したボーグルは白く、濃い煙を吐き出して笑ってみせた。
次挿絵のキャラは誰がいい?
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リヨース
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騎士ディーナ様
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シャリィ先生
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エフィさん