ゴメンナサイ
水滴が落ちる音がした。
倉持朝日は落ちそうだった瞼を上げて自身が浸かっている湯を顔にかけて意識を持ち直す。
温かい湯は身体を弛緩させ、立ち上る湯気が肺を温める。
頭の中で回転していた悩みを一つひとつ整頓する。伝えなくてはいけないことがある。
イワル公爵のこと。レーゲンのこと。リゲルのこと。そして、自分のこと。
頭の中で整頓されていく悩み。けれど、その解決方法など一切思いつかない。
自分には伝えることしかできない。そしてその伝えることすら、封殺されている。
朝日は自分の指に嵌っていた筈の指輪を思い出し、今は指輪も嵌っていない手を見つめる。
確かに、嵌っていない筈なのだ。
なんせ自分がとやかく言った所であの褐色のメイドさんは変わらず無表情で自分を剥いてこの浴場へと突っ込んだのだ。
「自分で出来る」なんて言った所で無意味であった。
通じていないのか、それとも単純に無視されただけなのか……。ディーナの付き人という点を考えれば後者もありえそうと思える所が実に厄介であった。
問題はディンである。
「通じてた……よね?」
なんなら喋ってもいた。
イワル公爵をして「この言葉を解する者はいない」と言われた言語をディンは容易く口にしてみせた。都合が良すぎる、と朝日は考えてしまう。
だから、あれは幻聴だったのかもしれない。まだわからない。ただ話を合わせていただけなのかもしれない。どういうことかさっぱりわからない。
そして何より意味がわからないがディンがディーナの付き人であるメイドさんと仲良く喋っていたことだ。仲良く、というべきかまるで命令を下すような淡々とした声であったけれど。
それにディンの口から出てきた聞き馴染みのある言葉は日本語で、そしてディーナの声で出てきた。意味がわからなかった。
つまり、ディンはディーナで、ディーナは日本語がわかって、ディーナはディンであった。……導き出される答えはディーナが男性であったという事実である。なんてことだ。
「馬鹿娘、そんなことありえるワケがないでしょう」
声がして振り向けば呆れたような顔をしている女性が立っていた。美しい金色の髪は纏め上げられ、整った肢体を惜しげもなく晒し、冷淡にも思える瞳が朝日へと向いている。
「きれい……」
「あら、ありがとう」
朝日からの賛辞を当たり前のように受け止めたディーナは自身の身体に湯を掛けてから広い湯船へと身を沈めて朝日の隣に腰掛けた。
ふぅー、と小さく息を吐き出したディーナは首を動かして軽く肩を揉む。
「えっと……ディン?」
「一番最初にそこなのね」
ディーナはくすりと笑って、肯定してみせる。
男装の趣味は言わないし、自分の性癖なんてことは一切口に出さないけれど、ただ一点だけ、自分がディンであることは容易く肯定してみせた。
「貴女が私と弟の決闘に顔を突っ込んだ時は本当に驚いたわ」
「あれは、その……えへへ」
「貴女じゃ無ければ弟ごと斬ってたわよ」
「今は自分がどんなことをしたか、よくわかるよ」
本当? と訝しげな目を向ければ次は朝日が微笑んでみせる。
ディーナがリゲルの元を去って一年程。朝日は貴族社会に関して詰め込まれた。それはもう勉強か調教かわからない程である。
そんな事を冗談混じりに、ちょっとした愚痴も混ぜながら朝日が口にして、ディーナはそれを聞いて簡単な相槌を返す。
「――……。本当に、通じてるんだ」
「それも今更ですわね」
やはり呆れたようにディーナは溜め息を吐いて、口を開く。次は朝日には理解できない言葉である。
「このバカ娘、と言ったのよ」
「む……」
「こうして浴室に入れたのも、他には聞かれたくないからよ」
私には敵が多いですし、と肩を竦めてディーナは呟く。普通はその敵の筆頭に婚約者を奪った朝日がくる筈である事をわかる本人はアハハ、と乾いた笑いを浮かべる。
「ディーナさんは……どうしてこの言葉を?」
「……シルベスタの建国については学びましたか?」
「うん。えっと、確か勇者が魔王を倒して、国を作ったんだよね」
「ええ。その勇者……初代王は異世界から召喚されたのよ」
「…………んんんんんんん? 待って、今聞かさないで、頭がパンクしそう」
「そう? 私はシルベスタ一世が書いた歴史書を持っていて、解読したのよ」
「……うそ」
「嘘ではありませんわ」
そう嘘ではない。確かにディーナは初代であるシルベスタ一世が書いた日記の写しを持っている。この世界の言葉ではない不可思議の本である。それを読み解いた。これは事実である。
ただ、前提が違うだけである。
少しの沈黙。必死で頭を捻りながら答えをどうにか探そうとする朝日であるが、答えなどわかるワケがない。ディーナとて、わかるように言っている筈もなく、ただそれらしい事実を言ってのけただけだ。
転生者などと信じられるわけがない。ということではない。なんせ隣にいるのは転移者なのだ。
「……私のことはいいですわ。それで、何があったか聴いても? リゲル様が早々に浮気でもなされた?」
「リゲルはそんな事しないよ! ……その、わたしもちゃんと纏められてないんだけど」
「貴女が会話を綺麗に整頓して私に喋ったことがありましたっけ?」
「むぅ」
「いいわ。最初から話しなさい。私はちゃんと聞きますわ」
ディーナは真っ直ぐに朝日を見ながら、笑みを浮かべる。
そんなディーナだからこそ、朝日は信用している。きっと大丈夫だろうと、口を開いた。
「わたしは……わたしはこの世界の人間じゃないの」
「……最初から知っていましたわ」
「ホント?」
「ええ、可能性として考えはしていたもの」
尤も、他の可能性の方が少なかったとはディーナは言わなかった。
ただただ彼女の話を促すように相槌を打つ。
「それで、この世界の言葉が喋れるようになったのは、あの指輪のお陰なんだ」
実はそれも知っていた。
知ったのは最近だが。アレが国宝であり、初代勇者の所有物であり、作ったのはエルフの長であり、知り合いである。もちろん、言うことは無いけれど。
「それで、あの指輪をイワル公爵から渡されて、この世界にやっと馴染めたんだ」
「……」
「それで、リゲルやディーナさんと、レーゲンとも会って……」
そこで朝日は口を一度噤む。その先は、ディーナとリゲルの婚約破棄があり、原因は自身にあることを理解している。
湯船の中、ディーナは朝日の手を握った。もう許している、と言わんばかりに。むしろディーナ本人は朝日のことを恨んでもいない。振ったリゲルに対しては少し怒っていたが、今の矛先は彼ではない。
「……それで、王城で……リゲルにディーナさんのことを言おうと思ったんだ。でも、わたしは、こんなのだから」
「別に上手く喋ろうとしなくていいですわ」
「うん……それで、イワル公爵に相談しようと思って追いかけたんだ」
なんでだよ、とはディーナはツッコミを入れることはなかった。
アレでも忙しい人なんだぞ、とも言わなかった。ただ眉尻を下げながら話を聞く。
「そしたら……イワル公爵が、ディーナさんのことや、陛下を殺す計画をしてるって……」
ディーナの目が細くなる。今まで優しく微笑んでいた顔が一瞬の驚きの後、冷たく真剣味を帯びる。
「それで、貴女は逃げ出した?」
「うん。でも、レーゲンに捕まっちゃって。きっとレーゲンは味方だと思って、イワル公爵のことを言ったんだけど」
「レーゲンはイワル公爵の味方だった」
ディーナの言葉に朝日は頷いた。
「あとは、喋れなくなったわたしをスピカちゃんが逃してくれて」
「スピカ様が? リゲル様じゃなくて?」
「うん。言葉はわかんなかったけど、スゴイよねボディランゲージ」
たぶん彼女の逃げたいという気持ちを汲み取ったワケではない。頭のいい娘であることをディーナは知っているけれど、このお気楽娘を逃がすリスクも理解していた筈だ。
それでも朝日を逃した。
「なるほど、辻褄は合いますわね」
「嘘じゃないよ?」
「貴女がここで嘘をつくメリットがありませんわ」
ディーナはそう呟いて、一つ息を吐き出す。
「何より、私は貴女を信じることに決めましたの」
「信じて、くれるの?」
「あまり信じたくない話でしたけど、嘘ではないのでしょう?」
ディーナの確認に朝日は何度も頷く。「なら信じますわ」と淡々とディーナが吐き出して、瞼を閉じて少しだけ思考する。
信じたくもない情報もある。あまり考えたくなくて、保留していたことも……ある。
それを考えさせる情報であった事も確かだ。
ディーナは頭を抱えながら、もう一度、息を吐き出した。
「ディーナさん……大丈夫?」
朝日の不安そうな顔を一蹴するように、ディーナは微笑んでみせる。
自信に満ち溢れるような笑みを朝日へと向けた。
「私に任せなさい」
ハッキリとそう言い放った。不敵に笑いながら、まるで悪の令嬢が勝利を確信したように。
「アナタは安心して眠りなさい。よく頑張ったわね」
「……うん。じゃあ、少しだけ、寝るね」
「えぇ」
閉じられた瞼と抜けていく力、支えられる感触はきっと隣にいるディーナだろう。
ようやく、朝日の意識が落ちていく。
安心して。今までの不安を湯船に溶かすように。
最悪である。頭が痛い。
これが長風呂での逆上せたことが原因ならばどれほど良かっただろうか。
アサヒに服を着せて、寝室のベッドに寝かして溜め息を吐き出して、思考する。
もしもアサヒの言葉全てが事実であったのならば。
自分一人の手では足りない。何より、イワル公爵は眼中にもなかった。問題視すらしていなかったという方が正しいだろう。
国の重役だぞ。そんな人物がこの騒動に関わっているとは思えなかった。何より、メリットが見当たらない。平々凡々に生きるとか考えていないワケですか。そうですか。
自信満々に「私に任せろ」なんて言いはしたけれど、コレばっかりは無理である。
「頼れ」とも言ったけれど、とんだ爆弾を持ってきたものである。勘弁しろ。
早々に逃げ出したい。
「……とも、言えませんわね」
ジャラリとアサヒが身につけていた不格好なネックレスを手で弄ぶ。
均一性も見当たらない、傷だらけの小さな石が連なったネックレス。俺が彼を守るという意志で作ったプレゼント。
これをアサヒが持っている意味を正しく理解できる。
理解できなければさっさと逃げれたのに。
おそらく、リゲルは事態を理解している。アサヒが何かを掴んだことを理解してネックレスを渡した。スピカ様がアサヒを逃したのはリゲルがソレを渡したからだろう。
俺の所に向かわせたのは……アサヒのボディランゲージというよりもアサヒが何かを伝える為に書いた日本語が原因だな。
スピカ様は俺がシルベスタ一世の書記を解読しようとしたことを知っているし、字体は似かよている。アサヒのボディランゲージよりも信憑性があるし、アサヒが俺の所に来る理由としてはそっちのほうが説明がつく。
自分の執務室に入って、アマリナが淹れてくれた紅茶を一口飲んでから考えを纏めていく。
幸い、ディーナ・ゲイルディアという駒は盤外に存在している。彼らの思考の外にいる。
それに、まだ彼らが計画している、と決定しているワケではない。限りなく低い可能性であるけれど、アサヒの聞き間違い、なんてこともあるだろう。
非常に、低い可能性でしかないけれど。
「アマリナ、ベガを呼びなさい」
頭を下げて執務室から出ていったアマリナを見送りながら筆を取る。今の現状。誰が裏切っていたのか。証拠がまだ掴めていないこと。追い込むまでは泳がせるしかないこと。
全てを書き記し、封をする。ゲイルディアの家紋でされた蝋封を見て、小さく息を吐き出す。
「ディーナ様、お呼びですか?」
「ええ。これをアナタの雇い主に渡して来なさい」
ベガに封筒を渡せば少しだけ訝しげな表情をして、こちらを向く。
「私の雇い主はアナタですが?」
「今は問答をしている時間は無いですわ。安全に渡せるのがアナタ以外にいるのならそちらに頼んでいます」
「……ふむ。なるほど、承りました」
「急いでここを発ちなさい。フィアとレイを共に付けます」
「……子守まで任されますか」
「あの娘達には別の任務を言い渡しますわ。あまり時間がありませんの」
やはり優男は肩を竦めるだけ竦めて封筒を懐に入れて一礼する。
これでコイツがイワル公爵と繋がっていたのなら、俺は死ぬんだが。恐らくそれはない。
お父様からの監視かと思っていたけれど、陛下からの監視だとは思わなかった。エルフの薬瓶がそれを教えてくれたが、実際にどう繋がっているかはわからない。
たぶん、お父様経由なんだろうけど……ベガが誰にも怪しまれずに陛下へ繋げてくれるのはわかる。
あの陛下の元に出自のわからない薬瓶を渡せたのだ。病床の陛下にそんな物を渡せるのは限られているし、何より状況をイワル公爵が掴んでいないことからも彼との繋がりはない。
予想としては陛下が裏側で飼っている情報官か。お父様がソレを知っているのも変な話だけれど、あのお父様だからなぁ……。
「次は、フィアですわね」
「呼びましたか、主様」
「……アマリナが呼んだのかしら?」
「いえ、そろそろお呼びされると思いまして」
ニコニコとしている白の少女が非常にコワイ。
果たして何が繋がって俺に呼ばれると思ったのか。何食べてたらここまで頭が回るんですかね?
ともあれ、呼ぶ手間が省けた。
「アマリナ、他の使用人や執務官を近づけない様に」
「承りました」
ベガへの頼み事は口に出さないから問題なかったけれど、フィアの方は文書に残している方が面倒だろう。
「それで……殿下の婚約者を殺すのですか?」
「……アレを殺す方が面倒よ」
「今なら勝ち馬にも乗れますが?」
「あら、私が乗る馬を勝たせるのがアナタの役割よ」
キィ、と彼女の乗る車椅子が鳴る。相変わらず彼女はニコニコとしているけれど、少しだけ顔が赤い。まだまだカードでは勝てそうだ。
「それで、主様。私は何を?」
「イワル公爵とその派閥を調べなさい」
「……なるほど。一連の首謀者は公爵様でしたか」
ホント、頭いいよね、君。助かる。
まあ頭が悪ければレイを使ってスリも出来てないし、ほどほどに良ければ俺を廃そうとも考えなかっただろう。
ヘリオに聞いた時はホント驚いたよね……。なに、俺の知らない所で俺が危険だったの……。怖い。
「それと、少しだけ賭けにでるわ」
「……辺りにいる暗殺者達の情報も調べておきます」
「何をするかは聞かないのね」
「主様は時折無茶をするので」
ニッコリと笑っているけれど、俺は知ってるんだ。呆れてるな、コイツ。
それでもコチラが防御を固めた所であちらが先を行っているのだ。一手先んじなければ、負ける。
「ベガにも別命を与えているから、一緒に王都に向かいなさい」
「承りました」
これで今打てる手は打った。
と言っても、まだ水面下での動きだ。警戒され始める前の事前準備でしかない。問題は警戒され始めてからだ。
……。
それに、アサヒにレーゲンの裏切りを聞いても、俺はまだ彼のことを信じたいとも思っている。もしかして、なんて甘いことを考えている。
リゲルと一緒にもしかしたらイワル公爵と敵対しているかもしれない。なんてことを考えてしまっている。
恐らく、リゲルも似たようなことを考えてはいるのだろう。それだけ、過ごす時間が長すぎた。
陛下とイワル公爵にも言えることだろう。けれど、公爵のしていることは反逆だ。罰するに値する。切るしかない。
レーゲンも、それに加担しているのだから……。
リゲルを裏切っている。イワル公爵に加担している。
証言もある。確信もある。
けれど、ほんの僅かだけの情が邪魔をする。
きっとを重ねる。
きっと、それも叶わない想いだ。
次挿絵のキャラは誰がいい?
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リヨース
-
騎士ディーナ様
-
シャリィ先生
-
エフィさん