小気味よく扉が叩かれる音にディーナは筆を走らせながら「どうぞ」と溢した。
開かれた扉の向こうには恭しく頭を下げる褐色肌のメイド。
「お嬢様、リゲル殿下がお目見えになられました」
「そう。予定よりも遅かったわね」
ディーナは腹心であり自身が購入した褐色のメイドに苦笑気味に返事を交わす。
筆を走らせていた手を止めて、手元にある紙に視線を落とす。そこに書かれているこの世界の文字ではない文字列を眺めて口角を上げた。
読める者など数える程度にしかいないその内容は陳腐な物だ。手紙にする意味すらない、日記にも書かれない些細な物。けれどそれでいい。
その紙を折りたたみ、封筒へと入れて蝋で止める。
「アマリナ、これを渡しておくわ」
「……? 他の方への命令は終わった筈では?」
「ふふ。これは
アマリナは首を傾げながらも封筒を受け取る。自身の主が言うことが本当であるのならば無意味な手紙である。書いた本人が受け取るのだから、手紙としての役割はない。
訝しげに主を見れば、眼鏡を外して目頭を軽く揉み解している。
左の深い青の瞳と右の淡い緑の瞳がアマリナへと向き、命令を口にする。
「私が呼んだときに届けなさい」
「承りました」
自身の命令に文句の一つも言わない侍女に満足気に頷いて、ディーナ・ゲイルディアが悪辣に笑む。
ここ数日、睨みつけていた戦術盤に揃った駒は動かしていない。動かす必要すらない。動かす意味もなかった。
けれど、ようやく盤面が変化するだろう。良し悪しは幾らでも転ぶ。けれど、自分が望む結果になるように幾度も繰り返した。その為に動いた。
一つ、息を吐き出す。気は抜かない。慢心ができるほど、自身は優れてなどないない。
手近にあった不格好で不揃いな小さな石が連なったネックレスを右手首に巻いて、眼帯で右目を隠す。
立ち上がり、ディーナ・ゲイルディアは途中で盤外へと追いやられた駒を盤面へと戻した。
「ごきげんよう、リゲル殿下、レーゲン殿」
非公式に唐突にカチイへとやってきた二人に対してディーナはそうなることがわかっていたように二人を歓待した。
通された応接間には質のいいソファがあり、座り心地も悪くはない。
彼女の傍に常に控えていた褐色のメイドが紅茶を入れ終わり、頭を下げて部屋から出てからようやくリゲル・シルベスタが口を開く。
「随分と金があるようだな」
「キチンと公務をされているならわかっていると思いますが、国庫にもそれなりの額を入れていますわ」
「民から税を搾り取ってか?」
「さぁ? 証拠はないでしょう?」
クスクスと笑いながらも否定も肯定もしない。
真実は闇の中にあるままであるが、この悪魔のような女が事実を言うことなどないだろう。
レーゲンは出された紅茶へと視線を落とし、内心で舌打ちをする。飲めるはずがない。これは彼女にとって好機である。
恨んでいるであろうリゲルが来たのだから、一矢報いることもできる。そんな女ではないことはわかっているが、それでも最大限の警戒はすべきである。
「それで、カチイなんかに視察に来たわけではないのでしょう?」
「……わかっているだろう?」
「はて……公務を放り出して私に会いに来てくれたのかしら?」
「ゲイルディア嬢……」
「冗談ですわ」
もしもそれが理由であったのならばディーナは鼻で笑って二人にお帰り願っただろうけど、残念ながらそんな事はない。
リゲルは眉を寄せてディーナを睨めつけているが、ディーナはそんな視線すら流して優雅にカップに口をつけた。
「アサヒのことですわね。その様子だとまだ見つかっていないようで」
彼女のことを想うと心が苦しいですわ。なんて胸を抑えながら言うディーナであるが、その口には笑みが浮かんでいる。
ディーナはアサヒのことを嫌っている。恨んでいる。憎んでいると言ってもいい。それは自身の立場を奪ったアサヒに対して当然の感情であるし、理解もできる。
心が苦しい、というのは嘘である。そんな事は付き合いの薄いレーゲンですら理解できる。
いい気味だ、と笑っているのがこの女ということもわかる。口にも出さないが。
「ゲイルディア嬢は知ってンだろ?」
「さて……野盗か魔物にでも襲われたのでは?」
「アンタが計画したってことはわかってんだよ」
「私が? 何のために?」
理由など、幾らでもある。方法も彼女であるのならば幾らでも存在するだろう。
けれど証拠はない。彼女が連れ去ったという証拠も、彼女がスピカと一緒に画策したという証拠も。
単なる状況証拠と動機だけだ。
「私がするなら、リゲル殿下達が動かない時期で、私も動けない状態で、証拠もなく殺しますわ」
「そうじゃないから自分が犯人ではないってか?」
「勝手に殿下から逃げたじゃじゃ馬の罪まで被る必要はありませんわね」
「……ゲイルディア嬢」
「私が知っていることなんて些細なことですわ。アサヒが逃げ出したこと、それを探すために貴方達二人が公務を放り出して各地へ出向いていること。ここに来るのが予想よりも遅かったのでいい茶葉の準備もできましたわ」
少し調べればわかることですわ、と加えてディーナは紅茶を飲む。これで彼女が二人を歓待してみせた理由はわかった。
リゲルはディーナをジッと見て、目を細める。
「アンタがアサヒを攫ったんじゃねぇのか?」
「そんな事する意味がありませんわね。何でしたら、この館を調べてくださっても構いませんわよ」
「へぇ。本当にいいのか?」
「それで私の容疑が晴れるのなら。それにどれほど探してもここにはアサヒ・ベーレントはいませんわ」
「……そうか」
納得した、というわけではない。リゲルはディーナの言葉を吟味しながら、思考する。
思考して、思考して、思考して、彼女の答えを探す。
僅かばかりの間を瞼を閉じて味わい、隣に座る自身の騎士へと視線を向ける。目の前にいる女へと警戒心をむき出しにする幼馴染はきっと
「ゲイルディア嬢。お前の知っていることを話せ」
「リゲル殿下が知っている以上のことは何も知りませんわ」
「少なくとも、俺が知っていることは把握しているという事か?」
「……さて、どうかしら」
「おいおい、リゲル。やっぱりコイツじゃねぇのか?」
「いやですわ、レーゲン殿。証拠もなく、性懲りもなく私を犯人呼ばわりだなんて」
三日月のように歪んだ口元を右手で隠しながら、愚者を見下すようにクスクスと喉を転がす。
そう、証拠がない。一切ない。だからこそ、リゲルは目の前にいる女の元へと来た。自身の予想を確信へと変える為に。
「証拠がない私を捕縛する権限はレーゲン殿にはありませんわ。精々、犯人達を探せばいいですわね」
「なんだとっ!」
「……レーゲン、少し黙っていろ」
「チッ……」
わかりやすく舌打ちをしたレーゲン・シュタールに張り合いがないと言わんばかりに肩を竦めた。それも挑発だと理解したレーゲンは奥歯を噛み締めるが、怒声をあげることも、舌打ちをすることもなく、大きく息を吐き出しディーナから視線を外す。
「この時点でゲイルディア嬢に対して何かをするつもりはない」
「今の婚約者を貶めていた元婚約者に随分寛大ですこと」
「王都で罪を喋らせてもいいんだが?」
「……こういう時には強権を振りかざしますのね」
「こういう時だからだ」
睨んでくるリゲルと数秒ほど目を合わせていたディーナは観念したように溜め息を吐き出して足を組む。
「私が知っていることは、アサヒが忽然と姿を消したこと、それとこの国の言葉を喋れなくなったことぐらいですわ」
「……それも知っていたのか」
「言ったでしょう? 殿下が知っているようなことは知っていますわ」
と、言っても噂程度ですし。詳しくは知りませんけど。と飄々と言ってのけるディーナであるが、それは噂になる筈もない。リゲル自身が緘口令を布いたのだ。
けれど、ディーナはそれを知っていた。噂話であっても知りえない情報を知っていたのだ。
「噂話ですわよ」
「……その情報網でもアサヒは見つからないか?」
「さっぱり。手掛りもありませんし」
リゲルはディーナを罰せない。少なくとも今現在で最も近いのは彼女であることをリゲルはわかっている。
だからこそ、この場で罰することも、それを追及することもしない。できる筈がない。
そのことをディーナもわかっている。だから容易く情報を開示してみせた。噂話、という体ではあるが。
ディーナは足を組み替えて、瞼を閉じる。
少しの間を置いて、扉が叩かれディーナがリゲルを見れば、リゲルは息を吐き出してソファへと凭れる。
「入りなさい」
「お嬢様。手紙が届いております」
「……そう、ありがとう。下がっていいわ」
褐色のメイドは恭しく頭を下げ、すぐに部屋を後にした。
ディーナは受け取った封筒を開き、中に入っていた紙を見て眉を寄せる。
「……頭が痛くなりますわね」
「アサヒの情報か?」
「これを情報と言っていいのなら、そうですわね」
持っていた紙を机へと滑らせたディーナは頭を抱える。
その手紙にはこの国の文字ではない文様が、まるで文章のように並んでいた。
リゲルにもレーゲンにもわからない文字。けれど、それは確かに見覚えがある。委細は違うかもしれない。けれど、よく似た形を見たことがあった。
「……これは」
「アサヒの部屋にあった書置きらしいですわ」
「……読めんのか?」
「少し時間は必要ですけれど。……あの子のことだから行き先でも書いてるかもしれませんわね」
全く人騒がせですわ。と改めて溜め息を吐き出したディーナは紙を折りたたんで封筒へと戻す。
「……解読までどれほど掛かる?」
「そうですわね……十日か、そのぐらいですわ」
「……ならこの件は任せる。アサヒを探し、俺の元に連れてこい」
「あら強権を振りかざしますのね」
「ああ。俺も必死だからな」
「……拝命いたしますわ」
ソファから立ち上がり、綺麗に頭を下げたディーナをリゲルは目を細めて見つめていた。
「おい、リゲル! いいのかよ!」
「何がだ?」
「あいつにアサヒのことを任せてだよ」
「問題はない」
王都への帰路の途中、準備のいいディーナが用意した馬車の中でレーゲンの言葉に対してリゲルは鋭く返した。
「ゲイルディア嬢が連れてくれば問題はない。それにもしも連れてこなければ罰すれば問題ないだろう」
「それは、そうだが……」
「アレはそこまで愚かではない。逃げ道は塞いだからな」
窓から僅かに見えるカチイを見つめながらリゲルはそう口にする。
そう、問題などない。
自分に贈られ、自分が彼女へと託したネックレスがディーナの腕にあったこと。
「アサヒはこの館にはいない」と言ったこと。
「犯人達」と複数で言ったこと。
そして
大きく溜め息を吐き出したい気持ちを普段通りの演技で覆い隠した。
『えっと、リゲル達は行った?』
『ええ。もうカチイから出たわ』
ひょっこりと執務室へと顔を覗かせた黒髪の少女はこの世界の言葉を使わない。喋れない、と言う方が正しいが。
同じくして
「ご苦労様」
「イエイエ、お嬢が言い聞かせてたみたいで、随分落ち着てましたよ」
「部屋から出ることもなかったなんてお利口ね」
朝日はここにはいない、と言ってのけたディーナであるが、朝日は館の一室から出てなどいない。
外に出す方が危険であったし、万が一、彼らが館を探し始めようものなら影に合図を送ってヘリオと一緒に逃がすつもりでもあった。その心配は必要なかったが。
『ディーナさん、ヘリオくんはなんて?』
『貴女の護衛で大層疲れたそうよ』
『うぇ!? えっと、ごめんなさい』
「もっとちゃんと護衛しろですって」
「お嬢、言葉がわかんないからって好きに言うのもどうかと思いますよ」
ちゃんと頭を下げている朝日に対して手をヒラヒラさせながら気にするなと行動で示したヘリオは主が楽しそうに誤訳していることに気付いて肩を落とす。
クスクスと笑っているディーナを見てようやく誤訳されている事に気付いた朝日は唇を少しだけ尖らせて不満を示しているが、ディーナの持つ手紙に気付く。
『それは?』
『釣り餌よ。釣れないことを願ってるけど』
『日本語だ!』
ディーナから手渡された紙を見て、自分の知っている異世界語に感動してはしゃいでいる朝日に苦笑しながら盤面に戻した駒を一つ前に進める。
「それで、お嬢。アレには何が?」
「今日の天気と献立ですわ」
「……殿下達にはなんて?」
「彼女の居所」
全くの別物であるが、書かれている内容がわからなければ今日の天気と献立であろうが、何にでもなる。
内容に意味などない。それこそ本当に朝日が書いた物であっても問題はなかった。
ただディーナが異世界語を読み解けること、それが朝日の書いたであろう異世界語であったこと。
この二つだけがあればよかった。
「予想が外れほしい、なんてあまり言いたくありませんわね」
けれど、外れてほしいと願う。願ってしまう。
次挿絵のキャラは誰がいい?
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リヨース
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騎士ディーナ様
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シャリィ先生
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エフィさん