アンビシオ・イワルにとって、運命の出会いというのは正しくその時であった。
永遠に届かないと思っていた理想と野望が頭を回転させて、心を燃焼させた。
そもそも彼が王に謀反を起こそうとしたのか。ソレに大した理由はない。
本当に小さな理由であった。それが積み重なり、押し潰され、結果として野望となり抽出された。
たったそれだけの事なのだ。
その小さな理由の一つに、ゲイルディアという存在が在った事は否定しない。
否定などできる筈がない。
王族に対して謀反を起こすという事がどういう意味であるかをアンビシオは正しく理解していた。
だからこそ彼は緻密に計画を練り上げて、確認を繰り返し、自身に秘めた。
如何なる問題が出た所で、それを回避する為の準備を怠る事はなかった。
そうであるというのに。
そうであったというのに。
クラウス・ゲイルディアという存在は容易く術中に入り込み、計画の一端を崩していく。
憎らしいほどの手腕であったが、けれど同時に彼自身を貶める結果に繋がった事も事実である。
アンビシオがクラウスを認知し、厄介な存在であると認めるまでそれほどの時間も、労力も必要ではなかった。
幾つかの計画が潰され、幾つもの汚名をゲイルディアに擦り付けた。
それでもゲイルディア家というのは潰れずに、生き残り、そして自身の計画を潰してくる。
忌々しい存在に違いはない。
その忌々しい存在は鬱陶しいことに先んじて自身の手を制した。
ディーナ・ゲイルディアが第二王子であるリゲル殿下の婚約者となった時もそうである。
他の候補者を置き去りに、まるで当然のようにその立ち位置へと収まった。
自身の息が掛かった者ではない。さらに言えばゲイルディアである。
アンビシオにしてみれば、ソレは堪らなく不愉快で、苦々しく、頭を搔き毟って死んでしまいたい程の憤りを覚えた。当然、表になど出す筈もなかったが。
ディーナという少女が王城にいるとき、彼女の周りでゲイルディアの醜聞を聞こえるように流し、将来的に自身へと傾くようにも仕向けた。
けれど彼女は何のことかわからないように、冷たい貌に笑みを浮かべてみせるだけで、意に介す事もなかった。
最初は知性の乏しい少女である、と予想した。けれども、アンビシオはそう断じはせずに彼女を観察し続けた。
ディーナ・ゲイルディアという存在はゲイルディア家を煮詰めて抽出したような女児であったに違いない。
どうしようもなく理知的で、どうしようもなく狡猾で、どうしようもなくアンビシオの邪魔をし続ける、正しくゲイルディアの娘であった。
そんな女が居たからこそ、アンビシオの企みは一時期鳴りを潜めていた。
当然、それでも彼が計画の為にしていた根回しは怠ることもなかった。ディーナ・ゲイルディアが存在しているという問題を覆す為に。
そんなある日であった。
彼にとって、運命とも呼ぶべき出会いがそこにはあった。
黒髪の、異国語を口にする少女。
アンビシオの頭の中で積み上げた計画が緩やかに進行していく。綿密に積み上げ、緻密に繰り返し、厳密を以ってして計画を進められると確信した。
どれほどの邪魔があろうとも、どれほどの問題があろうとも、自身が考えられる限りの全てで計画に支障など無くなる。
神が自身へと啓示を賜った。
神の天啓であった。
何より、後にアサヒ・ベーレントとなる謎の少女を王の落胤であると勘違いしたベーレント家当主が、陛下ではなく自身へと報告した事もアンビシオにしてみれば神の思し召しであると信じ込んだ。
「何も問題はない。私がなんとかしよう」
そう言うだけで、信用される程度に根回しも完了していた。
あとは賽の転がり方で如何様にもなる。
落胤として祭り上げてもいい。或いは――そう。王子と恋仲にさせて愛妾としてもいい。
どう転がろうが、賽は自身の手から落ちはしない。
けれど、もし……予想外というモノは自分では想像すらできないものである。だからこそ、彼女にこの世界の言葉を学ばせずに指輪を渡した。
予想外の意味を失わせる為に。
まさに神の啓示であった。
忌々しいゲイルディアを貶めて、さらには自身の計画が進む。素晴らしい運命であった。
どう転がろうが、ディーナ・ゲイルディアがどう足掻こうが、全ては手中である。
如何に狡猾であろうと、如何に理知的であろうと、如何に邪魔であろうと、盤外に出してしまえば問題など起こせない。
見事なまでに、計画は滞りすらなく進行した。信仰した、と言い換えてもいいだろう。
オークによって王子とアサヒを窮地に追いやる事は失敗した。けれどディーナ・ゲイルディアに治らないであろう怪我を負わせる事には成功した。
王子によってディーナとの婚約が破棄される様など、口を隠さなければ大口を開けて笑っていたに違いない。
なんと、なんと素晴らしい運命であるか!
自身の予想外は起こるモノである。いいや、予想外というべきか。それも神の思し召しであったに違いない。
自身が計画を口にしたのを、アサヒ・ベーレントが聞いていた。
それだけは確かに予想外であった。意の外に存在していた可能性であった。
けれども賽は未だに手にある。
転がしているのは自身であったし、転がした目は自身が知っているモノに違いはない。
賽の目は知っていた。ここから先でどうなるかなど、アンビシオにしてみれば予測の範囲内であった。
なんせアサヒが最初に扱っていた言葉は近隣国の訛りですらなかったし、全く別の言語である。
けれど、もしも……もしもである。
あのディーナ・ゲイルディアがその言葉を知っていたのなら。
あの悪魔の子が異国語を理解していたのなら。
レーゲンから伝えられた情報は眉唾であったし、けれどアンビシオにしてみれば一寸であったとしても、不安という異物に違いはなかった。
同時に、いい時機である。周到に準備して、徹底して追いやろうとした女を先んじて潰す事が可能である。
殿下の婚約者を隠した犯人として処罰する事もできる。
なんて、運がいいのだろう。いいや、これもまた運命である。そうアンビシオは思った。
神に授けられた好機である。そうに違いない。
結果が出るまでの数日もアンビシオは変わらぬ日常を過ごした。
誰にも怪しまれず。誰にも心配などさせず。誰にも察知されずに。
アンビシオにしてみれば必然を待つのだから、心を動かす必要もない。
結果は予定通りに出た。日数的にも、結果としても。全ては予測通りであった。
予測から少し外れたのはカチイに存在するゲイルディア邸が炎上した、という事ぐらいだろうか。
間者からの報告書を読みながら燃えるゲイルディア邸を想像してアンビシオは口元に笑みを僅かばかり浮かべる。
あの悪魔が死に、燃える姿を直接この目で見て居ないことが残念だとも思った。同時にあのクラウス・ゲイルディアに一報も送らねばならない。あの厳めしい男であっても自身の娘が死ねばきっと歪むに違いない。
報告書を燃やし、証拠を消していく。
あと少しで完了する。
陛下は未だに病床である。蓄積していく毒は、陛下を緩やかに衰弱させて殺すだろう。
そうなればリゲル殿下が玉座につき、そして自身はその後ろに就く。アサヒが言葉を覚えた所で、その頃には切り捨てなど出来ない地位に座る事もできるだろう。
それは
「イワル様。アサヒ様がお戻りになられました」
「それはよかった。私も顔を見せに行きましょう」
王城に仕えるメイドの報告に心底安心したような声色で応える。
身支度を整え、あまり急ぎ過ぎない程度の歩幅で余裕をもって歩く。
慌てることはない。考えきれる可能性は全て潰した。
問題になりそうな悪魔は既に死んでいる。
「……む、イワル公か」
「無事にアサヒ様が戻られたと聞いたので」
リゲル殿下に対して軽く頭を下げて、部屋内を見つめる。
身綺麗にされたアサヒ・ベーレント。その隣にはエルフの騎士とオーベ卿、そしてメイドの少女。
アサヒ・ベーレントは間違いなくディーナ・ゲイルディアの下にいた証明である。情報を繋ぎ合わせれば、アサヒの書いた文書だけ彼女に伝わったのか、直接ディーナの下にいたのか。
何にしろ、問題などない。あの短期間でできることなど限られているし、謎の言語を読み解くこともできなかっただろう。
柔らかくした表情の仮面で安堵を作り上げて、会話を熟す。
そんなアンビシオをアサヒは睨めつけている。自分を貶めた本人であり、国を貶める存在であるから。
けれど、アサヒが出来る事などない。この短期間で語学を習得できる筈もなく、突然理解できる筈もない。
「しかし、オーベ卿。よくぞ連れ戻してくれました」
「……エルフの森に迷い込んでいたのを連れてきただけです」
「なるほど、エルフの森に」
「ええ、ええ。エルフ側は人間に関与などしたくも無いというのに」
ハァ、とワザとらしく溜め息まで吐いて見せたシャリィ・オーベの言葉が嘘であることなどアンビシオは理解している。
「そんな筈はない」とここで糾弾することもできるが、何もエルフとの関係を崩す意味もない。彼女はエルフと繋がる架け橋なのだから。
内心でほくそ笑む。転がり落ちた賽の目はやはり自分が知っている出目でしかない。
ああ、なんとなんと運命とは甘美なのか。
全ては自身の辿るべき道を示し、全てはその通りに動くのだ。
「――」
アンビシオは今まで睨めつけてきていたアサヒの口が開き、音を吐き出したのを見る。
やはり言語の意味などわからない。けれどそれは声である。
しっかりと意思を持ち、鋭く声が吐き出された。
けれどその全ては無意味に等しい。彼女の想いは音には乗りもしない。
「ふむ。言語を理解できないと聞きましたが。確かにこの国の言葉では無いようですね」
「ああ。だが時間はある。きっと、大丈夫だろう」
時間などない。間に合う事などない。
「その時は私も微力ながら尽力致しましょう」
リゲルに頭を下げながらアンビシオは確信する。
やはりこれは運命である。こうなる運命であった。
自身達人間がどう足掻こうが覆すことができない。自分の願いを導き、目の前の無力な少女の希望を潰す。
「――アカ」
音が声になる。単なる音でしかなかったモノが言葉へと変化した。
それは正しい発音というには稚拙すぎた。けれども異国語というには無理がある。
その場にいた全員の視線が声の主へと集まる。
黒髪の少女。今の今まで、意味などわからぬ異国語を吐き出していた少女の口から、確かに出た。
たった一単語だけであった。けれど、確かに。確かに吐き出したのだ。
ただ発音が一致した。そのような奇跡など認められない。
全ての希望はアンビシオの手に集まらなければならない。それは運命であるのだから。
だからこそ、ソレは異常で、異端で、異物へとなった。
さらに、口は開かれる。
「アカ、クル」
文法も何もない。単語の繋がり。
『赤』と『来る』という二つだけである。当然それに意味などそれ以上はない。
リゲルにとってもソレがどういう意味に繋がるかなどわからない。
シャリィ・オーベも、エルフのリヨースにも、わからない。
「ふむ……私の方でも少し調べてみましょう。失礼いたします」
「ああ、頼む」
決して表情を崩さずに、変わらず穏やかな口調で退室を宣言する。
頭を下げ、決して足取りを乱さずに扉を出て、アンビシオは決して平静を保つ。
アンビシオだけは違う。
その二つの単語がどういう意味を持つかを理解してしまう。
いいや、単語自体に意味はない。それこそ色と動詞以外の意味などない。
全身が粟立つ。
たった二つの単語だけだというのに。それだけであったのに。
焦燥を表に出すことなどない。慎重を積んできたのだから。
不安を表に出すことなどない。自身の運命に間違いなどない。
思考の端に赤のドレスを着た悪魔がチラつく。既に死んだ筈の女が、嘲笑う。
自身の執務室を開く。
そこには誰もいない。
部下が持ってきたであろう幾つかの書類が机に重なり、出るまで飲んでいたカップはメイドが取り下げている。
誰もいない。いる筈がない。
安堵の息を小さく、小さく吐きだす。
あの悪魔は死んだのだ。何を怯える必要がある。
執務室の扉を閉め、執務机に向かい座る。
赤が視界に映った。
扉を隠すように、優雅に立っていた。まるで今までもそこに在ったように。当然に、自然に。赤のドレスが映った。
金色の髪を輝かせ、その冷貌を悪辣な笑みに歪め、悪魔という存在が本当にいるのならば、この女の姿をしているであろう。
「ごきげんよう、イワル公」
そして悪魔は人に出来ないことを――運命を覆すのだ。
次挿絵のキャラは誰がいい?
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リヨース
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騎士ディーナ様
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シャリィ先生
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エフィさん