「ごきげんよう、イワル公爵」
スカートを軽く持ち上げ、カーテシーをしてみせた赤の悪魔はアンビシオに微笑む。
存在している事こそが予測の外であった。事実を聞いて、予測し、確実に殺したと思っていた。
けれど悪魔は自身の目に映り、存在している。
「……な、なぜ」
「なぜ? その疑問はどうして私がここにいるのか? を問うているのかしら? それとも
ようやく出た震えた声に、悪魔は――ディーナ・ゲイルディアはクスクスと笑いながら、一つ指を鳴らす。
「私が生きている理由は、私が殺されていないからですわ。イワル公爵」
誰に、とは言っていない。それは無意味な言葉だ。
当然、アンビシオもそこに疑問は持たない。お互いにその事実を知っている。お互いに認識している。
これは単なる皮肉でしかない。
「それは……よかったです」
「ええ、残念なことに。私は生きていますわ」
口角を吊り上げて、悪辣に笑むディーナ。その瞳は左右ともに色が違う。元来持ち合わせていた青の瞳と見る毎に色が変化するような奥の深い瞳。その両の瞳がアンビシオに向けられる。
「館が燃えた、と聞きましたが」
「ええ。私が燃やしましたの。そうでもしないと、アナタに近づくこともできませんもの」
「……ハハハ、ゲイルディア男爵にそう言われるとは光栄だ」
「そうかしら? ああ、それと館は無事に残っていますわ」
周りを火炎で包んだだけ、と付け加えた。専門で無くとも理解させられる。
館に一切の火を触れさせず、炎上しているように見せた。
詳細な差異はあるだろう。けれども間者の目を欺く程にわかりやすく、けれど事実を隠して見せた。
ハーフエルフの弟子。偏屈な魔法使い唯一の後継者。
様々な称号がアンビシオの頭を過り、まるでソレを誇るようにディーナは嗤って魅せる。
「座ってもいいかしら。アナタを追い詰めるのに随分と疲労しましたの」
了解など求めてはいない。まるでこの空間を支配しているのは自分かのように、ディーナはソファへと腰掛けた。
淑女の慎ましさなど無いように、深く座り、足を組む。
問題は幾つかある。アンビシオは焦る内心を置き去りにして頭を働かせる。
この女がなぜこの場にいるのか。それは自分を追い込む為だろう。それは彼女自身が言っていることだ。
この悪魔が死を偽装してまで自身の所に来た。それが事実であるのならば、まだ間に合う。
この場に存在しているのは、自身を揺さぶる為。答えを吐き出させる為。
なんせ運命は自分に味方をしているのだから。
神は自分を導いてくれている。
だからこそ、何も焦るような事はない。その必要性すらない。
心を落ち着けるように、深く呼吸を一度。
笑みを顔に張り付け、余裕を気取る。普段から行っていた事である。
「ええ、どうぞゆっくりしてください。どうやら強引にここまで来たようですし」
「あら。思ったよりも立ち直りが早くて困ってしまいますわ」
どうした物かしら。とワザとらしく聞こえるように口にしたディーナ。
アンビシオはその餌にも釣られる事などない。
確かに彼女が生きている事を問うたのは失敗であったかもしれない。けれど失敗であろうと失言ではない。
まだ尻尾は掴まれてなどいない。
「ところで、招かれざる客人であるのは自覚してますけど、お茶の一つも出ないのは紳士としてどうなのかしら?」
「おっと、これは失礼を」
紳士として、などとよく言う。
不遜な態度を貫き通すディーナを余所にアンビシオは手近に置いてある呼び鐘を揺らす。
チリン、チリンと高く部屋に響く鐘の音。あと数秒もすれば侍女がやってくるだろう。その侍女に騎士を連れてきてもらい、彼女は詰みだ。
さて、公爵の執務室に無断できたこの悪魔は人の法の下で裁かれる。なんと滑稽であろうか。
ほくそ笑む。悪魔でも油断をするのだ。疲労からの、油断。致命的な失敗。自身であるのならば決して犯さない。
ガラス製の鐘を置いて、アンビシオにとっては長い刻が体内で流れる。なんと長いのだろうか。緊張、或いは危機的状況が引き延ばしているのか。
目の前にいる悪魔が胸の下で腕を組む。
遅い。これほどまでに長く刻を感じる事などない。
侍女が来ない。
女が淑女とは程遠く、悪魔にしては油断を見せるように口元を隠して欠伸を一つ。
侍女は来ない。
「どうやら侍女は来ないようですわね」
「……何か、しましたか?」
「あら、いやですわ。私がまるで侍女を消したみたいに」
アンビシオの問いが面白いように、クツクツと喉を鳴らして
薄く瞼を閉じて、つい先ほど淹れられたように湯気が浮かぶ液体を飲み込みディーナは嗤う。
息を飲み込む。どのようにしてこの女がカップを取り出したのか。そんな些細な事がアンビシオの思考を蝕む。
悪魔のように、人知に及ばぬ方法であるのならば、この悪魔は自分のことをどこまでも知っている。
知られている。
それは間違いなく、問題に他ならない。
「さて、
「……私をどうするつもりだ」
「あら、そちらが演技の無いアナタなのね。そちらの方が好感が持てますわ」
普段のアナタはずっと笑顔で感情が読み取りにくかったの、と笑みを深めて溢した。
この悪魔がどこまで知っているかを確認しなくてはならない。全て知られていたとしても、異常に気付いた従士がここに来るであろう。
そうすれば、アンビシオの勝ちである。この場においての主導権が悪魔にあろうと、まだ手の平の上に賽はある。
握り潰すことも、転がすことも、自分の思うがままであり、それこそ運命に従うべきなのだ。
「先に言いますわ。私はアナタに対して何かをするつもりはありませんわ」
「ほう……。つまり、貴殿も私の下に就くと?」
「アナタの下に? アッハハハハハハハ! そんな冗談が言えるぐらいには余裕を保てますのね!」
一頻り笑い、口元を手で隠したディーナはスッと目を細めてアンビシオを睨めつける。
「私、アナタの事は好きですわ。アナタの事を知れば知るほど、アンビシオ・イワルという人物が優秀で、才能があり、努力を積んだかを理解しましたわ。アナタが暗躍していた事を調べれば調べるほど、父の名が出てきたときは失笑を禁じ得なかったですけれど」
思い出したように笑みを浮かべて喉をコロコロと鳴らす。
ディーナ・ゲイルディアという人間として、アンビシオ・イワルは素晴らしい人材であった。できることなら手中に置いておきたいと思えてしまうほどに。
「なら、クラウス・ゲイルディアを調べればよかったのでは?」
「調べましたわ。当然。私にとっては全てが敵でしたし。そもそも“誰が”なんてことは私にとって、どうでもよかった。ただ一点、譲れないことがありましたの」
「貴殿に牙を剥いた事、ゲイルディアに対して刃を向けたことかな?」
「
そう。そんな事はどうでもいい。自分がどうなろうが、ゲイルディアがどうなろうが、ディーナにしてみれば些末な事でしかない。
ただ、目の前の男が自分の敵である。その敵が自身の周りを害そうとしている。
そんなもの、許せる理由など無い。だから、徹底した。それだけの事でしかない。
「……さて、アナタがしようとしている計画。その全てを暴く気はありませんわ」
「ふむ」
「私に出来る事は限られていますし、暴いた所で無意味極まりない事に違いはありませんわ」
「ならここになぜいる」
「こうしてアナタの前に現れたのなら、アナタは私の事を見るでしょう?」
そう、この女こそ警戒しなければならない。
アサヒ・ベーレントの操る謎の言語を解読している可能性。この女の情報収集能力。アンビシオが最も警戒すべき相手であり、唯一の問題。
だからこそ、この女がこの場に存在している時点で、アンビシオは勝利する。他の問題など無いのだから。
「さて、まずは。最初に戻りましょうか。何故、私がここにいるのか」
それはこの場に現れた彼女が一番最初に、アンビシオが抱いたであろう疑問を口にしたものだ。
アンビシオは少しだけ思考する。
彼女は自身の計画を暴こうとしている訳ではない。それは彼女自身が否定した。
彼女の手札を想像する。まだ決定的な部分を知らないからこそ、自身から引き出そうとしている。そう考えれば彼女がいる理由に正当性が生まれる。
そしてこの予想は外れてはいないだろう。悪魔であろうと、知りえない事はある。
そうに決まっている。
運命こそ、自身に傾いているのだから。
「アナタが絶望に染まる顔が見たかったの」
「――は?」
「アハハハハハハハ! アナタ、とっても滑稽ですもの。きっと普段のアナタならしないような失敗ばかりで。とっても、とぉっても!」
まるで女児のように腹を抱えて笑うディーナに唖然とする。
絶望? まだ自分は詰んではいない。ここから先の指し手を間違うことなども無い。
そんな事はありえない。ありえてはいけない。
「私、言ったでしょう? アナタを
それは、彼女が座る時に口にした言葉に相違はない。
「アナタは私がここに来た時点でここから出ないといけなかった。けれど、アナタは私がここにいる事に慢心したわ。だって、私しかアナタの事を知らない筈だもの。だから、アナタは私を止める、或いは事実の確認、もしくは私の懐柔をすべきだと思った」
それは間違いではない。間違いである筈がない。
「
「ッ……」
この悪魔の言葉が真実であるのならば。この悪魔が
「ああ遅い。ああ! なんて気付くのが遅いのかしら! もう既に陛下には伝わっているというのに。ようやくアナタが詰んでいる事に気付くなんて」
「……だが、君の虚偽かもしれない」
「そんな淡い希望を、私がアナタに残すとでも?」
金色の髪をした悪魔は嗤う。徹底して、目の前の人間に事実を突きつける。
アンビシオの手が震える。頭をどれほど働かせようと、悪魔が突きつける事実を否定など出来ない。
ソレはこの悪魔の事を最も警戒していたからこそ、この悪魔がどれほどの事が出来るのかを理解させられる。
「ああ、あと。アナタが陛下に盛っていた毒は既に解毒しましたわ」
「……ふはっ、あの毒がそれほど簡単に解毒など出来る筈がない。できていたとしても、既に手遅れだろう。貴様が何も持たずに陛下に呼ばれた事は知っているぞ」
「まだそんな淡い希望に縋っているのね。とてもいい、とてもいい表情ですわ。普段笑顔を張り付けているアナタよりも、とってもいい表情――。ところで、私がどうやってこのカップを取り出したかはわかりまして?」
カップの淵を細い指で撫でながら、悪魔は嗤う。
一つ一つ、丁寧に目の前の男が持っているモノを握り潰していく。
「しかし、だが……いや、貴様は陛下が病床に伏せたことも知らなかった筈だ。用意など出来る筈ない」
「ええ、ええ。なるほど。とっても素敵ね。そうやって淡い希望に縋りつく姿はとても。とても真似できませんけれど。……私の部下に関しては調べられていないようで。どこからの誰かがリゲル殿下との婚約破棄させようとした時に、大仰な事を言ってしまって。陛下に監視を付けられてますの」
アナタも知っていたと思うけれど。とニッコリと笑う。
誰かが、というのは正しく自身である。あの時点で邪魔でしかなかったこの悪魔を王城から消す為に。盤上から排す為に。
この悪魔の言葉が全て、正しい事であったならば。筋が通ってしまう。否定したい感情とは別に、頭が全てを肯定する。
同時に、自身の詰みが見えてしまった。
力んでいた肉体から力が抜け、深く椅子に腰かける。
詰んだ。詰んでいる。
けれど、そんな事が許される訳はない。それは運命ではない。
「二つほど言っておきますわ。私がこの場で出来る事はありませんは、全て陛下にお任せしていますもの。それと私、アナタの下には就けませんわ。だって、私はこの国に仕えていますもの。二心を抱くつもりもありませんし、これでも一途ですもの」
「……嘘だ……こんな運命など……許される筈などない……」
「あら、運命論者だったなんて。奇遇ですわ。私も運命という言葉は大好きですわ」
――だって、それを覆して私たちは生きていますもの。
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リヨース
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騎士ディーナ様
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