「ごきげんよう、陛下。変わらずご壮健のようで何よりです」
「おう、来たなディーナ嬢」
ようやく、といっても数日程でイワル公爵の国葬も済み、俺は陛下の元へとやってきた。当然のようにお尻の素晴らしいメイドさんに着いてきた訳だけれど。陛下の趣味なのか? そうに違いない。
変わらず陛下はベッドの上に座って書類達を睨んでいた。それでも以前よりは顔色はいいし、難しい表情もしていない。俺が入ったのと同時に眉間を寄せたけれど。
憑き物が落ちた、というワケでもないだろうけど。少しばかり白髪は増えただろうか。
いつかのように、俺を連れてきたメイドに視線を向けて退室を促した。俺の後ろにある扉が閉められたのを確認してからベッドに寄る。
「体調の方はいかがですか?」
「主治医が言うには驚きの回復力だとよ」
「それはなによりです。いくつか確認しておきたい事もありましたので」
「奇遇だな。俺もお前にいくつか聞きたい事がある」
手に持っていた紙を布団の上に置いてギロリと視線がきつくなる。俺はニッコリと笑みを浮かべて受け流す。
これは予定していた事でもあるし、俺には報告の義務がある。当然、陛下が聞かない事には答えないつもりだけれど。
こちらを睨んでいるのは、陛下が思っていたよりも俺がやり過ぎたかもしれない。さて、どれだろうか。心当たりは……ないと思う。たぶん。
「シュタールの倅を殺したのはお前だな?」
「ええ。そうですわ」
「その仕込みをしたのもお前だな?」
「ええ。全くの申し開きもありませんわ」
「お陰で騎士達からの報告が二転三転している」
それはそれは。と口元を隠す。レーゲンを釣りだす為に幾つかの仕掛けと誘導をボーグルに依頼したのだけれど、どうやら行き過ぎた行為だったらしい。それなりに金銭を掛けた依頼だったから、彼女もきっと張り切ってしまったのだろう。もしくは個人的に国に恨みでもあるのか。
何にしろ彼女へ言及したところでのらりくらりと煙に巻かれるだろう。そもそも煙みたいな人だし。
「死傷者はいましたの?」
「そんな軟な鍛え方はしていない。指揮系統の甘さは表に出たがな」
「演習と実戦はまた違うものでしょうから。次は期待していますわ」
「今後、何かを仕出かす時は先に言え。事後処理が思った以上に面倒だ」
おそらく事後処理であろう報告書を指で摘まみ上げて面倒そうに仰がれるが、それは陛下のお仕事なので俺は関わりません!
安心してほしい。これから先で国家直属の騎士を巻き込んで何かを仕出かす予定はない。あってたまるか。陛下もその事はわかっているだろう。わかってるよね? また俺が何か仕出かすとか思ってないよね?
いや、流石に陛下に目を付けられたら何もしないよ。ホントダヨ。無理も無茶もしたことナイヨ。
「アンビシオの奴が何を企てていたかの詳細はどうなっている」
「アサヒ・ベーレントから聞いた話を鵜呑みにするのなら、端的に国家転覆ですわね」
「……それで、何故お前は公爵家の人間を拾った。アンビシオを罪人にする事を嫌ったな?」
「結果的にそうなってしまっただけですわ」
「ほう。お前がレーゲン・シュタールの性格を計画に入れないとは思えんし、お前が偶然あの場に居たという事か?」
笑みを浮かべて受け流そうとするが、陛下の瞳が俺を貫く。逃げられないようだ。
痛くもない腹を探られているだけなのだけれど。その労力を支払うべきであった。計画したからこそ、俺が支払うべき対価であった。
「円満に解決は元よりしないと思っておりましたので」
「当事者は殺され、そして殺したレーゲン・シュタールもお前の手によって殺された」
「あら陛下、既に事実が報告がされているとは思いますが、レーゲン・シュタールを殺したのは彼の父であるレンベルト・シュタール卿ですわ」
「確かに、事実はそうだな。シュタール卿もそう報告をしてきた」
「ええ、そうでしょう」
「しかし、真実としてお前はオークを倒した時に使った魔法でレーゲン・シュタールを殺した」
陛下は面倒そうに溜め息を吐き出した。俺が予定していた事はどうやら順調に進んでいるようだ。
まあ俺をどうするかは陛下次第であるし、俺はこの身しかないのだから賭け金としては随分とお粗末かもしれない。
「お前は、他の貴族に怪しまれるように行動したな?」
「はい。少し訂正するのなら、陛下に怪しまれるように計画を練り、噂に少し手を加えましたわ」
「結果としてお前が欲しい物は……お前の調査による時間稼ぎか?」
「はて? もしかしたら陛下の命を害する為やも」
「笑えぬ冗談だな」
笑えない、とは言ったもののクツクツと喉を震わせている陛下を見ながら、少しばかり真面目な表情を作る。
計画は練りはしたが、予測を越えて部分も幾つかある。それはレーゲンの実力であり、俺が現在魔法を使えない事であり、そして思った以上に噂が広がった事でもある。
真実を噂にした。レーゲンを殺したのは俺である事。
虚偽を噂にした。レーゲンがイワル公を殺したのは俺の指示であったかもしれない事。
当然、事実とは異なるし、真実ですらない。けれど、事実を真実にする為にはレンベルト・シュタールが虚実を伝えなければならない。けれど、彼はそれをしない。俺がソレを止めているからだ。
結果として、事実は事実として陛下の元へと届き、噂では俺は見事なまでの悪党となっている。氷結の魔法を扱う金色の魔女とか言われてて思わず笑ってしまった。
噂は所詮噂であるが、陛下はその事実確認をしなければならない。尤も、面倒であれば俺を含むゲイルディアを斬れば解決するのだが、陛下はそれをしない。信頼の話ではなく、貴族の関係を考えれば得策ではない。
だからこそ、陛下は俺を調査するだろう。痛くもない腹を探られるのだ。問題とか一切ない。幸い、どうしてかわからないけれど、カチイ領の俺の屋敷では火事があったようで、ヤバそうな書類も燃え尽きたかもしれない。いいや、ヤバそうな書類なんて無いし、屋敷も焼け落ちてはいないけれど。
「私を王城で拘束して頂きたい」
「その為の理由作りか。好きにすればいいものを、面倒な遠回りをするなお前たち親子は」
「あの悪人顔と一緒なんて、笑えない冗談ですわ」
「しかし、噂もなくお前を城に逗留させるのは問題か」
ディーナ・ゲイルディアという存在は客観的に見れば、リゲル殿下を誑かした悪女であり、社交界に顔を出す事すら嫌厭されている。リゲルが俺をこっ酷く振ったのが原因である。陛下に上手く使われている、という事も知られれば面倒かもしれない。
俺と陛下の繋がりは深くない方がいいだろう。陛下の言葉から考えるならあの悪人顔のお父様もそうしているのだ。俺としてもそちらの方が動きやすい。
「それで、お前が王城に残ろうとする理由はなんだ?」
「アサヒ・ベーレントへの教育とイワル公爵に組した貴族達の炙り出しですわ」
「後者はお前の事だろうからと予想していたが……前者は予測してなかったな」
「あら。私はあの娘の事をそれほど嫌ってはいませんわ」
「わかっている。が、お前の口から聞いておきたい。アサヒ・ベーレントは信用できるか?」
「彼女がイワル公爵との繋がりがあり、国家転覆を計画していた。という事は可能性としては細いですわね」
事実として考えれば、限りなく無い。もしも彼女がイワル公と繋がりが残っていたとしても、捨てられた時の事を考えれば可能性として低すぎる。
指輪を外し、異世界言語である日本語を理解できる人間に取り入る。それは博打が過ぎる。限りなくありえない奇跡と言ってもいい。俺とかいう異分子があったからこそ成り立つ理論であるし、俺が日本語を理解できる事など誰も知らないし、喋れる事など知る由もない。
だから、彼女への信頼はある。という客観の理論を陛下は聞きたい訳ではないだろう。
「彼女は無害ですわ。間違いなく」
「その言葉を信じよう。命を賭けた博打を俺にさせるなよ?」
「勝手に賭けられても困りますわ」
肩を竦めて溜め息を吐き出した俺を陛下は笑う。
俺としてはあの日に陛下から言われた「お前に賭けるぞ」という言葉も結構な重圧だったのだ。俺は俺で手一杯なのだから、勝手に賭けられるのは非常に困るのだ。それも一国の主の命であるし。
信頼されているのは嬉しく思うし、むず痒い感覚もある。それで高揚するような性格もしていない。
「お前の拘留に関しては後日に騎士達を向かわせる」
「それがよろしいかと。私が嬉々として王城に居座るのも変でしょうし」
「ああ。一月ほどゆっくりしていろ」
「……それほど必要ではありませんが?」
「オーベからの言伝だ。『ディーナ様は無茶をしがちなので、キチンと療養させてください』だとよ」
シャリィ先生!! 何言ってるんですか! そんな俺が勝手にどこかに行くみたいな事言って!!
というか、俺が居座る事もわかられてた……? これに関しては噂流す時に怒られるかもと思って言わなかったのに……。たぶん、噂流した時点で気付かれてたな?
偉大なるハーフエルフ計算機先生に少しの恨み言を心の中で言いながら笑う陛下を恨めしく睨んでおこう。このぐらい許される筈だ。
「お前を調べるという奴は何人かいるだろうな」
「ゲイルディアが恨まれているでしょうから」
「その辺りは俺に任せておけ。どこぞの仏頂面のお陰で慣れてる」
「まあ! 陛下にご迷惑をお掛けする仏頂面がいるなんて!」
「お前はしっかりその血を受け継いでるよ」
「仏頂面は受け継がれてなくてよかったですわ」
お互いに愛想よく笑いあう。今頃噂の仏頂面はくしゃみをしているかもしれない。変わらぬ厳めしい仏頂面であるだろうが。あれでもお母様には弱いのだ。相変わらず仲睦まじいし、俺もお母様には勝てないのでちゃんと血が受け継がれているらしい。
「それで、指輪の件ですが」
「ああ。これか」
陛下が近くの机から取り出した木製の指輪。右目を意図して閉じる。眼鏡をしているから大丈夫であるけれど、あの時よりもハッキリと見えすぎる。
眼鏡を縁を指先で軽く持ち上げて、視線を指輪から陛下へと戻す。
「これは初代シルベスタ王の遺物だろう。なぜお前が欲しがる?」
「私が欲しがっているわけではなく、エルフの女王からのご用命ですわ」
「……待て。お前何か隠してるな?」
「はて? 国家を覆す事実は私の口からは言いませんわ」
陛下は額を手で押さえて、深く溜め息を吐き出した。俺がシルベスタ王家を覆すだけの事実を知っている事を理解したのだろう。まあ勇者の落胤なんて知りたくもないだろう。
「他に誰が知っている?」
「私以外ではエルフの女王であるエフィ様。本人が知っているかはわかりませんが、彼女がこの国をどうこうするつもりは無いと断言しておきますわ」
「……お前はどうしてそう厄介事を抱え込む」
「これに関しては偶然ですわ。私も知った時は驚きましたし、他意もありませんわ」
「…………まあいい。何かあればお前が対処しろ」
深い溜め息と一緒に吐き出された言葉に俺も深く頭を下げた。
陛下から見てもエルフとの交易を止めてしまう事は不利益だろう。何より陛下がこうして俺と楽しく探り合いもできている理由もエルフの力だ。
シャリィ先生がエルフ王族の直系である事を陛下は知らない筈である。或いは予測されているかもしれないけれど。
それでも彼女を排除しようとするなら……。さて、どうするべきか――。
俺に責任を丸投げした辺り、ありがたい事に俺を信用してくれているようなので裏切るわけにもいかないけれど。
「それにしても、既に初代王が死んで数十年も経過してるんだぞ」
「陛下には女心というものがわかりませんのね」
「わからん。ああ、それに関しての説教は事足りているからな」
「あら、残念ですわ」
俺にもわからん!!
それでもエフィさんが指輪を求めるのは、なんとなく理解はできる。それが正しいとは言わないし、主張を押し通す事もない。
彼女の気持ちは彼女のモノである。
「しかし、これを渡すのか」
「譲渡と言っても数年単位で待っていただけますわ」
「ディーナ嬢は交渉事にも長けていたか?」
「微力ながら、という冗談はさておき。交渉は苦手ですが、エルフの時間というものが膨大な物だと実感しましたわね」
「……それで、ディーナ嬢はこの指輪を得て何をする?」
「リゲル殿下にお譲りいたします」
ニッコリと笑顔でそう言えば陛下は目を丸くしてから、細める。口元には笑みを浮かべているけれど、残念な事に陛下の思い通りにはいかないだろう。
「なんだ、やはりリゲルを想っていたか?」
「御冗談を。私がリゲル殿下と改めて婚約をすればどうなるかはわかるでしょう」
「まあな」
あれだけ公衆の面前で盛大に振って、俺も盛大に吠えてやったのだ。改めて婚約者となればリゲルの評価がどうなるかなど火を見るより明らかだ。それにリゲル本人も望んではいないだろう。彼は心底アサヒに惚れ込んでいるし。俺はそれに納得しているし、拗らせるつもりもない。
クツクツと笑い、少しばかり目論見が外れたように眉尻を下げた陛下に苦笑を零す。
「この指輪はリゲル殿下からアサヒ・ベーレントへ渡して頂きます」
「お前が直接渡せばいいだろうに」
「だから陛下は女心がわからないのですわ」
「あーあー、わかったわかった。お前の好きにしろ」
俺にもわからん!!
ただそうした方がいいだろう。俺が渡すよりも、リゲルが渡す方がいい。特に日本人としての感性を持っているアサヒだからこそ、そちらの方がいい。リゲルに縛り付けられる。
……こういう事を考えてしまうから、俺もシャリィ先生に溜め息吐かれるんだろうなぁ。アマリナは俺を否定しない。俺が叱られる事はあるけれど。
指輪が入った箱ごと俺に渡して、陛下は溜め息を吐き出す。俺は右目で指輪をチラリと見てから箱を閉じる。
「私を調べたいと言っている方々はどのような方々なのですか?」
「ゲイルディアとは派閥の違う奴らだな」
「人気者は辛いですわ」
「ああ、全くだな」
こんな人気は必要ではないのだけれど。ゲイルディアとは違う派閥って殆どじゃねぇか。相当恨まれてますね、これは。
俺という若い貴族を探って、ゲイルディアを脅せる材料があれば御の字。無かったとしてもゲイルディアへの牽制にはなるだろうし、対外的にもゲイルディアとは敵対している、という形は取れる。
ゲイルディアから恨まれる、と考えるかもしれないけれど、得る物を考えれば手を出してくる可能性の方が高いか。
その辺りは陛下がなんとかしてくれるのだろう。あまり探りを入れて俺が動くのも憚られる。お父様が何かしら動くかもしれないけれど、それは俺の関知する所ではない。
「暫くは大人しく療養しておけ。カチイの方は問題ないか?」
「ええ、陛下が優秀な人材を送ってくださったお陰で」
「……なんだ、バレたのか」
「あらすんなりとお認めになるのですね」
「アレが俺に今回の事を伝えに来た時点で理解できている」
ふむ。ともすれば、やはりベガはお父様ではなくて、陛下直属の部下だったか。陛下がなんで俺を監視する為に部下を送っていたかはわからないけれど、下手に調べてなくてよかった。
陛下はちゃんと疑いを持って貴族を信用しているのだろう。信賞必罰も表向きはしっかりとしている。ある程度の不正を促している俺とは別の人間である。俺も表向きはキチンとしているから問題にはならないけれど。
裏側に関してはドロドロである。俺以外の所がだが。少し絞ってはいるから大事にもならないけれど。
「やはり陛下の部下だったのですね」
「…………ああ、おう。そうだ」
「陛下、まだ私に何か隠されておいでですか?」
「お前に言えん事の一つや二つぐらいある。自分を見誤るなよ」
「私ほど謙虚な人間はおりませんよ」
「皮肉として聞いておこう」
真実である。謙虚というのは確かに皮肉めいている。
ソレをこの場で曝して意味がない事もわかっているので笑顔を浮かべて流してしまうけれど。
「アレに関しては俺が保証しよう。お前を害する存在でもなければ、お前の周囲を害する奴でもない」
「陛下のお言葉を信じましょう」
「何か含みのある言い方だな」
「まさか。含みを持たせているのは陛下でしょう?」
少しだけ空気が鋭くなるが、お互いに理解している。これ以上言わないし、言えない。
俺が彼を探った所で無意味であるし、陛下が俺を勘ぐる事もまた無意味である。何より、お互いにその必要もなくなった。
ベガの所属に関しては、気にはなっていたが、確定項目として陛下直属と書かれたので、それで問題はない。下手な探りは猜疑心を産んでしまう。
彼が別の場所に飛ばされる事があるのなら、俺が陛下から完璧に信頼されたか、或いは見放されたかのどちらかになるだろう。それまでは優秀な彼をこき使えると考えれば利点でしかない。
フィアも優秀ではあるけれど、まだ子供だ。こんな探り合いの場に呼ぶ事は……いや、あの子なら問題無さそうだけれど。それでも少し心配してしまう。
「では、明朝に騎士を向かわせる」
「はい。適度に抵抗すればよろしいでしょうか?」
「……お前が抵抗すれば余計にややこしい事になるだろうが」
「冗談ですわ」
抵抗するで! 拳で!
という嘘はさておき、今の俺は魔法も使えないので、剣を使ったにしてもあっさりと鎮圧されるのは目に見えている。ある程度、抵抗すればそれはそれで他者に対しての真実性が増えるだろう。陛下からは睨まれるだろうけれど。
まあ抵抗した瞬間にシャリィ先生とかからも怒られそうなので、抵抗する選択はない。
怒られるのは嫌なのだ。叱られたいけど、怒られたくはないのである。
お互いの報告と確認が完了したので、陛下に挨拶を交わして部屋を後にした。
これからする事も多い。主に明日の朝にくる騎士達への準備と俺を探ろうとしている貴族達にバレてはいけない部分の書類破棄だ。あんまり無いけれど、纏めていた魔法式に関しての紙束は破棄しなくてはならない。あれは世に出していいものじゃない。
あれが正しい物であったのならばこれを機に貴族間で広めて貰えれば、魔法学問としての発達に役立つかもしれないけれど、如何せん間違っていることが確定してしまっているのだ。基礎部分はシャリィ先生が作ったから問題ないけれど、俺の研究部分は白紙よりも価値がなくなった。隅ではなく真ん中に墨が汚れとして残っているのだ。
ので、あれは焼却してしまう。シャリィ先生を説得してからでないといけないけれど。
のんびりとそんな事を考えながら、なるべく人を避けて王城を歩く。完璧に人を避ける事などできないけれど、今の俺ならばこの規模ぐらいの人員配置はなんとなく理解できる。
緩やかに歩き、
溜め息を心の中で吐き出して、感覚の無い右手で『 』に触れる。
「それで、いつまで隠れていらっしゃるのかしら? リゲル殿下」
「気付いていたか……」
「それはもう。何年アナタの事を見ていたと思っているのかしら」
柱の影から出てきたリゲルはどうにもバツの悪い顔をしていた。確かに俺も少しばかり棘のある言い方をしてしまったと思ってしまう。
溜め息を吐き出して、揶揄い混じりに口を開く。
「リゲル殿下、何を悩まれていますの?」
「……ディーナ」
「あら、何かしら、
「お前が俺を許さないのはわかっている」
おっと、苛め過ぎたらしい。クスクスと笑いが溢れてきてしまい口元を隠す。
彼はそんな気持ちで俺に会いに来てくれたのだから、俺も一つだけ否定しなくてはいけない。
「許すもなにも、私はリゲル殿下の事を恨んでなどいませんわ」
「……わかった。お前は今の俺の表情を見て笑っているな?」
「あら、そう思うのならもう少し凛とした表情をなさってください。もっと揶揄ってしまいそうですわ」
ようやく情けない表情から普段の凛とした表情になった彼を見て頷く。そうでなくてはいけない。きっと、彼も人の目があったのなら最初からこの表情であっただろうけれど、それでも彼の情けない表情は
少しだけ笑ってから、コホンと喉を鳴らしてコチラもディーナ・ゲイルディアらしい冷たい表情を作り上げる。
「それで、リゲル殿下様。アナタが盛大に婚約破棄した卑しい私に何か御用でしょうか?」
「やはり恨んでるだろ」
「滅相もありませんわ。ただ、少しばかり怒っているだけですわ」
「……すまん」
「まったくですわ」
あの時は本気で落ち込んだし、泣いた。だから少しばかりの仕返しぐらいは許してほしい。何より、何よりである。
「アナタの立ち位置を考えれば、そうするしかない事は理解できましたが、あのような事をするのなら事前に言って欲しかったですわ」
これに尽きる。そうすれば俺の方ももっと動く事ができただろう。それこそ、自分の手で噂を操作して……って事をすると余計に面倒なことになりそうだな。それでもあの時に知っていればもう少しマシに動けただろう。
その辺りは俺は怒ってもいいと思うんだ。いや、怒ってるというか、なんというか。変な感情だけど。
「あの時は緊急を要したんだ」
「それも理解していますが、私が約束を覚えていなければどうするつもりでしたの」
「ディーナは覚えているだろう」
そういう所は卑怯だと思うんだよリゲル。言葉に詰まってしまった。
覚えていたけど、あれは唐突過ぎて吃驚するから、事前に言ってくれ。俺が困る。というか、困った。
「私があの時点でイワル公爵に唆されていたならどうするつもりでしたの?」
「その時は……まあ、そうだな。俺は傀儡になっていただろうし、お前はお前でイワル公と裏で争っていただろう」
「ご理解されているようで何よりです。無謀な賭けをなさるのなら、それなりに準備をしてくださるかしら」
「無謀とは思わなかったからな。それにあの時は……いや、なんでもない」
なんだよ。言えよ! なんで視線を逸らすんだよ! おい、こっち向け!!
喋るには困らなかった距離をもう少し詰めて顔を寄せる。言いたいことがあるのなら言うべきだ。つーか、さっきそれが出来てねぇって話だっただろ! おい、こっち向け!
俺が距離を詰めてきたのにようやく気付いたのか、リゲルは顔をこちらに向けて少し驚いたような表情をして俺を見つめる。
「何かしら」
「いや、相変わらず綺麗な瞳をしているな、と」
「……あら、一度振った相手を口説き直しているのかしら?」
身長の都合上、下から睨んでいた俺は佇まいを直して、腰に手を置いて溜め息を吐き出す。好色、というワケではないだろうけれど……国の事を考えれば好色である事は褒めるべき事なのかもしれない。いや、まあ世継ぎ問題とかが問題になるから好色過ぎるのも問題だろうけれど。
それは、まあ置いておく。今は必要ではないし、俺とリゲルには必要な問題でもない。
彼が改めて俺を見つめ、一つ咳払いをする。
「ディーナ、俺は――」
「リゲル様」
何かを言いそうになった彼の言葉を名前を呼ぶ事で止める。俺は意識して作っていた表情を和らげる。こうすれば彼は俺の話を聞くことを知っているからだ。
だから、卑怯にも俺は口を開く。
「私、リゲル様から言われた願い事はどんな事であろうとも、最悪を回避し、最良を選び、最善を尽くしてみせますわ。私がアナタを裏切らない為に。アナタがリゲル様である為に。
だからこそ、今に至り、ある二つの願いをその口が紡げば、私はその願いを叶える代わりに、アナタを侮蔑致します」
これは、すでに決定していた事である。
彼が口にしそうな事を幾つも考え、自分の中で取捨選択を繰り返し、努力をして達成可能であると断じた物以外を出されても、俺はその願いを叶えるために尽力するであろう。それは、まあいい。
それでも、俺にはどうしようもない事が二つだけある。何より、ソレを断る事は彼の為であるから。俺は強く言葉を作り上げて彼へと放る。
これから彼が何を言うかは知らない。知りたくはない。知れば、俺は断る事はできない。立場的にも、地位的にも、そして彼への感情としても。断る、という選択肢がそもそもない所まで入れ込んでしまっている事を自覚している分、タチが悪い。
「この二つ以外ならば、何なりと」
「……ディーナ。――改めて俺と」
「リゲル様?」
お前さぁ!!! そういう所だぞ! お前さぁ!!
彼の言葉を止めて、ニッコリと笑顔を作る。これは先ほどの彼の言葉を止める為の表情ではなくて「私、今怒っていますわ」という顔である事はリゲルは理解しているだろう。彼はディーナ・ゲイルディアが拗ねて怒るような性格ではない事は理解しているだろうし、こうして怒るのはわかっている。
だからこそ、言葉を止める。俺にお前を侮蔑させるな。馬鹿野郎め。
「仮に、今のリゲル様の……リゲル様が言おうとした願いを私が叶えたとして、周辺貴族達が騒がしくなることは理解されているでしょうに」
「それでも――」
「というのは、ゲイルディアとしての建前ですわ」
「なら……」
「私は、そこまで安い女だと思われているのかしら?」
大特価である事は言わないでおこう。
それでも
「アサヒ・ベーレントというアナタが好いた人を、愛してくれる人を愛してくださいませ、リゲル様。私を――アナタの忠臣でいさせてくださいませ」
カーテシーで優雅に、余裕をもって、彼を突き放す。
笑顔ではなく、作った冷たい表情でもなく、子供の頃のように彼を見つめる。
リゲルは何かを口にしようとし、口を開けて息を飲み込んで、何かを耐えるように歯を食いしばり、肩の力を抜くように大きく息を吐き出した。
「では、ディーナ。アサヒの言葉をどうにかする方法はないか?」
「ええ、お任せください。この指輪を彼女にお渡しください」
「……それだけでいいのか?」
「ええ。できればリゲル様ご自身が指輪を持ち、彼女に傅いて、彼女への気持ちをお伝えして、指輪を左手の薬指へ嵌める事をお勧めしますわ」
「気持ちを伝える事は問題無いが、なぜ左手の薬指なんだ?」
「昔話の勇者がしていた、古来よりの契約法ですわ」
そう言うと、リゲルは難しい顔をして俺が渡した箱をジッと見つめていた。
これは嘘ではなく、本当の事である。あの時の嘘とは違う、本当の事である。
「では、私はこれにて」
「……ああ」
「それでは、
「時間を取らせたな、
いつかの焼き増しのように、お互いに敬称をつけて呼ぶ。
俺は踵を返して、彼に背を向けて立ち去る。
少しして、誰も通らないであろう廊下に音が響く。それがわかったのは俺しかいないし、俺はその事を言うことはない。
だから、壁を殴るような音も、誰かの苦しむような声も、誰も知りはしない。
誰も、誰かの恋が破れた事など、知りはしないのだ。
次挿絵のキャラは誰がいい?
-
リヨース
-
騎士ディーナ様
-
シャリィ先生
-
エフィさん