記憶よりも少しばかり長くなった灰銀の髪と鋭く切れるような瞳を見ながらディーナは自身にも流れる血の濃さに諦めと感嘆、そして半分以上の皮肉を込めて息を吐き出した。
「さて、一応問いますけれど。アレクがどうしてここに?」
「……親父から何も聞かされてないのか?」
「出向の挨拶も出来ない無能は実家に帰すようには言われていますわね」
冷徹にも見える笑顔で自身の弟を鋭く睨むディーナであるが、父であるクラウスからはそんな事は言われていない。父から送られてきたのは家紋で封蝋された便箋と陛下と騎士団長の名前が書かれた出向届だけである。
これだけ送ればお前にはわかるだろう、という父と陛下の重圧と期待を容易く理解しながら、ディーナが恨み節を僅かに口にしたのはつい先日のことである。
「……アレク・ゲイルディア。今日よりゲイルディア男爵の治めるカチイ配属となりました。出向届は既に届いているとゲイルディア侯爵より伺いましたが?」
「ええ。よろしい。認めますわ」
「必要か? これ」
「形式的なものであろうと、貴方はこれから先、言われる側に立つのだから一度は言っておいた方がいいでしょう?」
「……アンタや親父の考えがわかんねぇよ」
「お父様からは何も聞かされてないのかしら?」
「姉貴はあの親父殿が腹の内を全部喋ると思うか?」
「喋るなら偽物に違いありませんわ」
お互いの父への"尊敬"を
長椅子へと座るように手で促しながら、ディーナは手元にできた影を二回叩く。そうして音も無く出てきた褐色肌の女中に対してアレクは一瞥して、視線をディーナへと戻した。
「それで、親父殿の考えは?」
「貴方の教育でしょう。騎士団では政務に関しては学んで無いのでしょう?」
「ああ。……待て、なんで騎士団に入ってたことを知ってるんだ?」
「風の噂になる程度には貴方の名が挙がっただけよ」
アマリナに淹れられた紅茶を飲みながら軽々とディーナは答える。
実のところ、父であるクラウスからアレクが騎士団に入団したことを告げられているし、レーゲンの事件で騎士団とは全面闘争になる可能性もあった為に調べ上げてアレクの実力を情報として知ったのだが、それを言う必要もディーナには無い。
アレクの才能があればそれぐらいは当然のことだろう。とディーナ自身も認識していた事であるから、驚きも無かったが。
あの才能が正しく磨かれたのならば、今頃はレーゲンといい勝負になっていたかもしれない。
姉からの言葉に僅かばかりの気恥ずかしさ誤魔化すように話を戻す。
「それは、まあいいんだが。俺の教育をなんで姉貴が?」
「近い内……と言っても数年後でしょうけれど、貴方が領主になるからですわ」
「どこの?」
「カチイよ。そして未来のゲイルディアの当主への教育でもありますわ」
「……待て待て。ゲイルディア当主には姉貴がなるんだろ?」
「お父様は貴方に期待していますわね」
淡々と事実を告げるディーナに対して、その事実を初めて聞かされたと言わんばかりに驚いているアレクは眉を寄せて、納得できないと表情だけで語ってみせる。
その表情を見ながら、ディーナは父に恨み節を飛ばす。魔法が不発になってしまうので届くこともないが。
アレクからしてみれば、自身よりも強く、さらに政務能力も高い姉こそが当主に相応しく思っていた。何を考えているかわからない親父に対して恨み節を飛ばした。魔法を十全に理解していないので届くこともないが。
「辞退とかできねぇか……」
「大きな問題を起こせば先送りには出来るでしょうけど、無駄でしょうね」
「アンタよりもデカイ問題を起こすと処刑じゃねぇか」
「処刑にはなりませんわ。秘密裏に処分されるだけですわね」
その時動くのは私でしょうけれど。と加えて言ったディーナに更に眉間の皺を寄せるアレク。
レーゲン・シュタールに纏わる問題は騎士団でも推測や憶測で様々な議論が飛び交った。ゲイルディアが主犯である。ディーナ・ゲイルディアがレーゲン・シュタールに罪を擦り付けた。
様々な事を言われたが、その渦中にいたアレク・ゲイルディアという存在は「姉貴が必要と思ったならやるだろう」と同調していた側であったし、騎士団をレーゲンを追えなかった原因も被害者側であった。一年で積み上げた評価と実力はその程度で崩れることはなかった。
同時に口にはしなかったが、本当に姉が主犯であったのならば、恐らく罪の矛先は別の場所に向いていただろうし、そうでなかったのは何かしらの事情がある事も理解していた。口にすれば糾弾されることは目に見えていたし、緘口令も布かれ、姉自身も軟禁された事で言う機会を逃した。
「やっぱり、レーゲンさ……レーゲン・シュタールには何かあったんだな」
「貴方が当主になったのなら教えてあげますわ。その時まで私や貴方が覚えていれば、ですけれど」
「アンタなら覚えてるだろ」
「さぁ? 覚えていても言えないかもしれませんわ」
「それこそ冗談だろ」
惚けてみせた姉に対してあり得ないと断じた弟は淹れられた紅茶を少し見てから、口をつける。
渋みと苦みが広がり、豊かな香りが鼻を通り抜けた。
「……美味いな」
「ええ。自慢の従者よ」
「……それで、アンタを師事するのに文句はないが、俺は何をしたらいいんだ? 盗賊の討伐とかか?」
「残念ながら。カチイ周辺に賊の目撃もなければ、魔物達の討伐も定期的に行っていますわ」
「そうか……」
「機会があれば参加してもいいけれど、先にある程度の政務をこなせるようになりなさい」
少しだけディーナは顎に手を当ててから既に書き終わった書類を一枚アレクへと手渡した。
渡された書類を見ながら羅列されている数字と文章を読みながら姉の求めている事を読み解こうとしたが、アレクにしてみれば初めて見る内容である。
ただ姉の名前が書かれていることから承認された書類であることはわかる。それだけしか解らない、
「内容は?」
「……川の氾濫による被害復興支出じゃねぇのか?」
「文字は読めるようで安心しましたわ」
「もしかしなくても馬鹿にしてるのか?」
「まさか。前に教えた子の一人が文字を読めなかったから念のための確認ですわ」
「俺の他に教えてるヤツとかいるのかよ」
「ええ。優秀な拾い物でしたわね」
姉の言う『優秀』という
アレクからしてみればディーナほど優秀と言える人間はいないし、騎士団にいた頃にもディーナ・ゲイルディアという傑物と比べられたことは何度も経験していることだ。
「貴方はフィアに就けましょう」
「付き人なんていらねぇけど」
「そんな人的余裕はカチイにはありませんわ。それに下に就くのは貴方よ。アレク」
「は? アンタが教えてくれるんじゃねぇのか」
「私には時間がありませんの。貴方の面倒を見る時間すら惜しくなるぐらいに」
眼鏡越しの青い瞳が鋭くアレクを突き刺す。
自身と姉の確執に関しては重々に理解しているアレクであるが、同時にディーナがその程度の理由で自分に教えを与える事を拒絶するとは考え難い。
そうなると……、と考え始めたところで扉が叩かれる。
「主様、お呼びでしょうか?」
「ええ、いい時に来たわね。入りなさい」
開かれた扉からはギィと木が軋む音と僅かに木材同士が擦れる音をアレクの耳は捉えた。
最初に映ったのは白の髪。開かれた瞳は赤く、膝に積んだ紙束が彼女が車輪の付いた椅子を動かす度に揺れている。
チラリと赤い瞳がアレクを捉えて、頭が下げられる。
上げた顔をそのままディーナへと戻した白の少女――フィアは紙束をディーナへと手渡した。
「主様。任されていた文書を纏めておきました」
「ご苦労様。彼はアレク・ゲイルディア。私の直系の弟ですわ」
「貴族様でしたか。このような恰好で申し訳ありません。フィアと申します」
「アレク・ゲイルディアだ」
今一度、頭を下げたフィアとは対照的にアレクは頭を下げずに応対する。
まじまじとフィアの乗っている動く椅子や、彼女自身を見て、アレクは目を閉じて視線を姉へと向け直す。
「姉貴。本気でこの娘の下に就け、って言ってるのか?」
「ええ。彼女に教えを請いなさい」
「本気かよ……」
自分よりも明らかに年下であろう少女に教えを請えというのは貴族であるアレクにとって中々に屈辱的な事象ではある。
優秀である姉と比べれば恐らく数段も劣るであろう少女にである。
「主様、私も反対です」
現実に頭を抱えるアレクに同調するようにフィアからも言葉が飛び出した。
助力を得られそうな事に期待をしながらフィアを見たアレクにフィアは微笑みを浮かべながら口を開く。
「貴族様を私が教えるなど、とてもとても」
「正直に言いなさい」
「はい。足手纏いなのでベガさんにでもお任せください」
「誰が足手纏いだって?」
「貴族様以外にいらっしゃいますか?」
「やめなさい。フィア。貴女にしか頼めませんの」
「そうやって耳障りのいい言葉で騙されるのはレイとアマリナさんとヘリオさんとシャリィ師匠だけです。私は言い包められませんよ」
拒絶を露わにした貴族に対して不敬な白い少女は相変わらず微笑みを崩すことはない。
足手纏いと言われた上に貴族に対しての態度に顔を顰めながらも、自身もこのような少女に教わることなどできないと感じているアレクはディーナへと視線を向けて同意を示す。
二人からの視線に対してディーナは深く溜め息を吐き出してから、今一度口を開く。
「フィア、貴族を顎で使うのは楽しいと思わない?」
「なるほど、確かに」
「おい」
少女に実の弟を顎で使う権利を提示した姉と拒絶を示した割りにアッサリと手の平を返して乗り気になっているフィアに思わず口を出してしまうアレク。
フィアは少しだけ考えるように顎に手を置いて、瞼を閉じる。
「顎で使う趣味はありませんが、わかりました」
「おい、お前はいいのかよ」
「ええ。他ならぬ主様の頼みですから。足手纏いが一人増えた所で業務に問題ありませんし。雑用が増えたと喜びましょう」
ニッコリと笑顔を見せたフィアにアレクは「お前も言い包められる側じゃねぇか」とは口にできなかった。不敬な態度に苛立ちは覚えるが、少女に対して暴を揮いはしない。苛立ちは覚えるが。
そんなアレクを少しだけ眺めていたディーナは一つ頷いてから「じゃあよろしくお願いしますわ」と言い、二人の退出を促した。
キチンと座りながらも礼をして退出したフィアとは違い、納得いかなさそうな顔をしながらアレクも執務室から出る。
「これからよろしくお願い致します、貴族様」
「よろしくされる態度じゃねぇな」
「お言葉をそのままお返し致します」
笑いながらもしっかりと敵意を露わにするフィアであるが、スッと目を床に向けてからアレクへと視線を上げる。
「お噂はかねがね聞いております、アレク・ゲイルディア様。お強いそうですね」
「まあ、王国騎士団に所属していたからな」
「なるほど。その言葉が嘘でない事を願います」
「あ? 嘘じゃねぇが」
ギィギィと椅子の車輪を器用に転がす白い少女の背に向かって、苛立ちを隠そうともせずに言葉を口にしながらアレクはたった数歩で追いついて、手を伸ばそうとしてから迷ったように声を続ける。
「なあ、押した方がいいか?」
「お心遣い痛み入ります。結構です」
「……そうか」
行き場の無くなった手で自身の灰銀の髪を掻き、自身が空回りをしている事を自覚しながらもアレクは車輪で動く椅子に歩幅を合わせて比較的ゆっくりと歩く。
隣に来たそんなアレクを横目で見ながらフィアは少しだけ先の事を考える。
考えて、考えて、考えて、一つずつ可能性を潰していく。
「主様が幼少の頃はどういった人でしたか?」
「あ? 今と変わんねぇよ。完璧も完璧だったな」
「……そうですか」
「あー、でも、学園にいた時は……いや、なんでもねぇ」
「アマリナさんに暴力を揮って決闘をされたんでしたっけ?」
「なんで知ってんだよ」
「主様の事は一度調べましたから」
ニッコリと笑顔でそう言い切ったフィアに「姉貴の周りにはこういう人間しか集まんねぇのか?」とぼそりと呟いたアレク。
事実を言えば、フィアがディーナ・ゲイルディアを調べたのは「主様の来歴を知りたかった」という理由からではなく、「新しく領主になった人間を知る為」であるし、更に言えば搦め手で討ち取ろうとしたからであるのだが。当然、フィアはその事をアレクに言いはしない。これ以上の警戒される理由は作りたくはない。
上手く扱えれば強い駒になる可能性があるのだから。
「それで、私は貴族様に何を教えればよろしいので?」
「政務と財務だな。よろしく頼む」
「…………」
頭を下げたアレクを見て止まるフィア。木材が擦れる音が止まったのを察して顔を上げるアレクは訝しげな表情をする。
「どうした?」
「いえ、主様だけが変な貴族というわけではないのだなぁ、と」
「馬鹿にしてるのか?」
「馬鹿になど、まさか。ただゲイルディア家というものが噂通りでは無いのだと再確認しただけです」
世間のゲイルディア家の評判を思い出しながら、アレクは口をへの字に曲げる。
評判を変えようとしない姉と父と母を思い浮かべながら、アレクは「いや、評判通りだぞ」という言葉を頭を抱えたくなる気持ちと一緒に飲みこんだ。
姉はゲイルディア家でも随一の才覚を持って生まれている。そんな姉と同じとは自分は言い難いし、父もまた姉とは――、と弁護を考え始めた所で頭を抱えた。
「どうかなさいましたか?」
「いや、内容を言わずに人に命令するのは血が原因かもしれん」
「……あぁ。随分とご苦労を……」
「やめろ。急に同情するな。憐れむな。頼むから」
恐らく似たような命令を受けたであろうフィアからの視線に、明らかに自身よりも年下の少女からの憐れみの視線に耐えられなくなったアレクは彼女を見ない様に片手で顔を覆った。
次挿絵のキャラは誰がいい?
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リヨース
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騎士ディーナ様
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シャリィ先生
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エフィさん