剣が風を斬り、音を刻む。
振り下ろし、斬り上げ、薙ぎ払う。
剣を振り続けて月が動くほどの時が流れた。それすらも気が付かない程の集中を以てして、アレクは剣を振り続ける。
自身の動きを意識し、内部で動く力を確認し、理想の精錬へと積み上げる。
追いつけない理想。幾度も繰り返し描いた軌跡をなぞる。
理想は笑うでもなく、ただただ憐憫の視線をアレクへと向け、剣も握っていない
舌打ち。避けれたと確信などできない。
自身の理想。強さの象徴。憧れと劣等の標。
嫉妬すら追いつかない。
飲み込んだ息をようやく吐き出せた。肩で息をして、深く吸い込んでから吐き出す。
瞬間、弾けるように感じた首筋の悪寒。
反射的に地面に向いていた鋒が何かに弾かれたように急速に動き、悪寒へと鋭くその身を向けた。
「おっと、危ない」
「……なんだ、お前か」
「随分な挨拶ですねぇ」
両手を肩まで上げた褐色の男は相変わらず少し軽い口調でアレクの前に現れた。
息を吐くとともに緊張を解いたアレクは男が差し出した乾いた布を受け取り流れていた汗を拭い、改めて男へと視線を向ける。
「何の用だ?」
「いえ、アレク様が夜半に訓練をなされているもので。ま、興味本位ですよ」
ヘリオの言葉をアレクはマトモに受け取らず、眉間に皺を寄せた。
この奴隷は姉であるディーナの側近にして、主の為だけに動く存在である。
主の弟である自分には興味の欠片もない事は知っている。
「まあまあ、そう邪険にしないでくださいよ。これでもアレク様にはある程度の情は湧いてるんですよ」
「少なそうな情だ」
「この国に対する想いよりもありますよ」
ヘラリと笑う男にアレクは余計に皺を深めた。
こういう兄妹であることもまた知っている。
それこそ『主であるディーナ・ゲイルディアの為である。』その理由さえあれば矜持もいらないというような人間だ。
故にアレクは苦言を漏らさざるを得ない。
「……他の貴族を前にして言うなよ」
「他のお貴族様を目の前にしているのなら喋りもしませんよ」
奴隷である身分に相応の対応をするだろう。
当然味方であるならば、彼らは喋ることすら許しを請う必要がある。
敵対している相手であれば、許可すら必要ない。語る必要性すらない。
気を許している、と言えば聞こえはいいが、そうではない事をアレクは理解している。
この兄妹は姉の剣であり、盾である。
「姉貴の下は全員そんな感じか?」
「あー、そういえばフィアに就けられたんでしたね。優秀でしょう」
「あの年齢で姉貴から信頼を得ているという点を考えれば優秀だろうな」
「おや、ご自身で仕事ぶりを見たのでは?」
見ていた。日中のアレクは散々に数字と格闘を繰り広げた。
純粋な戦闘であれば楽であっただろうが、苦戦した。
騎士団では雑に済まされていた書類。騎士団ではソレで良しとされていた。
訓練として提出した簡易な書類を何度か書き直しを命じられ、鬱憤が溜まったのは嘘ではない。
ここが間違えている。この数字がおかしい。書き損じ。他にも色々と言われた。
ソレに対してアレクは反論をせずに間違いを修正し続けた。
実際、自身が劣っている事は理解できている。比べているのは姉であり、そして現在の教師である白い少女だ。
「……どうにかならんか?」
それはそれとして鬱憤は溜まる。それはもう溜まる。
苛立ちを表にせずに師事していたが、こうして訓練に熱が入り、ヘリオの接近に気付かぬほど。
これが名のある貴族の嫡男で、自身よりも年上であったならば。アレクの苛立ちは少しばかり軽減されたかもしれない。
生憎な事に、名も聞いたことの無い、自分よりも年下の少女である。
「どうにもなりませんね。お嬢はアレク様にご期待なされているので」
「期待? 嘘だろ」
「まさか。嘘なら、アレク様は今頃俺と一緒に警邏側に回ってますよ」
そっちの方が幾分にも楽だった。とはアレクは言わなかった。
姉の考えはわからない。口では未来の当主への教育とは言っていたが。自分よりも劣っている弟をゲイルディア家を譲るとも思えない。
数巡してみた所で、自身の親族達が何を考えているかなど自分にはわからない。
世間で言われている悪評ほど悪い人間では無い事は知っているけれど。
「それでもなんであの子供なんだよ」
「それが一番効果的で効率的だからですわ。なんてお嬢なら言いそうですねぇ」
「お前には言うが、オレに伝わらなければ意味が無いだろ」
「お嬢は悪魔ですが、無意味な事はしませんよ」
それはわかっている。
それがわかっているからこそ、アレクは嘆くしかできないのである。
「オレがゲイルディアの家督を継ぐ、というのは……いまいち納得できん」
根本的にアレクを悩ませている原因はソレである。
父であるクラウスを継ぐのは優秀な姉であると思っていた。それこそ、自身は戦場を駆ける方が性に合っている。戦うことしかできない人間と言い換えてもいい。政治はからきしである。日中には少女からズタボロに言われ続けられるほどである。
だからこそ、姉の意図がわからない。
過去で殺そうとした弟に今は家督を譲ると言っている。
「姉貴が正式になるべきだろう」
「それはお嬢に言ってくださいよ」
「あの性悪姉貴や極悪親父がマトモに答えると思うか?」
「……アレク様相手なら普通に答えそうですけどね」
「まさか。それこそ偽物か疑うべきだろう」
冗談にしてはタチが悪い。どうせはぐらかされるのがオチである事は明白である。
加えて、あの姉の偽物を疑わなければいけないというのは精神衛生上よろしくない。偽物よりも性悪な現実が待っているという事だ。
少しだけ思考して、僅かな可能性を見つけて眉を寄せる。
「……姉貴の体、どこか悪いのか?」
「……今は問題ありませんよ」
「悪かったのか」
その答えはヘリオは答えなかった。答えずに、未だに明かりの点いている館の二階にある主の執務室へと視線を向ける。
自身では止められない。
自身達は主の意志に従うだけである。例え地獄に行こうが、それは変わらない。
「そう考えれば……いや、今は問題無いんだな?」
「ええ。現状は、ですけど」
「……何か心当たりでもあるのか?」
「お嬢は無茶をよくするので」
その言葉をアレクは冗談として受け取った。
完璧であり、余裕を常に持つような姉が無茶をするとは思えない。少なからず危機に陥ったとしても、全て計算の上で成り立たせているだろう。
それが無茶と見えるようにしている、と考える方が妥当かもしれない。
「納得できません」
「あら、一日目は様子見すると思いましたのに。随分と早く来ましたわね」
自身の執務室で筆を動かす手を止めてディーナは不満を漏らしたフィアへと視線を向けた。
車椅子の上で静かに膝の上に手を重ねているフィアの表情は怒りも呆れも含まれていない、淡々とした表情で自身の主へと視線を返す。
「アレクへの不満かしら?」
「あの方への不満はありません。私のような子供の言葉も聞き入れ、正論を説けば納得してくださいます」
少しばかり驚いたような表情をしてディーナは微笑み、自慢をするように口を開く。
「当然よ。ゲイルディアの嫡男ですわよ」
ディーナの言い回しにフィアは少しばかり目を伏せて、一つ息を吐き出す。
そんな溜め息に対してもクスクスと笑みを浮かべたディーナは墨瓶の蓋を閉めながら言葉を吐き出す。
「それに、アナタにとっても都合が良いでしょう?」
「……なにの事でしょう」
「今更隠さなくても結構よ。アナタは私を許せないでしょうし。理解はしているわ」
椅子に深く腰を掛けて、ディーナは指を組んで微笑む。
対してフィアは表情を崩さないように笑みも浮かべずにディーナを見つめる。
「彼はやがてゲイルディアを治めるわ。否が応でも」
「主様が適任だと思いますが?」
「アレクと一日働かせるだけで世辞を言えるようになったのね」
「あの方にも世辞は言いませんよ」
冗談よ、と苦笑したディーナはその笑みを冷たい冷徹なモノに変化させながら口を開く。
「フィアとレイは、近い未来でアレクに仕えるわ」
「私をあの方に近くに置いたのはその為ですか」
「能力を示すのは得意でしょう? それに、アナタは少し貴族と接しておきなさい」
「主様とはよく接しておりますが?」
「私以外の、よ」
尤もアレクがあそこまで軟化しているのには驚いたけれど。と小さく付け加えたディーナはクスクスと嗤いを漏らした口元を隠す。
ディーナの予測に対してフィアは少しばかり思案して、ようやく表情を険しくした。
「主様は……私たちを手放すと?」
「私がアナタたちを手放すなんてしないわ。いいえ、結果としてはそう言い換えてもいいのかしら」
「……死ぬおつもりですか」
「アナタが殺しにくるのでしょう?」
信頼しているからこそ。自身の教え子だからこそ。計算高いフィアだからこそ。
ディーナはその選択を間違いだとは言わない。先にも言ったように、理解している。
「アナタには殺されてあげられませんわ」
「まるで私以外に殺されることがわかっているような口振りですね」
「ええ。私は近い
まるで他人事のように自身の死を吐き出した主をフィアは表情を一層険しく歪める。
主が死ぬ理由を幾つか考えて、自身では予想でしかない部分を補いながら、理由を探す。
探した所で、この主がそれを正すとは思えない。それこそ部下である自身が殺しに来ると断言していても、防ぐことも、妨げようともしない。
「なぜ、とお伺いしても?」
「――私が
自身の名前を吐き出した主は笑みを浮かべて表情を隠した。
フィアは少しだけ瞼を閉じて、空気を吸い込む。
思考を巡らせ、自身の計画を辿り、瞼を上げる。
「主様の言葉は十分理解致しました」
「あら。それは重畳。なら、今の貴女の扱いにも納得してくれるかしら」
「いえ、全く。一寸も納得できかねます」
「それは困ったわね。これでも信じるに値する貴族は指折る程度しかいないのだけれど」
「ご安心ください。納得できかねようが、不満があろうが、主様のお言葉なら従いましょう」
ニッコリと笑う白い少女にディーナは笑みを返してみせた。
納得は無く、不満もある。けれども命令であるから。
フィアが執務室から出た扉を眺めながら、ディーナは一つ息を吐き出す。
心苦しさはある。自身の先の事を考えればこれが最善でなくとも、最良である命令であることも理解できている。
ディーナは眼鏡を外して、目頭を揉む。
「これでいい。この選択は間違いではない」
自分に言い聞かせるように呟き、瞼を閉じる。
リゲル、アサヒ、レーゲン、イワル――そのどれもが上手く行き過ぎた。
運が尽きた。とはディーナは考えない。むしろ向いている。非科学的な論理であるが、魔法の蔓延る世界には今更だろう。
瞼を上げる。
深い青から空に。空から緑へ。緑から赤、次は紫に。
世界を映す右目が変化しながら、ディーナ・ゲイルディアは右手を天井に翳して見つめる。
歪な魔力が刻まれた右手。意識して魔力を動かせば流動する軌跡を見る事ができる。実に歪な右手。
「……ッ」
僅かな震えを自身に隠すように、右手が握りしめられる。
想像できる未来。予想できる未来。自分が死ぬ未来。
それは必然である。それは決められた事である。
自身は――悪役令嬢なのだから。
だからこそ、全て上手くいく。その役割を果たすまでは。
だからこそ、自分は死ぬ。その役割であるから。
それが与えられた
「……それまでは、安心できる」
それからは、わからないが。世界は上手く回るだろう。
自身が上手く行き過ぎている。自分の力量を考えても、運が良すぎた。
手から零れ落ちたモノもあるが、ソレを加味しても。
どれほど自分が抗っても、世界はその通りに動く。
悪役令嬢は弟や教え子に殺されることなどない。
悪役令嬢は毅然と振舞い。完璧であり続け、主人公に負ける。
それまで、負ける事などありえない。
どれほど賽を振ろうが、硬貨を弾こうが、その結果に変化などない。
ただ一度。その一度だけ。そして一度の敗北で終わる。
「ベタな事は、新興宗教に巻き込まれて同時処断か? まあ初代勇者なんて祀り上げてるオカシイ奴らが膿だろうしありえそうだな」
自身の中でありえそうな未来を考えて、悪役令嬢は溜め息を吐き出した。
次挿絵のキャラは誰がいい?
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リヨース
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騎士ディーナ様
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シャリィ先生
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エフィさん