「――問題ありませんね」
「そりゃぁアレだけ言われたらそうだろうよ」
アレク・ゲイルディアがカチイに来て十日。アレクは自身の上司に充てられたフィアの言葉に口をへの字にしながらも応えた。
この十日。アレクにしてみれば苦行の十日であった。自身よりも年下の少女に間違いを幾度も指摘され、突き返される書類と格闘の日々。夜の心の疲労回復の為の運動にも熱が入るというものである。
対してフィアにしてみれば十日という時間で指摘するような間違いが減ったというのは素直に驚きがあった。アレクの教育環境と自身の育った環境を比べる意味もないが、もっと捻くれた矜持の持ち主だと思っていた。
自分よりも年下、さらに言えば平民でも下位に位置しているだろう自分のような出自の女に教えられているというのに反発らしい反発もせずによく飲み込み続けれたものである。
「アレク様はご優秀ですよ」
「世辞はいらん」
「世辞を言えるほど雄弁ではありません」
言おうと思えば存分に言えるが、彼に対して事実を装飾する趣味はない。
主であるディーナであっても同じ事を言うだろう。尤も、あの主が言うから皮肉にも嫌味にも聞こえるだろうが。
自分が教える事も含めて、彼は保存されている書で学ぶ事もした。だからこそ、世辞も皮肉も必要はない。
十日ほど、フィアという少女を見ていたアレクにしてみれば世辞も言えるだろうし、腹芸も得意な部類であろう。少なくとも素直で実直という性格とは程遠い。
何よりあの姉が重宝するような人材である。優秀である、という一点だけで人を傍に就けるとは思えない。腹に一つや二つ何かを抱えていてもおかしくはない。
「間違いがなければ問題無いが。少し確認したい事もできた」
「これまでの書類には何の間違いもありませんが?」
「俺が携わった物ではなく……川の氾濫による支出だ」
なるほど。とフィアは小さく頷きながら、車椅子を動かす。動かす度に木々が擦れる音を吐き出しながら、フィアは幾つかの纏められた紙を用意した。
出された紙を見ながらアレクは唸る。
「これは私が個人的に纏めているものです」
「……頭が痛くなってきたが」
「理解できる程度にはお教えしたと思いますが?」
「だから頭が痛いんだが」
溜め息を一つ吐き出して、アレクは数字が羅列された紙を手に取り、上から下へと目を滑らせる。内容は各村や街から徴収できている税と
こうして纏められ、要点を纏められているからわかるが、幾度か提出したような書類ではわからないように巧妙に隠されている。
自分が気付いたのはここに来た時に姉から渡された書類であったから。という漠然とした理由であった。それこそ姉であるディーナが単純な書類を自分に見せるとも思えなかった、というのも理由であるが。
紙一枚から不正を見抜く事は不可能に近く、政務や財務に明るくない自分では到底無理である事は理解しているが、確かめる為の試金石としては非常にわかりやすい書類でもあった。
「不正だな?」
「そうですね」
「……わからねぇな」
頭を抱えながらアレクはフィアへと真っ直ぐに視線を向ける。主によく似た青く鋭い瞳。けれど主にはない実直さが見える。
フィア自身、人物鑑定に優れているとは言わないが、大人という存在が醜悪である事はよく知っている。そんな大人達にはない、瞳である。
「なんで姉貴はこれを許してるんだ?」
「……主様が主犯だとは思われませんか?」
「あまり考えたくない冗談だな」
「冗談も言えほど雄弁ではありません」
ディーナであるならば、この不正を察知する能力も持っているだろう。それをアレクは否定しない。
だからこそ、姉が見過ごしているとも思えない。世間からの評価を考えれば誠実であるべきである。貴族であるならば、誠実であらねばならない。
そんな事はディーナも理解している筈だ。
加えて言えば、このフィアという少女も存在もわからなくなる。
実に優秀である。優秀であるが、この優秀さは姉の教育によるものであることは憂さ晴らしを付き合ってくれているヘリオから聞いている。
不当に益を得るのを目的とするなら優秀過ぎる配下が危険であることなど自分でもわかる。
こうして不正内容を纏めているのがその証拠だ。
「何故、お前は何も言わない」
「私の身分は主様に担保して戴いております」
「気付いた所でお前からの声など封じれる、か」
悪辣だな。と小さく吐き出してから頭を抱える。
優秀であるが、優秀なだけである少女。そんな少女が声を上げた所で意味などない。放逐するよりも飼い殺す。賢い姉だからこそ、納得できてしまう。
問題はそんな賢い姉が自分をこの優秀なフィアに就けた事である。
ゲイルディアの嫡子。姉自身も「アレクを次期当主に」と言っていた。だからこそ、理解できない。
黙認すると思われている。或いは気付くように仕向けているのか。
自分にあの書類を見せた事も手の平の上なのだろう。
アレクは一つ息を吐き出して立ち上がる。
「どちらへ?」
「姉貴の所だ」
「現在来客中の筈ですが?」
「知らん」
確か抱えている商人だろう。あの姉であるならば、優先順位を間違えない。
姉の手の平の上である事は理解している。理解しているが、姉の考えは理解などできない。
だからこそ、アレク・ゲイルディアは自身が正しいと思う方向に進む。
あの時、褐色従士を痛めつけていた間違いを再び犯さないように。
「姉貴。今いいか?」
「来客中よ。後にしなさい」
弟の声を冷たく拒否したディーナ・ゲイルディアは眉を寄せながら開いた扉を睨みつけた。
「いえいえ、商談はある程度纏まりました。私が退きましょう」
「……悪いわね、ゲビス」
「ディーナ・ゲイルディア様には存分に稼がせていただいておりますので」
一つ礼をして、紐で一纏めにした紙束を小脇に抱えた太った男は部屋に入ってきたアレクにも深々と頭を下げて退出をした。
大きく溜め息を吐き出したディーナは頭を抱えて、自身を落ち着けるようにカップに口を付けた。
「緊急の用であるなら構いはしませんが、商人の時は控えなさい」
「商人だとまずいのか?」
「彼らは利益という面だけで言うなら理性的な獣と同じですわ」
「それは……スマン」
「いいですわ。貴方自身も気を付けるように」
ディーナはもう一度息を吐き出してから空になったカップを置いてアレクへと視線を向ける。
「それで、商人に貸しを作る必要がある用なのかしら?」
「……俺にとっては急を要する」
「いいわ。聞かせなさい」
指を組み、冷たい笑みを浮かべたディーナに怖気ず、アレクは手に持っていた資料束をディーナの目の前に差し出した。
「姉貴がここに来てからの各村からの支出を調べた」
「あら。そんな事は命令した覚えはないけれど?」
「俺が勝手にしたことだ。通常の業務に支障は出ていない」
「ならいいわ」
出された資料束を開きもせずに手元に置いたディーナは変わらず笑みを浮かべながらアレクへと視線を向ける。
椅子に座りもせずに睨みながらアレクは眉を寄せて椅子に座って余裕の表情を浮かべているディーナに口を開く。
「明らかに多い支援金を送っているのはどうしてだ?」
「あら。気が付かなかったわ」
「嘘を言うな」
「冗談よ」
アレクの厳しい一言にディーナは流すように傍らに置いた資料を指で叩きながら笑う。
明らかに自身にとって不利な情報でありながら、ディーナは余裕を崩さない。崩す意味が無い。
「そうね。予定よりは少し早いかしら」
「何がだ?」
「私がわざわざアナタに気付かせるように資料を見せてますのよ? こうなることは予想して然るべきでしょう?」
「……これも試験ってか?」
「ええ。そしてアナタは合格ね。おめでとう」
まるで馬鹿にするように手を叩いたディーナを更に鋭く睨んだアレクは舌打ちをして、ようやく椅子に腰を下ろした。
ディーナは渡された資料をようやく開き、自分が確認したものと数値が相違ないことを確認する。
「アナタ一人で気付いたのかしら?」
「……ああ」
「嘘ね。アナタの優秀さは知っているけれど、物量には勝てないでしょう?」
「……」
「まあいいですわ」
フィア辺りが確信に至るまでの情報を提示したのだろう、と当たりをつけたディーナは口角を上げる。
あのフィアが数日で行動してきた。ある程度の信頼はこのアレクが勝ち取ったのだろう。それはアレクの優秀さの証明とこうして不正に憤っている性格が起因している。
あるいは扱いやすいと思われているのか。
どちらにせよ、予定ではもう暫くは掛かると思っていたアレクの教育とフィアとの関係性がある程度確立できたことはディーナにとって嬉しい誤算であった。
「それで説明してくれるな?」
「? 何をかしら?」
「アンタが不正をする理由を、だ」
「あら。これ全てが私が作った偽装書類だとは思わないのかしら?」
「アンタが俺の為にそこまでするとは思えん。それに……いや、なんでもない」
「そうね。それならフィアがこうしてアナタに資料を渡したのも疑問が残りますもの」
「……お見通しか」
「私の大切な部下ですもの」
フィアという協力者の名前を出さないようにしていたアレクはディーナの物言いに眉間の皺を深くした。
主へと牙を剥こうとしているというのに、主はソレを意に介さないように振舞う。自身にとっては障害にすらならないと言わんばかりに。
資料をある程度読み終わったディーナは肘を机の上において指を組み合わせる。
「さて、この不正内容についての説明だけれど……アナタが予定よりも早く見つけてしまったから、状況が整っていませんの」
「は? どういう事だ」
「今のアナタが知る必要は無い、という事よ」
「……」
「先に言いますわ。私に親族殺しなどさせないように」
「……俺が負けるとでも?」
「ええ。アナタは負けるわ。いいえ、違うわね。私が負けられないの」
他者を寄せ付けることもない笑顔で、ディーナは弟を威圧する。
アレクは唾を飲み込み、拳を握りしめて震えを抑える。
どうしようもなく、遠い存在。全てにおいて先を往く姉。
「そうね。予定が早まったことは嬉しく思いますわ。アナタには少しの間カチイを治めてもらいます」
「……は?」
「聞こえなかったのかしら?」
「いや、聞こえていたから意味がわからんのだが」
「なら理解なさい。何度も同じことを言う趣味は無いですわ」
「……姉貴がいなくてなんとかなるのか?」
「一月程度なら、私がいなくとも問題が無いことは証明済ですわね」
自身が王城に軟禁されていた期間、領地運営は問題無く行われていた。それこそディーナが戻ってきた時には事後承諾となってしまった書類が大量に置いてあったが。
その書類達の精査も終わり、新しく何かをするような事も現在はなく、災害も野盗などの被害もない。
ディーナにしてみれば丁度いい時期であった。それもまたディーナにとっては証明となってしまっている。
「補佐にフィアとベガを付ければ、アナタにも熟せる業務ですわ」
「……それで、アンタは別の不正か?」
「そうしてもいいですけれど、私には私のすべきことがありますの」
「……聞いてもいいか?」
「ええ。
少し、エルフの森へ」
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