日は落ちる。
蝋燭に薄ぼんやりと照らされた寝室で羽ペンを走らせながら仕事を終わらせていく。
書類を読み通し、問題が無ければ署名をするし、間違いや問題があればその部分を明確にしておく。翌日の仕事を楽にしているだけだから見切りはすぐにつけれる。
ありがたいことにウチの執務官たちは優秀だからオレが修正するような内容なんてそんなに無い。無いからこそこうして仕事を持ち込めるし、思考は別の場所に割ける。
以前と以後を考えれば問題はいくつもある。
俺がディーナ・ゲイルディアとして生きることを辞めることも、また問題でしかない。
レールの上から外れることは酷く恐ろしいことだけれど、それを阻まれたことにもまた意味はあるのだろう。……こういう部分を変えなくてはいけないのは理解しているのだけれど、理解をそのまま実践するのは難しいことだ。
意味のある死。その為の生。客観的に色々と言いたい事はある。
それが自分であるという点が救いようがないのだけれど。
救われるつもりもなかったというのに、結果としては救われたのだろうか。それとも貶められたのか、辱められたのか。どちらにせよ、俺が志していた物は頓挫した。
たった一度の敗北で頓挫する物だった。そんな決意はさっさと捨てるべきであるのだろうが、その一度の敗北こそが俺を全て否定したし、俺自身の矛盾を叩きつけた。
小さく、溜め息を吐き出してから瞳をペン先から今しがた開けられた扉へと向ける。
「それで、どうしてアマリナがそこまで萎れているのかしら」
「……ディーナ様は、お怒りだと思っていますので」
罰を与えるために呼び出したアマリナは見事なまでにションボリしていた。無表情だからわかりにくいけれど、普段だったらすぐに俺の横に来るのに来ないし。
きっと犬耳と尻尾があれば垂れていたに違いない。
叱る内容もあるにはある。
アマリナ視点で言うなら、俺を裏切っているわけだし。
「……申し訳ありません」
「なぜ謝るのかしら。貴女の意思で動いたことでしょう? こうなる事も、可能性としては十分に考えられた筈ですわ。考えられなかった、などとは言わないわよね?」
アマリナは賢いのでそういう部分は見えていた筈だ。俺の買い被りかもしれないけれど。
それでもアマリナは俺を裏切った。裏切ることにした。裏切らなければいけなかった。
俺が仮に怒っていたとして、彼女を捨てる。という選択肢もアマリナには見えていた筈だ。以前の俺の思考で言うなら、自分を裏切る存在を傍に置いておく意味もないだろう。捨てはしないが殺したいた筈だ。
「わたしは……ディーナ様をお慕いしております」
「……ええ。答えとしては間違えているけれど、知っているわ。知っているからこそ、今こうして貴女がここにいるのよ」
ペッショペショじゃん……。仕方ないことだけれど。
覚悟をしていただろうけど、いざ目の前にするとそうなるのも理解できる。覚悟が足りていないという意味ではなく、自身の心を騙しきれていないのだろう。
死よりも俺からの好感度の方が比重が大きいのは問題かもしれないが……。
何にせよ、俺ならそうならないように行動すらしない。
そういった点は羨ましくもある。
「貴女の行動は世間的に見れば褒められた行為ではありませんわ。奴隷が主に楯突くなんて、愚かで馬鹿な行為よ」
「……はい」
「けれど、私は否定しないわ」
そもそもは悪役令嬢を全うしようとしていたオレが悪い。悪いことをした。悪役令嬢であるから。悪役令嬢であるべきであったから。
だからアマリナの行動が世間的に間違っていようが、俺としては間違っていないと断言もできる。悪役令嬢であるディーナ・ゲイルディアなら否定的な感情を抱くべきだろうけれど。
「貴女も悪い娘になったわね」
主に歯向かう悪い子。自由意思によって決断した奴隷。与えた役割を飛び越えた彼女。
羨ましく思うし、敬うに値するものだし、褒めるべきものだ。
ディーナ・ゲイルディアとしての汚点。噂され続け、理想を追い求めていた悪役令嬢としての欠点。愚かな思い込みの鳴れの果て。
「そんな
口から溢れて言葉は飲み込めなかった。
今までなら飲み込めていただろう言葉。吐くにしても予想と予測がありながら吐き出されていた言葉。
そんな呟きを聞いて、アマリナは俺の前まで寄って跪き、俺の左手を両手で持ち上げる。
「ディーナ様が死ぬその時まで。お傍においてくだされば」
手の平に押し付けられた唇。意志を宿した青の瞳が俺に向く。
だから俺はいつものように笑みを浮かべる。
「ありがとう」
単なる確認でしかない。けれど確認しなくてはならないことであった。
アマリナがそう言うことはわかっていた。わかっていたけれど……それは俺の想像上のアマリナでしかない。
だからこの確認は……自己満足であり、自分の汚い欲求であり、誇るべきものではない。
こんな不安ならば、と逃げ出した気持ちは未だにあるし恐怖もある。
煩わしく、鬱陶しく、面倒で、そして俺には必要な問答。
俺にとって必要だった物である。
アマリナがそのまま手首とかに唇を落としているのを優しく解きながら触り心地のいい頬を撫でる。
目を細めて成すがままにされている彼女は実に犬っぽい。もう犬耳とか生えてないか? 幻覚か……。
さて話は戻さなくてはならない。
それは貴族としての義務であるし、俺とアマリナにとっても必要なことだ。
コホンとひとつ咳払いをして意思をもって口を開く。
「話を戻しますわ。貴女の問いに答えるなら。私は怒っていませんわ」
怒っていない理由を説明してもいいけれど、今のアマリナにも今の俺にも必要なことは事実の確認だけである。
必要性のない説明は省かれるべきであるし、彼女に嘘を言う必要もない。
彼女にも言っていないことはあるが、俺がこういった喋り方をしている理由もアマリナは理解しているだろう。
「それはそれとして。私が怒っている怒っていない、どちらにせよ罰は対外に向けて行う必要があるわ」
「お好きに傷つけていただければ」
「そういう思い切りの良さは教えた覚えはないし、無駄に傷つけるつもりも無いのだけれど」
傷つけるつもりは毛頭ないが、それでもアマリナへの罰はわかりやすくしなくてはならない。
罰でありながら、褒美でなくてはならないし、罰だとわかる必要がある。
「貴女には首輪を着けるわ」
「首輪、ですか……」
「正確にはその首に魔法式をそのまま刻み付けるわ」
それが必要な場面に陥るとは思わないし、俺よりも魔力も膂力も速力もあるアマリナに必要かと問われると首を傾げてしまう。
保険であり、俺の為であり、アマリナ達との繋がりを強くするものでしかない。
「尤も、人体への影響は不明だからすぐとは言わないわアレクに魔力を流し込んだ時に異常は無かったから大丈夫でしょうけれどまだ仮定の領域は出ていないわ机上理論としては未熟ですし思考実験もままなら……いえ、詳しいことはいいですわ」
アマリナの顔がキョトンとしたものになったことに気付いたので制止する。危ない危ない。
モニモニとアマリナの頬を揉んでいた手を彼女の頭に乗せて撫でて誤魔化す。
問題は無いだろうけれど、現状の俺がするにはいささか拙い。今だって万全とは言い難い。
自分の欲求と好奇心のために喪うとか洒落にもならない。これが他者であるのなら好奇心を優先しただろうけれど、それも俺の体調が戻ってからだ。
アレクに施した物は魔法式を刻んだものではないが、他者へと送り込むことで人体がどういった影響が出るかはアイツで判断もできる。療養はアレク自身のためでもあるが、俺の研究のためでもある。
魔力を込めない魔法式なんて、単なる事象の方式なだけだから問題らしい問題はないだろう。刻む予定の魔法式は魔力を貯蓄するための予備電源みたいなものだ。俺がアマリナ達から魔力を受け取れるワケでもないので、俺に得があるわけでもないし、そもそも魔力がそこそこ……人並み以上にあるアマリナ達には必要の無いものである。けれど俺の為のものだ。
貯蓄過多でオーバーフローとかして破裂なんてことも想定しないといけないから慎重にもなる。余剰分は生体が元々そうであるように外部へと還元されるように組まなくてはならない。
「あの、ディーナ様?」
「……ごめんなさい。考え事をしていたわ」
アマリナの声で思考の旅が終わる。
今すぐにどうこうする話ではない。アマリナに施すにしても時間と手間と体調と理論は必須である。
陛下とか他貴族に痛くもない腹を突かれる前には施さなければいけないから制限はあるが、元気はない。綺麗な式としての起源は作っているが以前の俺が作ったものでしかない。ハッキリといえば技術的にも未熟でしかない。仕方ない。
「何にせよ、私の体調を戻してからね」
「ベッドにお運びしましょうか?」
「……先に言うけれど、一緒に眠るだけよ」
なんで残念そうな顔をしてるんだ?
こっちは怪我人で病人でもあるんだぞ。医者にも仕事をしてていい顔されてないんだからな。
日はまだ顔を覗かせない。
薄闇の中でヘリオは一心不乱に剣を振るう。
自身を咎めるように。自身の感情を忘れるように。
手が出せないことの歯痒さに直面したのは何度もある。けれど、今回に関しては効いた。
どうしようもなく、後手であった。
自身のすべき行動であった。
そんな意思を消すように。
振るう。
振るう。
振るう。
ディーナ・ゲイルディアという女は出来の悪い剣である。
その剣が、切れ味の無い剣が無理矢理に自身を研ぎ、あらゆる物を両断しようとしていた。
他者から見ればそれは杜撰で無謀な挑戦であったし、ヘリオもそれは否定するつもりは無い。
どこかで折れる。或いは折れる事を本分とした剣。折れることを目的として剣。
ディーナ・ゲイルディアという女はそういう女である。
「精が出るわね、ヘリオ」
「……お嬢でしたか」
「あら、振り向く前から私だとわかっていたのに、随分な言い方ですわね」
体の線が見えるほど薄い布を纏い、失った右腕を隠すように胸下あたりまでを覆う袖なしの外套を首に巻いている金髪の女。
第三者から見れば変わらず悪意のある笑みを浮かべている女領主。ヘリオの主であり、世間に悪の女と噂される貴族。目的を失った装飾剣。
自身が振るっていた剣を下ろし、手拭いで汗を拭く。ふわりと吹く風が心地よくヘリオの肉体を冷ます。
「で、体調はいかがです?」
「それなりよ。仕事には支障はないけれど、鍛錬をするには不足があるわね」
「お嬢のその言い方は無茶をしてる時の言い方だろ。ちゃんと休んだ方がいいですよ」
「私が休んでも問題なければ休むわ。いえ、問題は無いのだけれど、私が休めばその分だけ問題解決が遅れるでしょう?」
「その問題は無いんでしょうが」
「今は、ね。けれど生きている領民達からの問題は溢れんばかり。ある程度の解決策はあるけれど、決定するのは私よ」
それでアンタが倒れたら元も子もないでしょ。と溜め息混じりに加えたヘリオは剣を握り直して虚空へ振るい始める。
空を斬る音が幾つも鳴り、ヘリオの意識が次第に集中していく。
幻影のように敵が現れ、対応する。対応し、対策し、新たに対する。
「ヘリオは不満そうね」
ピタリと振るっていた剣が停止する。
幻影として現れていた主の弟が霧散し、射るような視線が自身へと向けられている。心を見透かすように、或いは咎めるように。
「私の計画は貴方は気付いていたでしょう」
「そりゃぁ、どれだけお嬢を見てると思ってるんですか」
「そうね。アマリナも一緒よ」
「……」
「アマリナが動かなければ、貴方が動いていたでしょう?」
否定はしない。アマリナという存在はディーナにとって特別であった。
だからこそ、ヘリオは少しだけ後悔もしている。アマリナが動いたことに驚きもしたし、アマリナが動いてしまったことに自身を戒めたくもなった。
ヘリオに許されている分量だけの手助けはした。けれど、所詮はそこまでなのだ。
「そういう役回りはオレの役目だと思ってたんで」
「そうね。貴方には損な役を幾つもさせてましたし。けれど、貴方もアマリナも一緒よ。私の特別な従士でしょう」
「……女々しい悩みですよ、どうせ」
「ええ。悩むな、とは言わないけれど貴方は貴方にできる限りをした。それでいいわ。
……それに貴方がその立場でなければアレクは負けていたでしょうし。いえ、そうね。負けているんでしたわ」
何がおかしいのかクスクスと自身の言葉を訂正した主にヘリオは苦い顔をしてしまう。
自身にできる限りをした。けれど、それはディーナを助ける要素にはなったが主を救う要因とはならなかった。
保身ではなく、主が勝った場合に隣に誰もいなくなることの方が問題であるとヘリオは感じたからこそ、そこまでしか手を貸せなかった。もしも自分がアマリナの立場あったのならば……。
自身でも女々しい悩みだと断じたから、答えのない不満で、悩みである。
「貴方はよくやってくれているわよ」
「……お嬢のそういう所は苦手ですね」
「悪の女だもの」
答えがない不満だからこそ、答えの出ない悩みだからこそ、答えを与えてくれる。
考えはする。答えは出ている。主に与えられた。悔いとして抱えはするが、悩みではなくなる。
溜め息を大きく吐き出して剣を鞘へと収める。
「お嬢ならアレク様にも勝てたでしょう。負けるつもりで戦ったんですか?」
「あら、彼を侮っているのかしら? 私に決闘で負かすだけの力量はありますわ」
「アレク様がシュタールより強いとも思えないんですが」
「……そうね。レーゲンの方が幾分も強かったわ。意思も、魔法も、剣術も。きっと彼が未だに生きていて研鑽していたら足元にも及ばない程」
それだけあの化け物は強かった。
けれど、結果としては化け物には勝利した主はそれより劣る弟に負けた。
「ヘリオ。私は本気でしたわ」
「……すいません」
「謝る必要はないですわ。少なくとも、アレクとは決闘でしたもの。殺すための魔法は使えないでしょう」
「でもアレク様はお嬢を殺す気だった筈ですよ」
「それはディーナ・ゲイルディアを殺せない前提の意思ですわ。私もアレクを殺すつもりでしたし、お互い様よ」
殺すつもりではあったが、殺すための魔法は使用していない。それは決闘に相応しくないから。この主はきっとレーゲンに用いた氷結の魔法も用いていないのだろう。
不可視の風の刃。それだけでも脅威であるし、殺人に用いることは容易い。ディーナも同様に"ソレ"でアレク・ゲイルディアという存在を殺せないと思っていた証明でもある。
だからこそ。
だからこそ、ヘリオの口から出そうになった言葉をディーナは止めた。
飲み込まれた言葉はヘリオへの侮辱にあたり、ディーナの本意ではない。あの時、あの瞬間のディーナは自身の本気であった。全力ではなかった。それだけだ。
「それでも私は負けましたわ。ヘリオの意思が強かったのか、それとも……いえ、無益な問答でしかありませんわね」
「お嬢は、これからどうするんですか?」
「そうね。好きな人間を連れてカチイに引き籠ろうかしら」
冗談めかして言葉にしたディーナはクスクスと笑う。
どうしようもない悪女のように。諦めた思い込みを否定する為に。叶うはずもない言葉を口にする。
主の性格を存分に知っているヘリオに言わせれば、そうあってほしい。と願ってしまう。願ってしまう程、ゲイルディアという血も、ディーナという女も、そんな事を許されない。
「……あまり鍛錬を止めるのも悪いわね」
「それよりお嬢の体が冷える方が問題でしょうよ」
「あら。貴方が温めてくれるのかしら?」
「そういうのもアマリナの役目ですよ」
「昔はよく一緒に寝たじゃない」
「いつの話をしてんですか……」
思わず頭を抱えて溜め息を吐き出してしまう。
ヘリオの感情を度外視して、こうして無意識に魅了してくるのも主の悪い癖である。他の男にはしていないのはわかっている分、余計に頭を抱えてしまう。
お互いに幼ければ許されていた同衾も、今すればどうなるかなどわからない。主にヘリオ自身が。
クツクツと喉を震わせて嗤うディーナは思い出したように……そう、思い出したように口を開く。
「ああ、今一度聞きますわ。あの時は地獄まで着いてくる、と言ってくれましたけれど。どうやら地獄には行く予定が無くなったわ」
「……」
「それでも、
「剣が折れて、オレが死ぬまで。上手く使い続けてくだされば」
いつかのように、ヘリオは主の前に傅いた。
彼女が前に出した左手の甲へと唇を落として誓いを口にする。
まがい物の騎士の偽りの誓いであっても。自身が心に誓った契りを違うことなど無い。
「ありがとう」
「……おや、体調がやはりよろしくないですね。顔が少し赤くなっていますよ」
「そういう口を主に利くようには育てたつもりはありませんわ」
持たれていた左手を払うようにしたディーナはこれ以上顔を見せないように踵を返す。
珍しい顔を見れた、とクスクスと笑ってしまうヘリオの方を振り向かないようにディーナは歩き出す。
日が昇り始める。
黄金色の髪が光に照らされながら、風に揺られた。
次挿絵のキャラは誰がいい?
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リヨース
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騎士ディーナ様
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シャリィ先生
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エフィさん