ディーナ・ゲイルディアからの呼び出しというのは実に悲観的に映るらしい。
車椅子を動かしていれば同僚からは憐憫の視線を向けられ、給仕たちからは普段よりも優しく扱われる。
湯殿で隅々まで洗われた挙句に「ゲイルディア様に何かされたのなら話は聞く」とも言われる。給仕たちにしてみればディーナ・ゲイルディアからの呼び出しというのは認識として
呼吸をする度に鼻腔を刺激する香り。
何の花だろうか。それとも果実の香りであろうか。
髪や肌に丹念に塗りこまれた香油はきっと主様の好みの香りなのだろう。
こうして入念に準備された自分はさながら生贄か。
キリキリと鳴く車椅子に乗りながら自嘲する。
捧げられる相手はおとぎ話の竜種ではなく、おとぎ話から出てきた魔女と噂される人であるが。
レイには全てを伝えていない。
伝えれば……あの子のことだから私を逃がそうとするだろう。お互いに主様に恩を感じているが、あの子はそれ以上に私に恩を感じている。
自分がしたことは主様に対する裏切りであるし、それにあの子を巻き込みたくはなかった。言えば、あの子は私と一緒に罰を受ける立場になっていただろう。今のレイの環境は、以前と比較するのも馬鹿らしくなる。
だから言えない。
それに逃げ出したところで、勝算などない。
あるいは、主様の性格を考えるのなら私が逃げても追わないかもしれない。
その場合はレイだけがこの場に残り続けることになる。ある種の人質と言ってもいい。
レイも一緒に逃げればそうはならない。けれど、レイを今の環境から離すことになり、それはレイに不幸な選択を強いてしまう。
……それにこれは主様の性格だけを考えた時のことでしかない。
貴族という……立場を考えれば、探されて殺されるだろう。貴族とはそういう存在である。
あの主様がそうするとは思えないが、そうせざるを得ない場合もある。だからこそ、主様の出した「過去も未来も捨ててディーナ・ゲイルディアの物になれ」という文言は主様なりの慈悲なのだろう。
想定される結果が奴隷であることを除けば。
涙を流し、許しを請えば。
主様を舌戦で負かすことができれば。
希望でしかない。
それこそ主様の性格を考えれば、という話でしかない。そうせざるを得ない状況を作り上げたのは他ならぬ自分である。
アマリナさんやヘリオさんのように。
これもまた希望でしかない。
幼い頃からの奴隷であるアマリナさん達と同じ扱いなどされる筈もない。
使い捨ての玩具。
都合のいい肉袋。
貴族の奴隷というのはそういう物でしかない。
唯一私が救われているのは、ディーナ・ゲイルディアの奴隷である点と、ディーナ・ゲイルディアが私の知る貴族像とは逸脱している点。それだけだ。
死すらも覚悟していた筈なのに、こうして奴隷にされることへの恐怖が溢れてくる。
自身に刻み付けられた恐怖が足先からジワジワと胸元まで伸びてくる。
何度、深く呼吸を繰り返しても震えを止めることはできない。
自身に塗布された香りですら、恐ろしい。
自分が捧げられることを明確に意識させてくる。
死よりも恐ろしい。
それでも震える手は車椅子を鳴らし、主様の寝所へと動かされる。
目の前の扉は普段よりも大きく、重く見えてしまう。
大きく息を吸い込んで、吐き出す。震える手を握りしめ、震えを止める。
「入りなさい」
扉を叩こうとした手が直前で扉越しの声に止まる。
まるでここに私がいるのを既に知っていたかのように、鋭く冷たい声が耳を打つ。
扉を開く前に、もう一度だけ深く呼吸をする。
笑みを作り上げる。
気丈に振舞うべきである。自身は恐れてなどいないと言い聞かせるべきである。
恐怖することは貴族にとって悦びであるのだから。
扉を開けば、強い香の匂いが拡がる。
机を挟んで長椅子に座っている金色の悪魔の鋭い視線が私に向いた。
薄手の布に身を包んだ完璧であった美しい悪魔。その右肩には真新しい包帯が巻かれ、先は無い。
部屋に入ればひとりでに扉が閉まり、ごうごうと耳の奥が鳴る。
「逃げ出さずに
「……はい。覚悟をもって動いていましたから」
深い青の左瞳と何色にも見えてしまう右瞳。そのどちらもが私の意識を飲み込むように私を捉える。眼鏡越しであろうが、関係なく。
喉が詰まったように、上手く息ができない。浅くなりそうな呼吸を気取られないように、唾液を飲み込み無理矢理正す。
笑みを崩さない。崩せない。
「ではコレに血判を捺しなさい」
「……」
「アナタの名前に相違ないでしょう?」
机の上に出された奴隷契約書と煌びやかな装飾のされた短剣。
契約書に書かれた名前は懐かしさも感じる名前だ。
レイや他の人たちから呼ばれるフィアという名前ではない。
今はもう、誰も呼ぶことのない私の名前。
「……ご存じだったのですね」
「知ったのはアナタを雇った後よ。これを作った仲の良い奴隷商から聞きましたわ」
「そうですか……」
「けれど、その名ももう関係ない話よ。今から本当に捨てるのだから」
知る筈であった商人の横の繋がりに苦笑する。
私の過去。矜持であり、恨みの根源。
この契約書は主様の言う通り、『過去も未来も捨てる契約書』だ。偽ることも、騙すことすらできない。
「覚悟はできていたのでしょう?」
美しく、妖しく、嗤う悪魔。
世間の評判よりも幾分も恐ろしい主様。
覚悟はしてきた。
今この時よりも、さらに昔に。
覚悟は、できていた。
鞘から抜いて、柄を強く握る。
ディーナ・ゲイルディアを見れば、冷たい視線が私とかち合う。
刃に親指を押し当てれば、切れ味のよい刃が皮膚を裂いて、遅れて痛みが拡がる。
親指にじわりと溢れ出る血を見ながら、空気を吸い込んで、細く吐き出す。
引き返せなくしたのは自分である。
契約書。隠していた名前。呼ばれなくなった筈の名前の隣に親指を押し当てた。
「――これでフィアは死に、アナタは私の奴隷となったわ。これから先、足先から髪一本、命に至るまで私の物ですわ」
満足気に契約書を見た悪魔はやはり嗤う。
奴隷になった事実を明確に突き付けてくる。たった一片の自由すらも貴様には無いのだと。矜持すら。恨みすらも。
「これより、フィアと名乗る事を禁じるわ。そうね……シエナと名乗りなさい」
「はい、ディーナ・ゲイルディア様」
アナタはベリルではないけれど。と付け加えた悪魔に応えれば、どうにも眉を顰められた。
少しだけ思考するように顎に手をやったディーナ・ゲイルディアは「ああ」と納得したように口を開く。
「アナタを奴隷に落とした理由はアナタの経歴……その全てを消す必要があったからですわ。私の奴隷として扱うし、先にも言ったように私の物ではあるけれど今までの扱いを変えるつもりはありませんわよ」
「……は?」
思わず惚けた声が出てしまった。
どうにもその様子がおかしかったのか、ディーナ・ゲイルディア様は申し訳なさそうな顔をしながらも、少しだけ笑みを浮かべて言葉を繋げる。
「気負ってしまったのならごめんなさい。アナタは気が付いていると思ったけれど……そうね、シエナの想う貴族像であるなら、確かに」
張りつめていた空気が弛緩する。
体の力が抜け、車椅子がギィと鳴いた。
「先に申していただければよかったのに」
「アナタなら気付くと思っていたのよ。私の知るアナタはとても優秀ですもの」
それでも一言あってもよかったのではないか。と口に出しそうになるが、主様の立場を考えれば口にすることはできなかっただろう。
私がしたことはそういう事であるのだから。形式的に必要、などとは言えない。特に誰が聞いているかもわからない場所では。
ようやく内容を知った私に安堵と疲労感が一気に押し寄せてくる。
奴隷という事実は変わらないが、それでもこのディーナ・ゲイルディアが私の想う貴族像とは逸脱しているのを明確に理解させられる。
「奴隷として不自由することもあるでしょうが、シエナの肉体も魂もその全ては私の物なのだから、手を出した人間は全てこのディーナ・ゲイルディアの敵ですわ」
「……ありがとう、ございます」
「だから貴族を恨むな、とは言わないけれど。暫くはシエナとして生きなさい」
やはり、全てを知っているのだろう。
だからこそ私の過去を消す必要があったのだろう。
自身の庇護下に無理矢理入れて、私をどうするつもりかはわからない。
けれど、この恐ろしくも優しい悪魔の庇護下というだけで安心を得てしまった。
奴隷契約という、自身ではどうすることもできない鎖こそが、安心の象徴となってしまった。
「さて、形式的な罰は以上ですわ」
「……では、私はこれで」
「何を言っているの? まだシエナ自身の褒賞の話をしていないでしょう?」
「……は?」
何を言っているかがわからず、口を開けてしまった。
私に与えられるべきは罰だけだろう。けれど、この主は褒賞を与えるという。意味がわからなかった。
「なぜ?」
「なぜ、と言われても。アレクが私に決闘を仕掛けたのはアナタが描いた絵図でしょうに」
「けれど主様が勝ったのでしょう?」
「アレは私の負けですわ。アレクがその褒賞として勝ちを私に譲ったことになっているけれど」
主様はそう言葉にして少し考えてから「いや、褒賞でとは言ってなかったかしら?」と小さく呟いていたが、それは気にするべきではないだろう。
奴隷という庇護下に入れてもらい。さらには褒賞など、と口走りそうになるが、噤む。
少しだけ考えて、恐る恐るに声を出す。
「では、一つだけ」
「ええ。私にできる事なら」
「主様は何故あのような計画を?」
主様の目が細められる。
少しの沈黙の後、大きく溜め息が吐き出された。
「そうね……シエナは私の奴隷だから知る権利と義務もありますわね。シエナはどこまで認識しているのかしら?」
「主様が国家転覆を企んでいた事。その結果として主様自身が死ぬこと」
「……まず一つ。ここから先、私が言う言葉に嘘はありませんし、正しくシエナの質問に答えるわ」
「はい」
「二つ、私は国家転覆など考えてませんわ。少なくとも今の国家に対して不満はありませんもの。貴族や魔法使いたちには言いたい事はあるけれど、陛下に背くことはありませんわ」
肩を竦めて主様は口にして、どこか可笑しそうに笑う。
国家転覆を考えていなければ、余計に意味がわからない。けれど、主様の言葉をそのまま受け取るのならばそこに嘘はない。
「三つ――この場に私とシエナ以外がいれば殺しますわ」
「……?」
まるで誰かが存在しているように宣言した主様は冷たく笑みを浮かべていた。
辺りを見渡しても、部屋の隅にも誰もいない。そうであっても主様はそう口にする。ごうごうと耳が鳴り、髪がふわりと揺れる。
「二度は言いませんわ」
さらに冷たく、鋭い声が吐き出される。
その瞬間に閉じられていた窓が勢いよく音を立てて開いた。外に開いた窓から夜の空気が入り込み、張りつめていた空気を弛緩させるように主様が息を吐き出した。
「誰かいたのですか?」
「今は私とシエナだけよ」
開かれた窓を左腕だけで閉じた主様は改めて長椅子に体を預ける。
少しばかり、天井を見てから私の方へと顔を向ける。
「何のために生まれて、何をして生きるのか」
そう口にして主様は自嘲するように鼻で笑う。
小さく、本当に小さく「正義の味方にすらなれないのに」と呟いた主様の表情は何を考えているかもわからない。
恐ろしい評価通りの笑みでもなく、アマリナさんたちに向けるように優しくもなく、どこか馬鹿らしく愚かしい物を見るように笑い、頭を振る。
「そうだな。まずは義務から説明しておくか」
変わらずの声。女性らしい高い声でありながら、その口調は変化する。
貴族の女らしいその口調が、市井の男性のような気軽な口調へと。
違和感がある筈なのに、まるでそれが当然のように振舞う。
「
「――ご冗談を」
「なんだ? 冗談を言わない、とも宣言したほうがよかったか?」
先の宣言を信じれば、それはきっと、真実なのだろう。
そして冗談でも無い。ともすればこの目の前の人間はディーナ・ゲイルディアという人間であり、そして男として生きていた存在でもある。
「……あー、
「……構いません。奴隷に気を使うのもおかしいでしょう」
「言い方に随分と棘があるなぁ……」
口をへの字に曲げて不満気にする顔はディーナ・ゲイルディアらしくない表情である。
普段浮かべている冷たく威圧感のある表情ではなく、柔らかく、けれどその姿はディーナ・ゲイルディアで相違ない。
こうして男としての自分ではなく、普段の様相に戻そうとしたディーナ・ゲイルディアに少し棘のある言い方で止めてしまう。
思考を纏める。
「さて、俺である時の話は……まあ必要ではないか」
「主様が男であった……元々男として生きていた人間ということは理解はできませんが、納得します」
超常現象ではある。意味の解らない原理である。
けれど、主様の言葉を信じるべきなのだろう。それこそ奴隷として。主様の奴隷として生きていく上で。
主様自身が言ったように、これが義務なのだ。
理解や納得などは自分には必要はない。
「先に言っておくが、俺は二重人格でもなければ、ディーナ・ゲイルディアを演じてもいない……いや、まあ、演じていたと言っても正しいか」
どう言うべきかな、と迷うように呟いたディーナ・ゲイルディアは少しだけ考えるような素振りをして、諦めたように微笑む。
「まあ、生まれた時から意識があったからな。ディーナ・ゲイルディアという人間に成ろうとしていた、が正しいか」
一人で納得したディーナ・ゲイルディアの言葉には矛盾がある。
ディーナ・ゲイルディアという人間であるディーナ・ゲイルディア本人がディーナ・ゲイルディアに成ろうとした。
既に成っている者に成ろうとした。
「成ろうとしていた、ということは成れなかったのですか?」
「見事にお前達に道を潰されたからな」
「……」
「責めてるわけじゃないぞ。いっそ清々しいな」
心底面白そうに顔を歪めるのはディーナ・ゲイルディアらしくなく。ディーナ・ゲイルディアのようにクツクツと喉を鳴らすように笑う。
それが今目の前にいる、ディーナ・ゲイルディアを名乗る存在である。
「本当はリゲルに婚約破棄された時に役割は果たしたと思っていたんだけどなぁ」
「……けれどそうではなかった」
そうであったのならばディーナ・ゲイルディアは動かなかった。
曖昧に笑いながら天井を仰いだ存在は小さく溜め息を吐き出してから改めて私へと目を向ける。
青い瞳と何色にも見えそうな右の瞳が細められる。
「レーゲン・シュタールを殺せてしまった」
「アレに間違いはないでしょう」
「客観的に見ればな。けれど、俺にとってアレは別の意味に見えた」
「……」
「完璧過ぎた。上手く行きすぎた。まるでクソみたいな導きで、それが正しいように。殺せてしまった」
そうなるように動いたのだから。そう動かしたのだから必然的な結果を得た。それだけの話でありながら、ディーナ・ゲイルディアは悔いるように吐き出す。
「アレは最強を象る化け物だった。自身を最強と信じ込んだ魔法だ。想像魔法一つの到達点であり、美しく、素晴らしい化け物だったよ」
「……主様の魔法論文が正しければ負けるはずがない」
「信じていたものを覆された気分だったよ。お陰で
以前まで書いていた論文を燃やした理由に繋がるのだろう。
あの論文すら、ディーナ・ゲイルディアやシャリィ・オーベが求めた結論ではない。想像魔法の枠を越えることができなかった。
自身が扱うものは魔法式から算出された魔法である。そう信じていたからこそ扱えていたものを自身で否定してしまった。
だからこそ、ディーナ・ゲイルディアは勝利した。
「レーゲンを倒して全能感に浸れる性格であったならそうはならなかったし、殺したことに意味を求めて、ディーナ・ゲイルディアという役割に逃げた」
結果が今に至る。
あの時点でディーナ・ゲイルディアを止めなければどうなっていたかなど。この人が想像し、理想としていた『完璧なるディーナ・ゲイルディア』がどういう行動をしていたかなんて想像に難くない。
世間的な風聞や評価で想定すればいい。問題は止める事が不可能であることだけだ。
頭の中で纏めながら、少しだけ引っ掛かる。
仮に……いや、本当にディーナ・ゲイルディアが二度目の人生だとしても。二度目の人生であるからこそ。
「……主様の言う役割とは?」
「
「……アナタならご自身の好きな事をしても問題ないでしょう」
「責務よりも大事とは思えなかったからな。大いなる力には相応の責任を伴う。俺の場合は転生という事象もそうだし、貴族という立場もそうだけどな」
好きなように生きれただろう。それこそ貴族だ。二度目の人生であるのに。
生まれた瞬間から意思があり、自身の役割を受け入れてしまった。それを義務だと自身に言い聞かせて、それを全うする為だけに生きていた。
ただ責任を果たすためだけに。自身すら封じ込めて、ディーナ・ゲイルディアへと成ろうとした。そう在ろうと道を描き続けた。
――それを私が閉ざした。
「もう一度言うが、責めてはいないよ」
私の思考を読み取ったように、彼女は微笑んだ。
自身の生きていた道を閉ざし、役目を奪ったというのに。
「今見ても、いや、前からだけれど。愚かではあったよ。客観的に見ればな。そう感じてはいたが、俺が行動してしまっても、俺はそこから抜け出せなかった。思考的な問題でもあるし、クソだろうと俺が
「……結果論でしょう」
「
力が抜けたようにふわりとディーナ・ゲイルディアは笑う。
悪の女と噂されている女を自身で否定するように優しく笑んだ。
愚かな人だと思う。
自分で変えられる力を持ちながら、それを行使できる権限を持ちながら、責務によって動けなかった人。
責務に対して存在を賭け続けることをよしとし続け、自身の命すら資源として使用し続けた。
愚かな人。
責務により生きていた愚かな存在が、今はその責務を放棄した。
私がそうさせた。
「さて、これを聞いたシエナは改めて俺をどう思う? お前が仕えるべき主であるか? 違うのなら、まあ暫くはそのままだが、時期を見て自由も与えようとは思う」
「……はぁ」
「おい、なんで溜め息なんだよ」
どうにも理解していない
強制できる力を持っているのにも関わらず、それでも私を想ってしまう優しい人。覚悟をもって責務に従事し続けた狂人。
その責務を捨てさせた私はこの人を見続ける義務がある。
この義務は放棄することもできる。それこそディーナはその選択肢も与えてくれる。
だから、これは
「
車椅子の上であるが、胸に手を当てて頭を下げる。
ふわりと髪が揺れて花の香りがする。ディーナ・ゲイルディアが好きだと思われている香り。ディーナ様は何の香りが好きなのだろうか。
そんな自分に内心自嘲して、けれど部屋に入る前にあった黒い澱は
「ディーナ様を勝ち馬に乗せるのが、私の役割ですよ」
「……今、その言い方は卑怯だな」
否定できないように。私の自由意思であるけれど、ディーナ様が言う義務のように。
私が微笑めば、ディーナ様は苦い物を食べたように口を歪め、一つだけ溜め息を吐き出してから微笑んだ。
お互いに笑ってはいる。少し前なら私は探り合いだと錯覚していただろう。
「まあ見捨てる場合は俺を殺してくれよ」
「殺されてくれるまで生きていただけけてくれるのであれば」
「……俺は無茶をしているつもりはないんだけどなぁ」
どうにも居心地が悪そうにするディーナ様に少しだけ笑ってしまう。
この人にとっては責務を全うすることは当然のことだから、それは無茶に入っていないのだろう。
だから『無茶はしていない』と言うのだ。
きっとそれは今から変わっていく。変えていかなくてはならない。
愚かなディーナ様を支える為に。
「さて、話はこれで終わりでいいか?」
「はい。これで私の褒賞はいただきました。これからもよろしくお願い致します、ディーナ様」
「ああ。こちらこそ。それでは主として最初の命令を出そう」
ニヤリと笑ったディーナ様は右腕を少し動かして、溜め息を吐き出してから左手の指を鳴らした。
浮遊感。どこに掴まれるわけもなく、座っていた車椅子から離れ、空中へと浮かされてしまう。浮かされたまま、風に吹かれる花の種子のように、ふわりと部屋を流れ、寝台へと優しく降ろされてしまう。
「そういえば自意識は男でありましたね」
「抱くつもりはねぇよ。もう少しメシを食ってから出直せ」
冗談のように言えば、溜め息混じりに返されてしまった。
同じ寝台へと乗ったディーナ様は私を優しく、繊細な調度品に触れるように丁寧に髪を梳き、抱きしめてくる。
深く髪の香りを嗅がれるのがわかる。
「いい匂いだな」
「……お好きな香りですか?」
「まあな。……給仕たちだな?」
「お察しの通りです」
頭の上で大きく溜め息が聞こえた。
ディーナ様の胸に収まった私は不器用に、腰へと手を回して呼吸をする。自分と同じ香りがする。
「これから先はどうするおつもりで?」
「そうだな。今はそんなに考えてないけど、何かしてほしいか?」
「ディーナ様のお好きなように」
「……世話を掛ける」
今は思いついていない、というのも本心であろう。
けれど、ディーナ様本人がやりたい事もあるのもきっと事実だ。
それを支え、良い方向に向かわせればよい。
自分やレイに対してしていた事にディーナ様が加わった。
私は少しだけ笑って、安心へと身を埋めた。
次挿絵のキャラは誰がいい?
-
リヨース
-
騎士ディーナ様
-
シャリィ先生
-
エフィさん