ディーナは苦手だ。
レイにとってディーナ・ゲイルディアの端的な印象はそうである。もちろん嫌っているわけではない。
拾ってもらい、浮浪児であった以前とは比べ物にならないほどの生活ができている。今も着ている小綺麗な給仕服。柔らかい布団。暖かい食べ物。訓練と称して構ってくれる人。その人達の中にもディーナはいる。
だからこそ、嫌いではない。何を考えているかわかならない、というのは本心でもあるが、生来それほど人の思想というのに触れてこなかったレイにしてみればそれは些末な問題でもあった。
フィア……今はシエナと呼ばれるようになった少女も何を考えているかはわからなかったし、レイ自身もわかろうとはしなかった。理解よりも信頼を向けていた。これをレイは後悔しているわけでもない。
フィアは苦手では無いのは少なくともフィアがレイにとってよりよい選択をしてくれると思い込んでいたからだ。当然、それは今も変わっていない。
けれど、フィアが罰せられたことをレイは頭の先で引っ掛かりをずっと覚えてしまう。「なんでアタシも連れて行ってくれなかった」そんな感情が発露しそうになる。
きっとそう言えばフィア……シエナが困ったような顔をしてしまうのが目に見えてしまったから未だに頭の先に違和感を覚えてしまう。
フィアとは一心同体であった。そうレイは思い込んでいた。思い込んでいた方が幸せであった。今も思い込んでいれば幸せである。けれど、それでもフィアはシエナとなり、レイはレイのままでしかない。
「なあ、入っていいか?」
「ええ、入りなさい」
礼儀らしい礼儀も知らなかったレイは随分と慣れたように扉を叩き、部屋の主へと声をかけた。その程度の礼儀は覚えたけれど、未だに主に対して無礼な物言いをしてしまうのはレイにとって最後の抵抗のようなものである。
貴族は嫌いだ。自分たちは裕福な生活をして、孤児や貧乏人に対してはさらに苦しさを強いる。
これはフィアと過ごしていた時に根付いた思想であるし、フィア自身に教えられて、疑うこともなかったレイが信じた思想である。
扉を開ければ、金色の髪をして赤い服を纏う女がいる。忙しなく羽根筆を動かし、左腕だけにも関わらずにまるでそれが当然のように振る舞う完璧であった悪魔。或いは魔女。世間でそんな風に言われていることをレイは知らないし、レイはディーナのことを苦手ではあっても謗るほど嫌いではない。
「少し待ちなさい。なにか飲むかしら?」
「いいよ。座って待ってる」
ディーナが手を動かす度に鳴る羽根筆が走る音を聴きながら、レイは身が沈みそうになる長椅子に腰掛けながらディーナをじっと見つめる。
呼び出された身であるレイだが、なぜ自分が呼び出されたかはわからない。居心地の悪さを感じてしまうのは、ディーナが何を考えているかがわからないからである。
何を考えているのかがわからない。だから不安で居心地が悪い。ディーナに対して恐怖を抱いている。フィアだけを信じられていた浮浪児の時よりも他人に対してそう評せるようになったことがいい事なのか、悪いことなのかはレイにはわからない。
心地よく響いていた羽根筆の音が止まり、墨瓶の蓋が閉じられた。青色の瞳が眼鏡越しにレイを捉える。冷淡にも感じてしまう鋭い瞳であったが、レイはこの瞳の優しさを知っている。それが利己的なものであるのも。
「さて、呼んだ理由はわかるかしら?」
「……花瓶を割ったことか?」
「そんな事で呼び出す私だと思っているのかしら?」
直近で、自分がしでかしてしまった事を口にすれば、ディーナが呆れたような溜め息を吐き出した。加えて「アマリナには叱られたのでしょう」としっかりと把握されてもいた。
そうなればレイには思いつかない。レイからディーナに言いたいことはあるけれど、ディーナはそんな事を気にしていないだろう。だからレイにはわからない。
「私に何か言いたいことがあるのでしょう?」
「別に、ねぇよ」
「嘘おっしゃい。シエナのことを言った時、不満そうな顔をしていたでしょう」
見られていた。見ていても無視されていると思った。言い当てられたことにムッとしてしまったが、レイは少しだけ目を伏せて、ディーナの視線から逃げる。
「アンタは、どうせ必要なことだって言うじゃねぇか」
「そうね。でもあの子が貴女を巻き込まなかったのは貴女を想ってよ」
「それでもアタシは、フィアと一緒がよかった」
それは本心であった。叶わなかった気持ちでもあった。フィアがどうして自分を巻き込まなかったのかは、事後になってから、他者から聴いた事の重大さでようやく理解できた。
それでもフィアと一緒がよかった。そう言える。巻き込まなかった理由がわかっても。
けれど、レイは罰を受ける立場にいない。巻き込まれなかったから。
「あの子は貴族との確執があるのよ」
「アタシだって、貴族は嫌いだ」
「貴女の嫌いよりももっと深く、あの子は貴族を……そうね、殺したいと思うぐらいには嫌っているわ」
レイの知らないフィアを容易くディーナは口にしてみせた。それが妬ましくもあり、羨ましくもある。
貴族は嫌い、と口にしたが殺したいとは思えない。レイが感じている嫌悪よりもより深く、暗い感情をフィアは秘めている。
ディーナを殺したいとはレイは思えない。ディーナに歯向かおうとも思えない。力の差や恩義と嫌悪の感情を天秤に乗せても容易く恩義へと傾いてしまう。
けれど。それでもフィアはシエナとなった。
「貴族が嫌いだから奴隷にしたのか?」
「……違うわ。その方が都合がよかった、というのが正しいですわ。私にもっと権力があればシエナなんて名付ける必要もなかったわ」
「アンタはフィアをどうしたいんだよ」
「シエナの目的を果たす。その後は、そうね。その時に考えますわ」
すっぱりと言い切ったディーナは、先行きの見えない言葉も加えて口にした。レイからしてみればディーナが行き当たりばったりとも思える言葉を言うのは珍しくも見えてしまう。
シエナの目的。それが何なのかもレイはわからない。少しばかり考える素振りをしてレイは口を開く。
「ダメよ」
けれど、別の口から出た言葉によって、レイの口から言葉が出ることはなかった。鋭い目がレイを射抜き、制止させる。
「それは貴女が目指すことでは無いわ。あの子が貴女を巻き込むのなら最初から巻き込んでいたでしょ。だから私は貴女を巻き込まない。あの子の目的の一端にも触れさせる気は無い」
明確な拒絶であった。貴族としてのディーナではなく、シエナの主人として、シエナの親友に対しての拒絶。
レイもその拒絶がフィアであった少女の感情であることはわかる。わかってしまう。
「……これで諦められるかしら?」
「諦めれるわけねぇよ……アタシだって、フィアの助けになりてぇよ」
「そうね。けれど、あの子はそれを望まない」
「……なあアタシはどうしたらいい?」
吐き出た言葉にディーナは悪意を形にしたように笑み、左手でその口元を即座に隠した。まるで考えるように唸り、表情を何とか柔らかく戻す。自身の癖と見られ方を理解しているからこそ、レイにそれを悟られるわけにはいかなかった。
「貴女には幾つか選択肢をあげましょう。一つはこのままここで暮らし、今と変わらない生活と鍛錬とある程度の将来を約束しますわ。けれど私もシエナも貴女を巻き込まない。これは絶対よ。もう一つはリヨースのもとで戦士としての教育を受けること。私としてはお勧めしないけれど、貴女が選択するのなら惜しみなく援助をするわ」
「リヨースがアタシを?」
「結構認められているわよ。戦闘狂だけれど見る目はあるらしいわね」
決して百年単位での修練であることは口にせずに、ディーナは今出せる選択肢を提示する。当然、どちらを選んだところでシエナの目的に加担させるつもりも無い。前者は言わずもがな、後者はその余裕も無いだろう。
「貴女はどうしたい?」
選択肢を提示してなお、ディーナはレイに問う。リヨースに言った通り、レイの意志を尊重するために。
レイはディーナを苦手としている。それはきっとこれから先も変わらないだろう。けれど、ディーナが提示した選択肢がレイにとって良いものであるのは、浮浪児から成長したレイでも理解ができた。きっとディーナの言うことを聞いている方が賢い選択肢であるのだろう。
レイは賢くはない。だからフィアであった少女の言葉を鵜呑みにした。それは今のレイにわかる事だ。鵜呑みにしたことを悪くは思っていない。レイが最大限に向けたフィアへの信頼の形でもある。
レイは賢くはない。賢い選択肢だと理解してなお、レイはディーナの問いに答えなければならない。
「アタシは、フィアを助けになりたい」
「駄目よ」
「駄目でもなんでも、アタシがそうしたい。アンタを納得とか説得とかはできないけど、ディーナの言う、アタシのしたい事はフィアの助けなんだ」
レイの琥珀色の瞳がディーナを射抜く。どうしようもなく真っ直ぐで、ディーナからすれば眩しすぎる瞳と意志。呆れてしまうほど愚かで、羨むほど純粋な言葉であった。
ディーナは溜め息を一つ吐き出す。なるべく呆れを表に出し、予想していた結果に辿り着いてしまったことを喜びながら、少しばかり嘆いてしまう。
「なら、貴女が取るべき選択は一つね。私の庇護下から離れ、旅に出なさい」
「……言うことを聞かないアタシは、いらいないってことか?」
「いらないならそもそも拾ってなければ、面倒もみてないですわ」
ディーナの合理性を嫌になるほどには知らされているレイはすんなりとその言葉に納得する。レイ自身がディーナを苦手とする理由の一つでもある。
「貴女は世界を知らないでしょう。知ってきなさい。というのが私なりの建前ですわ」
「? 本音があるのか?」
「私の庇護下から離れてしまえば、何をしようと私には関係ありませんわ。それこそ、シエナの目的に外側から加担することも出来るでしょう」
「……へ、屁理屈だ!」
「貴族は汚いものよ。勉強なさい」
くつくつと喉を鳴らして笑う悪の令嬢は無垢な少女に笑う。当然、屁理屈であることも否定などしない。
若干引き気味なレイを見ながら、ディーナは言葉を続ける。
「けれど、今の貴女をそのまま外に出すのは憚られますわ。せめてオークぐらい一人で倒せるようになればすんなり外に出せるのだけれど」
「オークを倒すって、騎士団を使うってヘリオ兄ちゃん言ってたぞ」
「半分冗談よ。でも、今の貴女を外に出して殺されるのは私の沽券に関わるのは本音よ」
半分ほど、単騎でオークを倒せなくては困る、とも思っているのはディーナは口にしなかった。今の世ではオークなど生息地域に出向かなければ一生に一度会うかどうか程度の確率であるが、出会う確率があるのならば。と考えてしまうのがディーナである。事実、ディーナは人為的にしろ、オークに出会ってしまっている。
「二年。貴女は二年で旅に出られるだけの修練を積みなさい。基礎の戦闘術はリヨースやヘリオが仕込んでいるでしょうし、出来るわね?」
「それが、フィアの為になるなら」
「ヘリオやリヨースには私から伝えるわ。時折、アレクにも教わりなさい。……それとクロジンデにも色々教わった方がいいわね。暗殺を学べ、とは言わないけれど彼女の戦闘で学ぶべき部分もあるでしょう」
「断られないか? あの人、いつも寝てるし、アタシが近付こうとしてもすぐどっかに行くんだけど」
「あら。クロジンデの雇い主が誰かわかっているのかしら?」
次は自分の癖を隠そうともせずに悪魔のように笑うディーナにレイはしっかりと身を引いた。加えて自分を教えることになるであろうクロジンデと呼ばれる、猫のような、或いは影のような給仕紛いに心の中で謝った。
「……あと、一応忠告はするけれど、シエナは貴女を全力で止めるわよ」
「わかってる。でもアタシはそれでも力になりたい」
「決意があるようならいいですわ。二年後、私が貴女を旅に出せない、と判断すれば旅には出しませんし、無視して旅立てば徹底してシエナに加担する事を妨害して差し上げますわ」
「そんな事にはならないから」
「期待しておきますわ」
レイの言葉をしっかりと聴いたディーナは微笑んで、レイに退出を促す。彼女には限られた時間しかない。
レイが出ていった扉を見ながら、ディーナはレイの修練内容を考える。旅に出すのならば、戦闘面はリヨースやヘリオに任せれば問題は無いだろう。ある程度の礼儀作法も貴族と絡む可能性があるのならば教えるべきで、これはアレクや自分が教えられる。魔法に関してはシャリィと自分が。クロジンデには世の歩き方や危険察知、他にも色々と教えてもらうべきか。
同時に、シエナはこれに反発するだろうから、彼女にも頑張って貰わなければならない。二年の期間はレイの為の期間ではなく、シエナの為の期間と言ってもいい。
「さて、どう思うかしら?」
ディーナは誰もいない部屋で、誰かに対して言葉を投げかける。当然、ディーナしかいない部屋であり、扉も窓も閉じられた部屋から外には声は届いていない。
「……私は教えない」
ディーナしか存在しなかった部屋であったのにソレはいた。影から出てきた訳でもなく、まるで元から部屋の隅に居たように、いいや元々部屋の隅にはいたけれど、ディーナ以外はその存在を認識できていなかった。
暗殺者としての生き方であり、生業とし続けた結果であり、ディーナはそれを想像魔法の極地とも呼ぶだろう。
部屋の隅、ディーナの斜め後ろにいるクロジンデに対して、ディーナは顔も向けずにクスクスと笑う。
「いいえ、アナタはレイに教えますわ」
「いや」
「断れる立場かしら?」
「契約に含まれてない」
「そうね。では、私以外にも雇われているアナタの処遇はどうしようかしら」
クロジンデはその言葉にピクリとも反応しない。この悪魔が細かい所作によって情報を抜き取ろうとしていることなど把握している。だからこそ、クロジンデは動かない。動けない。
体も、顔も、瞳すらも向けられていないというのに、まるで身体を握られているような錯覚をクロジンデは感じる。
「私を監視して、誰かに情報を流している。これは明確な裏切りではなくて?」
クロジンデは奥歯を噛み締める。風の抜け道などない、密閉された部屋だというのに、風の騒音が鼓膜を乱暴に叩き、身体をじわじわと締め付けてくる。
身内に対しては甘いとも言えるディーナであるが、自身の利になり得ない裏切り行為に対して、甘いとも言える判断などしない。
「けれど、優しい貴女はそんな事をしていませんし、私の頼み事を聞いてくれるわよね?」
穏和な言葉と声であったが、締め付けはさらに強くなる。許してなどいない。言葉通りなど受け取れるわけなどない。
クロジンデが了承しないと言えば、おそらくディーナはアッサリと納得するだろう。購入した才能が邪魔ともなれば惜しみながら捨てるだろう。クロジンデは短い間であるがディーナがそうすると理解していた。
だからこそ、この頼み事を断ることなど、クロジンデには許されない。同時にこの雇い主は誰に雇われているかは決して聞かない。最低限の矜持は守ってくれている。
良き雇い主でありながら、恐ろしい雇い主であり、こんな頼み事に対して本気で脅迫をする雇い主でもある。
「……わかった」
「よかったわ。暗殺の技術は教えなくてもいいけれど、気配の殺し方や歩法や逃げ方を教えてあげれるかしら」
「……過保護」
「誰がかしら?」
ディーナが、とはクロジンデは言わずに普段出ている窓ではなく珍しく扉から退室した。
その様子を納得いかなさそうな顔をしながら見送ったディーナは少しだけ息を吐き出して、本当に自分一人である事を確認してから口を開く。
「さて、木っ端役人には雇われてねぇだろうし……監視だけにクロジンデを使ってるあたり、陛下かな。クロジンデを監視に使うなんて贅沢だなぁ」
生粋で、熟達で、優秀な暗殺者を監視だけに使うなんて、なんて勿体ない! とディーナは笑う。シルベスタ王の懸念も理解できるし、相応のことをしでかしている自覚はかろうじてあるディーナは、けれど贅沢だなぁ、とクスクス笑う。
ディーナ自身、そんな稀代の暗殺者を夜の警備と庇護者への教育に使ってることは棚の上に乗せて風で吹き飛ばしている。
次挿絵のキャラは誰がいい?
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リヨース
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騎士ディーナ様
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シャリィ先生
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エフィさん