悪役令嬢は百合したい   作:猫毛布

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よいお年を


88.老商人は観察したい!

 円卓には上座も下座もない。

 同じ材質。同じ背凭れ。同じ高さの椅子が七つ。そこに腰掛けた者たちは否応なしに互いの顔を見る事になる。

 グォル・イシュナーはその一角で、背筋を伸ばしながらも肩の力だけは抜いていた。

 “公平である”という建前はグォル・イシュナーにとって長年の理想でもあった。

 それでも、こうして視線の多くが一人の若い女へと向いている光景をみれば、年寄りとして苦笑もしたくなる。

 苛立ったように睨む者。冷たい視線を向ける者。観察するように見る者。

 様々な感情が円卓上に巡るが、視線だけは組合長ディーナ・ゲイルディアへと注がれる。

 その事実に、グォルは内心で小さく息を吐きだしてしまう。

 

「組合長殿。あの箱は、どういった用途でお作りになられたので?」

 

 場の空気が張りつめすぎる前に、グォルは口を開いた。

 問いは穏やかであった。

 他の評議員も聞きたがっているであろう疑問を、確実に含んでいた。

 

「香水瓶を贈与する時に、緩衝材を作りたかったので。だから作りましたわ」

 

 ディーナの答えは簡潔すぎるものであった。

 一瞬の考え込む素振りすら見せず、あまりにもあっさりと。

 事実であるがゆえに迷いがないのか、それとも事実であるかのように整えられた答えであるのか。グォルですら判断はつかない。

 

「ふざけるな!」

 

 拳が円卓に落ち、低く震える。

 拳を叩きつけた、恰幅のいい男——ベルデン・ドレトスは腹の肉を揺らしながら身を乗り出し、鍔を飛ばす勢いで怒鳴る。

 

「こちらはそのせいで、貴族から『ゲイルディア卿が持ってきたものとは違う』と責められておるのだぞ!」

「それは反省しているわ。ここまで求められるとは思っていなかったのが本音ですわね」

 

 悪びれる要素など皆無であった。

 若さゆえか、あるいは確固たる自信か。

 いずれにせよ、老商人の目から見ても、ディーナという女は”動じなさすぎる”。

 

「……求められると思っていなかったのに、貴婦人の茶会で披露したと?」

 

 冷えた声が差し込む。

 銀髪を後ろに流し、紺の衣服に身を包んだカロリナ・カレントが指先で机を一度叩いた。

 

「この場で嘘を言っても無意味でしょう? 先にも言ったように緩衝材に乾燥花を使うために急遽作った。それ以上でも以下でもないわ」

 

 最低限の説明でしかないが、視線が逸らされる事もなく言いきられた。

 カロリナは細く目を眇めた(すがめた)

 

「それを、信じろと?」

「それはアナタ方が選択することですわ。この場に置いては(わたくし)への信頼、信用など些事ですらありませんわ」

 

 ディーナはわずかに首を巡らせて、円卓全体を見渡した。

 

「この場を用意したのは、この……そうね。便宜上として『減圧箱(げんあつばこ)』と呼称するけれど。これをどう扱うか、でしょう?」

 

 この女は“皆の不信”を計算に入れた上で話している。

 自身がどう見られようと、議題の核心へと引き戻す。

 グォルとしてもその判断は正しいとも思う。正しすぎる、とも思えるが。

 

「組合長殿は、どうお考えですかな?」

 

 促すように尋ねると、ディーナは顎に指を当て、ほんの一拍だけ沈黙する。

 

「……そうね。理論の提供は検討しているわ」

「何を馬鹿なッ! 組合で独占すべきだ!」

 

 ベルデンが再び吠える。

 椅子を引き、身を乗り出し、円卓を支配しそうな勢いである。

 それを横目に、カルダ・メースが低く舌打ちを漏らす。

 浅黒い肌に走る傷痕が、僅かに引き攣る。

 

「独占すれば、市場は縮小するわ」

「しかし……」

 

 控えめに声を上げたのは、ラネー・フォージだった。

 細身の体を縮こませるようにし、無意識に火傷痕のある手を撫でる。

 

「市場全体が混乱するのは……困ります。旧来の流通に、影響が出ない形で……」

「既に影響は出ているわ」

 

 カロリナの冷えた一言が即座に切り捨てた。

 ラネーは口を噤んで、視線を伏せる。

 

「商売敵など、少なければ少ない方がいいに決まっておる!」

「……市場が縮小すれば、国益を失うだろう」

 

 ベルデンのがなり声にエルノ・グリュンの低く乾いた声が重なる。

 

「国益ではなく、我々は……組合の利益を求めるべきだ!」

「ふん……」

 

 片眼鏡の奥から冷ややかにベルデンを視界にいれて、鼻を小さく鳴らし、それ以上の言葉を言わない。

 

「仮に、組合が独占したとして。非加入商人は、どれほどで潰れるのかしら?」

 

 空気が一瞬、静まる。

 淡々とした、大きくもない声で一瞬で場を制したディーナの問いに、グォルは意味を測りながら、静かに答える。

 

「……早くて、三ヵ月程度ですな」

 

 ディーナは短く「そう」とだけ返し、再び思索へ沈む。

 老商人としては、その沈黙がむしろ恐ろしい。

 

「三ヵ月だと?」

 

 ベルデンは唇の端を歪め、鼻で笑った。

 

「随分と長い気だな。そんな連中が、今まで市場を回していたとは思えんが」

「……そうやって切り捨てた結果、客が消えるのよ」

 

 カルダの声は低く、鋭い。

 円卓に肘をつき、ベルデンを真っ直ぐに睨み返す。

 

「供給だけ残って、需要が死ねば終わりでしょう」

「知ったことか! 生き残った者が奪えばいい!」

「奪う相手がいなくなったら?」

「弱い者が悪い!」

 

 空気がはっきりと荒れる。

 グォルは内心で小さく舌を打った。ここまで来ると、議論ではなく、感情の応酬でしかない。

 ディーナへと視線を向ければ、未だに沈黙を貫いている。

 

「そもそも、減圧箱は組合長が作った物だろう!」

「価値に対して、対価を払うのが道理でしょう」

「道理というならば、組合の所有物である減圧箱に対して対価など、意味がわからんだろう!」

「これは”流通”を変える」

「戯言だ!」

「それが分からないアンタでもないでしょう!」

 

 カルダが声を張り上げ、椅子から半歩身を乗り出した。

 

「湿気を嫌う香辛料、乾燥花、薬草! アンタの嗜好品だって例外じゃない!」

「だからこそ、無償で使う!」

「アンタは自分の商圏しか見えていない!」

「当たり前だ! 私は私の懐を肥やすために商っているッ!」

 

 熱を帯びる言い争い。

 互いの主張は理解できる。正しさは両者にある。感情に任せて言葉を投げつけているのは問題ではあるが。

 

「努力もせずに、市場に寄生するだけの商人が──」

「元奴隷がッ! 私に指図するなッ!」

 

 言葉が円卓へと落ちた。

 空気が凍りついたように、酷く耳が痛くなる錯覚に陥る。

 低い音が頭に響く。眉を寄せてしまうほど、明確に。

 理屈では説明できない圧が、円卓を支配していた。

 

「ドレトス殿」

 

 短く、ディーナが言い争いをしていた男へと向かって名を呼んだ。

 鋭く深い青の左瞳が、極彩色へ変化し続ける右瞳がドレトスへと向けられる。

 

「身分を持ち出すというのならば、相応に私も貴殿を扱うけれど。よろしくて?」

 

 ベルデンの喉がひくりと動いた。

 この場において、身分を持ち出すというのならば、円卓という体裁は破壊され、ディーナ・ゲイルディア卿へと全てが集中する。

 そして、自身たちはあくまで商人でしかない。

 

「さて」

 

 短くディーナがため息と言葉を吐き出したところで、頭に直接響くような低い音は鳴り止んだ。

 

「とても有益で、素晴らしい言い合いは充分かしら。議題を戻しますわ。今回の問題は二つ」

 

 ディーナの指が一つ立てられる。

 

「減圧箱を組合で独占するか、否か。独占するならば、使用料はどう設定するか」

 

 二本立てられた指へと視線が集まる。

 ディーナは視線を促すように手のひらを返してグォルへと向けた。

 

「まずは、独占について。イシュナー殿」

 

 向けられた深い青の瞳。促されるように自身以外の視線までもがグォルへと集まる。

 たった短い言葉だけで評議会を掌握してみせた、自分よりも一回り以上に若い女にグォルは内心で感嘆しながら意見を紡ぐ。

 

「組合での独占が妥当でしょうな。市場の混乱を抑え、情報と責任を一元化できる。拙速な流布はかえって信用を失うでしょう」

 

 一つ頷いたディーナの視線はカロリナへと向く。

 垂れた後れ毛を耳元へかけ直しながらカロリナ・カレントは言葉を置く。

 

「同意します。加えて、使用した商人が利益を得た場合、その割合に応じて支払うのが合理的でしょう」

「……利益がでなかった場合は?」

 

 カロリナの意見へと恐る恐るラネーが疑問を口にする。

 カロリナは目を細めて、小さく息を吐き出した。

 

「その場合は──」

「抜け道になりますな」

 

 答えたのはカロリナではなくエルノ・グリュンであった。

 片眼鏡を刺繍の施された布で拭きながら、口を挟む。片眼鏡を改めて鼻において、エルノは淡々と口を開く。

 

「利益を計上せずに使う者が出る。使用料は定額、先払いがよろしい」

 

 視線がディーナへと再び戻る。

 顎に手を置いて数秒程、思索へと沈み、青の両瞳がラネーへと向く。

 

「フォージ殿は?」

「僕は……独占には、反対しません。ただ……」

 

 火傷痕のある指が、無意識に指輪を撫でる。

 

「職人が、仕事を失う可能性があります。ですから……慎重に、段階的に」

「なるほど」

 

 ディーナは一つ頷いて、全員を見渡す。

 

「ではまとめますわ。減圧箱は組合内で独占」

 

 その声に迷いはない。淡々とまるで確認するように吐き出される。

 

「最初の三ヵ月……組合非加入の商人が潰れると予想している三ヵ月は少額の定額使用料を設定。加えて、一定以上の利益を出した場合は、組合費とは別に利益に応じた微率を納めること」

「取り過ぎだ!」

 

 吠えるベルデンに対して、ディーナは冷ややかな視線を向ける。

 

「先ほどご自身でもおっしゃっていたでしょう。我々は、組合の利益を求めるべきと。無償で寄越せとは筋が通った発言とは言えませんわね」

「しかし、あまりにも暴利だろうッ!」

「使う使わないはご自由に。組合が得た利益は、必要経費を除き市場へと戻しますわ」

 

 形は相応に変わるでしょうけど。と付け加えたディーナをベルデンは震えながら睨み、拳を握り締めて、机を叩きながら立ち上がる。勢いに倒れた椅子を戻す事もせず、踵を返す。

 

「ドレトス殿。減圧箱を使用するのなら、組合へ申請書を提出すること。規定ですので、お忘れなく」

 

 ディーナの声への返答は、強く扉が閉められた音であった。

 ディーナは気にした様子もなく、改めて円卓へと視線を向ける。

 

「加えて、職人に使わせることも構わないけれど、別途で経過及び結果報告書を提出すること。これは組合長、評議長としての命令ではなくて私の依頼ですわ。報告書の出来次第で報酬も出しましょう」

 

 ラネーへと視線を向けて噂通りの底冷えするような笑みを浮かべられる。

 思わず背筋を正したラネーを見ながらグォルは内心で苦笑する。

 

「さて、異論はあるかしら? 異論があるなら……扉を閉める音以外でお願いしますわ」

 

 ラネーへと向けられていた笑みが我々評議員へと向けられた。

 グォルは静かに息を吐き出した。

 平等、公平、という理想と建前を掲げながら、この悪の女が決定した事を覆すことなどできない。覆す必要性がない、というのも事実であったが。

 

 

 

 

 

 

 評議会が終わり、人の気配が廊下から消えた頃合いを見計らって、グォルは組合長室の扉を叩いた。

 

「よろしいですかな?」

「どうぞ」

 

 返事は即座に返ってきた。

 疲労を感じさせない声であったが、評議会の内容を思えば、無理をしているのだろう。

 室内に入れば、部屋の主であるディーナ・ゲイルディアは既に机に向かって書類へと視線を落とし、羽根筆を走らせていた。

 

「何かしら?」

「労いでも、と思いましてな」

「……評議長としての()()を熟しただけですわ」

 

 グォルへと視線を向けたディーナは不思議そうに首を傾げる。

 グォルはその様子に疑問を浮かべるが、若さ故の強がりであろうと判断した。

 

「それで。労いだけで来たわけではないのでしょう?」

「おや、世間話はお嫌いでしたかな?」

「嫌いではないわ。嫌いではないけれど……そうね、紅茶を飲むぐらいの時間でいいかしら?」

「ええ」

 

 その程度の時間ならば取れるのであろう。

 世間話という建前の許可を得て、グォルは身の長椅子へと腰かける。いい出来の長椅子ではあるが、高価すぎる物でもない。

 ディーナへと視線を向ければ、羽根筆を置いて残りの書類山を確認している。

 目に見えている仕事量も然ることながら、グォルからは見えていない、それこそ貴族としての仕事も立て込んでいるのだろう。

 元部下からの報告を聴く限り、休んでいる様子もないらしい。

 肩に手をおいて首を伸ばす仕草に違和感がない。

 仕草自体が慣れているのだろう。あの評議会の中でもっとも若いというのに、随分と老いて見えてしまう。

 どこからか、いつのまにか、グォルの後ろから現れた褐色肌の女給仕が湯気のあがる紅茶を置いて下がる。

 思わず目で追ったが、姿は既になく、いつのまにかディーナも紅茶を飲んでいる。

 

「……ふむ。ディーナ殿が先程の評議会で身分に対して口を挟んだのは彼女が理由ですかな?」

「それが理由なら、奴隷階級から外してますわ。口を挟んだのは、あの場は元奴隷であろうが、商人であろうが、貴族であろうが無意味なことだからよ」

「公平である、というのは建前だと思っていましたが?」

「建前であろうと私が反故にするのは違うでしょう」

 

 道理である。建前というのは認めながら、本心でもあるのだろう。

 グォルは納得したように紅茶へと口をつけ、濃すぎる渋みに眉を寄せる。

 

「濃すぎますな」

「私の好みですわ」

「いい茶葉には相応の飲み方もあるでしょうに」

「いい茶葉にはね。貴族全員が良質な茶葉ではありませんわ。特に商人組合なんてものを設立するような貴族ならね」

 

 同意も反意もしにくい言葉であった。

 自らを異端と称しながら、それを実行はする。

 グォルは濃く、渋い紅茶へと口をつけて、話題を戻す。

 

「ドレトスのやつはお嫌いですかな?」

「あの場で否定的だったからかしら?」

「……咎められたのは彼だけでしたからな」

「感情的であったから諌めただけよ。好き嫌い、で言うなら嫌いではないわ」

 

 ほう、とグォルは少し驚く。

 感情的な人間を嫌うであろうことは予測していたが、答えは否定である。

 

「感情論で語られるのは嫌いだけれど、彼の利己的な価値観は商人らしいとも言えますわ。ドレトス殿はドレトス殿にとっての当然を行っただけですわ」

「理解ができるから嫌う意味もない、と?」

「評議会には必要な人間ですわ。たとえ差別的で、利益に忠実で、私に反発をしても」

「私も反発をした方がよかったですな」

「理論然としていれば、その反発は反発ですらないわ。減圧箱の取り扱いに関して、私は組合で独占もせずに市場に技術を流そうと考えていたわけですし」

 

 理屈が通れば飲み込む器量もある。

 組合を作る、と我々を巻き込んだ時も同じであった。

 振るおうと思えば振るえる権力も誇示しない。

 

「人間、自分のために行動すべきですわ。……利他的な人間の方がよっぽど信用もできない」

 

 故に利己的である商人は信用できる。言外にそう含めたディーナの言葉は重い。

 この若さで何を経験したのかは、グォルにもわからない。それこそ、事実として並べられている情報以上の経験を、ディーナはしている。

 

「人間らしい、ですか」

「人間らしいと思うだけよ。面倒なことに、そこに感情も入るのだから予測もしにくいのだけれど」

「ご自身もですかな?」

 

 商人のために、市場のために、国のために。

 組合を設立したこの異端な貴族の女は深い青の瞳を細める。

 

「人間は、と言ったはずよ」

 

 言葉は軽かった。まるで当然のことを吐き出すように、呼吸のように吐き出された。

 けれど、その瞳だけがグォルを突き刺すように真っ直ぐに向いている。

 

 言葉を失う。この女の異名、悪名が想起される。

 悪の女。金色の魔女。あらゆる悪名で呼ばれるそれが真実であると突きつけられる。

 

 数秒ほどの沈黙。

 ピクリとも肉体を動かせないグォルにディーナは笑う。

 

「冗談よ。世間話でしょう?」

 

 緊張をほどくように微笑むディーナに、グォルは支配から抜け出したことを確認するように指を握り混む。

 強く握りながら、息を吐き出す。

 

「生きた心地もしませんな」

「それは悪かったわ。世間話と言いながら質問責めにされるのには慣れていないの」

「それも冗談ですかな?」

「さぁ、どうかしら」

 

 ディーナは綺麗に口角を上げて、紅茶へと口をつける。

 生きた心地がしないのも真実であるが、元部下から『化物』と冗談交じりに言われていたことも真実と錯覚してしまう。

 乾いた唇を濃い紅茶で湿らせる。

 

「さて、紅茶は飲み終わったわ」

「……ふむ。ところで、減圧箱の用途は乾燥花だけですかな?」

「……世間話は終わり、という意味は理解しているわね?」

「ええ。ですので聞いているのです」

「そこまであの箱に貴方が興味を抱くとも思わなかったわ」

「年甲斐もなく、新しいものには惹かれるのが商人というものでしょう」

「道理ね。それで具体例は?」

「輸送など。主に乾物の長距離輸送ですな」

 

 ディーナの眉間に皺が寄る。

 思索へと一度沈み、数秒ほどで返事が返ってくる。

 

「開発者として言うなら、理論上は可能ですわ」

「理論上は、ですか」

「実証していないのでどうなるかはわからない……は責務の放棄ですわね。メース殿が評議会で言ったように、湿気を嫌う物──乾物に関しては問題が発生しない限りかなりの距離を輸送可能ですわ」

「ほう……」

「理論で言うなら、腐敗や劣化は遅らせることは可能ですし、同様に鮮魚などの輸送も出来ますわ」

 

 それは夢のような技術であった。

 同時に悪魔のような技術であった。

 もしも、ディーナの言葉通りの技術であったならば、現在の運輸事情など文字通りひっくり返る。

 組合だけが、ディーナだけがその技術を所持していることになる。

 しかし、ディーナはその用途で拡げようとはしなかった。

 

「問題というのは、あの箱がそもそも欠陥品ということですかな?」

「用途を輸送として見るのなら欠陥品ね。評議会でも言ったけれど、乾燥花を作るために作った加工用の魔術装置でしかないわ。用途が加工であるなら完成はしているわ」

 

 自ら出した新しい技術を容易く欠陥だと認める。

 どの職人にもある程度の矜持があるというのに、この女にはそういった物が無い。必要がないから、無い。

 

「理論と現場での想定は違うでしょう? 例えば……そうね。長距離の輸送手段は馬車かしら?」

「それ以外には無理ですな。人に運ばせてもたかがしれているでしょう」

「荷馬車想定ならば、あの箱はその揺れに耐えれないわ。木箱自体の耐久性もそうですし、減圧機構の都合でもありますわ」

「……では木箱と減圧機構とやらが強固になればどうですかな?」

「強固にすることは可能だけれど、術式を起動し続けなければならないし、その為に魔法使い……現状で言うなら貴族の子弟や他の有力商人の子を雇うことになりますわ」

「ふむ……採算度外視なら可能ということですな」

「それ以外にも問題は出るでしょうけど。大きな問題として私が予想しているのはこの二つですわ」

 

 確かに採算が合わなくなる。

 組合外から雇い入れれば組合が独占とした意味がなくなり、組合内……それこそグォル自身の身内から魔法使いを雇った所で費用が嵩みすぎる。

 

「仮に私がその実証実験を行うとして、補助金などは出ますかな?」

「報告書の内容次第ですわね。当然、使用料も支払ってもらうわよ」

 

 もしも、実験が正しく、ディーナの予想を越える結果であったならば。輸送市場という膨大な利益が手に入る。

 ディーナの予想通りであったならば、それまでであるがディーナの口ぶりからして将来的には減圧箱による輸送も視野には入っているのだろう。そうなった場合に他よりも先んじることができる。

 同時に、自身の損益も生じる。

 

 グォルはしばし思考を巡らせ、選択をする。

 

「使用には申請書が必要でしたな」

「ええ。……そうね。一つ禁止事項を貴方には言っておきますわ」

「私にだけですかな」

「輸送に使うと言い出したのは貴方よ。他の人間にも都度伝えるけれど、基本的には加工用の装置ですもの」

 

 だからこその禁止事項なのだろう。

 ディーナ──開発者であり、組合長としての彼女が予測し、本心として危惧している内容である。

 

「たとえ、減圧箱に問題が発生しない状態であっても、鮮魚……果物などもそうだけれど、乾物以外の食料品、薬品の輸送は絶対に許可しないわ」

「理由をお伺いしても?」

「まだ確かめていないから。これは確実な実証と正しい検査が必要ですわ。尤も、私が危惧している内容がそもそもなかった場合は意味がないことだけれど」

「その実証を私がすると言っても?」

「人を殺したいなら、と脅しておくわ」

 

 彼女が殺すのではなく、自分が殺す可能性がある。故の禁止事項なのだろう。

 脅し、とも言っているが立場としての強制力を働かせるものだろう。

 

 夢の技術にも限界はある。

 そう納得をしたグォルは一つ頷いて、笑みを作る。

 

「禁止事項は守りましょう」

「……貴方は理解しているでしょうけど」

「市場を壊そうなどと、この技術を流布しようとした奇特な貴族様のような行動はいたしません」

「耳が痛いわね。事実だから反論もしないけれど」

 

 皮肉に対して口元を歪めて、反論もしない奇特な貴族様にグォルは思わず笑ってしまう。

 制限はあるが、問題はない。いや、問題は今から発生し、確認しなければならないのだが。

 

「お時間をいただきありがとうございます」

「ええ。いい世間話でしたわ。世間話に良し悪しがあるとも思わないけれど」

「利益が出るのなら、良い世間話でしょう」

「商人の考えね」

 

 クスリと笑うディーナに一礼をして、長椅子から腰を上げる。

 利益が出る良い世間話であったかどうかは、これから決まることである。

 

 グォルは扉を静かに閉める。

 禁止事項にも、運用方法にも、報告義務にも異論などないのだから。

 

 

次挿絵のキャラは誰がいい?

  • リヨース
  • 騎士ディーナ様
  • シャリィ先生
  • エフィさん
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