朝の教会は静けさに支配されていた。
カチイならこの時間は孤児達への炊き出しをしていて静けさなどなかったが、王都では静けさと荘厳さに満たされてる。
神という存在を信じる気にもなれない俺としては少しばかり居心地が悪くもあるが。
荘厳であり、同様に絢爛さもある。宗教であるが故に見栄もあるから理解はできる。節制すべきとも思うけど、これは俺の価値観でしかない。
色硝子が返す光りも、至るところに施された金細工も、強い香の匂いも。
実に、立派である。
「おはようございます。ゲイルディア卿」
荘厳さに嫌気と呆気を抱いていれば後ろから声がかけられる。
振り向けば白金の髪。若くも見えるが、振る舞いと衣装は高い地位であるとわかる。随分と不釣り合いにも見えるが自然体である男。
記憶の中には彼の姿も名も思い出せない。記録の中にも容姿は無い。
「これは失礼を。私はナディエル。ナディエル・サーヴェランと申します」
「……サーヴェラン司祭伯」
「存じておりましたか。一介の司祭ではありますが、シルベスタ陛下から爵位を賜っております」
国教の司祭。一介、などと謙虚に出ているが、実態はそれ以上の権限を持っているだろう。
政治と宗教の架け橋。個人的な感情としては完全に切り分けたいが、俺の思想でしかないし、この世界においては完全に切り離すことは不可能である。
不可能であるから、彼に爵位を与えたのだろう。彼を通してでしか政治に関与できなくするため、が妥当かな。陛下の考えは読みきれないけど、ある程度優秀な人物なのだろう。
優雅に一礼をされたので、こちらも返す。
「このように朝早くから、お珍しい」
「単なる視察ですわ。寄付金がどうなっているかの確認でしかありませんわ」
事実を口にする。組合として結構な額を寄付しているのも事実だからおかしくはないだろう。
まあ教会から異端と言われるのも困るから黙らせる目的でもあるが、孤児たちへの福祉は教会が担っている。
少なくともカチイではそうであったから、そうである。と勘違いしていた、というのもまた事実である。
支援をしていないからと言って寄付をやめられないのが辛い所だ。
「なるほど。では、この光景はいかがでしょう」
サーヴェラン司祭伯の視線の先は絢爛とも言える教会。金細工、色硝子、香の匂い。頭痛がするほどに、豪奢である。
「色硝子も金細工も、実に素晴らしいですわ」
反吐が出る。
けれど、本音など言えない。
教会の機嫌を損ねることはできない。
代わりに笑みを浮かべながら一言追加はする。
「この場で祈れば、さぞ人の腹は満たせるでしょうね」
「お厳しいお言葉だ」
どうやら皮肉は通じるらしい。
同時にこの皮肉に対して理解しているあたり、宗教の実態も理解している。
人が好みそうな笑みを浮かべながらも、否定も肯定もしない。
信仰心は薄そうだな。噛みついてこないし。
「腹は満たされずとも、祈りは心を満たします」
「心が救われても、身体が飢えれば死にますわ」
精神を優先すべきか。肉体を優先すべきか。
心が死んでも人間は生きていける。アレを生きていると称していいかは悩ましいが……生命活動はしぶとく続けられる。
生きていれば。という押し付けがましい理想を言うつもりもない。俺は逃げ続けているから、言える立場でもない。
「……美しい理想ですね」
「褒め言葉として受け取っても?」
「ええ、勿論」
事実を理想と言われたので皮肉として受け取る。嫌味を返せばスルリと避けられる。
どうにも、彼が不明瞭である。宗教家としてそう振る舞っているだけなのか、それにしては軸が見えない。
瞳の奥がなにも見えない。確かに俺を向いてる筈だけれど、俺を見ていない。
「けれど、美しさだけではヒトは飢えるでしょう」
「ですから、私は理想を触れられる物にしましたわ」
「組合、ですか」
「ええ。労働と対価。それがあれば人は生きていけますもの」
神と違って、人を飢えさせない為に。
市場が円滑に回れば、物は巡る。同時に仕事が増え、金銭を得られれば、ある程度の飢えは減る。
理想論ではある。
当然、誰かを救うなどと大きなことは言わない。そうであるならば慈善事業として組合を動かすべきだ。それはできない。利益がでなければ組織として無意味であるし、継続もできない。
理想を触れられる物にし続けなければ、夢は覚めてしまう。
「強者でありながら、与えることを選ぶ。実に貴族らしからぬお方だ」
「褒めてませんわね」
「さて、どうでしょう」
感心したように吐かれた台詞は貴族に対しての侮蔑のようであった。
貴族が嫌いか。わからんでもない。俺も貴族だから言葉にはしないが。
微笑みを崩すこともないサーヴェラン司祭伯はようやく俺を見る。
「私は、他者を認め、敬意を払っているだけです」
胡散臭ぇ……。
サーヴェラン司祭伯の言葉に思わず眉を寄せてしまう。
敬虔な宗教家らしいといえばらしいけれど。人として
否定も、糾弾もする気はないけど。
「それは結構なことですわ」
「ですが――人は愚かです。善意で動く者ほど、利用され傷つく」
ビックリしたぁ……。急に人類は愚か! 神に導かれなければならないッ! とか狂信者みたいに言うかと思った。
それ以上に最悪な言葉ではあったけど。
「同感ですわ。けれど、傷を恐れては理想は語れませんわ」
「それでも良いと?」
「ええ」
そもそも、その程度の覚悟など既にしている。
利用しろ、と商人たちにも伝えている。その上で彼らを信用している。
俺の回答に変わらず微笑みを崩さずにナディエル・サーヴェランは少し目を細めて口を開く。
「……なるほど」
まるで納得したような言葉ではあったが、内心では納得してないな。
納得しろ、とも言う気はない。
理解しろ、と言う気すらおきない。
ついでに言えば会話する気すら失せた。
軽く会釈してさっさと立ち去ろう。
「よろしければ、またお話を。貴女の理想は……聞く価値がある」
「私は理想を語るために動いているわけではありませんわ」
振り返りもせずに、香の匂いから離れる。
ただ視察に来ただけだったけど、思わぬ不快な収穫であった。
やっぱ神とか触れもしないものを崇めて、他者を分類する宗教家はくそである。
エレーナ・フィアデル侯爵夫人からのお呼びがかかったのは思ったより早かった。
用件としては組合に関してであるから、随分と買ってくれているみたいである。
「ごきげんよう、ディーナ様」
「お招きいただきありがとうございます、エレーナ様」
先日の茶会で通された広間ではなく、応接間に通されれば変わらずお綺麗なエレーナ様が笑顔で出迎えてくれた。
笑顔なのが怖い。呼び出し理由は組合関係だけど、「よくもお茶会を壊しやがってー」と言われても仕方ない。事実だけで見れば間違いはないし、陳謝する気もある。
それが原因で組合が便宜しろ、と言われれば抵抗するけど。
エレーナ様は俺の後ろへと視線を向け、少しだけ細める。俺の後ろには今日はアマリナが着いてきてくれている。
「あら、この子は?」
「私の従者の一人ですわ。優秀なので連れ歩いております。問題がおありでしたら、下がらせますわ」
「いいえ、大丈夫よ。そう、ベリル人を連れ歩いているとは噂で聞いていたけれど……」
少しだけ思案するように呟いたエレーナ様は笑みを浮かべてアマリナへと再度目を向ける。
「ディーナ様に信頼されているのね」
アマリナはその一言に頭を下げて反応する。
言葉で答えることはしないけれど、随分と嬉しそうである。
ホントに優秀なんですよ。ちょっと俺に対して重いだけで、優秀なんですよこの子!
「これは手土産にもなりませんが」
「……あら花束」
「以前来たときに庭園を見させていただき、お好きそうな花はわかりましたので」
「こういう所はクラウス君によく似ているわね」
受け取ってもらい顔を花束に近付けたエレーナ様からの一言に思わず眉を寄せてしまう。
お父様に似ている、という文言をこういう形で言われたのは初めてだし、お父様がエレーナ様に花束を贈ったことがあるのも訝しげに感じてしまう。
あの悪役顔が? うちではお母様にたじたじなお父様が? 想像できない。
「お母様との関係は知っていますが、お父様とも?」
「ええ。学園での後輩ですの。貴女のお父様は学園で人気でしたのよ」
「……あのお父様が?」
「ふふっ」
思わず言ってしまった一言を笑われてしまう。
想像できねぇよ。いや、確かに顔は整っているけど、あの厳つい顔で? いや、若いときはアレクみたいな美男子だったかもしれない。
どちらにせよ弟をそういう目で見たことないから理解に苦しいが。
着席して出されたお茶に口を付ける。いい茶葉使ってるな。華やかな香りがある。
「さて、雑談はここまでにして。本題に入りましょうか」
エレーナ様の一言で空気が一変する。
表情は変わらず微笑んでいるけれど、先ほどまでの穏やかな雰囲気が消え失せた。
特段緊張はしないけれど、何を言われるかを予想はしている。
「まずは、先日の借りを返すべきね」
「……? 特別、恩を売った覚えはありませんわ」
香水に関しては贈呈品であるし、特別な物ではない。俺としても営業でしかない。
恩、借り、と言われて思い当たるようなことはない。
「……前の茶会の件よ」
「あれはお互いに当然の行動をしただけですわ。むしろ崩した事への謝罪を私はすべきでしょう」
アサヒの発言で壊れそうだったお茶会の体裁はどうにか整えたけれど、それは俺の功績ではない。
そもそも結果的に崩した当事者は俺であるから、謝罪すべきは俺である。
俺の言葉を受けて、エレーナ様は少しだけ目を細めて俺を見る。
「なるほど。組合に対して低利子での出資しようと思っていたけれど」
「嬉しい申し出ではありますが、侯爵家であるフィアデル家がそうすれば他の貴族たちもそうしなければならない風潮になりますわ。それに組合としての理念である公平性が意図的ではないにしろ崩れてしまいますので、お断りさせていただいたでしょう」
「そうね。ではこれは黙っておきましょう」
「そうしていただけると幸いですわ」
言葉にして確認されたけど、あくまでも提案ベース、自分の思考の独り言であったとエレーナ様が処理してくれる。
言われれば断りにくい条件ではあるし、嬉しい条件ではある。フィアデル家がどう思うにしても他の出資してくれている貴族が外からフィアデル家よりも利子を取っている守銭奴として映るのはよくない。
加えて、組合としてフィアデル家に恩が出来てしまうのもよくない。
正式に言われていたら非常に面倒な事になっていたし、飲まないにしてもフィアデル家から睨まれるのは困る。ゲイルディアとして既に険悪なのに拍車がかかる。
「さて、じゃあどうしましょうか。私は貴女に貸しを返せない、ということかしら」
「そもそも双方に貸し借りはありませんわ。私が譲歩しなくてはならない立場でありますし」
「お互い対等である、というのも組合の理念かしら?」
「貴族であろうと、平民であろうと、組合から見ればそこに優劣はありませんわ。階級として敬意はありますけど」
「……なるほど。素敵な理念ね」
嫌味かな? いや、たぶん嫌味ではないか。
行うのが難しいことは理解しているけれど、組合としてはこれを貫いた方がいい。相手が貴族であろうと、平民であろうと変わりはない。当然、金払いがいいのは貴族だけど。
「なら、こうしましょう」
貸し借りは無いと明言してるから、変に組合には関与できなくはしている。
ある程度のことを言われても断れる状態ではあるし、断る必要のない提案などたかが知れている。
フィアデル家が組合に恩を売ることなど出来ない。
「フィアデル領への自由交易許可を組合に出しましょう」
「……は?」
「当然、ある程度の税は納めてもらうけれど、どうかしら?」
いかん、思考が停止してた。
自由交易許可? 他の貴族ですら限定的な交易許可だというのに、自由交易を許可すると?
フィアデル領の門戸を組合に対して無条件で開くと?
貴族としての考えなら重すぎる選択である。その決断を提示してきた。意図はなんだ? 組合に有利すぎる条件だ。しかも税を取ることを明言しているから恩を売りにきているのではなく、契約を申し出ている。なんだ、なんだ、意図は。
「それは、ありがたい提案、ですわ」
「あら。ご納得いただけない?」
「ハッキリと言えば」
「だってこうでもなければ、貴女は受けないでしょう?」
悪戯っぽく笑うエレーナ様。悪戯で済む内容ではない申し出だぞ。手放しに喜べない。
税を納めろと言っているからこれは契約である。しかも対等な。
だからこそ俺が断る理由がなくなった。
恩を売りにきているにしては譲歩しすぎ、踏み込みすぎな判断と言ってもいい。これで大きな税率であるのなら理解できるが、それでもである。
「これも断るつもりかしら」
「……なぜ、とお伺いしても?」
「貴女が納得する言い方であるかはわからないけれど。そうね……組合を運営しているのがディーナ・ゲイルディア、貴女だからよ」
「余計に理解できませんわ」
「あら、これでも人を見る目はある方だと自負していますし、私は貴女を評価していますわ」
だからこそ理解できない。
俺を評価しているのがさっぱりわからない。何故?
この部分を理解するのは俺には出来ない。自分が優れているとも思えないし、エレーナ様の評価に値する人間ではない。
「ふふ、さて。どうしますの? ディーナ様が受けてくだされば数日後に夫から正式な書面をお送りいたしますわ」
何より厄介なのは、理念を盾に断ることができない点か。
感情として、理屈として、恩を売られたくないから断りたいけれど、ここで断ればエレーナ様の顔に泥を塗る。
断れない。断る理由がない。
受けなければ無礼だろう。
「……お受けいたします」
「その言葉が聞けて嬉しいですわ。これ以上は何を返せばいいか迷っていましたの」
悪戯っぽさを残しながら満面の笑みを浮かべるエレーナ様。これ以上がない物を提示されたし、断っていればさらに大きな物を渡されていただろう。
いや、流石にこれが限界だと思いたい。迷ってたとか嘘だよな……。
思わぬものを任された事に頭を悩ませるも、紅茶を飲んで平静を取り戻す。
よくわからない期待を向けられているのは理解した。よくわからないが。
渡されたものの意味の大きさを考えれば、敬意をもって返さなくてはならない。
税率を高く見積もっても組合としては利益しかない。
フィアデル家へ色を付けて納める事もしないし、献金という形もする気はない。それをすれば簡単に腐敗する。
「貴女も聞いたのだから、私も一つ聞いていいかしら?」
「答えられることでしたらお答えいたしますわ」
「不仲であるアサヒ様を庇ったのはなぜ?」
不仲ではないから、とは答えられない。
エレーナ様が情報をどこかに広める、とかは考えられないが万に一つもある。
「結果的にそうなっただけですわ。私はアサヒに婚約者を奪われていますのよ」
事実である。間違いはない。
奪われたとも思っていないけど、世間体的にはそうであるし、恨む理由にもなる。
不仲である、と見せてるのも裏側の方が動きやすいからだし、警戒できる。
俺の言葉を聞いて、エレーナ様は納得したように頷いている。
バレはしないと思うけど、何を納得したんだろ。
アサヒと敵対されるのは困るなぁ……。
「……確認だけれど、私がアサヒ様と親交を深めても、貴女との仲は問題ありませんわね?」
「? 特には、ええ。何も問題はありませんわ」
「ふふっ、ええ、そうよね」
特におかしい答えではなかったと思うけれど、エレーナ様は楽しそうに笑っている。
問題ないどころか、俺としてはエレーナ様と仲良くしたいし、アサヒの面倒も見てくれる方が嬉しい。
問題発言したアサヒとはおそらく文通を開始しているだろうし、謝罪も入れられているはずだ。アサヒ自身も素直な娘なので、ちゃんと謝れているだろう。
……変な空気を入れられてなければ、だけど。まあ大丈夫だろ。
不安はあるけど、俺では解決できない部分であるので諦める。
「なるほど。わかりましたわ。アサヒ様との関係改善を望んでおりますわ」
「善処いたしますわ」
微笑みを浮かべながらエレーナ様は言葉をスルリと言う。
何をわかったかはよくわからないけれど、形式的な言葉だろう。
アレでも未来の王妃であるから、その人物と不仲であり続けてる俺への忠告みたいなものかな。
不仲ではないけど、それは俺視点での話であるし、他の貴族から見れば不仲どころか、俺が一方的に憎んでるように見えるだろうし。
「ディーナ様は……貴女は自分を過小評価しすぎよ」
「これでも過大評価している方ですわ」
これでも精一杯の過大評価をしているつもりだ。
そうでなければ他者と比べることすら烏滸がましい。
アマリナに溜め息を吐かれたので目を向ければスッと逸らされた。
そんなやり取りを見られたのか、エレーナ様にクスクスと笑われる。
居心地の悪さを胸に残しながら、逃げるように紅茶を飲む。
少しだけ冷めた紅茶は、華やかな香りを残しながらどこか渋く感じられた。
次挿絵のキャラは誰がいい?
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リヨース
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騎士ディーナ様
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シャリィ先生
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エフィさん