悪役令嬢は百合したい   作:猫毛布

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実在は本質に先立つ。


92.■■は■■したい。

 人気のない裏門から出て、一つ息を吐き出す。

 無意識に張っていた肩を弛緩させて、王都の街へと歩き出す。

 

 便利な駒であった。そう育てられ、そう教えられ、そう扱われ、そう振る舞ってきた。それでいいと思っていた。

 

 思っていた筈だった。

 都合のいい存在である自分ではなく、今はただのエルタとして。

 私は街へと歩き出す。

 街の喧騒が心地よく耳を打つ。

 少しだけの自由を確かめるように地面を踏む。重かった足取りは徐々に軽くなっていくようだ。

 

 酒場へと向かう自分が普段よりも早足になっている事には気づいている。

 その事が少しだけおかしくて笑みが溢れる。

 日が沈みかけて、穏やかな色に空が染まっているのすら、私の心を躍らせる。

 

 酒場を前にして、今一度、息を整えた。

 この程度で呼吸が荒れるほど肉体は弱くもないけれど。心は落ち着ける必要があった。

 

 酒場の扉を開ければ街よりも大きな喧騒が耳へと入り込む。騒がしいとも言えたけれど、もう慣れてしまった。

 いつもの席に、金色の髪が揺れている。気づけば足はそちらへと歩き出していた。

 

「ご機嫌よう、ディン」

「これは、ご機嫌よう。エルタ。いい夜じゃないか」

 

 カラカラと笑いながら応えたディン。金色の髪と僅かな花の香り。深い青の瞳をした不思議な男。

 彼の左隣に座って、エールを一つ頼み、彼を横目で見る。

 珍しく、と言えばいいのか。それともそう振る舞っているだけなのか。何にしても珍しく彼は上機嫌である。

 

「上機嫌ね」

「わかるかい? ああ、わかるだろうさ。聞いてほしいんだが、なんと君が隣に座ってくれている!」

「そうね。で、本当は?」

「つれないな。そうだな⋯⋯自分の意思と反して計画が上手くいっているからね」

「自分の意思には反しているのに上機嫌なのね」

「ああ、勿論。俺なんて居ても居なくともどうでもいいけれど、計画は正しく回るべきとも思うからね」

 

 グビリと喉を鳴らしてエールを飲み込んだディン。

 彼が何者であるかも、何をしているかもわからない。彼が今現在何をしているかは⋯⋯気にはなるけれど、あまり重要ではない。

 彼にとっての私も一緒である。

 だからこそ、今はただのエルタとディンでしかない。それでいい。

 それでもいいけれど⋯⋯。

 

「上機嫌ついでに聞いていいかしら?」

「何かな? 今なら教えられる事なら何でも喋れそうだ」

「あなたの事を教えてくれる?」

「俺のこと?」

 

 驚いたようにキョトンとしたディンは少しだけ困ったように眉を寄せる。

 ふむ、と一つだけ口から漏らして少し唸る。

 

「嫌ならいいわよ」

「いや、嫌ではないけれど。俺という人間は非常につまらん。酒の肴にもならんね」

「あら。少なからず好意を抱いている人間のことを知りたいと思うのはおかしいことかしら?」

「む⋯⋯まあいいが。さて、何から話すべきかな」

 

 エールをチビリと飲み込んだディンは少し遠くへ視線を向ける。

 布が巻かれた右手の指が机を叩く。布を巻いていない左手はエールの入った木製の器を撫で、珍しく忙しなさを見せている。

 つまらない、とあらかじめ言われている彼自身の話。嫌そうにしてはいない。が、迷いは見えた。

 

「そうね。まずは何処で生まれたのかしら?」

「出生からか。また随分と遡るな」

「大事でしょう?」

「⋯⋯まあそうか。そうかも知れん。出生⋯⋯そうだな。まあ変哲のない一般家庭、客観的に見れば裕福とも言える家に生まれた」

 

 ポツリと吐き出された言葉に嘘はないだろう。

 普段のような冗談めかした言葉でもなければ、嘘でもない。

 どこか他人のように語るのは気にはなったけれど、私も自分の事を喋るとなれば、他人のように語るかもしれない。

 

「裕福だった。いや、まあ貴族ほどでもないが、それなりに裕福だった。そこで生まれた俺は恵まれたことに、いや結果から見れば恵まれてはなかったかもしれんが⋯⋯ともあれ、人よりも少しばかり、ほんの少しだけ優れていた」

「自慢かしら」

「客観的な事実だよ。優れていることを自覚もしていたし、妬まれもした。今にして思えば、妬みをちゃんと消化しておけば良かったとも言えるけどな」

 

 他者を窘めるように、過去の自分を嘲る。

 優れていたからこそ、他者からの妬みを受けていた。

 ただ、その時の彼はそれを無視した。幼少、或いは年を重ねてからも。

 

「優れていた事を伸ばしてある程度、人にも認められた。自分で言うのもあれだが、順風満帆だったね」

 

 ケラケラと嘲る様子は変わらず、彼は自分の事を語る。

 自慢のようにも聞こえるのに、彼はそれすら嘲ってみせた。

 

「だった?」

「ああ。上手くいっていた。問題はない筈だった。今にして思えば問題を抱えていたかもしれんが、その問題すら自分だけで解決できると確信していた。自惚れていた、と言ってもいいね」

 

 遠くを見つめて鼻で笑う。

 優れいていたと称したのにも関わらず、慢心があったと口にする。

 

「そんな俺に転機が訪れた。旧来の友人⋯⋯無二の親友に裏切られた。いや、彼にしてみれば裏切るしかなかったのかもしれないが⋯⋯まあいいか」

 

 転機、というにはあまりにも軽い口調で、重い事実を口にした彼は変わらず遠くへと視線を送る。

 酒場の喧騒すら遠くに聞こえるように、彼の自嘲が頭を揺らす。

 もしも、彼の言う通りにその親友が裏切るしかなかったにしても。予想で語っている部分が真実であったとしても。

 無二の親友からの裏切りをそう称すことなど、出来はしない。

 けれど、彼は自嘲する。

 自身が悪かったと、言葉にする。

 

「そこから俺は見事に転がり落ちた。そうだな⋯⋯()()()()でいう奴隷のような地位まで転げ落ちた。他者から誹りを受けたし、罵りもいくつもあった。なぜ自分がこんな目に、と恨み言を言ったこともある」

 

 自嘲しながら語る彼の瞳はやはり遠くを見つめている。

 未だに悔いている。けれど、その後悔は自責なのだろう。だからこそ、彼は自身の行いを嘲り、愚かであったと口にしている。

 

「今までしていた当然のことすら出来なくなった。いいや、違うな。人に裏切られたのは当然の事を当然として出来なかったのが原因だから、そもそも当然の事が出来ていなかったのだけれど。これは結果論か」

 

 他者に裏切られてなお、彼は他者を信じている。

 事情があった。

 理由があった。

 あらゆる事象を用いて他者を弁明してみせる。

 全ては自分が悪いのだと。

 傲慢にも、すべての責は自分にあると。

 

「そこから俺は人を観て分析したし、当然の事を当然として出来るように努めた。まあ今も出来ているとは思えないけれどね」

 

 心の底に根付いた恨みが、自責という水を与えられ、()()という言葉が咲き、彼を呪い続けている。

 他者を恨めば簡単だっただろう。

 親友を怨めば容易かっただろう。

 世界を憎めば他愛もなかったはずだ。

 けれど、それでも彼はそうしなかった。

 自分をどれだけ呪おうが、恨もうが、他者に対してそれを向けなかった。

 

「⋯⋯ディン、あなたは人に裏切られたけれど、人を信じたいのね」

「それが一番の逃げ道だと思ったからね。自分が悪い、自分が劣っていたと断定すれば他者を恨まなくて済む。自覚している悪癖でもあるけれど⋯⋯どうやら()()()()治らんらしい」

 

 死んでも治らない、とは比喩なのだろう。

 今彼は目の前に存在しているし、呼吸もしている。

 これは確かな事実なのだから。

 

「それでもあなたは生きているじゃない」

「⋯⋯どうかな。死ぬのを待っている、と言う方が正しい気もするけどね」

「なら生きているじゃない」

「確かに、言い得て妙だ。⋯⋯生きているのもまだ役割があるからね」

「⋯⋯役割?」

「⋯⋯まあ色々とね。立場や不満はないし、やるべきことをやっているだけさ。当然だろう?」

「そう、ね⋯⋯」

 

 役割があるから、生きている。

 私と同じようで、そうではない。

 彼は役割があるから死んでいないだけにすぎない。私とは決定的に違う。

 自分と彼を重ねることはしない。できない。

 

「当然の事を当然としてしているだけださ。そこに()()()()し、()()()()()()()()()()。⋯⋯少なくとも、俺はそう思ってはいるよ」

 

 エールを飲み干して、我ながら愚かだと言いながらケラケラと笑う。

 自嘲するしかできない。愚かである、と自覚しながらもそれを否定できない。

 否定してしまえば、誰かを恨む事になる。

 否定してしまえば、崩れてしまう。

 否定さえできれば、自分を赦せただろう。

 それも分かりながら、彼は自らを愚かだと罵り、自分を呪う。

 

 布も巻いていない、彼の左手に自分の右手を重ねる。

 冷たい彼の手が私の手を冷やし、彼がここにいる事だけを正しく伝えてくる。

 

「役割があるから、生きているの?」

「それ以外に理由が必要かい?」

 

 役割が無ければ、彼は消えてしまう。

 役割は彼が縋り付く死なない意味になってしまった。

 当然と自らを呪う。

 理知的であるが故に、

 他者を呪えないが故に、

 単なる役割へと縋り付いた。

 

 彼の手を強く握る。

 自分の熱がどれだけ奪われても、彼の手を離すことだけはできない。

 彼の冷たい指へ、自分の指を絡める。

 確かにここに存在すると、証明する為だけに。

 

「それでも貴方はここにいるじゃない」

 

 ようやく遠くを見ていた彼の青い瞳が、私へと向いた。

 強く、強く彼の手を握る。

 ここに存在している彼を離さない為に。

 

「偽名であっても、何の役割も無い、ただの貴方がここにはいるわ」

 

 それは単なる事実でしかない。

 役割も、何もない単なるディンが⋯⋯()がここにいる。

 

 私を見る彼の瞳が揺れる。

 握りしめた手がジワリと温かくなる。

 握った手を彼が緩やかに握り返してくる。

 

「⋯⋯ずるいな」

 

 先程まで自嘲を言葉にしていた口が、ポツリと言葉を零した。

 彼はこの事実を否定できない。

 確かにここに存在する彼は偽名でもある。けれど、それは同時に役割を全うしている彼ではない。

 単なる一人の人間でしかない。

 ただそこに存在する、人でしかない。

 

 揺れる瞳から目を離せず、彼を見つめる。

 へにゃりと力なく、彼は顔を緩めて、細められた彼の目尻から水が溢れてこぼれる。

 

「貴方、泣いてるの?」

「俺が? 泣いてる?」

 

 彼の瞳から溢れた涙を指摘すれば、彼は確かめるように右手で顔に触れる。

 布が染みを広げ、それを確認して彼は目を細めて笑う。

 

「ハハハハ! そうか。うん、まあそうだね。エルタ、感謝をしておこう」

「感謝されるようなことはしていないと思うけれど?」

「俺が感謝したいからするのさ。あー、そうか。なるほど。うん、ありがとう、エルタ。君をもっと好きになりそうだ」

「友人として、でしょ」

「さて、どうかな」

 

 右手に巻かれた布だけが、涙の事実を残して、彼は普段のようにニヤリと笑ってみせた。

 強く握りしめた手の温もりが、彼を証明する。

 

 エールの苦みが喉を通り抜け、確かにここに在るのだと、証明してくれる。

 彼の笑みを見ながら、自然と私も顔が綻んでしまう。

 揺れ動いていた瞳は真っ直ぐに私を見てくれている。

 

 遠くに感じていた酒場の喧騒が戻り、彼との談笑を楽しむ。

 離す機会を失った手の温もりが心地よく広がる。

 今、この時は、私にとっての自由であった。

 誰にも邪魔をされない。

 誰でもない私の自由であった。

 

 どこかで椅子の軋む音が聴こえた。

 視界の端で、一人の客が立ち上がった。

 ⋯⋯。

 

 彼の手を離し、立ち上がる。

 

「もう行くわ」

「そうかい? 今日の会計は任せてくれ」

「安酒ばかりじゃない」

「貴族たちと一緒にしないでくれるかい?」

 

 思わず笑ってしまった。

 高価な物は頼んでいない。

 酒精の影響は感じる。少しだけ、足元が膨らんだように感じてしまう。フラつきもしない程度の感覚が心地良い。

 

 だから、まだ座っている彼の顔に触れ、彼の頬に唇を当てる。

 少しでも、私の温度を残したくて。忘れないように。気持ちを乗せて。

 

「また会いましょう」

「あ、ああ?」

 

 驚きの顔のままの彼に思わず笑ってしまう。

 照れるでもなく、ただ困惑しているだけの彼がどこかおかしくて。

 私はそんな彼からの言及から逃げるように振り返らずに酒場を後にする。

 

 

 街の喧騒は冷め、月の明かりと星の輝きが世界を照らす。

 熱くなった頬に夜風が気持ちいい。

 彼の頬に触れた唇に触れて、顔が緩む。

 してしまった行為に僅かな後悔はある。らしくなかった、とも言えた。

 我ながら大胆で、身勝手な行為であった。

 同時に、否定しきれない気持ちが顔を緩めてくる。

 

 どうしようもなく、彼に対する感情で動いてしまった。

 それを私は否定しない。

 月が綺麗に空に映える。

 夜風が私の頬と髪を撫でて、酔いを鎮めていく。

 それなのに、足が軽い。

 正しい淑女であったなら、私は踊りだしていたかもしれない。

 

「ふふ」

 

 笑みが溢れる。

 心が昂揚する。

 ああ。頬が熱い。耳まで熱い。

 

 

 

 軽い足取りで、人通りの少ない道を選び、いつものように裏門へと向かう。

 普段ならば誰もいない筈の裏門に、一つの見知った影が見えて、足が止まる。

 

「お戻りですか、()()()()()殿()()

 

 酔いも、熱も、何もかもがその一言で冷める。

 自然と綻んでしまっていた顔も、強張ってしまう。

 

 エルタ(自由)ではない。それを自覚させるように、彼は私を呼ぶ。

 胸元を整える指先が止まる。

 肩が重く感じる。

 先程まで感じていた熱がどこかに放り出されたように、冷えていく。

 正しい筈のその呼び名が、女である私の輪郭が削る。

 

「⋯⋯ああ。問題ない」

 

 僅かな沈黙のあと、私は答える。

 何の問題はなかった。

 監視役でもある彼の案内に応じて、私は王城へと戻る。

 

 便利な駒。都合のいい存在。

 女でありながら、殿下と呼ばれる存在。

 あらゆる自覚がありながら、僅かな期間を自由に振る舞う事をお父様に許された。

 

 アルタイル(役割)を否定などできない。

 エルタ(自由)を否定したくない。

 

 唇に残った彼の熱だけが、私を私で在らせてくれた。

 

次挿絵のキャラは誰がいい?

  • リヨース
  • 騎士ディーナ様
  • シャリィ先生
  • エフィさん
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