いつかの夜、ディーナ・ゲイルディアに吐き出された言葉の意味をスピカ・シルベスタは常に考えていた。
私がディーナ・ゲイルディアだから。
兄であるリゲル・シルベスタとの婚約を破棄されてなお義姉として慕う彼女が吐き出した言葉。
与えられた使命のように。
まるでそうあるべきと自分に言い聞かせるように。
ディーナ・ゲイルディアが吐き出した言葉をスピカは知っている。
あの時は理解すら出来なかった言葉を、ディーナ自身の行動を見続けているスピカはようやく理解しようとしていた。
何者かに縛られ続けている。恐らく生まれてからずっと。
自分が傷付こうが。
自分が罵倒されようが。
自分が壊れようが。
ディーナ・ゲイルディアであり続ける彼女にとっては取るに足らない事なのだろう。
壊れて、その役割を終えるまで、ディーナ・ゲイルディアは走り続ける。
スピカはそう判断をしたし、今の行動を見ればより強く確信できた。
壊れる前に、自分の手中に収めたい。
これはスピカ自身が理解している黒い恋慕である。
幼い頃には敬愛であった感情が、今となって変質した事をスピカは認めてもいる。否定などしない。
壊れないように、壊さないように。ディーナ・ゲイルディアという人間を所有したい。
立場として、可能である。
けれど、スピカはこの感情を強く表に出す気はない。
強く表に出せば、義姉は困ったような顔をして窘めてくるだろう。普段のように、人によっては恐ろしく見える笑みを浮かべながら困ったように笑うのだ。
それはそれで良いものである。スピカはそうも思ってしまう。思ってしまうが、その後が続かない。それきりの関係となってしまうだろう。
だからこの恋慕を強く出すことなどない。
先日、つい出てしまった気もするが、義姉は非常に残念ながら自分の事には鈍感すぎるので冗談として流してくれただろう。スピカにとっては良くもあるが、悪くもある。最悪ではないし、最高でもないが。
話は変わるが。
スピカは生誕日を祝われることは多いが、祝うことは少ない。
それこそ、幼い頃にディーナから祝われて、お返しをした時ぐらいであろうか。他は形式的なものが記憶に少し。
幼い頃だけである。無邪気に祝えたのは。
成長してしまい、王女という立場を理解してからは、個人的に義姉を祝うという行為の危うさをスピカは理解できてしまった。
幸い、あの頃は婚約者であった愚兄にあやかって祝いできた。幸いであった。
そして愚兄がディーナを捨てたが故に、祝う事も出来なくなった。不幸であった。
そして今は、最幸とも言えた。
兄の便乗でもなく。自分の意志でディーナを呼び出せる立場を得た。
祝っても問題のない関係を作り上げた。
スピカはあらゆる事を想定しながら、ディーナを想った。
「スピカ様?」
「コホン。突然呼び立てて申し訳ありません、お義姉様」
「いえ、御用命とあらば仕事など些事ですわ」
するりと吐き出された世辞にも聞こえる言葉にスピカは口元を結んだ。
力を抜くとニヤけそうだった。
世辞である、とスピカの理知的な頭は判断した。
何よりも優先してくれている! スピカの乙女心は理知を押し倒しそうになった。
スピカは我慢した。
「⋯⋯今日もアマリナが一緒なのですね」
「私の目的の一環ですわ。お気になさるなら影に入れますが?」
「大丈夫です」
本心としては二人きりがよかった。
あらゆる事に鋭く、先見の明がある義姉であるが、こういう事にはひたすらに鈍感である。スピカはそう思いながら唇を少し尖らせた。
尖らせはしたけれど、一旦は心に不満を押し込めてすぐに表情を戻した。
今日においてはあまり重要ではない。
「さて、お義姉様。なぜ今日お呼びしたかはおわかりですか?」
「⋯⋯組合の業務報告では?」
「違います」
「⋯⋯魔術の研究進捗報告?」
「違います」
「⋯⋯、⋯⋯? ああ、貴族に売り付けている香水ですわね」
「違います!」
思わず声を大きくしてしまったスピカは息を大きく吐き出してからディーナを見つめた。
眼鏡越しの青い瞳がスピカを見返したが、何故呼ばれたかは理解などしていない。
スピカは思わず頭を抱えそうになった。
自分には無頓着な義姉であるとは理解していたと思っていた。それ以上に無頓着であった。
「ゲイルディア家は生誕日を祝うこともしていないのですか?」
「いえ? ⋯⋯ん? ⋯⋯スピカ様の御生誕日にはまだ先でしょう」
「私ではなく、お義姉様の生誕日です!」
「⋯⋯ああ、そういえば」
「もう! アマリナも何か言ってください!」
スピカが褐色肌の従者を見れば、深く溜め息を吐くだけで表情も出なければ言葉も出てこなかった。
付き合いは深くはないが、スピカには理解できた。あれは諦めである。
「とにかく! 今日お呼びしたのはお義姉様を祝う為です!」
「それは、まあ、嬉しいことですわ」
なんとも手応えのない返答であった。
スピカにしてみれば意気込んだ事柄ではあったが、ディーナにしてみれば祝われる事に疑問は尽きない。
それを口にすることはない。頭の中では王女が自分を祝った事を客観的に見てスピカ自身に不利益が生じないかを思考している。
大々的に祝われれば今以上の面倒事がスピカに降り掛かるので、それだけは避けなくてはならない。
そんな少し的外れな結論を出してディーナは釘を刺そうと口を開こうとする。
「お義姉様が心配性であることはわかっていますし、私も自分の立場というものは理解しているつもりです」
「それは安心ですわ」
「私としてはこうしたお茶会だけではなく、ちゃんとした社交の場で祝いたいという気持ちがあるという事は忘れないでください」
「この場だけでもこの身には十二分ですわ」
「⋯⋯本当にそうお思いですか?」
「ええ。勿論ですわ」
貴族達が怖がる笑みを浮かべながら、ディーナは肯定する。
スピカは小さく息を吐き出し、僅かに感じた引っ掛かりを流した。
むぅ、とディーナを見ようがディーナは困ったように笑みを浮かべるだけで回避する。
そう言われることもスピカは予想していたが、いざ前にすればどうにも手応えの無さに戸惑ってしまう。
浮かべた笑みをそのままに、ディーナは口を開く。
「申し訳ございませんわ。あまりスピカ様を困らせたくはないのですけれど。どうにも⋯⋯、そう、自分のそういう部分は最近直そうとは考えているのですが」
「それは、素晴らしいことだと思います」
ようやく自分への無頓着さを理解したようにディーナは言葉を零した。
直そうとは思っている。この言葉に嘘はない。かと言って、ディーナ・ゲイルディアとして生きるしかなかったと思い込んでいた思考をすぐに直す事などはできない。
ディーナ自身はこの悪癖は死んでも直らない、と判断している。文字通り死んでも直らなかった故ではあるが。
そんなディーナに対して、スピカは僅かな変化を感じていた。
言葉にできないような、些細な変化を感じた。明確に何が変わったかはわからない。以前の義姉でも似たような言葉を吐き出したであろう。
けれど、変化をしている。
良い方向であるか、悪い方向であるかは判断できない。
「⋯⋯アマリナ、私は何歳になるのかしら?」
「⋯⋯ちょうど二十です、お嬢様」
「そう⋯⋯。二十歳ね⋯⋯」
確認するように自分の年齢を呟いたディーナ。自分に対して無関心さが思わず吐き出されてしまった。
しみじみと吐き出された言葉にスピカはまたむぅ、とディーナを見てしまい、気付いたディーナはまた困ったように微笑む。
「お義姉様はご自身に無頓着すぎます」
「返す言葉もありませんわ」
「社交界でも最低限の装飾品だけですし⋯⋯いえ、確かにお義姉様の美しさがあれば装飾品など不必要だとも思いますが」
「⋯⋯恥じる容姿はしておりませんが、優れた容姿でもありませんわ」
「お義姉様に無頓着なお義姉様は静かにしていてください!」
ぷぅぷぅと怒るスピカをディーナはやはり困ったように見てしまう。
悪癖に対して怒ってくれている事もわかるが、返す言葉も思いつかずどうにか流したくなった。
助けを求めるようにチラリとアマリナを見たが、アマリナもスピカに同意するように静かに佇んでいる。
「それで、お義姉様には私から贈り物があります」
「⋯⋯」
「当然、これはお義姉様は社交界で身に着けていただけますね?」
「⋯⋯ええ、勿論ですわ」
スピカはディーナの性格を読み切って逃げ道を即座に塞いだ。
王女からの贈り物を誇示するように見せびらかすそこらの貴族ではない。
ディーナは誇示もせずに、身にも着けず、大事に保管をする。自分の知っている義姉ならばそうする。そして返答を聞いてスピカはそうするつもりだった事を読み切った。
スピカは後ろに控えさせている給仕から箱を受け取り、ディーナへ向けて開く。
中に入っていたのは黒金の髪留め。上品な布地の上に載せられた、星の意匠が施された髪留め。
ディーナは思わず目を細める。これを贈られる意味合いを探してしまう。
「⋯⋯スピカ様」
「お義姉様は豪華なものはお嫌いでしょうし、これぐらいなら普段使いも問題ありませんよね?」
ニッコリと笑みを浮かべて拒否を許さないスピカ。スピカはただ王家を象っただけである。自身の名が星を表すなど知り得もしない。
それでも王家を象った黒金の髪留めを自分が身に着けた事を考えれば⋯⋯。ディーナは溜め息を吐き出す。
そもそも魔術関係でスピカが後ろ盾となっているのは周知である。それを強く結びつけるだけであるのだから、断る理由はない。
「⋯⋯着けるのは社交界だけでよろしいでしょうか?」
「普段使いをしてくれないのですか?」
「これでも商人を纏める組合の長ですわ。物を見る目は最低限ありますわ」
「むぅ⋯⋯わかりました。でも、絶対に着けてくださいね」
「ええ、わかりましたわ」
念押しをされる意味をディーナは理解しきれない。後ろ盾の誇示と対外的強化かなぁ、などと考えている。
これで表立ってディーナに手を出す貴族は減るだろう。同時に王族⋯⋯特に自分の下にいる事を強く結びつける物だ。
自分の黒い欲求をスピカは自覚しているし、同時にディーナを支えたいという気持ちも本心である。
支えたくもあるが、手中に収め続けたいという気持ちも本当である。
外からの評価をじわじわと変化させていけばいい。
そうすれば他の貴族や愚兄、そして王である父も認めざるを得ない筈だ。
今ならば森羅万象程度なら解き明かせるだろう、とスピカは自負した。
スピカは思考を巡らせている間、ディーナは黒金の髪留めを手にとって意匠の出来を見つめる。
良い出来だと思う。名のある職人が手掛けたのだろう。王家直属となればそれはそうか。と取り留めのない事を考えながら、ディーナはようやく自分が何の損得もなく祝われている事を自覚していく。
「スピカ様、ありがとうございますわ」
たった一言であった。祝われたことへの感謝を口にした。
思考を巡らせていたスピカの思考が停止する。
感謝の言葉にではない。
ディーナがなんとも力なく、へにゃりと笑っていた。
ほんの一瞬だった。いいや、無限かもしれない。スピカはその笑みを脳裏に刻みつけた。
今までの義姉では見ることの出来なかった、気の抜けた、飾らない笑みであった。神はいる。スピカは心底ディーナが生まれ、今生きている事に感謝した。
今ならお伽噺の魔王や悪魔や精霊や龍種だって倒せるかもしれない。
踏み込むことのできなかった、ディーナの一線があっさりと無くなった。
スピカは口元に力を入れる。なるべく自然な笑みを作ろうとした。口角が変に持ち上がる。小さく呼吸を整えて、笑みを浮かべようとした。
「──ご生誕日おめでとうございます。お義姉様」
ようやく口に出せた当たり障りのない言葉。
きっと自分の顔は普段よりも歪になっているだろう。
可愛らしい笑みを浮かべているスピカとは対照的に、ディーナは美しくも妖しい笑みを浮かべている。
そんな主たちを給仕と従者は静かに見つめながら、時間は緩やかに進んでいく。
緩やかに。一歩ずつ。
着実に。
次挿絵のキャラは誰がいい?
-
リヨース
-
騎士ディーナ様
-
シャリィ先生
-
エフィさん