玲音さんとのアレがあってから二週間ぐらい経ったのかな。あの後はもちろんだけど、それからも私はパニックだった。なんでキ……キス……されたのかが分からなかったから。落ち着いてきた今ならなんとなくだけど分かる。玲音さんはもう心の余裕がないんだって。
でも、分からないことももちろんある。そもそも私は玲音さんのことを全然知らない。知ってるのは一つ上の先輩であるということと、ご家庭が複雑であるということ。詳しくは知らない。
だから私は玲音さんのことをもっと知らないといけないんだ。知らないとどうすることもできない。私のこれからを決められない。そう思うから。
「若のこと? ……ごめん。さすがにこれは本人の許可無く話せないや」
「玲音のやつのことか? 知ってるが教えられないな。知らないほうがいいことってのもあるんだぜ?」
玲音さんと仲がいい白鷺先輩と青葉先輩に聞いても、こう言われて教えてもらえなかった。もちろん社員さんに聞いても駄目。プライベートのことは話せないって。社員としての立場があるということと、個人的にもおいそれと話せないって。
分かったのは、簡単に話してはいけないほど複雑な事情があるということ。そしてそれが玲音さんを追い詰めているということ。このことはたぶんゆりさん達も知ってるはず。知ってるはずだけど、誰も手を差し伸べられないんだ。
だって玲音さんはそういうことを嫌うから。そして玲音さんは人間関係をあまり広げたがらないし、深くもしたがらない。
「──彩ちゃん何か悩みごと?」
「あ、花音ちゃん。……うん。ちょっとね」
「萩近さんのことだよね?」
「へっ!?」
「ふふっ。彩ちゃん分かりやすいよ?」
昼休みに教室から外を眺めていると、花音ちゃんに話しかけられた。簡単にバレちゃったけど、それならそれでなんで今まで話しかけてくれなかったんだろ。私が自分から動き回ってからかな。あの日以降の数日は上の空だったってこともあるのかな。
ふわりとお淑やかに微笑む花音ちゃんが私の隣に並んで同じように外を眺める。私は花音ちゃんから目を離せずにいた。花音ちゃんの雰囲気がいつもと少し違う気がしたから。
「花音ちゃんは……何か知ってるの?」
「……うん。知ってるよ。
「ぇ……」
少し悲しげに眉を下げてそう呟いた花音ちゃんの言葉は、きっと本当なんだよね。詳しいからこそこんな表情になっちゃうだ。
もしかしたら、と思って聞いたのに。少しでもと思って聞いたのに、花音ちゃんは一番詳しいって言った。衝撃が強いよ。なんで花音ちゃんが誰よりも知ってるんだろ。
「私も人伝いに聞いただけだよ? 仲のいい男の子が凄い情報通で、私はよくその子と話すから、教えてもらえたの。教えてもらえたのも最近だけどね」
「教えて花音ちゃん! 玲音さんのこと! 知ってること全部!」
「うん、いいよ。でも、
花音ちゃんの目はいつになく真剣だった。内容を知っているから、それがどれだけ重たいことなのか分かっているからなんだよね。
花音ちゃんの言うとおり、たぶん私は距離感が近くなりすぎてる。青葉先輩にも謝られた。一人に任せ過ぎたって。先輩たちは受験勉強があるってことで私に任せてくれてたけど、それが失敗だったって。
私が貶されたわけじゃないって分かってる。先輩たちの予想を超えるほど玲音さんが追い込まれちゃってるんだって。それでも私は悔しかった。私じゃ支え切れなかったことが。
でも、だからってこれで終われない。私は諦めたくない。だから私は花音ちゃん目を真っ直ぐ見返して頷いた。
──全部教えてほしいと
「もう昼休みが終わるから放課後でね」
「がくっ。花音ちゃ〜ん」
覚悟を決めたのに力が抜けちゃうよ。でもたしかに昼休みが終わるから、今からはできないよね。放課後まで我慢しよ。これでやっと私もどうしたらいいか分かる。もう何も知らない状態じゃなくなる。
HRも終わって花音ちゃんと一緒に屋上に行く。誰かに聞かれるわけにはいかないから、他に人がいない場所じゃないとね。
「何から話したらいいんだろうね……」
「家庭事情だから……家族構成から?」
「あ、それがいいかな」
手をポンって叩いてなるほどってなってる。花音ちゃんはたぶんどう話したらいいか悩んでたと思う。内容が重たいことってわかってるから、解釈違いが無いように、言葉選びを慎重に。そこに気をつけてたから順番は決めてなかったんだね。
しっかりしてるとこもあるけど、やっぱりこういうとこもあるんだ。花音ちゃんらしい気もするけど。
「萩近さんはね、中学一年生の時にお母さんを亡くしてるの」
「ぇ……」
最初からとてつもなく重たかった。私の身内はみんな元気にしてるから、その辛さが分からない。でも、想像してみただけで泣きそうになる。私は感受性が高いみたいなんだけど、それで絶対に泣く。悲しくて、どうしたらいいか分からなくなると思う。
「お母さんを亡くしてからは独り暮らしなんだよ」
「な、なんで……? お父さんは?」
「お父さんはね、萩近さんと一緒に暮らしてないよ。お母さんがご存命の時からそうらしいけど」
「そんな……!」
「ここはとやかく言っちゃいけないから置いとくね。それで、萩近さんには妹さんもいたんだ。たしか私達と同い年だったかな?」
「そ、その妹さんは?」
「お母さんが亡くなった後すぐにお父さんに引き取られたんだって」
それはつまり、玲音さんはお父さんに見捨てられたということだよね。なんで、なんでそんなことができちゃうの。自分の息子をなんでそんなあっさり。分からない、分からないよ。理解できないよ!
「萩近さんが時間さえあればバイトしてるのは彩ちゃんも知ってるでしょ? なんでかわかる?」
「なんでってそれは独り暮らしだか……ぇ? うそ……」
「うん。お父さんは萩近さんに仕送りしてないんだ。あの人は自分の力で生活するしかないんだよ」
おかしすぎるよ! でも、それなら玲音さんがあれだけ働いてるのも分かる。分かるけど、それでもそれで生活できるほどじゃないはず。家賃だってあるはず、学校にかかるお金だって、生活費だって。……だからか。だから先輩たちは玲音さんによくご飯を奢るんだ。晩御飯に招待もするんだ。少しでも力になるために。玲音さん自身がそういうのを受け取ろうとしないから多少強引に。
「それでもやっぱり生活できないんじゃ」
「できないね。だから何か副業してるらしいよ? それが何かは私も知らないけど」
「副業……」
きっと家でもできることじゃないかな、って花音ちゃんが言ったけど、それって何があるんだろ。そういうことにはとことん疎い私じゃ全然想像もつかない。内容に想像がつかなくても、それもやってたら休める時が無いことは分かる。
「その副業を今満足にできてるかは怪しいけどね」
「え!?」
「これは先輩たちも知らないことで、たぶんゆりさんも知らないことだと思うけど、今萩近さんのとこにおばあちゃんもいるんだって。それでね、そのおばあちゃん脳に障害があるって」
「……それ、じゃあ」
「うん。おばあちゃんの面倒も見ないといけない。介護がすっごく大変だって言われてるのは彩ちゃんも知ってるでしょ?」
知ってる。あまりものしんどさで殺人が起きたりするほどなんだから。ニュースで取り上げられることだってある。つまり玲音さんは、それだけ大変なことをしながら学校に行って、バイトにも勤しんでる。こんなの心が休まる時間が一瞬たりともない!
「私が話せるのはこれくらいかな」
「……ありがとう花音ちゃん」
「彩ちゃんの答えが出るかな?」
「うん。整理できたら」
花音ちゃんは私がどういう答えを出すかを聞くみたい。ゆっくり待ってくれてる。ここで答えを出すためにも私はこの情報を整理しなきゃ。花音ちゃんが分かりやすく教えてくれたから、だいたいはすんなり入ってきた。
玲音さんのとこにおばあちゃんがいることをゆりさん達が知らないのなら、おばあちゃんは今年度になってから来たんだよね。
そしてあの二人の関係の深さからして、去年はゆりさんが玲音さんをいっぱい誘ってたんだ。グリグリのサポーターでもあるから、それを理由に呼び出すことがあったんだね。
でも、そのゆりさんは彼氏ができた。
それまで一番近くで支えていたのがゆりさんだったのに。そのゆりさんが玲音さんから距離を取った。あの二人はお互いを異性として意識しないから起きたこと。
ゆりさんはお付き合いしながら、玲音さんを支えようって考えたんだ。でもその時にはすでに、玲音さんには余裕が無くなってた。だから二人は溝ができた。玲音さんはゆりさんに冷たく当たってしまうんだ。
そしてそういう状況の中、何も知らない私が玲音さんにいっぱい話しかけるようになった。
今なら分かる。玲音さんが浮かべていた笑顔の意味が。
──あれはギリギリ自分を保てていた証だ
それでも玲音さんは沈んでいってしまってる。私にできることは、取り返しがつかないように繋ぎ止めること。きっと玲音さんが自分の力で這い上がるから。そのためにはゆりさんの存在も関係するんだと思うけどね。とにかく、それまで私は繋ぎ止めるんだ。それが私の役割だ。
「花音ちゃん。私は──」
それを言ったら花音ちゃんは悲しそうな顔をした。分かってる。私もこれが
「彩どうかしたか?」
「なんでもないですよ〜。バイト終わりに玲音さんに送ってもらうのが初めてで嬉しいだけです」
「単純な奴」
「えへへ」
私は恋をしちゃいけない。
私が求めたら玲音さんが沈んでしまうから。
私はこの気持ちを隠し続けないといけない。
気づかれたら玲音さんが取り返しのつかないほど堕ちてしまうから。
「玲音さんはお兄ちゃんみたいですね!」
「……好きに思ってくれてていいさ」
「はい!」
だから私は
玲音さんの逃げ道を塞ぐために兄を慕う妹を演じるんだ。
ごめんね彩ちゃん!!
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