牛込家に世話になるようになってしばらくは警察とのやり取りがあった。祖母の葬式は質素なものとなり、以前まで世話をしてくれていた施設の人たちと行った。祖母の遺産は遺書に従って俺が相続することとなり、そのために日記と共に通帳が金庫の中に仕舞われていたらしい。
そうしてドタバタとしていたらすぐに期末テストがあり、終業式が過ぎていった。夏休みに入ってようやく一息つけるようになり、気がついたらもう8月に入っていた。
「そしてまた連行されていると」
「萩ぽん連行とは人聞きの悪い。今年も合宿に行くってだけじゃん」
「それが強制的だから連行って言ってんだよ。起きたら俺の荷物纏められてるし、シフトも何故か変更されてたし」
「萩ぽんが例にもれずバイトを詰め込むからね〜」
そう言われてもな。居候の身で働かないわけにはいかないだろ。それにどのみち数年であの家は出るんだ。そのための資金集めも必要になる。だからバイトを詰め込んでいるというのに、おばさんの指示でおじさんが俺の荷物を纏めてるし。
携帯を見れば社員からメッセージが来てて、シフトを削ったと言われたし。おじさんは不服そうにしてたけどな。さすがに目の届かない所に年頃の男女を行かせるのは嫌らしい。俺も嫌だ。
「ところでなんでゆりちゃんあんなご機嫌斜めなの? 着替えでも覗いた?」
「んなことするかアホ」
今年も去年と同じ場所に行くらしく、飛行機に乗っている。俺が一番左で横に二十騎、その横に鵜沢。通路を挟んで鰐部がいてその横に牛込がいる。元々の席順は違ったらしいのだが、牛込が土壇場で駄々をこねて変わったのだ。その理由は俺と鰐部しか知らないし、なんならすんごい子供みたいな理由だ。
話すことでもないだろうと無視していたが、二十騎の追及がしつこい。鵜沢は鰐部に聞き始めるし。牛込と軽く目が合うとムスッとして顔を逸らされた。本当に子供だな。
「二十騎。視界のど真ん中に急に入ってくるな」
「えー。萩ぽんが私以外の女の子を見るから〜」
「付き合ってないやつにそんなこと言われてもな。それとお前との会話は終わってる」
「ひどいな〜。あんな激しい夜を──」
「ホラを吹くな。牛込が超機嫌悪くなったぞ」
「……あれはヤバイね。それとゆりちゃんが機嫌悪い理由が分かったよ」
鰐部が宥めてるが、はたして効果はあるのか。それに鰐部の反対に座ってる人が怯えてるし。牛込のあのキレ方どうなってんだろうな。ビビリなやつ相手にしたら失神するんじゃないか。鵜沢と二十騎も冷や汗かいてるぞ。それを落ち着いて宥める鰐部は何者だろうか。
「てか理由分かったのかよ。このタイミングで」
「うん。ゆりちゃん分かりやすいから」
たしかに牛込は分かりやすい。彩ほどではないが分かりやすい。妹のりみ同様素直だからな。最近は余裕を持つようになってきてたんだが、俺が居候するようになってからはその印象も薄れてる。
どうやら二十騎は自分の考えに自身があるらしく、無駄に気取っている。そのままスルーしたらハリセンで叩かれた。どこから出したんだよ。カバンは上に仕舞ってたじゃないか。
「あれでしょ? 萩ぽんがゆりちゃんを名前で呼ばないからでしょ?」
「……まぁな」
「なんで呼ばないの?」
「慣れてる呼び名の方が呼びやすいだろ」
「分からなくはないね。それでも名前呼びし続けてたら慣れるんじゃない?」
「家ではそうしてる」
「あー。そういえば同棲してるんだっけ」
「言い方に悪意しか感じないな」
同棲してるんじゃなくて、牛込家に居候してるんだよ。そこは間違えるな。意味合いが酷いぐらいに変わってくるだろ。
それよかよく当てられたな。たしかに俺が牛込のことを名前呼びしてないから機嫌が悪くなってる。家では名字呼びだと誰のことか分からなくなるから名前呼び。外だと別にそうでもないから名字呼び。そう分けてるだけなのに、納得がいかないらしい。
そもそも家で名前呼びになった流れも随分子供じみた流れだったし。
ーーーーー
俺に用意してもらった部屋は、以前の家とほぼ同様に取り揃えられていた。違いがあるとすれば、家具の彩りだろうな。ベッドと勉強机と本棚とタンス。一日で揃えるには無理がある気もするが、知り合いに協力してもらったのだとか。ただただ頭が下がるばかりだ。
「あの、萩近さん、お母さんが必要なものがあったら言ってほしいって」
「いや、十分だよ。くどいと思うが、りみは本当に良かったのか?」
「はい。萩近さんのこともっと知りたいですし。……それで、あの……」
「ん?」
「下の名前で呼んでもいいですか? 一緒に生活するわけですし、名字は余所余所しいかな……って」
「いいぞ。俺はもうりみって呼んじゃってるし」
俺が快諾したらりみは笑顔を咲かせて喜んだ。これぐらいのことでそこまで喜ばれるのも珍しい気がする。もしかしたら俺は気難しい人間だと思われているのか。否定できない事実ではあるが。さすがに自覚してるさ。自分から距離を取ろうとする面倒くさい人間なんだから。
「えっと、それじゃあ呼んでみますね?」
「練習っているか? 好きにしてくれていいけど」
「お兄ちゃん」
「名前どこいった!?」
「あ、間違えてもうた! ちゃうねん! 今のはそういうことやないねん!」
びっくりした。名前を呼ばれると思ったらまさかのお兄ちゃんて。名前を言い間違えるとかなら分かるが、一文字も掠ってないぞ。そしてやっぱりりみも関西弁が出るんだな。顔を真っ赤にしてあたふたしてるりみを少し揶揄ってみるのもいいかもな。距離感は掴んでおきたい。
「言い間違えたんだろうけど、なんでお兄ちゃんが出てきたか教えてもらっていいか?」
「えぇ!? お姉ちゃんの言うとおり意地悪な人や……」
「聞いてるだけだろ?」
「うぅ……。だって、年上の男の人と一緒に暮らすことになるんやで? 家族みたいなもんやん。せやからお兄ちゃんみたいやなって……。恥ずかしぃ……」
「随分と判定が緩いんだな。まぁ今に始まったことじゃないか。りみの呼びたいように呼んでくれていいぞ? 変な呼び名じゃなかったら気にしないし」
「ほんま? また意地悪しようとしてへん?」
「してへんしてへん」
さすがにこの流れだと警戒されるか。でも、こういう警戒力はりみの方がありそうだな。姉の方は最近はともかくとして、出会ったばっかの頃はすぐに引っかかってたからな。……そういやそういう話もされてるのかもな。それならりみの警戒力も納得か。
俺が本当に揶揄おうとしてないと信じてくれたのか、顔を何度も伺ってきたりみが一度深呼吸する。そんな緊張しなくていいと思うんだがな。でもりみって引っ込み思案らしいし、意を決して言う程のことなんだろうな。
「レオ……兄ちゃん……」
「……」
「……あかん、かな?」
「……いや、それでもいいぞ。予想の斜め上いったから驚いただけ」
「よかった〜。ほなこれからよろしくな、レオ兄ちゃん!」
「こちらこそよろしく、りみ」
りみと握手してお互い笑いをこぼす。なんだか不思議なやり取りだからな。それにしても妹が増えたってことになるんだよな。ということはりみは次女扱いか。この家でも次女だからそのへんの変化もないが、それはそれとしてこれが妹にバレたら何を言われるんだろう。
まず拗ねるだろうな。怒りもするだろうな。機嫌を治してくれるのに時間がかかりそうだ。でも、今はそういうやり取りをまたしたいと思ってる。
俺が少し思考に耽ったからか、りみが気を使って声をかけてくる。なんでもないから気にしないでくれって言葉を返していると、部屋がノックされた。開けるとそこには牛込がいて、おばさんがお茶の用意をしたから呼んでいるとのことだった。
「行くかりみ」
「うん」
「……随分仲良くなったんだね」
「そうか?」
牛込がどこか不服そうにするが、俺はそれを軽く流してリビングに向かう。後ろから牛込に服を掴まれても気にしない。話なんてお茶しながらでもできるからな。それとりみにそんな姿見られてもいいのかよ。姉の威厳とか気にしてるって話してなかったっけ。
俺が今着ている服はおじさんの服だから、これが伸びるとおじさんに悪い。そんなわけで俺は一度立ち止まって後ろを振り返る。それにビクッと体を震わせた牛込が目を逸らす。引っ張ってたくせに。
「服が伸びるだろ」
「ごめん。……へ?」
「さっさと行くぞ」
また服を引っ張られても仕方ないから、牛込の手を掴んでリビングへと入る。後ろで抗議してた牛込も、今の状態をおばさんに見られたからか黙りこむ。
無言で必死に手を離そうとするから大人しく離してやる。そんなやり取りのどこが面白いのか、おばさんとりみが楽しそうに微笑む。ぜひともその笑みはやめてほしいね。
おばさんに正面に座るように指示されたからそこに座る。牛込はさっきのこともあってかおばさんの隣、つまり俺の斜め前に座ろうとしたが、りみがそこに素早く座る。牛込もその素早さに驚いてしばらく固まり、その後渋々といった様子で隣に座る。
「二人はそれが定位置よね〜」
「いつ決まったんですかね……」
「去年よ」
「だいぶ前ですね」
「お姉ちゃんがクリスマスの時とかずっとレオ兄ちゃんの隣に座ってたから」
「だからそれは偶然で……へ? りみ今萩近くんのことなんて呼んだ?」
「レオ兄ちゃんだよ? さっきそう呼ぶって決まったんだ〜」
嬉しそうに話すりみに対して、牛込は引き攣った顔でなんとか言葉を返す。呼び方にそんな反応しなくていいと思うが、たしかに妹がよその家の人間をいきなり兄ちゃんと呼んでいたらそうなるか。俺も妹がそんなことをしてたらその相手の首を締め上げに行く。姉なら許せそうだけど。
「りみが玲音くんと仲良くなって嬉しいわ〜。ね? ゆり」
「そ、そうだね……」
「呼び方一つでそこまで動揺するか?」
「……じゃあ私のことゆりって呼んでよ」
「やだ」
「なんで? 呼び方なんて大して気にすることじゃないって言ったくせに」
「牛込のほうが慣れてる」
慣れてる呼び方を急に変えると違和感しかないからな。その違和感を超えて呼び合うのは付き合ってる人とか、結婚した人とかだと思うんだよな。あとは親友とかがそうなるか。
ともかく、牛込はそれらに該当しない。だから呼び方を変えない。それで一蹴しようとしたが、おばさんが牛込側についてしまった。
「牛込だと私とかりみとか夫も反応しちゃうわよー? 不便じゃないかしら?」
「……俺が牛込って呼ぶのはこの子だけですので」
「それでも反応しちゃうものは反応しちゃうもの。私達のことも考えてくれないかしら?」
「楽しんでますよね?」
「なんのことかしら〜?」
楽しんでる。絶対にこのおばさんは楽しんでる。それを隠す気もさらさら無いようで、思いっきり顔がにやけてる。
この人が言っていることは至極当然のことだ。そう言われてしまえばこちらも納得せざるを得ない。本当の目的が別にあるようにしか思えないから気が進まないけどな。
隣を見ると牛込は冷ややかな目をしている。親の援護をもらっておいてそうされると何か反撃したくなるんだがな。特に思いつかないし、諦めるとしよう。
「はぁ。……ゆり。これでいいんだろ?」
「うん! えへへ、やっと名前で呼んでもらえた〜」
「外では牛込って呼ぶから」
「なんで!? 統一して名前で呼んでくれたらいいじゃん!」
「外なら牛込って呼んで該当するのが、ゆりだけだから」
「むぅー」
また不満そうな顔になる。彩みたいに頬を膨らませるから、これまた同じように頬をつつく。それで空気が漏れてやっぱり俺は叩かれた。やられたくなかったから初めからやらなければいいものを。
俺のこの言い分だっておかしいところはない。おばさんが言ったのは、他に牛込がいる時にゆりに牛込と言ったら他の人も反応するということ。だからゆりと呼べばいいという話だ。それならゆり以外に牛込にいなければ、俺はゆりと呼ぶ必要がないのだ。
「それは追々として、玲音くんのことをゆりも名前で呼んだらどうかしら? それでお互い様でしょ?」
「は?」
「あ、そうだね」
「呼ばなくていいから」
「君が気にしなかったからいいだけでしょ」
俺がペースを握られているのが珍しいからか、ゆりが上機嫌にそんなことを言ってくる。たしかに俺は気にしないようにしているが、なんか癪だ。ちなみに二十騎に呼ばれてるあのあだ名は、やめさせるのをとっくに諦めた。あいつは制御できない。そしてゆりの制御を最近諦めてる。
そのゆりは目を閉じて二回深呼吸をしてから目を合わさてくる。名前を呼ぶだけだというこに、大げさなことだ。
「レオ……くん……〜〜っ!」
「……」
「二人とも初々しいわね〜」
「お姉ちゃんは顔真っ赤だね」
自分で呼んで起きながら自滅して顔を真っ赤にしたゆりは、顔を両手で隠して俯く。ゆりにそう呼ばれるとは思ってなかったのと、目の前で自分の名前を呼んだ相手が顔を赤くして自滅してるのもあって、俺も妙に気恥ずかしくなる。外野の二人が楽しんでいるようで何よりだよこんちくしょうめ。
だが、こっちがやられて終わりなのは面白くない。俺は顔隠すゆりの手を引き離して、顎を持ち上げる。強制的に顔を上げさせてお互いの鼻が当たりそうなぐらい距離を縮める。この時点でゆりの目が泳ぎまくっているのが面白いな。
「ゆり。これからよろしく」
「ふぁい……」
「お、お母さん。見てるこっちが恥ずかしいよぉ」
「玲音くんはやり手なのね〜」
意趣返しはできたが、やはり外野が邪魔だったな。
ーーーーー
そんなことがあって、牛込は外でも名前呼びしろと言ってくる。そしてもちろん俺の答えはNOだ。そもそも牛込には彼氏がいて、他の男を名前呼びしてるという情報が入るだけでも拗れそうだ。あの男は面倒くさいからな。電話のことも言ってくるぐらいだし。
「そんなわけで名字呼びなんだよ」
「はぁ。相変わらず面倒くさいね」
「面倒くさいか?」
「だって萩ぽんがゆりちゃんの名前呼ぶだけで解決なんだよ?」
「……まぁな」
だが俺は外でゆりと呼びたくはない。本当なら家でも嫌なんだから。そう思いながら窓の外を眺める。雲しか見えないが、雲の上には青空が広がっている。その鮮やかな青空をしばらく眺めていると、飛行機が着陸に向けて高度を下げていくのだった。
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