――この惑星では、食物を育てることを営みとしている人々のことを農民というらしい。
農民の朝は早い。
彼らは社会の底辺に近い階級に置かれており、基本的には搾取を受ける側の人間である。搾取を受けてもなお暮らせるだけの糧を得るためには、毎日身を粉にするまで働かなくてはならない。
女子供だって労働力として水汲み、洗濯等といった作業に従事する。そうしないと、彼らの家族を養ってはいけないからだ。
とはいえ、男が額に汗して働き、女子供も毎日必死に働いても、彼らの生活は豊かなものとは程遠い。辛うじて生きていけるほどの糧しか得ることができず、蓄えなどというものはまずほとんどの農家はもっていなかった。
――農民の生活は日々重労働だ。加えて、汗水垂らしてようやく手にした収穫も搾取されるばかりか、時には戦場にまで駆り出される。
「そなたも中々面妖な男であるなぁ」
大麦の収穫をする男たちの中に、周囲と比べて明らかに浮いている男が二人いた。
一人は、医療技術の未発達から平均寿命が短いこの時代には珍しい白髪の初老の男。
そして、もう一人はこの時代のヨーロッパでは絶対にありえない和装をした、明らかに東洋系の顔立ちをした侍だった。紺の陣羽織を纏う耽美な伊達男は時代的にも地理的にも初老の男に輪をかけて浮いていた。
二人はその手に鎌を持ち刈り取った小麦を積み上げていく。見渡す限り小麦畑というほどではないが、この麦畑も中々広い。しかし、この金色に揺れる海の中にいる人間はこの二人だけだった。
「しかし、このような地の果てまで続く平原に広がる畑というのも悪くないな。田畑を平野に作れるのはよいことだ」
先ほども少し触れたように、この時代の農作業は重労働だ。重労働をしなければ生きていけないことと同義であるのだが、にも関わらずこの畑にはこの奇妙な二人の男以外の姿は誰一人として見えない。
二人の男が働いたぐらいでどうにかなる作業ではないことは明白だ。
この村に農作業ができる人間がいないわけではない。現に、近くの家の窓やドアの隙間からは多数の眼が彼らを見据えていた。
しかし、誰一人として彼らを手伝おうとするものはおらず、彼らは音を立てることなく家に立てこもっていた。
「……麦の収穫なぞ、いつ以来であろうなぁ。幼き頃を思い出さずにはいられぬよ。麦の収穫は古今東西、基本は変わらぬか」
長時間前かがみになって作業をしていたからだろうか、侍は鎌を握ったまま大きく背伸びした、さらに彼は腰の動きを確認するように大きく左右に腰を回した。
「これで、燕でも飛んでいれば中々風流な光景なのだがなぁ」
大空を見上げる侍。雲一つないその青空には、小鳥か何かだろうか、小さな黒い影が一つ浮かんでいる。
いつのまにか、上のみを見つめていた侍の手からは鎌が失われていた。
鎌の代わりに侍の手に握られていたのは、侍の身の丈を超える長刀。
陽の光を浴びた刀身には
空に浮かんでいた小鳥と見間違うような大きな影は、次第にその大きさを増している。
そして、その影が近づくとともに、その正体が明らかになった。
大きさは小鳥とは比べ物にならない。それどころか、大きさだけで言うのであればこの侍をも優に超えるだろう。
その口には小鳥ならば絶対に持ちえない巨大な牙、鱗に覆われた巨大な体躯。そして、蝙蝠を思わせるような皮膜をはった巨大な翼と鷹を思わせる鋭い爪を擁した頑強な足。
中世のフランスに存在するはずのない怪物――ワイバーンがそこにいた。
村人たちも、このワイバーンの襲撃を恐れて屋外に出ることを控えていたのだ。
ワイバーンの眼にとまったのは、屋外で作業をしていた二人の男のみ。この村に流れ着いた彼らは、衣食住の対価としてこのワイバーンの襲撃と隣り合わせの農作業を請け負っていたのである。
「うむ……やはり、揺れる秋の実りとワイバーンは合わぬ」
侍は、巨木を軽々と切り裂くであろう鋭い爪を構えて己に向けて突撃してくるワイバーンに対して、刀を構えた。
「秘剣―――燕返し」
円弧を描く斬撃。
全く同時に放たれた三つの斬撃がワイバーンを襲った。
一の太刀がワイバーンを頭から股にかけて両断し、二の太刀が両翼を斬りとばす。そして、三の太刀がワイバーンの上半身と下半身を別つ。
多重次元屈折現象。
次元の垣根を越えて斬撃を呼び出す、魔法に匹敵する奇跡をこの侍は己の技術のみで実現したのである。
一瞬でワイバーンは切り落とされた肉塊へと姿を変えた。
侍は、ワイバーンの成れの果てを一瞥すると、血の一滴もついていない刀身を一度だけ振るった。
「うむ……期待外れだ。やはりあの日の燕ほどではないな」
男はいつのまにか長刀をしまうと、何事もなかったかのように鎌を持ち直し、麦の収穫を再開した。
夕陽が沈むころ、実りに溢れた一面の金色の海は消え、地面は赤みを帯びた土の色に戻っていた。
刈り取った麦を集めた二人は、近くの土手に腰を下ろす。
そして二人は、何を言うこともなく沈みゆく夕陽を眺めながら缶コーヒーを呷った。
――ただ、この惑星の農民は、とてもたくましい。
このろくでもない、すばらしき世界。
缶コーヒーの 13055 Mont Blanc