その号泣事件が終わってからも俺はおじさんとの生活を続けた。
彼は相変わらず、無愛想でぶっきらぼうだ。なんなら暴言だって吐く。でも、必ずと言っていいほど俺がしたいことはさせてくれた。それにより、少しづつ俺は元気を取り戻していったのである。
そんな中、出会ったのがエレーナ先生と幼馴染のヒロだ。
エレーナ先生と初めて会ったのは、俺が他の子供達に虐められ、怪我をしていた時である。彼女に手当てしてもらってから俺はエレーナ先生と仲良くなったのだ。いや、仲良くなるというか、あれはきっと心配されていたのだろうけど。それでも俺は良かった。エレーナ先生のおかげで俺は自分とはどうあるべきかを知ることができたのだから。先生との出会いは俺の人生のターニングポイントの一つだった。
次に、ヒロに出会ったのはエレーナ先生からの助言を受けて、俺はいじめっ子に反抗しようとしていた時である。俺は頑張って抗おうとしていたが、尻込みしてしまっていた。そのところをヒロに助けてもらったのである。ヒロは俺の前に立ち、堂々といじめっ子達に喧嘩を売った。
「お前ら何してんだよ! こいつは何もしてねーじゃねーか! こいつはお前らと同じ日本人だよ!」
「はあ?! 降谷は俺達と違うじゃん!」
「違うくない!」
「お前は降谷の髪と目が見えねーのかよ。馬鹿かよ!」
「は? あんな綺麗な髪と目が見えてねーわけねーだろ!!」
ヒロはその場にいた俺が思わず困惑するような言葉を恥ずかしげもなく叫ぶ。当事者たる俺を差し置いてヒロはいじめっ子達と戦っていた。最初は意味が分からなかったものである。だって、ヒロと俺は同じクラスとはいえ、話したことはなかったからだ。だが、困惑していても、訳がわからなくても、たったこれだけは思った。
(俺を庇ってくれているこいつを守らなきゃ)
俺は自分を助けてくれる人間の尊さは人一倍理解していた。ヒロが助けてくれる理由は分からない。だが、彼は自身が不利になるかもしれないのに、俺のために戦ってくれている。その行動だけで十分だった。
その瞬間、俺の心から力強い気持ちがムクムクと湧き上がる。今までいじめっ子達に尻込みしていた心が動き出す。そう、それは『勇気』というのだろう。恐怖に勝ち、敵と戦う意志。
俺は目を吊り上げ、口をかっ開き、大声を発した。
「俺の悪口はいい。でも、こいつのことを悪く言うな!」
俺が言い返したのが余程驚いたのだろう。いじめっ子達はギョッとした顔になった。だが、直ぐに表情を戻して声を張り上げてくる。それに負けじと俺とヒロは言葉を返す。その応酬を続けていたら、最終的には殴り合いに発展。気がつけば両者ボロボロになり、いじめっ子達は逃げ帰っていった。彼らの走り去る背中を見ながら、俺は一息つく。そして、ヒロと顔を見合わせて、プッと吹き出した。ヒロはこちらを指差して笑ってくる。
「お前、何だよその顔〜〜! 大口叩いた割にはボロボロじゃねーか!」
「お前だって! 突然割り込んできた癖に、俺と同じじゃないか」
「あ、お前なんて名前だ?」
「知らないのかよ! …零だ」
「じゃあ、ゼロな! 俺は景光!」
「ゼロってなんだよ。まあ、いいよ。じゃあ、お前はヒロな!」
自己紹介の後も何が面白いのか分からなかったが、ヒーヒー笑いあっていた。おかしくておかしくて。日が暮れるまで笑い、語り合っていた。それがヒロと俺の出会いだ。
それからというもの、俺はヒロと行動するようになった。彼といるのは楽しかったものだ。何だって相談できた。その頃からだ。俺が警察官になりたいと思ったのは。もしかしたら俺は、自分がハーフだから警官になれば日本人だと認めてもらえると考えもあったのかもしれない。だが、一番の理由はヒロに「知ってるか? 警察官ってスゲーんだぜ! 日本を守るヒーローなんだ! 俺はぜってー警官になる!」と言われたからである。
ヒーロー。
日本を守る正義の味方。
それをヒロに言われた瞬間、胸が熱くなった。どうしても警官になりたいと、なって日本を守りたいと、何故か強く思ったのだ。あのヒロの発言が俺の行く末を決めたのだろう。ヒロと「じゃあ、一緒に警官になろう!」と誓いを立てた時に。
エレーナ先生が俺に存在理由を教えてくれたというのならば、ヒロには誰かと戦う勇気と進むべき道を教えてもらった。
言葉にできないほどに尊いものを二人から俺はもらったのだ。
ヒロと一緒に警官になると決めてからは行動が早かった。直ぐに俺はおじさんにどうしたら警官になれるか聞いたのだ。聞かれたおじさんはギョッとした顔になり、逆に俺へ聞き返してきた。
「あーー…何で警官になりたいんだよ」
「何でもいいだろ。教えてくれよ!」
「いや、まあ、よく知っているけどさ…」
おじさんの行動は不可解だった。妙に言いづらそうにしていて、ポリポリと頰をかいていたのだ。彼は無愛想だが、聞かれた質問に対しては真摯に返してくれていた。だからこそ、その時のおじさんは気味が悪かったものだ。
(中学くらいになってようやくその理由を知るんだけどな!)
おじさんのクローゼットの中に警察手帳があり、あの時の彼が言い淀んだ理由を俺は悟ったのである。ああ、なるほどと。おじさんがいつもより歯切れが悪かったのもこのせいなのだと。それと同時に、あの人はぶっきらぼうで無愛想なくせに照れ屋な事を初めて知った。
「そっか、おじさんは警官だったのか」
自然と笑みが浮かぶのが分かる。『警察官になる』という夢が更に形を持って俺の前に現れた。うん、ヒロとの約束のためにも、俺のためにも、俺は絶対に警官になる。その想いはストンと自分の胸に落ちた。ごく自然に、そうあることが当然のように、そう思ったのだ。
(警官になって、日本を守る)
その想いだけを胸に俺は努力を続けた。その中で、俺が高校三年生の時におじさんと対立するというトラブルもあったけどな。だって、あの馬鹿おじさんとくれば大学に行けなんていいやがるんだ。俺は高校卒業後、すぐに警官になるつもりだったのに…。流石に腹が立って、殴り合いの喧嘩に発展した。
(まあ、最終的には大学にいくことになったが)
おじさんが悪いんだ。おじさんが俺に出世しろなんて言うから。東都大学へ行って、警察庁の試験や面接に受かり、エリートになれとか言うから。俺は高卒であっても出世する気マンマンだったというのに。おじさんのせいで大学へ行くんだからな。後、絶対、大学費用は返すからな。タダより怖いものはないんだって言ったのはアンタだぞ。
嬉しくなんてない。
本当に、本当に、嬉しくなんて、ない。
溢れそうになる涙は根性で押さえつけた。歯を食いしばり、俺は大学受験のために勉強を始める。まあ、いつも復習、予習は当たり前のようにして、どこの大学だろうが受かるように勉強はしていたんだけどな。高卒で警官になるつもりだったとはいえ、勉学は怠りたくなかったからだ。
だが、今は本格的に日本最高峰の大学、東都大学を狙わなければならない。どれほど準備しても足りないぐらいだろう。それに、俺はおじさんに嫌々ながらも「東都大学に行ってやる!」と宣言してしまったのだ。落ちれば俺の沽券にかかわる。
「絶対受かって、エリートコースを進んでやるからな…見てろよおじさん…!」
燃えに燃えて、ヒロに呆れられるくらいに勉強しまくった。結果、東都大学を首席で入学することができたのだ。ちなみに、前代未聞の高得点を叩き出したらしい。それを聞いた時、ヒロとおじさんの前で思わずガッツポーズしてしまったほどには嬉しかった。
その後、俺は大学を卒業。試験などを受け、警察学校に入学。そこで俺は伊達、松田、萩原というヒロ以外の親しい友人を得ることとなる。学校は大変だったが、あいつらと一緒に馬鹿をやるだけで、辛さが吹き飛ぶくらいには仲が良くなった。毎日を必死に過ごして、警察学校を卒業して、気がつけば俺は――――
公安警察になっていた。
まさか自分があのゼロに所属することにはなるとは思わなかった。しかも、おじさんもゼロだったなんて。彼が俺に自分の職業を言わなかった理由がようやく分かった。ゼロ所属ならば言えるはずがないだろう。
(でも、おかしいな)
おじさんはキャリア組で、ゼロ所属のくせに地位がそこまで高くない。彼ならエリートコースを進んでいそうなものを。そう不思議に思ったが、俺はまだまだ新人。普通、新人がゼロ所属になるなんて滅多にないため、周りからの扱きの強さに死にそうになっていた。なんとか必死にこなしている内にその疑問は右から左へと流れていってしまったのだ。
俺はこの疑問をおじさんにぶつけなかったことを後悔することとなる。
後悔した日は――――あの日だ。おじさんの協力者が裏切り、彼が追い込まれた、あの日。突然、仲間が慌てた様子でおじさんの危機を伝えてきたのである。もしかしたらもう死んでいる可能性すらあるとも言われたのだ。
(おじさんが……死ぬ?)
それを考えた瞬間、俺は走り出す。仲間が俺を引き止めようとするが、それすらも振り払い、足を動かす。俺は未だ嘗てないほどに急いで現場に向かった。数十分後、おじさんいる場所へ到着。そして、俺はその場で見たものに絶句した。
――――おじさんが本当に死にかけていたのだ。
腹から血を出して、死人のように真っ白なおじさん。彼と子供の時に見た両親の死体が被る。どうしてか分からないが、震えが止まらない。正常な思考ができない。信じられない程に動揺していた。
(落ち着け、俺。まだ、おじさんは生きている。焦るな俺。この程度で公安が動揺するな)
自分に何度も何度もそう言い聞かせる。冷静になるんだ。焦りは最大の敵だぞ。俺はおじさんを助けなきゃいけないんだろ。だから、落ち着け! と思いながら、俺はおじさんを彼の腕を持つ。だが、するりと滑り落ちてしまった。本当におじさんは死にかけなんだ。それを改めて自覚して愕然としてしまう。
そんな中、おじさんはいつもとは考えられないくらいの怒りの表情を浮かべていた。おじさんは言う。「帰れ」と。それと同時にこうも言うのだ。「お前と暮らせて良かったよ」と。初めて俺の名前を口にして、やりきった顔をするおじさん。その瞬間、目からボロリと涙が零れおちた。小学校の時に泣かないと決めたはずなのに、自然と涙が流れてしまう。
(――――ふざ、けるな)
ぽつりと涙とともにその言葉が頭の中に浮かぶ。次の瞬間、感情が爆発した。
ふざけるな…ふざけるな…! こんなところで、死んでいいと思っているのか! あんたは俺の育て親だぞ。仮にも親なんだぞ! 俺を勝手に引き取って、親になっておきながらなんだよそれ。「俺はもう死ぬ」? 「ここは危険」? いつも思っていたが、勝手すぎるんだよあんたは!! 危険を承知で来ているんだよこっちは! 降谷零をなめるんじゃない!
(つーか、何、生きるのを諦めてんだよ! 何でそんなやり遂げた顔をしてんだよ!)
何もあんたはやりとげちゃあいない! 生きるんだよ、生きて、生きて、ヨボヨボのジジイになるまで生きるんだよ!! 嫌だって言っても老後の介護だってしてやる。散々俺のことをこき使ってきたんだからな。嫌がらせ介護をしてやるよ。あんたには老衰以外認められていない。穏やかに死ぬのがあんたが俺にできる唯一の贖罪だ!
(あんたは俺の親なんだから、勝手に死ぬな、馬鹿野郎!)
おじさんは決して良い人間ではない。無愛想で、そっけなくて、なんなら暴言だって吐く。食べ物や人間の好き嫌いも激しいし、性格だってあんまりよくないし、欠点だっていっぱいある。どうあがいても、手本になれるような大人じゃない。
でも、おじさんは俺の親だった。
血の繋がりがなくたって、俺の父さんだったんだ。
俺は涙だけでなく、みっともなく鼻水まで垂らしていた。どうしようもなく腹立たしくて、苛ついて、もっと泣き叫びたくなる。俺は嫌がるおじさんを担いで、歩き出した。背中に背負うおじさんがやけに小さく感じる。昔はあんなに大きかったのに、今、俺は彼を担いでいた。昔は俺が担がれていたというのに。
(おじさんってこんなに小さかったけ)
――――おじさんが俺を引き取ってから随分と時間が経過していた。
実父と過ごした時間よりもおじさんと過ごした時間の方が多い。
そのことを俺は自覚したのだ。