――――おじさんは運良く生きていた。
あの後、俺はおじさんを急いで警察管轄内の病院へ連れて帰った。病院へ着いた瞬間、当然のように直ぐに緊急手術行きだ。手術室へ連れて行かれるおじさんを見送り、俺は一人座り込む。数十分そうしていると、仲間や上司達も駆けつけてくれた。「勝手なことをしやがって」と怒られたが、最終的には頭を撫でられた。俺は良い上司に恵まれている。
上司たちがやってきても、手術が終わるまで俺は生きた心地がしなかったものである。何時間にも及ぶ大手術が終了して、やっと安堵の溜息を吐いた。
だけど、現実は残酷だ。
「父はいつ目覚めるのか分からない、ですか」
「ここまでの大怪我だからね。寧ろ、生きていること自体が奇跡だよ」
「やっぱりそんなに酷かったんですね」
「まあね。後、息子さん、貴方は覚悟した方がいい。目が覚めても後遺症が残っていて、話もできないような場合だってあるからね」
思わず無言になった。勿論、生きていて良かったと思っている。今でも飛び上がりそうなくらい嬉しい。でも、欲深い俺はこうも思うのだ。何事もなかったように目が覚めて、前みたいに過ごしたいと。
そんな風に沈む俺に対して、上司は心配したように声をかけて来た。
「あんまり気を落とすな、降谷」
「ええ、分かっています」
「…、…」
「どうかしましたか」
「今のお前を見ていると、昔の降谷、いや、お前の義父さんのことを思い出して、どうしても心配になっちまうんだ」
「昔の、おじさん?」
「お前、知らないのか。あいつは昔、自分の相棒と婚約者を早くに亡くしているんだ」
「知りません」
「そうか、あいつのことだから言わなかったんだろう。婚約者の方は警察学校時代だったらしいから、俺は知らないんだが、相棒の方は知ってんだよ。任務中に二人とも失敗しちまってな。相棒の方が降谷を逃がして、死んじまったんだよ」
「そうなんですか…」
「あいつらは喧嘩ばかりだったが、良いコンビだったんだ。だから、降谷は荒れちまってさあ…」
そのまま上司は自分に言い聞かせるかのように、「あの頃のあいつは見ていられなかったなあ」と零した。それを聞いて、俺は少々驚く。そんな話は聞いたこともなかったからだ。
(もしかして、おじさんが出世しないのもこのせいなのか)
おじさんは時々、ふとした瞬間に暗い目をすることがあった。子供の時はよく分からなかったが、今なら理解できる。あれは『後悔』だ。おじさんはずっとずっと後悔していたんだろう。自分のせいで死なせてしまった相棒のことを。あのおじさんのことだ。彼はこう思ったのだろう。『俺なんかが出世なんてしてはいけない』と。同時に、こうも思ったに違いない。
『俺なんかが生きていてはいけない』と。
それを考えた刹那、俺はギリッと歯を噛み締めた。思い出すのは死にかけのおじさんが見せた表情。生きることを諦めた、あの表情だった。
「俺を生かしておきながら、自分は死にたいと思っていたのかよ」
あのクソハゲ頭野郎、そんなことを考えて生きていたのか。だから、あの時、安堵した表情を浮かべていたのは、死によって、罪悪感から解放されると思ったからか。きっとあの馬鹿のことだから、『相棒を死なせた俺なんて生きる価値なんてない』とか厨二じみたこと考えていたんだろ。ふざけんなよ。馬鹿かあいつは。馬鹿かあの男は。だから頭がハゲてくるんだよ。
これは怒りだ。
とてつもない憤怒だ。
俺はおじさんにキレていて、それと同時に自分に腹が立っていた。そうだ、俺は疑問に思っていたはずだ。『何故おじさんは出世していないのか』と。もっと早くにその理由を聞いていれば、殴って説得していれば、おじさんは諦めなかったかもしれない。………これがただの妄想だとは分かっている。だが、そう思わずにはいられなかった。
(とりあえず、おじさんが起きたらまず一発殴る)
そう決意して、おじさんの過去を語ってくれた上司に礼を言った。
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「あの時はあの時で大変だったけど、まだ今よりマシだったかな…」
おじさんの眠る病室にて、俺は苦笑いを零す。相変わらずおじさんはふてぶてしい顔で惰眠を貪っている。それを見ながら、俺は項垂れた。カーテンからふわりと流れ込む風が自分の髪を揺らす。
「なあ、まだ目が覚めないのかよ、おじさん」
「なあ、おじさん。みんな、死んじゃったんだよ」
「萩原も、松田も、伊達も、ヒロもみんな、みんな、死んじゃったんだ」
『死』を口にする度に胸をかきむしりたい気持ちになる。何度もやめようとは思ったが、言葉にせずにはいられなかった。
おじさんが植物状態になった時はまだ良かった。いや、よくはないが、まだマシだったのだ、ヒロも、松田も、萩原も、伊達もいたから。寧ろ、俺はおじさんにガチギレしていたので、凹む暇もなかった。そんな俺の姿を見たヒロには「お前とおじさんらしいな」と笑われたが。
俺の道を示してくれるヒロと、友人達。彼らに囲まれていた俺は、ひたすら走り続けることができた。おじさんがいなくたって、何だってできたのだ。
(でも、いつからだろう。いつから俺はこうしておじさんに語りかけるようになった?)
また一人、また一人と死んでいく。それだけでもキツかったというのに、愚かにも俺は幼馴染のヒロを死なせてしまった。理由は簡単だ。自分の力が足りなかったんだ。どうしようもなく惨めで、どうしようもなく心が軋む。泣き叫びたいのに泣けなくて。自分が無力で、最低で、情けなかった。死にたいとすら思ったこともある。でも、死ぬわけにはいかなかった。
だって、死んだらヒロの仇は誰が取る?
死んだら、おじさんのことを誰が殴る?
その事実が俺を踏みとどまらせた。笑ってしまうほどに絶望で震える身体を根性で押さえつける。ゆっくりと息を吐き、俺は自分に言い聞かせた。
(そうだ、降谷零、お前の仕事はまだ終わっていない。決して躓くな、決して諦めるな、生きるんだ。俺はゼロの降谷零。黒の組織をいつの日にか壊滅させる男だ)
その言葉を何度も何度も心の中でリピートする。再びゆっくりと吐き、吸う動作をした。それを繰り返して、俺はようやく落ち着く。ふうと最後の息を吐き出した時、俺は苦笑いする。ほんと、俺は全然成長していない。強くなったと思っていたのに。皆がいないだけで、こうも弱くなるとは。己の未熟さに自嘲しながら、今着ているグレーのスーツに目線を落とす。
「こんなにも馬鹿な俺は、まだネイビーブルーのスーツは着れそうにないな」
昔、おじさんからネイビーブルーのスーツを俺が警察官になった祝いに貰っていた。おじさんは俺がネイビーブルーのスーツに憧れを抱いていたのを知っていたのだろう。警察学校卒業後、直ぐにテイラーに連れていかれ、仕立てて貰ったのだ。
でも、俺はもったいなくてずっと着れないでいた。適当に自分で購入したグレーのスーツばかり着ていたのだ。おじさんに文句を言われたが、それでも着れなかった。見るだけで満足してしまっていたのだ。どんどんと時が経っていき、ついにはこう考えるようになった。
皆に胸を張れるような警官になったら。
その時はこのネイビーブルーを着ようと。
だから、俺のクローゼットには未だに新品のネイビーブルーのスーツがある。そこだけ時が止まったかのようにいつまでも変わらずにそのスーツが置かれていた。
まだ俺は未熟で、皆に胸を張れるような警官ではない。どれほど頑張っても年を追うごとに遠ざかっていく。どうしてなんだろう。何故なんだろう。昔にヒロと語り合っていた『理想のヒーロー』に、今の自分は程遠かった。白側のはずなのに、黒へと俺は染まっていく。そんな俺にはグレーが丁度いいだろう。そこまで考えて、苦笑いを零した。
(…こんなことを考えるなんて、歳かな。でも、まあ、そろそろ黒の組織との最終決戦だ。センチメンタルになるのも無理はない、か)
今回おじさんの病室へやってきた理由はただ一つ。数日後、黒の組織との全面対決があるからだ。死ぬつもりなんてさらさらないが、万が一がある。その前におじさんの顔を見ようと、俺はこうしてここへやってきた。久しぶりに来た病室は前となんら変わりない。その事実にホッとしながら、でも、残念な気持ちになった。
「ああ、もうこんな時間だ。いってくるよ、おじさん」
俺の勝利を願っていてくれ。
俺はおじさんにそう祈った後、病室から立ち去った。
・
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俺の人生が頭の中で走馬灯として流れ、やがて現在へと至る。意識が戻ると、目の前にはジンがいた。そうだ、今は組織との全面対決中だ。その中で俺はコナン君たちを先に逃して、ジンと戦っていた。だが、ジンに追い詰められ、こうして拳銃を俺の頭へ突きつけられている。その瞬間、ハッとなる。
(どうして、俺は、)
生きることを諦めている?
俺は日本人だ。俺は警官だ。日本を守る警官だ。どうして俺は諦めようとしている? 確かに今の状況は最悪だ。だが、それがどうした。俺の運が悪いのは昔からじゃないか。拳銃をつきつけられたくらいでなんだ。骨が折れたぐらいでどうした。生きることを諦めるな、最後まであがけ。俺はエレーナ先生に教えてもらったはずだ。自分がどうあるべきかを。俺はヒロと約束したはずだ。日本の為に奮闘することを。
俺は公安警察。
人々の平和を守る者。
――――それが、俺、降谷零だ!
目に光が戻る。戦うための活力がムクムクと湧いてくる。尻込みしていた心が動き出す。そう、これは『勇気』というのだろう。恐怖に勝ち、敵と戦う意志。ヒロに教えてもらった勝利の感情。
俺は唸った。獣のような雄叫びを上げる。ガタが来ている身体を無理に動かして立ち上がった。そのまま足を曲げると、ギチギチと足の筋肉が悲鳴をあげる。それを無視して、グンッと前へ飛び出した。目ん玉をカッ開き、歯を尖らせ、ジンの拳銃に向かって一直線に動く。ジンは面食らった顔をしていた。その彼へナイフを振り上げる。
「もらったァアアアアアァアアアアア!」
「バァアアァアアアアアアアボンッッ!」
パアンッ
発砲音。ジンが拳銃を撃った音だ。本来なら俺はこの時、死んでいたのだろう。だが、俺は幸運にもナイフで弾丸を弾き飛ばすことに成功していた。ジンが俺をありえないものを見る目を向けてくる。それに対して俺はニィと笑いながら、再びナイフを振りかざそうとして――
撃たれた。
パアンッパアンッと二発の発砲。自分の腹に衝撃が走ったと思えば、身体が後方へと倒れて行く。そのまま背中からズシャアッと地面へ叩きつけられた。何が起こったのか分からなかったが、これだけは分かる。
身体が、もう、動かない。
(や、ば…い、な、これは、)
ジンは瞳孔を開きながら、尋常じゃないほどに息を荒げていた。彼の左手には、もう一丁拳銃が握られている。なるほど、ジンは二つ拳銃を持っていたのか。俺が襲いかかった瞬間、彼は咄嗟に二丁目を出したに違いない。いつもジンは拳銃を一丁しか所持していないというのに…! クソ、やってしまったな。思い込みというのが一番厄介だということを忘れていた。内心で舌打ちを零すと、ジンはゆっくりとこちらへ近づいてくる。
「この期に及んで、まだ目が死なねぇ。戦うことをやめねぇ。どういう精神構造しているんだ…?!」
「はは、ざまあみろ」
「チッ、まあいい。これでもう本当に動けねぇだろ」
ジンはコツコツと靴を鳴らしつつ、歩いてくる。その音を聞きながら、俺は必死に身体を動かそうとしていた。まだだ。まだ俺には意識がある。身体は既に痛みさえ感じなくなってはいるが、生きることを諦めたくない。動け、動け、動くんだ。
――――その時だった。
突然、目の前にいたジンが崩れ落ちたのだ。
俺の目の前を鮮やかなネイビーブルーが彩る。
「お前、何してやがる」
ぶっきらぼうで、愛想なんかまるでなくて、
「そいつは俺の――――」
口を開けば暴言ばかり。
可愛げなんて一つもなくて、決して良い大人とは言えない。
でも、俺の、
「息子だ」
――――最高にカッコイイ
その父が、この場にやって来た。
その瞬間、俺の目尻から涙が零れ落ちる。えも言えない感覚が喉までせり上がってきた。無性に叫びたくなる。唇はわなわなと震え、激しい感情が自分の胸の中で暴れまった。俺は心の中で抑えきれない感情をため息と共に吐き出す。鮮やかなネイビーブルーのスーツを自分の目に焼き付けた。時が止まったかのような感覚に襲われる。
(本当に……この感情にどう名前をつけたらいいのだろう)
せり上がってくる感情に眉をしかめる。だって、同じだったんだ。小学生の俺が連続殺人鬼に捕まったあの時と同じ感情だったんだよ。おじさんに助けられた時の情景が脳内に鮮明に映し出される。唇を噛み締め、荒れ狂う感情を必死に押さえつけようと、俺の前にいるネイビーブルーのスーツの男を眺めた。
その時、何故だか分からないが、不意にあのメガネの少年とおじさんがダブる。
そして、ようやく俺は気がついた。
(ああ、そうか、俺がコナン君を信じた理由は――――)
俺のヒーローにどうしようもなく似ていて、でも、全然似ていなかったからなんだ。コナン君はいつだって正義のために戦っていた。どこまでも真っ直ぐで、カッコよくて、眩しかった。そう、彼はまるで正義の味方。人々を守る勇者。真実だけを追い求め、戦う彼の姿は、俺がかつて夢見た姿と同じだったのである。
(全く、俺もバカだなあ…)
思わず自嘲してしまう。いい大人が少年に憧れるなど恥ずかしすぎる。でも、自分の感情が分からなくても、俺が馬鹿でも、一つだけは理解できた。俺はジンに勝ったのだ。おじさんがこの場に来てくれたおかげで。そこまで考えて、俺は口を開く。
「おじさん」
「零、オメェのその格好なんだよ!馬鹿か!」
「おじさん」
「おら、早く病院へ行くぞ」
「おじさん」
「あ? 何だよ」
「何、病院を抜け出してんだよ、このクソ親父!!」
「はあ?!」
俺の身体はもうボロボロ。だが、その時は何故か人生で一番の大声がでた。おじさんはギョッとした顔でこちらを見る。そして、次の瞬間、目を吊り上げ、言い返してきた。
「お前のためにこっちは頑張ってきたんだぜ?! 確かに医者に止められたし、『今まで寝てたくせに何でアンタそんなに動けるんだ』って言われたけどよ!」
「それが原因だよ馬鹿!! 仮にもおじさんは病み上がりだぞ?! アンタの身に何かあったらどうするつもりだったんだ!! 何で来たんだよ馬鹿!!」
「馬鹿って言った方が馬鹿なんですぅ〜〜ボロボロのレイ君に言われても説得力ないな〜〜??」
「その口調やめてくれ! 鳥肌が立つ! そんなんだからハゲるんだぞ!」
「誰がハゲだクソガキ!!」
「ああ?! 上等だクソ親父!! 」
ギッとお互いに睨み合う。数分ほどそうしていたが、直ぐに喧嘩の決着はついた。俺が全力で咳き込んでしまったからだ。そういえば俺は死にかけだった。これ以上怒鳴り合えば、死んでしまう。こんな馬鹿げたことで死にたくないので、大人しく俺は口を噤んだ。それを見たおじさんはため息を吐く。
「おら、帰るぞ」
「…うん」
そう言って、おじさんは俺を背負った。それと同時におじさんは「クソ重い」と呟く。ちょっとだけイラッとした。殴りたいなと思ったが、自重して、おじさんの背中へ身体を預ける。彼の背中から伝わるじんわりとした熱を感じながら、唇を噛み締めた。
(ほんと、何で来たんだよ、馬鹿)
おじさんが来なくたって、別の誰かが俺を助けてくれたはずだ。今、気がついたのだが、おじさんの他にも仲間達がこちらに来てくれているみたいだ。つまり、おじさんではなくても良かったのである。それなのにもかかわらず、おじさんは愚かにも先に飛び出してしまったらしい。馬鹿だ。おじさんは馬鹿だ。それで公安が務まると思ってんのか。
あの時だって、そうだ。俺を引き取る大人はおじさんでなくても良かった。小学生の俺が殺人魔に捕まった時だって、俺を助ける人間はおじさんじゃなくても良かった。酷いようだが、きっと俺はきっと誰でも良かったのだろう。ああ、そうだ、俺は助けてもらえるなら誰でも良かったんだ。この手を取ってくれるのなら、連れ出してもらえるなら。
(でも、あの時、あの場所で俺を助けたのは、他でもない、おじさんだった)
それだけは覆すことのできない『真実』。誰にも壊すことのできない、絶対的な真実だ。俺は助けてもらえるなら『誰』でも良かったが、その『誰か』がおじさんだったのだ。
(ほんと、散々な目に遭う俺は運が悪いな)
だけど、人一倍幸運だ。だって、俺はおじさんやヒロ、皆に出会うことができたのだから。その上、本当に大切なことを色々な人から教わることができた。
エレーナ先生には自分がどうあるべきかを。
ヒロには勇気と、進むべき道を。
そして、おじさんには生きることを教わった。
どれが欠けても、きっと俺は駄目だった。皆がいたから、今の俺があるのだろう。死んでいった仲間達が次々と脳裏に浮かぶ。今までは俺を責めていた幻想達が、今日だけは何故か笑顔だった。
なあ、ヒロ、みんな、俺、戦ったよ。ジンに勝ったんだ。ちょっと死にそうになっているけど、なんとか生きている。だからごめん、まだまだそっちには行けないみたいだ。俺にはやることが沢山あるから。
俺はおじさんの背中で小さく笑った。
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end