この話には一切関係ありませんが。
闇に闇を重ねたような、この世のあらゆる生が否定された空間。
視界から受け取る情報は、周囲がどれほどに狂っているか、俺をどれほどに狂わせてくれるかを教えてくれる。
既に床や壁といった概念は異界の入り口にかき消され始めており、形を保っているのは、ただ平面とも立体ともつかない魔の円陣だけ。
魔の円陣の中央は空間内で唯一光を発してはいるものの、それが闇と同種のものという感覚を、きっと目にした誰もが抱くはずだ。
光とともに噴き出すのは、生命を、理を食い破らんとする深淵の魔力。
常人では耐えられない程に濃い、うねり狂う魔の本流が、俺の頭をぐしゃぐしゃにしていく。
侵されていくのは精神だけではない、寒気、嘔吐感、頭痛、呼吸困難――――あらゆる体の異常が、俺に訴えている。
イマスグ、ココカラ、ニゲロ。
この闇の中は、決して人が存在していい場所ではない。
ましてや――――この
「来るぞ!」
全てが歪んだこの空間を切り裂くような、強く鋭く通る声。
その一声に応えるかのように、俺以外の人間は、各々の武器を手に円陣の中心へ構える。
市井の武器屋ですら売っているだろう、命を預けるにはあまりに頼りない鉄のガラクタ。
そんな物を構えて、一体何ができるというのか。
彼らの理性はとうに狂ってしまっているのかと思ったのも束の間、そうでないことはすぐに分かった。
歯の根はがたがたと鳴り、槍や剣を持つ腕も、立ち向かうべく開かれた脚も、高揚とは真逆の震えを起こしている。
彼らも悟っているのだ、命が助かる可能性など最早、万に一つも在りはしないのだと。
そうして狂乱の緊張の中、死の覚悟を決めるにはあまりに短い時間の後。
点が。
円陣の中心、魔力が吹き出す最も濃い光の中、闇を体現する点が現れる。
点は次第に大きさを増し、それが強大な力を持つ異界の存在であると、壊れかけた脳の奥で知る。
小さな点であった闇が、人間の大きさを超え、今までに目にした全ての魔物より巨大になって、ようやく真に実感する。
大地を踏み荒らす双頭の魔獣が、進路に立ちはだかることすら無意味に蹴り潰すだけで。
大の大人も飲み込んでしまうだろう口で、戯れに噛みついただけで。
魔獣の背に堂々と座する、破壊の巨人が狂乱を誘う声を発しただけで。
無数に所持している、腕の、腰の、背の武器を何気なく振るっただけで。
あるいは――――目を合わせただけで。
俺のちっぽけな生命は、いとも容易く紙屑のように千切れ無くなってしまうだろう、という単純な事実を。
あまりに弱い俺だが、しかし他の人間にしても大した差は無いに違いない。
運よく盾を張って一撃を躱し、奇跡の如く剣の腹で凌いだとしても、決して次など在りはしない。
そして愚かにも敵を倒さんと武器を振るえば、刃が届くその前に、必ず行動不能の損傷を負う。
それほどの力の差を、この空間に立つ皆が否応なく魂に刻まれている。
絶望の中で、先ほど皆に臨戦の声を掛けた、俺の前に立つ青年を見る。
確かユリアンと名乗っただろうか、数刻前に出会ったばかりの緑髪の青年の表情を目にして、俺は思考が止まった。
笑んでいた。
この戦にもならない戦場が、まるで望むべくして臨んだ状況であるかのように、青年は笑んでいたのだ。
気付いた時には、深淵から現れた闇の巨躯が、憐れな生贄を見定めていて。
――――血を流せ
耳朶を打つ魔人の声を合図に、希望無き戦闘は始まった。