ロマンシングブレイカー・ブレイカー   作:時鳥羽 逢

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 魔戦士公アラケス。

 それは六百年以上も前から伝説に名を轟かせ続ける、魔物の形をした災厄だ。

 

 かの昔、世界を闇に染めた魔王がいたという。

 魔王は人の世を支配するために、深淵の門(アビスゲート)を開き異界の力を得ようと試みた。

 (ゲート)の向こうには、深淵(アビス)の王として君臨する四体の魔物、四魔貴族が存在していた。

 魔王は彼らに打ち勝ち、四魔貴族の力を我が物として君臨した。

 アラケスはその中の一体、血と戦に飢えた戦士であり、戦場に身を殉じると誓約した魔王、その覚悟に膝をついたとされている。

 

 魔王の没後は、他の四魔貴族たちと同様に暗黒に染まった世界を支配し、長き戦乱の時代を愉しんだのだという。

 終止符が打たれたのは今より三百年前のこと、聖王と名乗る者が平和のための反逆を始めたのだ。

 熾烈な戦いの結果、聖王とその仲間により、アラケスを含む四魔貴族は(ゲート)の向こう側に送り返された。

 聖王と十二人の英雄が命を懸けて立ち向かい、ようやく世界は平和になったのだ、という、今や御伽話の登場人物。

 

 

 

 そんな伝説が、目の前で咆哮を上げている。

 

 

 

 繰り広げられているのは、ひどく残虐な光景だった。

 腕の一振りで薙ぎ倒される、人間という名の雑草。

 人の身で対峙するにはあまりにも掛け離れすぎた、生物としての力の差。

 

 しかし異様なのは、むしろ人間の側の方だった。

 一人の人間が、幾度もアラケスの前に立ちはだかるのだ。

 暴力に倒れれば、仲間に回復の術や魔法薬を投げかけてもらい、何度でも、何度でも立ち上がる青年。

 立ち上がったところで、次の瞬間にまた倒されるのは分かっているだろうに。

 何より、もはや勝ち目なんて欠片も残っていないはずなのに。

 

 勝ち目という言葉が、そもそもこの空間に存在しなかったことは、彼の仲間を含め、誰もが知っていたはずだった。

 けれどユリアンは不気味に爽やかに笑うだけで、己と仲間たちを死地へと連れて行ったのだ。

 俺も含めて、どうしてだろう、彼の行動を止めることは出来なかった。

 実際のところ、笑みの向こうにいかなる考えがあるのか、怖いもの見たさというやつだったのかもしれない。

 

 アラケスとの対峙までの道程も、俺たちの判断力を狂わせる要因ではあった。

 既に深い探索を済ませていたのだろう、設置された転移魔法陣を当然のように扱い、最深部に到達するまで、迷いの無い足取りは崩れなかった。

 先導するユリアン、彼の走る速さは、幼い俺がついていける程度。

 だが、魔物の群れの中心を一切の躊躇無く走り抜ける胆力は、人間とは思えないくらいであった。

 

 それが単なる無謀では無かったことは、結果を見れば明らかだ。

 魔物の魚に乗り宙に浮く死神、物陰より突如襲いかかる骸骨竜、筋骨隆々の戦鬼に至っても、ユリアンの後に従いさえすれば、奴らに触れられる事すら無かったのだから。

 アラケスに挑み、勝利することもーーーーそんな夢物語を、欠片も考えなかったとは言えはしない。

 だがそれも、魔人と対面するまでの話だ。

 

 

 

 これほどの恐怖を抱くならば、むしろ武術など知るべきではなかった、とさえ思った。

 少々武器の振り回し方を齧っただけの子供である俺にすら、アラケスの異様さは身に染みて感じられたのだ。

 人の身では決して振るえない凶器、従えられない巨獣。

 単なる力だけで見ても、人間が対抗する術など在りはしない。

 

 何より恐ろしいのが、アラケスの振る舞いが武人のそれである、という現実だ。

 洗練された動きの片鱗を、その挙動からは明らかに読み取れてしまう。

 規格外の力を知性の下に振るったなら、それは正に伝説の怪物、御伽話の登場人物でもなければ立ち向かうことはできまい。

 実際に技を見せることが無いのは、俺たちにその資格が無いというだけの話だろう。

 事実、暴力にすら満たない雑な攻撃を加えるだけで、ユリアンの身体は吹き飛んでしまうのだ。

 

 俺を除く四人の戦士は、ユリアンを前衛として残りの三人がその背を固める陣形をとっていた。

 ナジュの砂漠に生きる戦士が好んで組んだという、砂漠の槍(デザートランス)という陣形だ。

 前衛に立つ一人を皆で補助する効果があり、仲間を背負う強さと、行動の自由度をもたらす。

 反面、先頭の者は敵からの攻撃を一身に受けることとなる。

 ゆえにユリアンは自身の回復を仲間に頼ることで、仮初の膠着を作り出していられるのだ。

 

 戦況を観察している俺は、傍から見れば冷静に見えるだろうか?

 だが、頭を必死に動かしているのは、単に身体が動かないからに過ぎない。

 魔人を一目見ただけで、身体を支える力が根幹から崩れ去ってしまったのだ。

 眼前で繰り広げられる地獄を現実だと飲み込む、それだけが俺に許された現実逃避だ。

 次の瞬間に、魔人の気まぐれで、命を落とす。

 戦う力もなく、逃げることすらできず、彼らに声を掛けることさえままならない。

 張りつめた緊張の糸が途切れて戦線が崩壊すれば、次の瞬間、この空間に生きた人間は居なくなるのだから。

 

 しかし魔法で怪我が治ろうと、薬で体力が回復しようと、命そのものは尽きてゆく。

 既に幾許も無いだろうユリアンの生命力、それでも彼は、笑んで立ち上がる。

 都合九回目となる、アラケスの突進。

 そして同じく九回目、これで最後だと告げられる仲間からの薬の投擲。

 立ち上がったユリアンは、いよいよ悪魔のように頬を上げて、アラケスに対峙した。

 

 次は無い。

 俺の確信は恐らく正しく、だというのにユリアンはあろうことか、手に持った剣を天に(かざ)した。

 まだおれは立っている、と吼えて。

 その挑発は、果たしてどのような意図だったのだろうか。

 数秒の静寂を許したアラケスは、明確な怒気を滲ませて、腰から武器を手に取った。

 両手に無理矢理に掴んだ異形の五振りは、投擲武器の類か。

 それらの数が、ユリアンと仲間たち、シャール師匠、そして俺の五人を示すものだと気付いた時には、遅かった。

 かの聖王伝説に残された、多数の利を一撃にて消滅させる一斉投擲の奥義、大回転。

 次の瞬間、俺は意識を失った。

 

 

 

 星の瞬く夜空、夕日はとうに沈んでいた。

 か細い月明かりの下、背に石畳の固さを受け取って、俺は目を覚ました。

 痛む身体に鞭打って起き上がれば、目の前に聳えるは夜の魔王城。

 周囲に横たわるユリアンの仲間たち、シャール師匠の姿を見つけ、安堵の息を吐く。

 皆も、恐らくアラケスの大回転を受けて倒れたのだろう。

 細かな経緯は分からないが、情けを掛けられ命を拾った、つまりはそんなところか。

 

 想像を働かせているうちに、全員が揃っているわけではないと、遅まきながら気付く。

 張本人たるユリアンの姿が無いのだ。

 困惑の中、思い返すのは彼の最後の姿。

 命を振り絞って立った彼が、あの大回転をまともに受けたとしたら。

 それは残酷なことに、充分過ぎる程に説得力のある可能性だった。

 

 だとすれば。

 今、誰もいないはずの目の前から聞こえた声は、ユリアンの魂の声か、或いは俺の心が生んだ幻聴なのだろう。

 アラケスは強い、まだ勝てないーーーーそう聞こえた。 

 

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