シャール師匠が死んだと、ミューズ様からの手紙を受けて知らされたあの瞬間、俺の中で何かが弾けた。
それは、忘れていた記憶だ。
転生する前の俺の人生の全て、そして転生するにあたって神に望んだ、条件付きの願い。
すなわち、「他の転生者に害されるまで前世に関する記憶を封じる」こと。
転生することとなった理由は、神の不手際、運命の誤作動などというよくある話で、俺の前世も含めてもはや些事である。
生前と同じ世界ではなく、何故にわざわざゲームの世界なのか、と聞きたくもなるだろうが、その理由も神の気まぐれだったので手に負えない。
今となっては、転生者には一人につき一つ願いを叶える権利が与えられる、そんな取ってつけたような事実だけが重要だ。
ゲームの世界へ転生する、などという空想じみた体験をするにあたって、俺はあえて真剣に生きることを望んだ。
元とは異なる世界だとしても、それが創作物の世界だとしても、生きている者を踏みにじってはならない。
その信念のもと、俺は願いで自身の来世を縛り、同時に解放の条件をも付け足した。
他者の介入を受けた時点で、その世界の…………なんというか、純粋さのような概念が、汚されてしまうと思ったのだ。
ならば自身が正すしかない、それが傲慢であるとは思っても、他人の傲慢に付き合わされるよりはずっと良い。
例えば、まさに今の状況のような。
ゲームにおける主人公の一人、ユリアンとして生きた人間は、俺の記憶が解放されたことから、転生者だったと判明した。
間接的にせよ、育ての親とも言えるシャール師匠の死は、「害される」の範疇だったようだ。
だとすれば、俺がユリアンに連れられてアラケスの大回転を受けた事についてはどうなのか、という疑問も出る。
想像でしかないが、仲間としても認識されていないキャラクターである
コマンダーモードにも似た状態、と考えれば辻褄は会う…………というか、これ以上は結論の出ないことだろう。
ユリアンが神に望んだ願いは恐らく、「ゲームのルールを現実に適用させる」ことだ。
ユリアンの行動に誰も異を唱えられなかったのは、
魔王城での道中、一度も魔物と戦わずに済んだのは、コントローラで操作するがごとく敵を避けていたから。
俺たちには止まらず走っているように見えても、何度も
そしてアラケスに挑んだのは、死ぬためだ。
正確には、己の死と同時に敗北して戦闘を終了させる、という条件を果たすため。
最初からユリアンが狙っていたのは、このゲームの中でも飛び切りに馬鹿げた、俗に主人公交代と呼ばれる
もしも現実にこの技が実行されたとすれば、外形と能力を他人のものとして、主人公という性質、つまり人格を移し変える事が出来るのだろう。
似ているどころではない、ウンディーネの笑みは、まさにユリアンのそれだったのだ。
ことり、と紅茶の入ったカップを差し出して、古ぼけたテーブルの対面に座る。
ハサミでは持ちづらかろう、その口では飲めないだろう、そもそも紅茶などを飲むのだろうか。
しかし俺のもてなしは、ありがとうの一言とともに、何の問題もなく受け入れられた。
飲むのか、そして飲めるのか。
ふう、と吐いた小さな息の意は舌鼓だろうか、感情の読みにくい甲殻類に、僅かな安堵を抱く。
この反応からすると、旧市街では手に入らない高級品を出した甲斐はあったといえる。
勝手知ったる他人の家、茶葉も茶器も、位置も扱いも頭に入っている。
自分のものではないとはいえ、無駄になるかもしれなかったとはいえ、客に下手な茶は出せない。
それは、ミューズ様に屋敷を任された俺の矜持でもある。
ソーサーを鳴らし、青緑色の目が、俺に向けられる。
同じく転生者であったボストンは、「人外の里で自適に暮らしたい」という願いから、最果ての島に生まれたのだという。
場合によっては、妖精の村、ゆきだるまの住む雪の町、あるいは象族の住むラシュクータなどに生まれていたかもしれない。
平和的かつ夢のあるその願いだが、しかし彼が生まれることとなった最果ての島には、一つの脅威があった。
四魔貴族の一、フォルネウスが送り込んだ水龍の存在である。
ゲームの設定に従って、というべきか、島を破壊しようとする水龍だったが、しかしボストンは抵抗する気が無かった。
いずれかの主人公がじきに現れ、討伐してくれるだろうと楽観的に考えていたからだ。
だが、予想通り島に人間が到着したものの、彼らはボストンの考えるような人格者ではなかった。
確かにゲームプレイヤーの視点から考えれば、水龍を倒しても魚鱗というアイテムが手に入るだけ。
魚鱗は周囲に出現する魔物でも持っているため、必ずしも手に入れる必要はないものだ。
さらに言うなら水竜が倒されようと、最果ての島が滝に削られ、いずれは消える運命にあることは、島の住人も知る事実ではある。
それでも。
勝手に死ね、と言い捨てた悪意に、ボストンが反感を覚えるのは当然の事だったろう。
調べてみれば、ウンディーネ…………いや、ユリアンは、力を求め、今や暴虐の限りを尽くしているという。
確かにゲームを知り尽くしていれば、武器防具や技術などを集めていくことは難しくないだろう。
単純なレベルの概念が無く、特に装備が重要であるこのゲームでは、防具を固めるだけでも、そこらの魔物では歯が立たない程の防御力を得られる。
ゲームシステムの知識があるなら、体力や武器の腕前などの
さらには、このゲームにはトレードというミニゲームがある。
会社の買収合戦を行うこのミニゲームは、究極的には、金で世界を動かすほどの規模にまで発展しうる。
商業の盛んなヤーマス、ウィルミントン近辺では、新興の巨大会社『ユリアンカンパニー』の名を知らない者はいないという。
一介の冒険者ではなく、世界を牛耳る支配者として、楽しんでいるに違いない。
勿論、一個人の戦力としても規格外な程に力を蓄えてはいるだろうが。
ボストンが会った時には、ミューズ様はひどく沈痛な表情だったという。
世界を救うと大言壮語した人間が、まさか真逆の行動をとるなど、誰が思うだろうか。
ゲームの制約上、ミューズ様は自分から仲間を外れることは出来ない。
ある種囚われの身のミューズ様は、いかなる心境でユリアンに従っているのだろう。
ふと思い付き、ミューズ様の姿が心動かしたのか、と問うと、ボストンは単なる義憤だと苦笑した。
「それで、ゴン。
一体どうするつもりだ?」
「殺す。
身内が死んでいるんだ、話し合いで方がつく段階じゃない」
俺は端的に言った。
「無力化できるなら、それでもいいとは思った。
しかし最悪の可能性ではあるが、ユリアンはゲームデータのセーブとリセットを行う事ができる、と仮定して行動するべきだ」
ユリアンが
細かな条件があるからこその裏技なのだ、一歩間違えば、ただ命を落とすだけ。
死の危険を前にして、あのような底冷えのする笑みを浮かべていたのだ。
筋金入りの狂人か、或いはそもそも命など掛けていなかったに違いない。
「よって、狙うのは睡眠時の暗殺、一択だ。
殺す前にリセットされてしまったら、どんな重症であろうとも無駄になる可能性があるからな。
そして一度リセットされれば計画の全てが破綻する、二度目は無い、失敗は出来ない」
「…………確かにな。
相手は、その気になって何度も同じ時間を繰り返せば、膨大な情報を得られるわけだ。
それこそゲームのように」
「だがこのゲームには
ユリアンの場合は十度の攻撃を受けなければ、命が尽きることは無い。
いや、今はウンディーネの身体だから、七度か。
勿論、一度目は即死級の攻撃が必要となる計算だ。
さすがに就寝時には装備を付けていないと思うが、それでも体力は限界値まで上げていると見るべきだろう」
「それは、かなり厳しいのではないか?
そもそもお前の見立てでは、奴に危機を感じられてしまったら、それだけでアウトなのだろう?
たとえ意識が朦朧としていようと、咄嗟に、ということは充分に有り得る」
「ああ。
だから、目覚めずに十回、死んでもらうことにした」
そう言って俺は席を立ち、机の引き出しからある物を取り出す。
「アイテム作りの天才、朱鳥術士ボルカノと、天才発明家の女教授。
二人の奇跡的な共同製作となる、昏睡薬『冥王の吐息』だ。
人間が喰らったなら確実に意識を失う。
いくら体に刃を突き立たれても目を覚まさないほどに、深く」
「…………なんでそんなものが」
「ミューズ様の飲まされた夢魔の秘薬を参考にしている。
幸い、あの時は全ての薬を使わなかった。
ああ、彼らが手伝ってくれた理由か?
教授は、ユリアンが彼女のペットを捕らえて売り飛ばした、と報せたら快く手伝ってくれた。
ボルカノは…………ユリアンがウンディーネの肉体を奪っていると知ると、確実に殺す事を条件に手を貸してくれた。
愛憎半ば、ということなんだろうな。
野暮な事は言いたくないが」
「いや、そうではなく!
ゲームに存在しなかった、そんなアイテムが創れる理由だ!」
「逆だ、出来ない理由こそ無い。
奴がこの世界をゲームとして楽しむなら、俺は
そう考えただけだ」
シナリオ外の
そんな制限なんて、そもそも存在しないのだ。
「ユリアン一行の居場所を突き止め次第、作戦を行う予定だ。
この世界では情報の伝わる速度が遅く、なかなか見つけることは出来ないが。
奴を殺しミューズ様を解放した後ーーーー俺は、四魔貴族を倒す」
「それは…………」
世界を救う気などさらさら無い、目的は身内だ。
アビスゲートを閉じれば、命を落とした仲間が一人だけ蘇る。
それはゲームでも存在した設定であり、シャール師匠が生き返る僅かな可能性だ。
「解っている。
全てのアビスゲートを閉じ四人の人間を蘇らせても、その中にシャール師匠はいないかもしれない。
あるいは、力及ばず死ぬだけかもしれない。
それでも、俺はやる」
伏せていた目を上げて、ロブスター族の戦士を見遣る。
ユリアンを殺すだけなら、既に準備は整っている。
そして、それ以上となると完全に俺の私情だ、彼には手を貸してもらう理由が無い。
ボストンにこの話をした時点で、単なる甘えでしかなかっただろう。
だが、彼は皮肉げにくつくつと笑い、右腕を差し出した。
「同じ転生者のよしみ、という奴だ。
それに、奴の行動は気に食わないが、お前のような命知らずの人間は、嫌いではない」
俺は上がりそうになる頬を左手で隠して、照れ隠しに言う。
「そのハサミ…………まさか、握手のつもりじゃないだろうな?」
「ロブスター族には、そんな習慣は無かったものでな。
ああ、
「勿論だ」
緩やかに突き出した拳とハサミがぶつかり合い、鈍く響く。
初めての仲間と鳴らした音は、恐らく決意の音だった。
この世界が
それからーーーー夢にまで見た、現実を始めよう。
〈了〉
一言頂ければ幸いです。