「序」からの続きとなります。
今までの文章を流用した箇所があります。
蛇足、自己満足以外の何者でもありません。
槍を振るう。
無心ではいけない、思考を研ぐが如く振れ、と教わった。
師匠はもういない。
守るべき人も遠くへ行った。
何のために、と零れかけた疑問を、見えない敵を切り裂くように、槍を振るう。
もっと速く振るえれば、もっと重く叩ければ、もっと鋭く突き出せれば。
決して届かない想像の中の最適を、一振りごとにさらに修正して。
まだ先がある。
もっともっと強くなれる。
遅々としてついて来ない己の身体に歯噛みしながらも、ただ、ひたすらに。
槍を振るう、槍を振るう、槍を振るう――――。
「そこの少年よ、少々尋ねたいのだが、」
背に声を受けたのは、架空の相手に《二段突き》を射ち込んでいた時だった。
首にかけたぼろきれで額の汗を拭き、《ロングスピア》を地面に差して振り返る。
そして、俺は自分の目を疑った。
俺に話しかけていたのは、人間ではなかったからだ。
鎧にも見える真っ赤な甲殻は、てらりと滑らかに光を反射する。
両腕の先は手のひらではなく、人間の頭くらいなら掴み取れそうな大きさのハサミだ。
足の間からちらりと覗いたのは、幾重もの段で覆われた、甲殻類特有の尾。
二足で直立している人間大のシャコもどきが、そこにはいた。
肩には杖を担いでいて、その先に唐草模様の風呂敷包みを括り付けているのがシュールだ。
「ミューズ、という女性の家は、この辺りで間違いないかな?」
その言葉に、見たこともない魔物(モンスター)への危機感を押しつぶして、熱が頭の中を占める。
なぜ、この魔物は、ミューズ様の名を知っている?
まさか、こいつは。
「お前……マクシムスの手先か!」
柄を握る右手に力が入る。
丁度得物を持っていたのは行幸だった。
魔物を見据え、両手で確と槍を構える。
はっ、と戦気を吐き出して、敵へ向けて疾走を開始する。
「あっ、いや、違」
何事か戸惑っている魔物は隙だらけで、牽制も必要ないと判断する。
俺の持つ中で最も一撃の強力な技を、最短で、最速で繰り出す。
飛び込んだ身体ごと、力の全てを穂先に込めた一撃は、
「《スパイラルチャー「(ハサミ)《カウンター》!!」
力の全てを俺自身に叩きつけられた。
見事にかわされた槍をすり抜けるように、どごり、と腹にハサミがねじ込まれる。
口から気体と液体を残らず吐き出してしまいそうな打撃は、そのまま俺の身体を吹き飛ばした。
石畳を撥ね転がり、背を民家の壁にしたたかに打ち付けて、ようやく勢いが止まる。
「やべ、これは死んだかな。
おーい、生きてるー?
LP削れてないー?」
背と腹、両側からの激痛を堪え、起き上がることもできないままに、けれど継戦の意思だけは飛ばさない。
顔を覗き込んだ異形を睨み付け、槍を握る左手を僅かに引くも、一本のハサミで器用に取り上げられる。
「うわあ、なんつう気力だよ。
ってか、勘違いだっつうのに。
やっぱ街に一人で来ない方がいいのかなー」
魔物は頭を掻くような動作をして声色を変え、
「それはともかく、だ。
少年がゴンで間違いないな?
ミューズという女性から頼みを請け負ってここに来た」
耳を疑うようなことを言ってのけた。
***
ことり、と紅茶の入ったカップを差し出して、古ぼけたテーブルの対面に座る。
ハサミでは持ちづらかろう、その口では飲めないだろう、そもそも紅茶などを飲むのだろうか。
そんな嫌がらせ混じりのもてなしは、ありがとうの一言とともに、何の問題もなく受け入れられた。
飲むんだ、そして飲めるんだ。
ふう、と吐いた小さな息の意は舌鼓だろうか、感情の読みにくい甲殻類に、僅かな安堵を抱く。
この反応からすると、旧市街では手に入らない高級品を出した甲斐はあったといえる。
勝手知ったる他人の家、茶葉も茶器も、位置も扱いも頭に入っている。
自分のものではないとはいえ、無駄になるかもしれなかったとはいえ、ミューズ様の客に下手な茶は出せない。
ソーサーを鳴らし、甲殻類が俺に顔を向ける。
「まだ名乗っていなかったな。
私はボストン、世界の果てに住んでいるロブスター族の戦士だ」
世界の果てやら謎の種族やら、聞きたいことがばんばん出てきたけれど、まずは、
「俺はゴン。
それで、ミューズ様の頼みって、何」
一番気になることから聞くことにした。
しかし甲殻類――――ボストンは組みづらそうな腕を組んで、ううん、と唸る。
「そうだな。
長い話になるが、聞くか?」
「頼む」
「そこは『はい』か『いいえ』か『いやです』だろ」
「何でもいいから始めてくれ」
「それじゃあゴン。
ピドナに住んでいるなら、魔戦公アラケスの名を聞いたことがあるな?」
どくん、と心臓が震える。
名前だけで、その名を耳にしただけで、恐怖が蘇る。
アビスの本流。
魔獣の息遣い。
迸る血と悲鳴。
生殺与奪の権利を完全に奪われた空間。
「聞いたどころか。
俺はこの目でアラケスを見たよ」
「…………なに?」
「命知らずの冒険者に連れられて、な。
どうしてだか生き残ったが、二度と会いたいとは思わねえ」
「その冒険者、ユリアンという名か?」
頬を歪めて頷くと、ボストンは息を一つ、深く吐く。
「アラケスと肩を並べる魔物の王が、あと三体、存在する。
正確には王ではない――――かの昔、魔王に従属を強いられたからな。
奴らは四魔貴族(よんまきぞく)と呼ばれている、深淵(アビス)の向こうの支配者だ。
ユリアンはそいつらを倒そうと旅をしている。
この時代に平穏をもたらすために、仲間を集め力を蓄え、何より命を懸けている」
「ああ、それは本人から聞いた」
「――――というのは、嘘だ」
ぽかんとする俺を焦らすかのように、悠然とカップを傾けるボストン。
「ユリアンは、四魔貴族を倒す、その名目で好き勝手することだけを考えている。
力を武器に、世界を盾に。
既にあいつは、四魔貴族の全員を倒すことができるほどに強くなっているだろう」
「な、なんだそれ。
じゃあ、それじゃあ――――」
「ユリアンと共に旅をしている、ミューズ」
俺の思考の先を読んだかのように、ボストンはミューズ様の名前を口にする。
アラケスに俺やシャール師匠ともども倒され、奴の棲む魔王殿の外に投げ出されたユリアンは、そのまま姿を消した。
その数日後のことだ、ミューズ様が怪しげな薬によって、目を覚まさなくなってしまったのは。
そんな危機にユリアンは、計ったかのようなタイミングで現れた。
ユリアンは、まさに英雄のようにミューズ様を助け出したのだ。
助けられたミューズ様は、それまでの体の不調などなくなってしまったかのように元気を取り戻した。
その後、ミューズ様は。
「彼女の頼みは」
シャール師匠とともに、ユリアンに乞われ旅立ったミューズ様は。
戦死だとシャール師匠の訃報だけを手紙に記して、未だ独り帰らないミューズ様は。
世界を救ってくるから、この小さな家を、帰る場所を守って欲しいと俺の頭を撫でたミューズ様は。
「助けて欲しい、と」
床を蹴った。
テーブルが邪魔だ、扉が邪魔だ、立ちはだかるボストンが邪魔だ。
槍は家の外だ、ボストンに素手で殴りかかるが、ハサミで首元を掴まれ床に叩きつけられる。
「どけぇ!!!!」
「話はまだ終わっていない」
そのまま、床に押さえられた。
ハサミの拘束からは抜け出せない、蹴り飛ばすだけの力もない。
力を抑えているのだろう、ハサミで締める首に掛かるのは最低限の圧力だけだ。
ただ忘我に暴れまわるにも、それを為すにはあまりに力が足りない。
手加減されてこの有様だ。
悔しい、己の弱さが恨めしい。
「最初に言っただろう。
私は『頼みを聞いてきた』のではない。
『頼みを請け負ってきた』のだ」
ボストンは感情の読み取れない青緑色の瞳で、俺を射抜いて黙らせる。
「解るか。
ゴン、お前への頼みではない。
ミューズから私への頼みが、先の言葉だ」
「…………分からねえよ。
ミューズ様があんたに助けてくれと頼んだなら、俺は関係ねえじゃねえか。
あんたに負けるようじゃ、ミューズ様を助ける戦力にもならねえ。
そうだろ?」
「関係無くはない。
お前の弱さもな」
抵抗を止めた俺を解放して、ボストンは立ち上がる。
やはり感情の読み取れない目を俺に向け、何気なく、本当に何気なく、俺にハサミを差し出した。
「ミューズを助けたいと願う、お前の助けとなれ。
それが、ミューズから請け負った頼みだ」
すぐには理解が及ばなかった。
それは、自身を助けてくれと頼むのと何が違う?
それも、俺より絶対に強いボストンに手間を掛けさせてまで。
保身のために俺をダシにする、ミューズ様はそんな人間では決してない。
だから、ボストンの言葉が真実なら。
ただ、俺の想いだけを案じて。
俺の心を見通して。
そして。
「さらに、お前宛てに伝言だ。
ついでに、ユリアンに代わって世界も救ってくれると助かる、と」
どこまでも俺を信じきって、自身すら叶えられなかった無茶で無謀な願いを、俺に託しているだけなのだ。
それが俺の願いにもなると、根拠もなく確信して。
あまりに弱い俺が、大それた願いを叶えると盲信して。
気付く。
ミューズ様から夢物語にも等しい頼みを引き受けた、この甲殻類も――――。
「もしかして、だけど。
このハサミ、手を引いてくれるつもり?」
「力加減は間違えんよ」
「どうだか」
立ち上がろうと起こした身体、その前で邪魔なくらいに存在感のある赤色に頬を歪める。
手に取った固いはずのハサミが、なぜだかとても柔らかく感じた。
***
「それでさ」
旅の準備を終え、愛用の《ロングスピア》を携えて、俺はボストンに向き直る。
準備といっても路銀も大して無いし、道具はボストンの持つ風呂敷の中身だけ。
予備の武器すら持っていない、着の身着のままの旅立ちだ。
「まずはこれから何処行くんだ?」
「仲間と武器防具を集めるのも、己を研鑚するのも重要だが、真っ先にやるべきことが一つある。
ランスに行くのだ」
「ランスってーと、聖王の墓だかがある町か。
おっ、あれか、聖王の試練ってやつだな!」
三百年前に四魔貴族をアビスの向こうに送り返し、平和をもたらしたという伝説の人物、聖王。
その聖王が残した由緒ある道具が、ランスには保存されていると聞く。
何でも、聖王の墓に用意された試練を乗り越えた者には、その聖王遺物が与えられるのだとか。
「今のお前が試練に挑んでも返り討ちだ。
そもそも、聖王遺物も魔王遺物もほとんど、既にユリアンが手に入れている。
試練も所有者も全て打ち破って、な」
「えっ、うわ、えー…………」
何だそれは。
いや、四魔貴族すら倒せるとは言っていたけれど、そこまで異常な強さなのか。
というか、強さそのものよりも、徹底して強さを求める心の方が恐ろしい。
…………あと、魔王遺物なんてものもあるのか。
そっちは六百年ものということになるし、聖王遺物より危険そうではあるけれど。
「じゃあ、ランスでは何をするんだ?」
その時、ボストンの顔の構造上在り得ないことだとは思うが。
目はにんまりと細められ、口角が上がり、実にいやらしい笑みを浮かべたような、そんな気がして。
「指輪転がしだ」
何故だろう、法のぎりぎりを全速力で駆け抜ける類のイメージが、脳内によぎった。
続きません。