「それじゃあ本題に入ろうか」
喜界島先輩は食べ終えた食器を端によけ、コーヒーカップを口にする。
「比企谷君は何が聞きたいんだい」
そういうと、カチャリとカップをコースターに置き、話を聞く体勢を整える。
「いくつかありますが、遠回りするのも面倒なので、核心から聞かせてください。喜界島先輩のその右腕の麻痺はいつからですか」
その言葉に喜界島先輩はぴくりと眉を動かし、そして笑みを浮かべた。
「本当に君は面白い。いつから気づいていたんだい?」
「最初に違和感を感じたのは駅前での握手の素振りでした。まぁ、これだけだったなら只俺と握手が嫌だった、で済む話ですが」
「ふむ」
相槌で続きを促すのでそのまま話を続ける。
「喜界島先輩は、エレベーターのボタンを押すときやメニューを広げるとき左手しか使っていませんでした。エレベーターのボタンは右側に設置されているので右手で押すほうが自然です」
「なるほど、よく見ているようだね。比企谷君の趣味は人間観察かなにかだったりするのかな。では、こちらからも質問だ。私が生まれつき右腕が動かせない可能性は考えなかったのかな」
「それも考えました。だけどそれだといくつかおかしな点があります。無意識に動かないほうの手で握手をしようとしたことや、僅かにぎこちない動きの食事です。これはあくまでも予想でしかないけれど、ハヤシライスを頼んだのも、利き腕じゃないほうの手だと箸やフォークの扱いが難しいから。以上が理由ですかね」
自分の考えを吐き出すと、喜界島先輩は満足そうに頷いた。
「事故や病気による後遺症の可能性は?もしそうだとしたら私のトラウマを抉っていた可能性もあるだろう?」
「その可能性が一番高かったです。けど、何というか」
喜界島先輩の凛と見開いた目は好奇心にあふれている。
「勘…といいますか、類は友を呼ぶというか」
「スタンド使いとスタンド使いはひかれあう、ともいうね」
「要するに…喜界島先輩。俺はその右腕の麻痺の原因が、思春期症候群じゃないのかと思っているということになりますね」
喜界島先輩の返事はない。
『他人の声が聞こえた』だとか『誰々の未来が見えた』だとか『人格が入れ替わった』だとか、そうした類のオカルトじみた出来事についての噂話。ネットの掲示板なんかで検索すれば、他にもゴロゴロと転がっている。
まともな精神科医は、多感ゆえに不安定な心が見せる思い込みだとバッサリと切り捨てている。自称専門家は、現代社会の生み出した新種のパニック症状だと語っていたし、面白半分の一般人の考察の中には集団催眠のようなものだ、という意見もあった。
つまり、世間一般的な意見としては、この思春期症候群という現象に関しては懐疑的なわけだ。
普通の人間ならそう思うだろう。
「…比企谷君は面白半分で思春期症候群のことを言っているわけではなさそうだね」
長い沈黙のあと、喜界島先輩はそう言った。
「病院にも行ったわ。右手が動かしづらいって。けれど、どの医者も体に異常は見られませんって、精神的に来る麻痺でしょう、とまともに取り合ってくれなかったわ」
現代医学は非常に発達しているものだと思われがちだが、それ以上に俺たち人間の体にはまだまだ解明されていないことが多い。そのため、精神的な症状なんかは原因不明とされることが多く、適切な処置をすることが難しい。
「確かにこれだけならば只の自律神経障害による麻痺なのかもしれなかった。だけど」
そう。これが大きな違和感の原因。只の病気ではないという考えの根拠。
喜界島志貴の右腕はわずかに透けていた。
俺の目線の先に気づいた喜界島先輩は左手で右腕を持ち上げる。
「不思議なことにね、これ、他の人たちには気づいてもらえなかったんだ。比企谷君には見えているみたいなんだけれど」
ハハッと力ない息が漏れた。自分の体が薄れゆくなか誰にもそのことに気づいてもらえないストレスは、深く考えなくとも高校生には…いや、どんな人間にも辛く、そして恐ろしいことだろう。
「本当によかったよ、比企谷君には見えているようで。いや、見えていない、ってほうが正しいのかな?どちらにせよ、一般常識的に考えておかしいのは明らかだし、科学的に考えてもうまい説明は思い浮かばない」
困ったものだよ、とつかんでいた右腕をもとに戻し、席を立つ。空になったカップにおかわりのコーヒーを淹れに行くのだろう。
「俺も取りに行くつもりだったんで、ついでに淹れてきますよ」
「そうか、ありがとう。ブレンドでよろしく」
喜界島先輩の目の前に置かれたカップを受け取り、ドリンクバーコーナーへと向かう。
カップをセットし、ブレンドと上に書かれた赤く縁どられたボタンを押すと、ゴウゥ、という音とともに水蒸気が出た。
コーヒーが入るのを待つ間に先ほどの先輩の言葉を思い返す。
「比企谷君には見えている」
何故俺には喜界島先輩の消えかかっている右腕を認識することができたのだろうか。
少なくともさっきまで喜界島先輩についてほとんど知らなかった俺は、千葉駅にいたその他大勢と変わらぬ一人と違いない。
それなのに、他の人には認識できない喜界島先輩の右腕の現象を俺だけが認識することができたという事実。
なにか理由があるはずだ。思春期症候群というやつは、決して理不尽に無作為にまき散らしている現象なんかではなく、何らかの根拠の上に成り立っている現象のはずだった。少なくとも俺はそう認識している。それは、俺がこの身をもって経験しているのだから。
ソースが俺だけ、なことが確証を得る理由としては少し弱いが。
点滅していたランプが全てつき、コーヒーが淹れ終わったことを教えてくれる。
ここで、一人で考えていても仕方がないだろう。せっかく本人がいるんだ、実際に聞いてみればいいさ。
「ありがとう」
淹れてきたコーヒーを喜界島先輩の前に置く。
大丈夫、確か左手に持ったのが喜界島先輩ので右手のが俺の…だよな。
一度心配になると、実際にはどっちだったのか不安が残るが、喜界島先輩はそんな俺の気持ちに気づくことなく、カップを口に運んだのを見て、考えるのもばかばかしくなり止める。
「比企谷君は思春期症候群についてどう考えている?」
「俺は、この現象は必ず理由のもとに成り立っているものだと考えています。例えば人から悪口を言われたことで心が傷つく、なんて言いますが、これが実際に身体的に傷が生じる、だとかは、悪口と体に現れた傷が関係していると考えられる」
「面白い考察だ。確かに的を得ているような気もする。やけに具体的なのは比企谷君だからかな」
含みのある言い方をしているということは、喜界島先輩はすでに気づいているのだろう。
「だけどそれだけだと根拠に欠けると思うんだ。例えば、思春期症候群に限らず、精神的な問題が体に症状として現れるものはいくらでもあるだろう。ストレスによっておこる帯状疱疹や、ストレスで胃に穴が開くなんて言われる胃潰瘍なんかはその例だ。まぁ、実際に結びついているかどうかについて疑問は残るところだが」
「そうですね、そういった医学でまだ解明しきれていないことも含めて思春期症候群といってしまうと大きな問題が起こりますね」
ストレスで胃に穴が開くことと何らかの心理的な影響で腕が見えなくなるのが同じ症候群というのは少し無理があるだろう。
「つまりこういうことですよ」
周りにこちらを見ている人がいないことを確認して、Tシャツの襟を引き下げた。
「おっと、比企谷君だいたーん」
言葉とは裏腹に、まじめな顔をした喜界島先輩がじっと俺の胸元を見つめる。
俺の胸元には傷がある。日本で生活をしている一般人には付きようもない傷。
心臓を貫くようにあるその銃創は今なお生々しく残っていた。
「…そうか」
ぼそりとそのあとに何かつぶやいていたが聞き取ることは叶わなかった。
「見た目だけなんですよ、これ。体内には何の影響も見られなかった。気づいたときには皮膚だけがこんな風にえぐれていた」
「なるほどね、これが比企谷君の思春期症候群の考察のソースか」
「原因…聞かないんすか」
「何、聞いてほしかったの?」
喜界島先輩は優しく微笑む。
「比企谷君が自分から話すまで私は聞かないよ。そこまで私は無粋じゃない」
「いいんですか、自分の思春期症候群の解決策のヒントになるかもしれないのに」
「あぁ、構わないさ。そんな風に後輩につらい思いをさせてまで知りたくはない」
それに、と言葉を紡ぐ。
「なにか気づいたことがあれば比企谷君が教えてくれるだろう?」
「どうしてそんなこと言えるんですか。俺と喜界島先輩はさっき会ったばかりなのに」
お互いよく知りもしない、この微妙な関係。昨日、今日会ったような人に何故ここまで信頼できるのだろうか。
「志貴さんは比企谷君のことちゃんと知っているから」
その言葉にドキッとする。
心拍数が高まる。
―――志貴さんは比企谷君の見方だから。
一瞬そんな映像が脳裏をよぎる。
記憶にない、少なくとも今の俺には記憶として残っていない。
だとすると今のは既視感だろうか。
「さて、整理しようか。比企谷君の考察が正しいものと仮定すると、私のこの思春期症候群にも原因があるものであると考えられる。となるとその原因は何だろうか?」
「それは先輩が一番わかっているんじゃないですか」
正直に俺に聞かれても、喜界島先輩について知らないので想像もつかない。ただ、
「深層心理の状況が表に出てくることが多いと思えます。だから、どちらかと言えば先輩の普段言葉にしない感情が原因として挙げられるのではないですかね」
「なるほどね。今日はありがとうね、深刻になる前に何とかできるといいね」
深刻になる前に。
その言葉が重くのしかかる。
喜界島先輩の思春期症候群は体の一部が麻痺とともに消えていくというもの。
今は右腕のみだが、これが全身に広がる可能性があるということ。
タイムリミットは喜界島先輩の存在がなくなるまで。
もしくは…、麻痺によって心臓の停止。
猶予期間がわからない今、この現状は早急に対処する必要があるだろう。
この日の不思議な先輩との出会い。
ここで俺の青春は分岐し、間違いはもう一つの道へと進みだした。
× × ×
「おにいちゃん、何してんの?もうご飯だよ」
振り返ると俺の部屋のドアから小町が顔をのぞかせていた。
ちらりと八重歯を見せる我が妹、この春から中学3年生になる小町は俺のTシャツをだらんと着ている。見た感じがバカそうなのはご愛敬と言ったところだろうか。
「ちょいと調べ物をな」
ふーん、と小町から聞いたのにも関わらず、興味もなさげにそう返答する。
「早く降りてきなよ、おかあさん待ってるよ」
階段を降りるとふわりと生姜の香りがする。
「…今日は生姜焼きか」
そんなことを考えながらリビングに入った。
「ほんで、おにいちゃんさっき何調べていたの?」
夕飯を食べ終えてソファでだらりと横たわる妹を横目に、食後のコーヒーを入れるために電気ケトルに水をそそぐ。
「食ってすぐ寝ると牛になっぞ」
「小町は小町なので牛にはなりませーん。あ、小町の分もね」
「あいよ」
もう一つマグカップを取り出し、インスタントコーヒーを放り込む。
「それで、何調べたの?」
「思春期症候群」
とは小町には言えなかった。
「ちょっとな。マクスウェルの悪魔について調べてた」
「うげ、なにそれおにいちゃん。悪魔とか厨二病っぽい」
「うっせ、ほっとけ。ほれ、砂糖と牛乳は適当に入れてある」
「ありがと」
自室に戻ると再びパソコンを開く。
液晶に浮かぶ文字は思春期症候群。スレッドに並ぶ言葉はどれも現実味のないこと。きっとこいつらが面白半分で挙げたものだろう。
「何々、幽霊が見えるが見えるだけ、か。それって意味あんのか」
寺生まれのTさんみたいに破ァッとかでお祓いできないのに、見えると只つらいだけじゃねーか。
当てもないので、適当なキーワードを打ち込み、ネットの波をサーフィンする。
甘いコーヒーを喉に流し込む。
「ま、そう簡単にわかる訳もない、か」
『これでわかる!?深層心理学!』と書かれたアホみたいな雰囲気のサイトを閉じた。
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