太陽の備忘録【完結】   作:8.8

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三十日目(Ⅰ)

「まだ……かな」

 

 辺りをキョロキョロと見回して、時計を見る。この作業を、ここに来てからもう何度繰り返したことか。自分でもソワソワしていて、落ち着いていないってのが分かる。

 今日は十一月三十日。つまり、記憶が継続する最後の日。本来なら病院にいないといけないのだが、許可をもらって外出を許されている。こころと一日中出かけることにして、今こうして駅で待ち合わせをしているわけだ。

 服はあの時買ったばかりのものを着ているから、身だしなみは問題ないはず。髪は……寝癖だけ直してきた。どこもおかしい場所はないはずである。

 約束までまだ五分ある。やはり早く来すぎたのかもしれない。

 

「はーやと~!!」

 

 時計にあった視線をフッとあげると、こころが手をブンブンと振りながらやって来たのが見えた。朝から元気いっぱいだな、いつも通り。

 彼女の服装は、ワインレッドのセーターにデニムのショートパンツ。私服を見るのは二度目だけど、よく似合ってるんじゃないかなと思う。静かにしてさえいれば綺麗な人だから。

 

「おはよう!! 早かったのね!!」

「ま、まぁね。おはよう、こころ」

「隼人も楽しみにしてくれたのね。嬉しいわ!!」

「別に……早く目覚めただけだよ」

 

 こころが俺の手を掴みブンブンと上下に振るのに対して、俺はプイッとそっぽを向く。意識して楽しみだと思っていたつもりはないんだけど、どうやら行動に出ていたらしい。それがすぐにバレたのは、何とも恥ずかしい話である。

 ……まぁいいか、バレたって。最後まで変な意地通し続けるのも変な話だ。

 

「それで、今日はどこに行くのかしら?」

 

 さて、こころから投げかけられるのは当然の質問。今日の行く場所は俺が決める、という事になっていた。今までその場所については、こころに何も伝えていなかった。

 でも、それは何も考えていなかったからではない。俺は財布から、二枚の紙切れを取り出す。それは人に渡すものとは思えないほど、グシャグシャに(しわ)が出来ていた。

 

「あら? これって……」

「覚えてる?」

「えぇ、あの時のチケットね」

 

 これは、俺が商店街の福引きで引き当てた水族館のペアチケット。貰った当初はいらないと思い、グシャグシャにして捨てようとしたものだ。結局捨てるに捨てられず、今までずっと持っていたのも何かの縁。きっと、神様が『ここに行け』と導いているんだと勝手に思い、今日の行先に水族館を選んだ。

 

「その、いいかな? 前はあんな事言っちゃったけど……」

「もちろんよ!! とっても楽しみだわ」

「そっか、それなら安心した。……じゃあ」

 

 俺が手を差し出し、こころがそれを握る。いつもとは、全く真逆の構図。今日ぐらいは俺が先頭歩いてもいいかなぁという、実は昨日から考えていたことだ。

 そんな事考えたとしても、きっとこころには通じないんだろうけどなぁ。きっと彼女の行動力にはついていけないで、ずっと引きずり回されて……。そんな少し先の未来が見えた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 ★☆★☆★☆

 

 

 電車に揺られて数十分。特に何が起こるわけでもなく、俺達は目的の水族館に着くことが出来た。出来てまだ間もない事もあって、外観はかなり立派。冬だというのに、お客さんもそこそこいるようだった。

 潮の独特な香りは、水族館に近づくにつれて段々と強くなる。この季節の海風はとても厳しく、俺達は互いに身を寄せた。ズボッとポケットに両手を突っ込み、体を縮こませる

 

「今日は冷えるわね。中入りましょっ」

「だね。順路通りでいいかな?」

「えぇ、構わないわ」

 

 チケットを通し、パンフレットを受け取って中へ入る。内装もまた、外装同様に綺麗だった。それに、中も広い。

 順路を示す矢印に従って、入口のフロアから下へと降りて行く。最初はセイウチの水槽。

 

「結構おっきいねぇ」

「あっ、手を振ったらこっちに来たわ!!」

 

 俺が予想していたよりも、セイウチという動物は人懐っこいらしい。こころが手を振ると、陸上から水に潜り俺達の目の前を華麗に泳いでみせた。

 すぐそばではアザラシのブースもあった。こちらは残念ながら、陸上で休息中だったらしいが。次はサンゴがある大水槽。

 

「わぁ、色んな魚が泳いでるわね!!」

 

 大きな水槽の中には、多種多様の魚達が。数百ものイワシが群れを成して泳いでいたり、岩陰にウツボが隠れていたり。目を凝らしてみると、色んな発見がある。魚だけじゃなくて、エイなんかも泳いでいたり。

 さらに俺達は運が良いことに、ちょうどスタッフによる餌付けショーが行われる時間帯だった。スタッフが手に持つ餌に、魚という魚が様々な角度から群がる。

 

「うわぁ、襲われてるみたい……」

「アタシもお魚達と一緒に泳いでみたいわ。頼んだら入れてくれるかしら?」

「……頼まないでね?」

 

 こころが不安な物言いをするので、キリを見て大水槽を離れる。この後も順路通りに進んでいき、グルッと水族館を一周。時間を経つのも忘れて、童心に返ったみたいに楽しんだ。

 

「隼人見て!! ほらっ」

「ちょっ……気持ち悪いからそれ近づけないで」

「あら? 何か出てきたわ」

「わぁっ!? 服にかかる!?」

 海の生物と直接触れ合えるブースで、こころがナマコを笑顔で掴んでいたり。

 

「ペンギンがいっぱいいるわ!!」

「スゴい人気者……」

 ペンギンのお散歩ショーに偶然遭遇して、なぜかペンギン達に囲まれていたり。

 

「すっごく綺麗ねっ。隼人、写真撮りましょ!!」

「う、うん」

「はいっ、チーズ!!」

「ちーず」

 ライトアップされたクラゲの水槽をバックに、こころと写真を撮ったりした。

 こころばかりが楽しんでいるようだったけど、もちろん俺も充分に楽しんだ。そりゃあもう、いつも先導しているこころに変わって先導するぐらいには。

 そうして一時間強、こころに合わせるように歩き続けた結果……

 

「見て見て隼人。こーんなに写真が撮れたわ!!」

「う、うん。ごめん、少し待って……」

「あら、もう疲れたの?」

「情けない話だけどね」

 

 一周した後にはもうヘトヘトになっていた。今は館内の椅子に座り、飲み物でも飲みながらしばしの休憩である。こころは変わらず元気であるが。

 

「隼人は運動苦手なのかしら?」

「かもね。こんなに体力ないんだし」

「今度は、みんなでスポーツなんてのもいいわね!! はぐみの入っている、ソフトボールチームに混ぜてもらいましょう」

 

 そんな事したら、身体中が筋肉痛になって次の日は動かなくなりそうだ。学校の体育の授業を受けただけで、どこかしか痛めちゃうほどヤワなのに。記憶を失う前も、あんまり活動的じゃなかったんだろうな。

 

「そして、その後は皆でご飯を食べるの!! 運動した後は、うんと美味しくなるはずよ」

「それは……楽しそうだね」

 

 こころの未来予想図をぼんやりと思い浮かべながら、俺は彼女の話に耳を傾ける。次は動物園に行きたい、カラオケにも行きたい、見たい映画がある等々々……。彼女に楽しそうな事を語らせたらキリがない。

 それはまるで、俺に言い聞かせているかのようだった。今の俺にこの先が無いことなんて、彼女も分かり切っているはずなのに。まだ、こんなに楽しい事があるぞと。自意識過剰かもしれないが、俺を励ましてくれているかのようだった。

 

「まだまだ、楽しい事はたっくさんあるわ!! いっぱい探していきましょ!!」

「……そうだね。時間だし行こうか」

 

 束の間の休憩を打ち切り、俺はまたこころの前を進む。俺達が向かうのは、屋外のプール。水族館といえばイルカ、水族館といえばショー。そう、今からまさにイルカのショーが行われるのだ。

 会場の席は既に人で埋め尽くされていたが、運良く最上段の立見席はスペースが残されていた。ここでも充分見えるし、水しぶきを気にする必要も無い。

 やがて五分と待たずに水族館のスタッフが、二匹のイルカを連れてステージに現れた。俺の隣で、こころは柵から身を乗り出す。

 

「皆さんお待たせしました!! 今日、パフォーマンスをしてくれる子達を紹介します。女の子のココロちゃんに、男の子のハヤテくんです!!」

「あら、アタシと同じ名前だわ!! テがトだったら、『ハヤト』でおそろいだったのにね」

「もしそうだったら、何か作為的なものを感じるよ」

 

 一瞬黒服の人達が頭をよぎったが、さすがに違うかな。あの人達が何かするなら、水族館を貸し切るぐらいの事は出来るだろうし。さすがにやってる事が地味すぎる。

 二匹のイルカは、観客に向かってご挨拶。二匹を見比べると、ココロは丸っこくてハヤテはシュッとしていた。イルカにも、性別の差って出るのかな。

 

「っと、忘れないようにしなくちゃね」

 

 挨拶を終えると、いよいよショーの始まり。イルカ達のステージは、実にバラエティーに富んでいた。スタッフの手にしたフラフープをジャンプしてくぐったり、高所に吊るされたボールにタッチしたり。彼らの運動能力もさる事ながら、スタッフの言う事を理解している知力も素晴らしい。イルカは、実に頭が良い動物だ。

 俺は、その様子をスマホのカメラで動画に収めていた。似たような事をしている人もいるが、大半は肉眼でショーを見ている。それは、隣のこころも同じ。

 

「あら、ココロよりもハヤテの方が動きが良いわね!!」

「確かに。俺たちとは真逆みたいだね」

 

 名前が同じであることから、こころはイルカと自分を完全に重ねていた。キャッキャと騒ぎながら、パチパチと手を叩き喜んでいる。

 プールに向けていたカメラを、ふと彼女に向ける。画面越しからでも、彼女の楽しそうな様子が手に取るように分かった。するとこころはこちらに気付いたようで、じーっとスマホのカメラを覗き込む。ちょっと近いよ。

 

「隼人、どうしたの?」

「あ、いや、記録に残しておきたくてさ。ごめん、隠し撮りしてるつもりはなかったんだけど」

「あら、そうだったの。アタシは構わないわっ」

 

 それならば、こころ自身を録る必要はないよねといったツッコミはなかった。こころはまたすぐにステージに視線を戻して、イルカのショーに魅入っている。俺も、カメラをプールに戻す。

 最後の大技である、二匹揃っての回転大ジャンプ。飛ぶタイミングも、高さも、着水も息ピッタリ。大きな水しぶきと共に、観客席から一際大きな声援が上がった。それは、隣のこころも同様で。

 

「わーっ、スゴいわ!! ねぇ隼人、見た!? いまのスゴかったわね!!」

「見てるって。画面ブレちゃうから揺らさないの」

 

 童心に帰って楽しんでいるこころは、いつもよりテンションが高いように感じる。せっかくの見せ場なのに、いまの声は動画に入っちゃっただろうなぁ。まぁ、これも『らしい』からいっか。

 動画の手はそのまま、こころをチラリと見る。イルカに手を振ったり、ハヤテとココロの名前を大きな声で呼んだり。いま味わっている感情を、彼女は十二分に表現していた。もちろん、満開の笑顔で。

 彼女と目が合ったので、俺も微笑み返す。少しだけ口角を上げて、なるべく優しく。この前よりも、上手く笑えているかな。それとも、まだぎこちないかな。表情筋が引きつってるから、きっとまだ下手くそだ。彼女みたいな笑顔をするには、もう少し時間がいりそう。

 

 イルカ達がショーを終えて、最後にスタッフが挨拶をする。もう動画を切ってもいいかと思ったのは、イルカ達がステージを去ってしまった後だった。少し、ボーッとしてたかな。画面、全然見てなかったけど。

 観客たちが席を立っても、俺達はしばらくそこに留まり続けた。俺が動画を保存した後も、こころが動こうとしなかったからである。彼女の珍しい動向に、俺は『はて』と首を傾げる。

 

「楽しかったわねっ、隼人」

「え、うん。そうだね、時間調べた甲斐があったよ」

 

 そんなことを言うためだけにわざわざ待ったのかな。多分違うと思うけど。

 誰もいない閑散とした観客席で、こころはさらに続ける。

 

「隼人、ずっと笑顔だったわ。気付いてないかもしれないけれど、とっても楽しそうだったもの」

「そ、そう? 変な顔じゃなかった?」

「そんな事ないわ。前も言ったけど、素敵な笑顔よ。この前も素敵だったけど、今日はもーっと素敵だったわ!! 今までで一番ね」

 

 無意識だった、か。意識して笑顔になろうとしていたこの前と比べると、それも進歩かな。全然気付かなかったし、ショーを見ていた時の感情なんて覚えていない。楽しかったのは間違いなかったけど。

 何ヶ月も経ってようやくこの段階なのかと考えると、かなり鈍い歩みだと感じる。まだこころみたいな笑顔は作れないし、心の底から笑えてないと思う。少し、こころに申し訳ない。

 

「その、ごめんね。今さらで」

「何言ってるの。これからもたっくさん笑えば良いのよ!! 辛いことがあっても、アタシが笑顔にしてあげるわ!!」

「でも……」

 

 そう言いかけて、俺ははっと口を閉じた。『でも、忘れてしまう』という言葉が、少しだけ頭に過ぎったからだ。俺が極力考えないようにしていたタイムリミット。それを、こころは少しも意識していなかった。

 きっと、彼女は何があっても前を向いている。立ち止まる事があっても、変わらず前を向いている。彼女のそんな姿勢に引っ張られて、俺も前を向き始めた。少しずつでも、先に進めるように。

 彼女の光は、ずっと先まで照らしてくれている。彼女はずっと俺を引っ張ってくれている。置いていかれないように、俺も前を向かないと。

 

「まだまだ時間はあるわ。さぁ、笑顔になれる事を一緒に探しに行きましょっ!!」

 

 こころの手を掴んで、また先導して歩き出す。後ろを振り返ると、彼女はニコリと微笑んだ。

 あぁ、やっぱりこの笑顔だ。見ているとこっちまで心が動かされそうで、ほっこりと温かくなる。太陽のように優しく、俺を包んでくれる。

 ずっと見ていたい。一番そばで感じていたい。他の誰でもない彼女の笑顔を。

 

 きっと―――俺は彼女の笑顔が好きだったんだ。

 出会った時からずっと、ずっと……。

 

 

 

 

 

 

 

 

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