太陽の備忘録【完結】 作:8.8
翌日。寝る前に頭につけられた装置も特に意味は為さなかったようで、検査結果からは大した収穫が得られなかった。そもそも、あまり期待はしていなかったから別に良いが。
ベッドを起こし、俺はぼんやりと外を眺める。雲一つない空模様と一本の木が覗けるだけで、大した景色も見られなかった。
「暇だなぁ」
俺がそう呟いても、誰も答えてくれる人はいない。特殊な病気の患者だからか、病室には俺一人しかいないからだ。親だと思わしき人達も今はいないし、話し相手がいないというのは辛いものがある。
この時期に吹く風は木枯らしと呼ばれる。木を吹き枯らすとはよくいったもので、外の木も葉が全くついていない状態だった。春や秋の半ばなら、桜だったり紅葉だったりが見られたかもしれない。それなら、少しは景色も楽しめただろうに。
病室のテレビを着ける。が、やっぱり面白いと思える番組はなかった。誰が出ていようが分からないし、その度に虚しくなるからだ。スポーツでもあったら良かったんだけど、この時期の昼にテレビでやってるスポーツなんてそうそうないし。
「あ……。日記書こうかな」
チェストの上に置かれていた日記帳を見る。が、すぐに書くことがないのを思い出して止めた。だって、起きてから検査の結果聞かされただけだし。
日記帳を開くと、昨日書いた分が一ページ目にある。そこで俺はふと思った。今までの日記帳はどこにあるんだろう、と。
看護師さんの話によると、俺が障害を抱えるようになったのが五ヶ月前の六月。てことは、今までも日記を書いていたんじゃないだろうか。無論、今月から始めたという可能性もないわけではないが。
「……やっぱないか」
チェストの引き出しを開けても、手荷物を探しても、やはりそれらしきものは見当たらなかった。やはり、今月からの試みなのだろう。それを読めば、少しは何か思い出せたりするかと思ったのに。そうでなくとも、退屈はしのげそうなのに。
「はーやとー!!」
「こ、こころちゃん。ここ病院だから静かに……」
俺の溜め息をかき消すかのように、彼女は
付き添いの子は、昨日とは違った。水色の髪をサイドテールにしており、少し気弱そうに見えた。ハロハピのメンバーだろうか。直感だけど、ミッシェルの中の人ではない気がする。
「こんにちは、弦巻さん。今日はどうしたの?」
「隼人に会いたくて来たのよ!! ちゃあんとお見舞い品もあるわ!!」
「それはどうも」
なるほど、お見舞い品があるなら無下にすることは出来ない。彼女から受け取った箱の中身を見ると、高そうなケーキが複数個入っていた。聞けば、シェフにわざわざ作ってもらったとか。
昨日知り合ったばかりのはずなのに、何でここまでするんだろう。昨日笑わなかったからだろうか。もしそれが本当だとしたら、彼女は存外諦めが悪いのかもしれない。
「さっ、食べて食べて。美味しいものを食べたら、きっと笑顔になれるわ!!」
「う、うん……」
なるほどそういう事かと、妙に納得できた。楽しいからくる笑顔ではなく、今日は幸せからくる笑顔で攻めようと。昨日とは路線を変えてきたわけだ。
弦巻さんに急かされるから、急いで中を吟味する。チョコレートケーキにイチゴケーキ、モンブランにチーズケーキ。一口サイズのケーキがズラリだ。何から食べようか。
色々あって迷うが、ケーキを選ぶ段階である事に気付く。俺は自分の好きな食べ物も、嫌いな食べ物も知らない。故に、何を食べたらいいのか分からない。
病院で出された食事で嫌いなものは特になかった。大好物も特になかった。傾向としてはご飯よりもパンが好きなようで、魚よりも肉派だった。デザートも……特に問題なく食べられたと思う。もしかしたら、満遍なく食べられるのかもしれない。
「い、いただきます」
最初に目についたチョコレートケーキから食べることにする。みんな大好きチョコレート。これが嫌いな人なんて見たことないし―――自分が覚えてないだけだが―――、自分がまさかそうだとも思わない。食べて『これ嫌いでした』とは言えないし、まずは無難な奴から。
口の中いっぱいに広がるカカオの風味。ほろ苦さが先行して、甘味は後からやってくる。これは――――
「あら? お口に合わなかったかしら?」
「そ、そんなことないよ。美味しいよ」
苦し紛れだった。口の中にメッチャ残る。焼けつくような感覚が、喉の奥底にある。水が飲みたい。ケーキを食べた感想がこれである。
結論からいえば、一つ目から地雷を踏んでしまったようだ。俺、チョコレートとは相性が悪いらしい。誰だよ、嫌いな人なんて滅多にいないとか言ったヤツ。いや、自分だけども。
「んー。ケーキはあまり好きじゃないのね」
「ごめんね、弦巻さん。そんなつもりはなかったんだけど」
彼女の表情が若干だが曇る。ガッカリさせてしまっただろうか。
少し申し訳なくなる。
「やっぱり歌うしかないんだわ!!
「え、えぇっ!? ここ、病院だよ……? 楽器もないし……」
「大丈夫よっ。昨日もやったもの」
「そういう問題じゃない気がするよぉ……」
切り替え早いな、オイ。俺が僅かながら心配した時間よりも早いじゃないか。俺の気持ちを返してくれ。
相変わらず弦巻さんは強引だ。そして全然めげないなぁって。一つ一つの行動がこちらの予測を上回るから、退屈しないのは良いけど。その点
「大変だね、弦巻さんの付き添いは。えーっと……」
「あ、
薄々感じてはいたけど、この人もバンドのメンバーだったらしい。でも、担当がドラムなのは少々意外だったなぁ。なんていうかこう……自分の中のイメージと。人は見かけによらないって本当だ。
「あの、ご迷惑だったらごめんなさい。昨日も
「気にしないで。楽しませてもらってるから」
まるで保護者みたいだな。代わりに謝る松原さんを責めるのはお門違いだし、暇潰しになってるのも事実。出来るだけ優しい口調で、俺は彼女に返す。
美咲ちゃんってのは、恐らくミッシェルの中の人だろう。
「でも、隼人は笑ってないわ?」
「それとこれとは話が違うよ。言葉の綾ってヤツだね」
来るだろうなと思っていた質問が、弦巻さんから投げ掛けられる。確かに弦巻さんの理論上では、俺は笑顔じゃないとおかしいかもしれない。だけど、弦巻さんの言う『楽しければ笑顔になれる』の定義が誰にでも当てはまるかって話。俺の楽しいは、見ていて飽きないから楽しいのだ。興味本位のそれに近い。
「例えばさ、松原さんはどんな時に笑顔になる?」
「えっ? わ、私だったらお友達とお話してる時とか、ハロハピの皆とライブをしてる時とか……かな」
「弦巻さんは?」
「んー、そうねぇ。いつも笑顔よ!!」
「だよね……まぁいいか。要するに、笑顔になる条件も人それぞれって事だよ。俺に松原さんの条件が当てはまらないようにね」
バンドはやってないし、友達もいないしね……と付け加えておく。とはいえ、全くいないというわけではないのは、昨日ケータイを見て分かった。先月、結構数のメッセージのやり取りをしていたから。だが、結局一ヶ月だけの付き合いである。
話を戻そう。十人十色という言葉のとおり、人にはそれぞれ個性というものがある。笑顔になる条件も、人によって分かれるだろう。よく笑う人と、感情をあまり出さない人がいるように。
俺が言いたいのは、無理に笑わせようとしても意味ないよっていう事と、俺の事は諦めてほしいって事。退院したら、彼女と会う機会も会って話す理由もないのだから。
さすがの弦巻さんも、これにはうむむむと唸っている。眉に
「そうだわ隼人!! あたしとお友達になりましょ!!」
「……は?」
「隼人が笑顔になる条件、あたしも一緒に探してあげる。これなら問題ないわ!!」
弦巻さんの提案に、俺の思考は一瞬止まった。この人、ここまで言っても諦めないの? 本当に何なんだ、この弦巻こころという少女は。
「あのさ……」
「ん? 何かしら?」
「どうしてここまでするの? 俺と君、昨日会ったばかりだよ?」
「付き合いの長さなんて関係ないわ。あたし、隼人の笑顔が見たいもの!!」
『世界を笑顔に』と謳っている事からくる意地だろうか。それとも、俺の話を分かっているようで分かっていないのか。単に、彼女がバカなのか。俺には分からなかった。彼女がここまで俺に興味を示す理由が。
だってケータイを見ても、弦巻さんと連絡先の交換なんてしていない。正真正銘、本当に会ったばかりなのだ。
最終手段として、自分の病気を話す事も考えた。だがここまで来ては、もうそれすら意味を為さないのではと思いとどまる。松原さんは松原さんで、彼女を止める気配すら見せない。
直接『嫌だ』とは言えず、断るための上手い口実も見つからず。あとは彼女に為されるがままであった。トークアプリはお気に召さないのか、電話番号を交換。弦巻さんの強引な薦めで、なぜか松原さんとも連絡先の交換をすることになった。こちらは、トークアプリ。
どうせ一ヶ月で全部忘れてしまうのに。仮に彼女の前で笑顔を見せられても、来月にはまた笑い方を忘れてしまうのに。虚しくぶつけようのない想いが積み重なるばかり。でもそれを口に出すことはできず、俺は弦巻さんの電話番号を眺め続けた。
十一月二日(日) 天気:晴れ
まさか、弦巻さんがまた来るとは思ってなかった。今日はケーキを持ってきてくれたが、俺はどうやら洋菓子が苦手らしい。特にチョコレートは、二度と口にしたくない。
彼女から強引に友達宣言をされ、連絡先を交換した。早速夜に電話がかかってきて、二時間も相手にしていた。ずっと聞く側だったとはいえ、さすがに疲れたかも。