太陽の備忘録【完結】 作:8.8
寝不足というのは、何も夜更かしをしたから起こるとは限らない。充分に眠ったはずなのにカラダが睡眠を欲する事もあるし、寝過ぎが
「……もう、こんな時間か」
俺の寝不足は、どちらかといえば前者だった。精神的にくたびれていたり、学校に行きたくないという気持ちの表れでもあるんだろう。弦巻さんのライブを見てから、その思いがより顕著になってしまった。
だが、正当な理由でもないのに学校を休むわけにはいかないので、俺はモソモソと布団から抜け出す。……あぁ、布団が恋しい。
部屋の鏡に写った自分は、酷い様相だった。ボサボサの髪の毛に、一切の覇気も見られない目。あまりの不細工さに、
「隼人ー。起きてるのー?」
「起きてるよー」
いつもより五分遅かったせいか、ドア越しに母親が声を掛けてくる。早く着替えて出ていこう。
「早くしなさーい。あなたを待ってる人がいるんだから」
「……は?」
服を脱いだ矢先、身に覚えのない言葉が母親から浴びせられた。俺を待ってる? 誰の事だ?
誰かと登校する約束をしただろうかと、携帯を開いてトーク履歴を見る。だが、そんな約束を交わした友達がいるはずもなく。疑問は深まるばかり。
―――そして、嫌な予感は高まるばかり。
「はっやとー!!」
「うわぁぁぁぁぁ!?」
嫌な予感的中。
ドアを開けて堂々と部屋に入ってきたのは、弦巻さんだった。
★☆★☆★☆
「今日もいい天気ねっ!!」
「やかましいわ」
思わず口が悪くなってしまうぐらいに、いまの俺は機嫌が悪かった。寝起きのそれも寝不足状態の時に、一番来てほしくない人が、着替え中の部屋に入ってきたのだ。そりゃあ機嫌も悪くなる。
弦巻さんは悪びれる様子を見せず、いつも通りの調子。唯一救いがあるとすれば、ちゃんと母親の許可を経て家に上がり込んだ事だろうか。俺の部屋へは無許可で入ってきたのだが。
「で、なんだったの? この朝早くから」
「隼人と一緒に学校に行こうと思ったの。もっともっと、隼人の事を知る必要があるもの!!」
頭が痛くなってきた。なんで俺の家知っているんだとか、もうこの際そんな細かい事はどうだっていい。なんで俺は、登校の時間までも彼女と顔を合わせないといけないのだろうか。問題はそこだ。
隣を歩く弦巻さんは、鼻歌を交えつつご機嫌な様子。今日も素敵な笑顔を隠すことなく見せている。弦巻さん本人は嫌いなのに、やっぱりこの笑顔は嫌いになれない。
「もしそうだったら、ちゃんと連絡してよね。あんまり君が急かすせいで、朝ごはんも食べないで出てきたんだから」
「あら、それは謝るわ。でも、つい今朝思い付いたもの」
そんなとこだろうと思った。弦巻さんらしくて、妙に納得してしまう自分がいる。
「もう……コンビニにでも寄るから、ちょっと待ってて」
「どうして?」
「言ったでしょ。朝ごはん食べてないの」
怪我の功名で、幸い登校時間までにはだいぶ余裕がある。朝ごはんを買いに行くぐらいしても、罰は当たらないだろう。
「確かに、朝ごはんは大事ね!! 任せて隼人、それならオススメのいいところがあるわよっ」
「え? いや、別に朝ごはんなんてどこで買っても……」
「ほらっ。ここから近いし、せっかくなら美味しいものを食べた方が笑顔になれるわ!!」
俺の言葉を遮って、弦巻さんはグイっと俺の手を引く。この人は、人の話を聞くって事を小さい頃に教わってこなかったんだろうか。こなかったんだろうなぁ。
逆らうだけ無駄なのは分かりきっているので、諦めて弦巻さんについていくことに。訳の分からない、高い店にでも連れていくんじゃないだろうな。さすがにそんなわけないと思いつつ、心の隅で密かに疑っている自分がいる。
「ここよっ!!」
いつのまにか、商店街に入っていた。弦巻さんは不意に立ち止まると、手を広げてお店に向ける。
「やま、ぶき……ベーカリー?」
予想に反して普通のパン屋。何の変哲のない、普通のパン屋だ。
「そうっ。あたしの友達のお家なんだけど、ここのパンはとっても美味しいの!! 隼人もきっと気に入るわっ」
ホントどこにでも友達いるんだな、この子。呆れ半分、感心半分だ。
弦巻さんがここを推す理由は、存外普通。至って当然のものだった。それならば疑いすぎるのも失礼なので、大人しく店内にお邪魔することにする。
自動ドアを通ると、焼きたてパンの良い香りが
「どれにしようかな……」
パンはアレンジしやすいだけに品揃えが豊富で、何を買えばいいのか目移りしてしまう。ガッツリいけるピザパンやソーセージパン、スイーツ感覚でも食べられるあんパンやクリームパン等々。
あんまり悠長に選ぶ時間はないというのに、人間やっぱりこういうのは吟味したくなる。あれでもないこれでもないと、トング片手に店内をグルグル。弦巻さんは、そんな俺をジーっと眺めている。
「隼人って、パン好きよね」
「そう……かな? なんで?」
「だってそんなに悩むってことは、好きって事じゃない? 隼人楽しそうよ!!」
楽しいかどうかはさておき、弦巻さんの言葉になるほどと思ってしまった。確かに、嫌いなものでここまで悩む必要はない。
俺はパンが好きらしい。入院していた時も家でご飯を食べる時も、パンの方が嬉しかった気がする。というか、家の朝は三日前からずっとパンだ。母親も把握してるんだろう。
「そうかもね。弦巻さんのオススメ、ある?」
「うーん、そうねぇ。チョココロネが美味しいんだけど、隼人は嫌いだし……」
チョコは確かに嫌いだ。病室でチョコレートケーキを食べた時、一口で分かった。上手く誤魔化したつもりだったけど、弦巻さんにもバレていたか。人の気持ちをガン無視してるようで、この人の観察眼は鋭い。
人差し指を唇に当てながら考えるのはクセなのか。別にないならないでいいんだけど、一生懸命になってるところに水を差すのも何だか申し訳ない。
「これとこれと……あとこれもどうかしら!?」
「いや、多い多い多い。そんなに食べきれないから」
「んー、困ったわ」
「とりあえず、お盆にパンを山のように積むのは止めて。食べても二つだから」
「そう? 少ないのね」
でも弦巻さんに任せると、収拾がつかなくなるのも事実。お盆を突き返して、パンを元のところに戻してもらう。こんだけ山のように取って、お金取られてもおかしくないからね。
普通こんなに食べられないでしょと俺が聞けば、『あたしの友達はこれぐらい食べるわよ?』とのこと。どんな胃袋してるんだろうね、その子。やはり、類は友を呼ぶんだろうか。変な人って意味で。
まるで、一つしかお菓子を買ってもらえない子供のように。弦巻さんはあれでもないこれでもないと唸っている。相変わらず、変なことに一生懸命になる人だなぁ。
「じゃあこれっ。これは!?」
「これって……コロッケパン?」
弦巻さんが最終的に選んだのは、バンズにコロッケを挟みウスターソースで味付けした―――コロッケパンだった。案外普通というか、数あるパンの中でこれを選んだのは少々意外。
「はぐみのお家のコロッケを使ってるの!! すーっごく美味しいのよっ」
「ふーん。じゃあこれにしようかな。後は適当に……これでいいや」
そんな彼女イチオシのコロッケパンと、近くにたまたまあった焼きそばパンをとって精算。うん、思いの外ボリューミー。炭水化物ばっかだし。
「さ、一緒に食べましょっ!!」
「ちゃっかり自分の買ってるし……」
「見てたらあたしも食べたくなったもの。それに二人で食べた方が、もーっと美味しくなるわよ」
そんなものかね。弦巻さんはすでにベンチに座っている。嫌だと言っても、きっと離してくれないんだろうな。観念して、彼女の隣に腰を下ろす。
「いただきまーす!! っむ、ん~!!」
「早いね、食べるの」
座った瞬間に大きな口でパンをガブリ。お嬢様って聞いたんだけど、その辺は気にしないのかな……って今さらすぎるか。
隣で美味しそうに食べられるとやっぱり気になるので、俺も一口。もちろんコロッケパンから。
「あ……美味しい」
甘辛いソースがしっかり衣に染み込んでる。それがパンにも絡んでて……。肝心のコロッケもホクホクで病み付きになりそうだ。美味しい。今まで食べた何よりも。
「どう? 気に入ったかしら!?」
「うん、結構好きかもしれない」
気に入った食べ物は数多かったが、それらを初めて食べた時とは比べ物にならない衝撃だった。これがいわゆる、好物なんだろうか。ものを食べてるだけなのに、何か変な感覚。
「……それが隼人の好物なのね」
弦巻さんは目を細めて俺を見る。嬉しそうに、でもどこかしみじみとしていて。
「分かるの?」
「もちろんよ!! 顔が少しだけ、優しくなってるわ」
「え、う、うそでしょ?」
「ホントよ。もう少しだと思うのよねー」
なんかその指摘が恥ずかしくて、慌てて自分の顔をベタベタと触る。……が、当然そんなの分かるわけない。なんだ、これじゃ恥ずかしいだけじゃないか。
弦巻さんは、『ほら』と言いながら電源のついていないスマホを俺に向けた。鏡代わりに画面を見る。そこに写っていたのは、相変わらず据わった目をしている不細工な男だった。何がもう少しなんだろう。
「何も変わってないと思うんだけど」
「むぅー……」
ズイッと弦巻さんの顔が近づいた。顔立ちだけは整ってるから、俺は少しギョッとして距離を置く。柔らかなフワリとした香りが襲った。それにビックリして、俺はさらに距離を置く。
が、俺が引くと弦巻さんはさらに距離を詰める。
「な、なに……?」
「えいっ!!」
弦巻さんはジーっとこちらを見たかと思うと、両手で俺の頬を挟んだ。いきなり何するんだ。抗議の声を上げたかったが、それも口を動かせないから叶わない。
頬をつままれてグニグニ~っと引っ張られる。そしてそのまま、上にグイーッと持ち上げられて。結構痛い。
「んー、やっぱり分からないわ。もう少しで笑ってくれると思うのに、頬がひきつってるもの」
「そりゃ無理やり引っ張られたりしたら、誰でも
「そうかしら? 頬を触ると、結構リラックス出来るのよ?」
知らないよ。別に緊張とか何かで表情筋固まってるわけじゃないから。ビックリして損したじゃないか。
『全く……』と溢しながら、またコロッケパンを一口。……やっぱり美味しいな、コレ。毎日食べても飽きないかも。
「あっ、また優しくなったわ!!」
「ッ……!?」
弦巻さんに顔を指差されて、慌てて口を覆う。完全に無意識だった。恥ずかしいから、いちいち嬉しそうに反応しないでほしいな。だから、君の要望には答えられないんだってば。
「また、隼人の新しい表情が見れたわねっ」
「……大袈裟だよ」
「どうやったら笑ってくれるかしら。コロッケパンをいっぱい食べさせたら……」
「却下。絶対にそれは止めて」
なんか恐ろしいことを言い出すし。この子だと冗談じゃ済まないから怖いんだよ。どう考えても、苦しくなって笑顔とは程遠くなるってば。
「冗談よっ。もっともっと、隼人の好きなものはあるはずだもの!!」
「……だといいね」
弦巻さんが目を輝かせるから、俺はなるべく聞く耳を持たないようにする。こうなった彼女は面倒だ。また、おかしな事に俺を巻き込むに違いない。
彼女は何も言ってこず。足をブラブラとさせて、また鼻唄を歌っている。先日のライブでも歌っていた曲だ。こうして見ても、この人は何を考えているのか読めない。
強引すぎるところさえなければ、彼女は良き話し相手ぐらいにはなったと思うんだけどなぁ。ズカズカとこちらに介入するから、どうしても彼女を好きになれない。人の話は一切聞かないし。
でも、不思議な事に彼女の友達は多い。変人扱いされてもおかしくないはずなのに、何故か人が集まる。魅力的な人には自然と人が集まるというが、彼女もその一人なのだろうか。
「きっと見つかるわっ!! 今日だって、自分の好きなパンを見つけられたじゃない?」
「それは……そうだね」
弦巻さんには、大口を実現させるだけの不思議な力があるんだと思う。自分の世界にグイグイ引っ張って、様々な景色を見せてくれる。それをきっと平然と行えるから、彼女の強引さに皆がついていくんだろう。
だからか。俺にとっては、彼女は怖い。嫌いだし、怖い。自分が変わってしまいそうで怖い。努めて他人と深い関係を築かないようにしてるのに、それすら崩れそうで。
拒絶したくても出来ないのは、既に彼女に魅せられているからだろうか。それとも、単純に俺が彼女に甘いからか。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
「そうねっ」
一緒に朝ごはんを食べただけ。こうして一緒に登校してるだけ。時間でいえばたった十数分の出来事なのに、君は俺にあれこれ考えさせるんだね。
弦巻さんと早く別れたくて、俺は歩調を速める。また、彼女がおかしな事を言い出さないうちに。俺にあれこれ考えさせないうちに。
また、原因のタネが増えた気がした。今日も、ぐっすり快眠とはいかなさそうだ。
十一月七日(金) 天気:晴れ
最近寝不足だ。布団に潜ると、やっぱり病気の事とかアレコレ考えてしまう。一生このままなのか……とか、将来職についたらどうなるのか……とか。でもやっぱり、そんな先の事よりも今をどうにかしたいという気持ちが強かった。何でだろうね。
あ、今朝食べたコロッケパンが美味しかった。これは本当に。
……今日は早く布団に潜ろう。