太陽の備忘録【完結】   作:8.8

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十一日目

 

「今日は何か面白いこと、見つかったかしらっ!?」

 

 下校するときは大体この言葉から始まる。

 そして、返す言葉も大体決まっている。

 

「特に。いつもとおんなじだったよ」

「あら、そうなの」

 

 俺と弦巻さんは、すっかり登下校を共にするようになった。朝は俺の家まで来て、夕方は校門付近でずっと俺を待っている。最初は驚いたが、もう断るのも面倒だし良いかなって。

 返答が面白くなかったのか、弦巻さんはプイッと顔を背ける。だって、本当に何もなかったんだもの。授業を受けて、他愛もない話をクラスメイトとしたぐらいだ。

 

「じゃあさ、そう言う弦巻さんは何かあったの?」

「もちろんよ!! 音楽ではいーっぱい歌ったし、体育のサッカーも楽しかったわね!! あ、それにお昼休みに美咲とハロハピの曲を少し作ったわ!! あとは……」

「あー、ストップストップ。今度聞いてあげるから」

 

 聞けば出てくるのは、小学生が言うような感想ばかり。曲作りはともかくとして、授業の内容なんて日常ありふれているものだと思うのだが。

 でも、こんな話題でも延々と楽しそうに話すのが弦巻さんだ。きっと、言葉で表す以上に感じ取ったものがあるんだろうと思う。

 まぁ、今日は聞いてる時間がないわけだが。

 

「あら、どうして?」

「今朝言ったでしょ。学校帰りに用事があるって。君がその気になったら、ずーっと話しっぱなしだからね」

「あぁ、すっかり忘れていたわ!! じゃあ、今日の夜にでも話させてもらうわね」

「あんまり遅くなりすぎない範囲でね」

 

 用事があるというのは嘘ではない。別に、弦巻さんと別れるための口実では断じてない。

 どうせその場しのぎをしたところで、『話し足りないわ!!』と言って容赦なく電話を掛けてくる子だ。もうその辺は諦めてる。

 

「そうだわ。隼人に話しておきたい事があったの!!」

 

 また唐突だなぁ。あんまり良い予感はしない。でも、気になるから聞き返す。

 

「なに?」

「明後日、アタシの家に来てほしいの!! 楽しいこと探し、しましょっ」

 

 はぁ、弦巻さんの家ねぇ。昨日の福引きのバイトの時、そんな話をしたような。スゴい豪邸だと聞いた事がある。

 というか、楽しいこと探しってアバウト過ぎるでしょ。しかも、それを自分の家の中でやるのか。『俺の』楽しいこと探し、というニュアンスなんだろうけど。

 

「楽しいこと探しって、何をするの?」

「いっぱい遊んで、パーっと楽しむのよ!!」

「いや、何も情報が伝わらないんだけど」

 

 だいいち、君は何をやっても楽しむでしょ。

 そんな俺のぼやきも彼女には通らず。彼女の中で、俺はもう行くことが確定しているんだろう。

 明後日……明後日かぁ。あいにく、何も予定がないや。

 

「とにかく、来れば分かるわっ。今度こそ、隼人に『楽しい』って思わせるから!!」

 

 こういう風に、弦巻さんが俺を何かに誘うのは何度目だろう。毎度渋々といった形で彼女の誘いに乗るが、思えば自ら断った事はなかった。

 弦巻さんの事は嫌いだ。何かと俺に付きまとっては、俺に色々な体験を与えてくれる。その度に心が揺れ、惑い苦悩する。

 その時得た感情も抱えている惑いも、月末(タイムリミット)が来れば全て無くなるのに。なぜ俺はこんなに考えるのだろう。

 なぜ……断れないのだろう。

 

 

 もし、もしも俺の記憶が正常なものならば。弦巻さんをどう思っているだろうか。

 弦巻さんの誘いに喜んでついて行き、良き友として笑い合っているのか。

 否、彼女は俺を何とか笑顔にさせようと試行錯誤しているのでは。普通に笑う俺には、興味がないかもしれない。

 だが、結局のところ想像の域を出ない。というか想像すらままならない。自分の事がほとんど分かっていないのだから、そのifなんて考えられるわけがない。

 

「分かった分かった。ちゃんと予定空けておくよ」

 

 ほら、またこうやって安請け合いをする。こうして悩みのタネは増えるというのに。同じ事を繰り返す自分に対して、俺は呆れ返る事すら出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ★☆★☆★☆

 

 平日だというのに、変わらず病院は人が多かった。傷病者は日を選ばないから、当然といえば当然である。それも、ここはかなり大きな総合病院。よって、色んな患者が詰め寄る。

 弦巻さんと別れ、最初に入院していた病院へ来て、そして今に至る。待ち時間は二十分ほどだった。『陰山』の名がアナウンスされたので、俺は急いで缶コーヒーを飲み干して立ち上がる。口の中に、コーヒーの苦味が嫌な感じで残った。

 

「失礼します」

 

 部屋は薄暗く、少々不気味であった。

 俺の声に反応して、初老の男性が顔を上げる。初日に数々の検査を俺に受けさせた先生だ。恐らく担当医だろう。

 

「退院してから来るのは初めてだね。今日はどうしたかな?」

 

 穏やかな口調で、やんわりと話しかける。

 

「ここ数日、よく眠れなくて。良ければ、睡眠薬みたいなのを貰えないかなと。あとは、病気の事を少し聞ければと思いました」

「ほぅ。眠れない?」

「早く布団には入ってるんですけど、何か寝た気がしないというか……」

 

 眠れない、眠れない……と反芻(はんすう)しながら、先生はカルテに何かを書き取っている。ここからでは、それが何かは確認できなかった。

 先週からの寝不足は、寝付きが悪いからだと結論付けた結果の行動であった。その原因は自分でも分かりきっている。布団に潜っている時、どうしても考え込んでしまうからだ。

 眠るのに集中しようと目を閉じても、布団を被って音を遮断したとしても。(まぶた)の裏にあの笑顔が浮かぶ、どこかからあの元気の良い声が聞こえる。薬の力でも使わないと、おかしくなりそうなんだ。

 

「睡眠不足っていうのは、今までに無かった症状だねぇ。分かった、後でお薬を出しておきましょう」

「ありがとうございます」

「で? 病気の事についても知りたいんだっけ? これも、今までには無かった質問だねぇ」

 

 うんうんと、勝手に一人合点している先生。そんなに珍しかったのか。彼の言う『今まで』とは、恐らく俺が障害を抱えるようになってからの話なんだろう。

 

「何があったかは知らないけど、聞かれたことには答えないとね。で、何が知りたい?」

「治療法、です」

 

 今まで淡々とカルテを書いていた先生の手が不意に止まった。目をギョロリと丸くして、こちらをじっくり見ている。見定められているようで、少し不気味だ。

 

「……初めて聞かれたね」

 

 また同じように返すと、カリカリとカルテを書き進める。

 そして書き終えたかと思うと、先生は椅子ごと正面を向いた。俺は、背筋をピンと伸ばす。

 

「まず君の病気、健忘(けんぼう)症には種類があってね。一過性全健忘と全生活史健忘っていうんだけど、君は後者の方だね」

 

 健忘症というのは、記憶障害の一種である。発症後の記憶が抜け落ちる――すなわち新しいことを覚えられない前向性健忘と、逆に発症前の記憶が抜け落ちる逆向性健忘とがある。

 俺の場合周期的に記憶が抜けるため、相当に特殊な事例である。言うなれば、永続的な逆向性健忘と一ヶ月周期で前向性健忘が起こるといった感じだろうか。

 次に、先生が挙げた二つについて。

 まず一過性健忘。過度のストレスが原因で突然起こり、前向性健忘を引き起こすというもの。要するに、新しいことがまったく覚えられなくなる。だが、こちらは二十四時間以内に回復するため、積極的な治療はいらないとか。

 そして全生活史健忘。発症する前の自分に関する記憶全てが思い出せないというもの。俗にいう記憶喪失は、これに当たる。これは心因性、稀に頭部への外傷が原因で起こるらしい。

 

 ……という説明を先生から受ける。要するに俺の病気が、想像以上に重いという事は分かった。

 

「で、全生活史健忘は治療が必要でね。自動的に記憶が戻ることは殆どないとされているんだよ」

「だったら……!!」

 

『何で今まで』と言いかけたところで、俺は言葉をつぐんだ。

 言われる前に気づいてしまったから。

 

「君はそれに乗り気じゃなかった。話は数ヵ月前から通していたけど、当の本人がどうしても承諾しなくてね。話が平行していたんだよ」

 

 きっと自棄(やけ)になってた。

 何も覚えていない今の状態から記憶を戻したところで、どうなるのかと。

 きっと不安だった。

 記憶を失う前の自分の環境が、必ずしも良いとは限らないだろうと。

 

 今日ここに来るにあたって、何度も考えた事だ。きっと先月の俺も先々月の俺も、同じ事を考えていただろう。

 それならば、一つだけ腑に落ちない事が。

 

「何で今になって……」

 

 先生も言っていた。こんな事を聞かれたのは初めてだと。

 なぜ、今の俺は治療について聞こうと思ったのだろう。

 

「私には君の考えは分からないけどね。察するに、何らかの外的要素が加わったのかなぁ」

「外的……要素?」

「周りの人の影響って事だよ。昔の記憶がない君の考えが変わるとすれば、その原因は他の人にあるんじゃないかなぁと思うんだよねぇ。心当たりはあるかい?」

「周りの人……!!」

 

 胸がドクン、と音を打つ。

 まさかまさかまさか。いや、そんな。影響を受けた人物で考えられる人なんて、ただ一人しか思い浮かばない。

 絶対に違うと頭で否定しようとはするが、それでもやはりと思いとどまる。病院の、それも自分の担当医の言葉だ。今までは俺の主観で考えていたが、第三者の客観的な意見を前にするとその考えはぼやけてしまう。信憑性が増す。

 俺は弦巻さんが嫌いなんだ。あんな輝かしい人とは、住む世界が違うんだ。

 彼女に出会って『病気を治したい』と思い始めた?そんな馬鹿な。

 俺は弦巻さんが嫌いなんだ。何の悩みもない、不自由な生活をしている人とは住む世界が違うんだ。

 彼女に影響を受けてる? そんな馬鹿な!!

 

「特にない、と思います。分からないです」

「そうかい? まぁ何はともあれ、治療を受けてくれるなら私も医者として嬉しいからねぇ。今度、親御さん連れておいで。詳しく話すから」

「……はい」

 

 平静を装い、必死に応対する。いない。そんな人物は知らない。

 先生という第三者に指摘されて戸惑う気持ちと、(かたく)なに弦巻さんを認めない気持ちがぶつかり合う。

 頑なに弦巻さんを認めないのは、自分が飲み込まれそうだから。根っからのプラス思考な彼女に、流されそうだから。どれだけプラスになっても、月末になれば(ゼロ)に戻される。それが辛いのは分かりきっているから。

 だから彼女が嫌いなんだ。俺をどんどん、どんどん引き込むから。引き込まれ過ぎて、来月彼女といないことを思うと寒気がするほどに。気を使われるのを嫌って、未だに病気の事を話せないほどに。

 

 なんて矛盾しているんだろうと考える。一人の自分は弦巻さんを避け、だがもう一人の自分は弦巻さんに巻き込まれるのをどこかで期待している。今度は何を見せてくれるのかと、密かに。

 俺の気持ちは、今後どちらに動くのだろう。

 それは自分でも分からない。

 

「あの、最後に一つ」

「はいはい」

「その治療、完治するまでにどれくらいかかるんですか?」

 

 もし、願うならば。俺は一番の理想を、先生にぶつける。

 だが現実はそう上手くはいかなかった。

 

「君の症例は特殊だから何ともなぁ。少なくとも、今月中って訳にはいかないだろうねぇ。残念だけど」

 

 今月中に治療は終わらないということは、今月の記憶も消えてしまうということ。やはり、彼女との出会いは全て無かった事になるということ。

 分かっていたことだ。分かっていたことじゃないか。

 

「……失礼します」

 

 特に追及する気も起きず、俺は部屋を後にした。

 気がつけば、涙が頬を伝っていた。

 やっぱり消える。君の記憶は全て消える。分かっていたことなのに、どうして悲しいのだろう。どうして泣くのだろう。

 分かっていたじゃないか。こうなるのが辛くなることくらい。だから、努めて人とは関わりを持たないと決めたのに。

 まだ半月もある。まだたくさん顔を合わせる事になる。その度に、弦巻さんは俺に新たな景色を見せるんだろう。それと同時に、俺に残酷な現実を突きつける。今、経験したことは幻だ。どうせすぐに消えるのだと。

 決して抗えない、覆せない現実は俺の肩に重くのし掛かる。何を手にしても、最終的には何も残らない。そんな生き地獄に、俺は向き合う他なかった。

 

 

 やっぱり弦巻さんは嫌いだ。大嫌いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 十一月十一日(火) 天気:曇り

病院へ行き、自分の病気について聞いた。治療する事を親に話したら、驚いてはいたが喜んでくれた

俺としては、結局意味のない診療になってしまった。今月中に間に合わないのならば、何の意味もないんだ

明日、弦巻さんにどんな顔をすればいいんだろう。もう、自分の気持ちが分からない。俺は疲れた

 

 

 

 

 

 

 

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