太陽の備忘録【完結】   作:8.8

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十二日目

 次の日の目覚めは、そりゃあもう良かった。やはり、貰った睡眠薬が効いたんだろう。夕食後にガバッと飲むだけで、その日はぐっすりだった。嫌なことを全部忘れ、睡眠に集中出来るのがこんなに良かったとは。おかげで、今日は三十分ほど早く起きられたぐらいだ。

 

「よっす、隼人。どした? いやに早いじゃねぇか」

「ま、たまにはね。おはよ」

 

 校門を抜けた時。制服ではなく、運動着に身を纏ったAと出くわした。やたらグラウンドに生徒がいると思いきや、朝練をやっていたのか。Aはサッカー部所属だったような。

 いつもは朝礼時刻ギリギリで来る俺にしては、確かに珍しいかもしれない。それどころか、見渡す限り数えるほどしか制服を着た生徒はいない。Aの疑問も分かる。

 だが、そんな怪訝そうに見なくても良いじゃないか。ほんの気紛れというヤツだ。早起きは三文の得とも言うし、実際今は気分が良いのだから。

 

「なんだ、いつも一緒に登校してる子ってのはいねぇのか」

 

 ピクリ、と俺はその言葉に反応する。

 いるはずがない。いつもより三十分も早く家を出たのだから。今ごろ俺の家に来て、俺がいないことに驚いているだろう。

 

「いないけど、なんで?」

「いやなに、結構可愛いって聞いたからさ。ちょっと見てみたいな~なんて……」

「ふーん」

 

 別にどうでもいいや、という風でAの言葉を受け流す。そんなの、商店街歩いてたら嫌でも目につくと思うよ。目立つもん、弦巻さん。

 

「あれ、機嫌悪い? 別に取ろうとか考えてねぇって。怒んなよぉ」

「取る取らないとか、そもそも俺は関係ないし。しつこく付きまとわれてるだけだよ」

「そうかねぇ……っておい隼人!!」

 

 これ以上は話題が平行線になりそうだったので、俺はさっさと教室に向かうことにした。後ろからAの呼び止める声がするが無視無視。後で、教室で謝っておこう。

 弦巻さんの事は、この学校でも知っている人が何人かいた。俺と毎日登下校していたからというのもあるが、大半が別の理由だ。言うまでもなく、良くも悪くも彼女は目立つからである。

 ある女子生徒からは『商店街でよく見かける、元気な女の子』と。クラスの男子生徒からは『超可愛いお嬢様』と。音楽が趣味の子からは『ハロハピのボーカル担当』と。他校の生徒の癖に、どうしてこうも目撃証言が多いのか。……目立つもんなぁ。

 とにかく、今は彼女の事を考えないようにわざわざ時間をズラしたのに、これでは本末転倒だ。せっかく早起きして爽快だった気分は、早々に落ち込んでしまった。

 

「ハァ……ご飯でも食べよ」

 

 教室に着いた俺は、袋からパンを取り出す。山吹ベーカリーで買ったものだ。急ぎの集まりがあるからと嘘をつき、家で食べずに外へ飛び出したからである。

 今日はウインナーロールを買った。これはまぁ、近い惣菜パンを適当に選んだだけである。本命は、いつものコロッケパンだ。

 山吹ベーカリーには何度か通ったが、このパン以上に気に入ったものは見つからなかった。俺の好物と言っても差し支えない。そういえば、これは弦巻さんが見つけてくれたっけ。スゴい偶然だよね。

 微かな幸福感に包まれるのを感じながら、俺はコロッケパンを頬張る。ふと気付いたのは、やっぱり弦巻さんが関係しているなぁってこと。それもそうだ。今月の頭から一緒にいる時間が最も長いのは、家族を除けば弦巻さんが圧倒的。

 彼女と話した事、体験した事、共有した事は全て脳裏に焼き付いている。『今は』鮮明に思い出せる。

 

「……美味しいなぁ」

 

 このコロッケパンだってそう。彼女が俺に薦め、彼女と一緒に美味しさを共有した。だからこれを食べると、その時の出来事が嫌でも思い起こされてしまう。

 これを選んだのは失敗だったかな、と俺はまたコロッケパンを齧る。弦巻さんの事を一日でも早く気にならないようにしたい、忘れてしまいたい。だが、それは難しいことなのだと、身を以て思い知った。

 早起きの清々しさは、もうとっくに消え失せていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ★☆★☆★☆

 

 

 秋の日は釣瓶(つるべ)落としとはよく言ったもので、下校時刻を迎える頃には日が沈みかけていた。日がすぐ落ちる上に、容赦なく秋風は殴り付けてくる。

 ハァ、と息を吐いて(かじか)んだ手を擦り合わせる。手袋がないし、薄着だから帰りは地獄だ。朝急いで家を出るにしても、天気予報ぐらいは見ておくんだったかな。凍えそうになりながら、俺は今朝の早計な自分を呪った。

 そんな思いをしながらも、俺はわざわざ商店街を通って遠回りして帰る。それには行きと同じく弦巻さんを避ける他に、ちゃんとした理由があった。

 

「相変わらず、人が多いな」

 

 福引きの時もそうだったが、ここは本当によく賑わっている。まだ十一月の中旬だというのに、イルミネーションなんか出しちゃって。ずいぶん気が早いこと。

 人だかりが出来ている中央には、一昨日と同じようにテントが立っている。聞こえるのは、奥様方の残念そうな悲鳴ばかり。一等のハワイ旅行は、依然として客を引き寄せていた。

 ここに来た用事とは、福引きを引くことだった。最も、券が余ったからと親に頼まれたからだが。学校帰りのついでによろしくなんて、随分勝手なことを言うものである。

 

「お願いしまぁす」

「はいはい……って、お? 陰山君じゃないか」

「あ、ども」

「一回分?」

「はい」

 

 福引券を受け取ったのは、一昨日お世話になった俺たちの雇い主であるおじさんだった。こうして自分で対応しているってことは、さては俺達の後のバイトが集まらなかったな。少し気の毒だ。

 とはいえ手伝う事も出来ないので、大人しく客として福引きを回す。ガラガラ~っと中の玉が音を立てながら、一周二周。三周目に入ろうかというところで、コトリと玉が出てきた。色は緑。あれ、ポケットティッシュの白じゃない。

 

「お、おめでと~!! 緑ってことは四等かな」

 

 あら、何か当たっちゃったんだ。ハワイではないけど、ポケットティッシュよりか遥かにマシなのは間違いない。ま、何だっていいけど。

 おじさんが俺に手渡したのは、薄っぺらい封筒。封筒。中を見ると、無料券が二枚入っていた。……どっかの入場券かな? なんだこれは。

 

「四等は水族館のペア券だよ。誰か友達と行くといい」

「はぁ。心当たり無いですけど」

 

 ペアの無料券、か。そういえば、そこそこ大きな水族館が周辺にあったっけ。

 とはいえこんなもの渡されても、生憎相手はいない。たかだか半月程度の付き合いの奴と二人で出かけるなど、俺には考えられない。いたとしても、今の俺には行く気もなかった。

 

「こころちゃん誘ったらどうだい?」

 

 あぁ。そういえばたった一人だけ、一緒に行ってくれそうな人がいたな。きっと俺から声をかければ、弦巻さんは喜んでいくんだろう。

 でも、彼女はダメだ。彼女だけはダメなんだ。

 

「そういうんじゃないんで。失礼します」

 

 おじさんに短く断りを入れると、俺は足早にテントから去っていった。これ以上、あの人の話題が出るのが怖かったから。

 どうしてだ。今日は一度も顔を合わせていない、話してもいないのに、結局弦巻さんの話題が出てしまう。何のために行き帰りの時間をズラしたと思ってる。

 治療をしても、いつ治るかは未確定。少なくとも、今月中は無理。昨日医者にそう言われて、俺は残り半月の身の振り方を考えた。

 そして出た結論が、今までの出来事をなるべく忘れるように過ごす事。何も考えないまま、変な悔いが残らないまま三十日を迎えたいというのが本音だった。

 その結果、まずはあの超ポジティブお嬢様から離れるのが第一だと考えた。何も事情を話さずに申し訳ないとは思うが、登下校の時間をズラしてしばらくは一人で過ごそうと思っていた。

 だが、結果はこれである。学校でも一人でいても、あの人の話題になる。

 

「クソっ」

 

 思い通りにいかない現実に、確かな苛立ちを覚えていた。せっかくの無料券を封筒ごと手でグシャグシャに丸めて、ポイっと投げ捨てる。いらないし、こんなの。

 

「あら、落としたわよ?」

 

 背後からの声に、思わず振り返る。

 その声の主は今最も会いたくない人物。

 俺は、つくづく自分の運のなさを呪った。

 

「……弦巻さん」

「んー。あらっ、水族館の無料券じゃない!!」

「欲しけりゃあげるよ」

 

 また勝手に中身見るんだから。遠慮がないというか、デリカシーがないというか。

 シワが出来てしまった無料券を手に、弦巻さんは嬉しそうに声をあげる。この人に見られたのは失敗だったな。

 

「ちょうど二枚あるじゃない。隼人、今度一緒に行きましょっ!!」

「俺は行かない。奥沢さんや松原さんと行ったら?」

「それも楽しそうね!! でも、それはハロハピの皆で行けばいいもの。だから、ね?」

「行かないってば」

 

 こうなるのは、目に見えていたからだ。一度食い付いたら、こちらが折れるまで決して離さない。まるですっぽんのような人だ。

 いつもなら俺も早々に折れるが、今日ばかりは少々事情が違う。少し語気を強めて断る。

 

「そう……。なら仕方ないわね。これ、返しておくわ」

「えっ? いや、別にいらないよ?」

「そうなの? 他に行きたい人がいるから、断ったんだと思ってたわ」

「違うってば」

 

 君と行きたくないから、とはさすがに言えなかった。この期に及んで気遣い? 何でだろうね。

 第一、無料券なら欲しいならあげると言ったじゃないか。とりわけ、水族館に行きたいってわけじゃないのかな。俺もいらないんだけど。

 

「それより隼人、今日はどうしたの? 行きだけじゃなくて、帰りもいないなんて」

「別に……何でもないよ」

「にしては、いつもより顔が暗いわ。悩みがあるなら聞くわよ?

 一人で抱えるより、話した方がずっと楽になるもの」

 

 顔、暗いのかな。自分じゃわからないや。弦巻さんはあれで結構敏感だし、きっと今の俺は酷い顔をしているんだろう。

 でも、仮にそうだとしても。弦巻さんには関係ない。

 

「何でもないってば。じゃあね」

「あっ……。またね、隼人!!」

「……またね」

 

 珍しく諦めが良かったのか、追いかけてくるような事はなかった。振り返り、彼女に小さく手を振る。弦巻さんは少しだけ、ほんの少しだけ悲しそうな顔をしていた。

 何か言いたげだった彼女に、少しだけ後ろ髪が引かれそうになる。だが、ここで立ち止まったら意味がない。早く……早くここを離れてしまおう。

 俺の悩みや言動の根源は、全て病気が原因だ。いくら弦巻さんでも、こればかりはどうしようも出来ない事実。だから事情を話しても無駄だし、余計な心配をかけたくない。俺と彼女は、やっぱり相容れないんだ。

 彼女と一緒にいることで、俺は色んな体験をする。きっとそのどれもが新鮮で、心地よく感じることだってあるだろう。でもそんな体験をすればするほど、比例的に全てを忘れる事が怖くなる。

 きっと弦巻さんも、俺と一緒で楽しいんだろう。どこに興味を持ったかは知らないが、俺を笑顔にさせようとあれこれ工面している。だが、来月の俺を見て彼女はどう思うだろうか。俺が全てを忘れているという事実を知ると、どういった反応をするのだろうか。

 もしかしたら傷つけるかもしれない。ショックを受けるかもしれない。案外ケロッとしているかも……? 考えられることは色々ある。でも確実に言えるのは、この一ヶ月の事は全部無かったことになるという事だ。マイナスはあっても、プラスはまずない。

 だったら、もう今のうちから疎遠になっておけばいいじゃないか。これが俺の出した結論。きっと、それがお互いのためになるはずだから。

 

「……ごめんね、弦巻さん」

 

 決して届くことのない謝罪は、人混みの喧騒に消えていく。

 これだけ風が冷たくて寒いってのに、道行く人達は皆楽しそうに談笑している。どんな話をしているんだろう。今日の出来事か、明日の予定か、はたまた週末の楽しみについてか。

 笑顔、笑顔、笑顔。周りにはたくさんの笑顔が咲いている。仏頂面で一人で歩いている俺は、どんなに浮いているだろう。明らかに、この商店街の中では異端だった。

 手をポケットにズボッと入れ、体を丸めて早足で商店街を抜ける。ここに来たとき僅かに見えていた茜色の夕陽は、もう見る影も無くなっていた。

 

 やっぱり今日は寒いなぁ。早く帰らなきゃ。

 

 横顔を、秋風が強く撫ぜる。俺はまた一つ身震いをして、歩くスピードをさらに上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 十一月十二日(水) 天気:晴れ

目覚め『だけ』は良かった日だった。あとは最悪。全てを忘れてスッキリしたい気分だ。いっそのこと、一ヶ月とは言わず一日周期で記憶飛ばしてくれればいいのにね、なんて

それとは別に、治療の件は本格的に話が進んできた。さっき、親とも話し合った。今週は無理だけど、来週には親も一緒に病院に行ってくれるらしい。そこで担当医との相談になりそうだ。もちろん嬉しいけど、やっぱり怖い気持ちの方が強いかも

 

 

 

 

 


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