やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。   作:てにもつ

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 「さて。私達はこの後別の方とお会いすることになっているので、そろそろお店の方は出ましょうか」

 

 滝先生の言葉に新山先生が頷いて、鞄の中から財布を取り出した。だがすぐに滝先生が掌を見せてそれを制した。

 

 「すいません。お店出る前に俺トイレ行ってきていいですか?」

 

 待たせると悪いからと塚本は急いでトイレに向かって行った。

 聞くには、中々良いタイミングかもしれない。

 

 「滝先生。一つ部活のことで聞きたいことがあるんですけどいいですか?」

 

 「はい?何でしょう?」

 

 「滝先生は今の二年生の大半が、今はいない卒業した先輩達と折り合いが付かなくてやめていった話って知っていますよね?」

 

 「はい。その件に関しては小笠原さんから耳にしました」

 

 「辞めていった生徒は南中というこの辺りの中学では吹部のレベルが高い学校だったらしいんですけど、もし去年辞めた部員がまた部に復帰したいと願い出たら、先生は許可しますか?」

 

 滝先生は心底わからないという顔をした。

 

 「ええ。吹奏楽をやりたいという意思があるのなら、私は演奏の技術の有無に関わらず、部への復帰は認めます。勿論、今からAのメンバーとしてではなく、Bのメンバーと一緒にコンクールに向けてのサポートをする形にはなりますが。部員が増えるというのなら歓迎です」

 

 「そうですよね」

 

 これはきっと顧問として正しい選択をしている。

 部活動とは教育課程外の活動で入部するかどうかは個人の自由。過去の事情や経緯がどうであれ、途中入部を認めないことは生徒の自由の否定であり、教育的な配慮に欠けてると捉えることさえ出来る。

 

 『いい?さっきも言った通り停滞するのはイレギュラーがなければだから』

 

 田中先輩の言葉を思い出す。……やはり、俺がどうにかするべきはきっとここなのだろう。

 

 「そうかしら?」

 

 だが、意外にも滝先生に反論したのは新山先生だった。

 

 「私なら様子、というか部員の反応を見ますね」

 

 「ですが一度辞めた部に戻ってきて頂ける程の意欲があるのなら、来年のコンクールまではまだ技術を磨く時間もあります。今年は去年とは部の雰囲気も違うと多くの部員が言っていますし、去年までは馴染めなかった中学の時に強豪校にいた生徒が今の部の空気に馴染めるのなら何も問題はないと思います」

 

 「勿論、来年のコンクールの戦力という点では強豪校の出身というのは強いと思います。今の北宇治は全国を目指しているわけですから、新入部員が今の部員よりも上手くて来年のコンクールのメンバーに選ばれたとしても何もおかしくはありません。でもより良い演奏にする上で、確かに本人の熱意とそれに伴う個の力は欠かすことの出来ないものだけど、それ以上に大切なものがあります」

 

 「何ですか?それは?」

 

 「今いるメンバーのクオリティが落ちないことです。特に今は関西大会を控えている訳ですし。去年辞めていった部員達が本当に今はいない上級生に我慢できず辞めていったとして、他に辞める原因となった理由はなかったのか。もしくはその入部しようとしている生徒に、部員へ影響を及ぼすような何らかの落ち度はないのか。今はとにかく慎重に入部の許可を出すべきだと思うの」

 

 鋭い。女性ならではの勘なのか。はたまた吹部としてやってきた経験からなのか。

 まだ北宇治へ来てもいないのに滝先生も知らない現状を言い当てて見せた。そのことに素直に感心してしまう。

 

 「吹きたいのに吹けないというのは可哀想です。今の吹奏楽部員のことが一番大切だと言うことは分かりますが」

 

 「ええ。それはわかります。入部を認めずに、後々保護者問題にまで発展したら目も当てられないし。だからせめて入部を認めるのはコンクール後にしてもいいんじゃないかしら?

 でも、比企谷君がどうして今滝先生にそんなことを聞いたのかはよく分からないし、私はまだ北宇治の吹奏楽部を見ていない上に、入部を希望している生徒のことも当然知らない。だからこんなことを言う資格はないのかもしれないけど……」

 

 「全然構いません。続けて欲しいです」

 

 「そう。じゃあ言うわね。私は顧問としては入部を遅らせるべきだと思うけれど、一人の吹奏楽に携わってきた時間が長い先輩として言うのなら、そういう辞めていった部員達とのしこりの解消や拗れちゃった人間関係の解決、それに新しい出会いは奏者として色んな意味で一番成長をさせると思うの。プロからの技術的な指導とか、何時間も重ねる努力だって当たり前のように大切だけど、名曲が作られてきた背景に熱い感情とか考えられないような人生の試練、出会いと別れがあるのときっと同じ。

 もし部に復帰したい子がいて、それが理由で何かを耐えられない部員がいるのなら、その部員のためにも向き合うことを考えて見るべきかなって」

 

 「……俺にはよくわからないです。向き合わなくたって逃げれば、大体のことは時間が解決してくれる」

 

 「そうね。私も比企谷君くらいの時にはそんなこと、全然分からなかったわ。今だからこそ思える事なのよね。でもきっと高校生の皆が思っている以上に向き合うために一歩踏み出すっていう行為は大切だと思う」

 

 新山先輩は意味ありげに滝先生に微笑んだ。その視線に向き合うことなく、滝先生は少し視線を落とす。

 

 「私は……まだ分かりません。今がきっとその途中です」

 

 「……そう」

 

 優子先輩は鎧塚先輩が拒絶反応を起こすからと、傘木先輩の復帰を認める訳にはいかないという。優子先輩だけではなく、それは田中先輩を含めた三年生の部長や事情を知る部員達の総意でもあるはずだ。なぜなら田中先輩は宣言した。停滞すると。

 停滞とは強く田中先輩に復帰の許可を求める傘木先輩に、田中先輩がNoを出し続けている状態を指す。だがこの状態は新山先生の言う、向き合うことから逃げていることに違いないのかもしれない。周りが鎧塚先輩を守らなくてはと勝手に決めて、鎧塚先輩と傘木先輩の接触を避けている。まだ二人が出会えばどうなるのかなんて、誰もわからないはずなのに。

 

 「…いや、これは俺らしくない」

 

 良い言い方をすればリスク管理。悪く言えばネガティブシンキング。けれど、それでいいのだ。ネガティブとはつまり、最悪な状態にならないための防衛本能。

 新山先生の言う通りに結果として鎧塚先輩が傘木先輩に会っても特に何もなく終わる。さらに言えば、傘木先輩の復帰に関して去年辞めたのにという理由で誰も折りが悪くならない。それが理想である。

 一番まずいのは田中先輩達が想定している構図と変わらない。鎧塚先輩が傘木先輩を拒絶し、吹けなくなる、もしくは吹かなくなることに違いない。リスクがある以上、何もしない方が良いはずだ。

 

 「すいません。お待たせしました」

 

 塚本がトイレから帰ってきて、俺たちはレストランを出るために席を立つ。

 ああ。またこのくそ暑い中に戻らなくてはいけないのか。外に出てもいないのに、もやもやとした感情が胸の中で渦巻いている。少しだけ残っているコップの水を飲んでから、俺は三人の後ろを付いて店を出た。


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