やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。 作:てにもつ
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足りない。足りなーい。お盆休み、二ヶ月足りないー。
なんて言いつつ、ここはすでに合宿場に向かうバスの中。塚本と遊んだ翌日。たった一日しかない休日では休みが圧倒的に足りない俺は、せめて最後の休みを満喫しなくてはと、バスの中で読みかけの小説に手をかけていたが、もうバスは到着するらしい。俺の夏休み、終わっちゃった。
宇治と比べると自然豊かで和かなこの土地で、二泊三日の合宿が行われる。小町からは『お土産はお菓子はいらないから。観光地のお土産って普通のお菓子なのにボッタクリ価格だからダメ!あとキーホルダーもどうせいらなくなって捨てちゃうし、うーん…漬け物とか?』と何とも女子中学生には思えないおねだりをされたが、そもそもお土産を買う暇はあるのだろうか。
「バスを降りたら誰の荷物でも良いからとりあえず運んで下さい。運ぶ場所は合宿係の指示に従ってね」
はい、といつもの返事はなかった。北宇治高校を出発するとき二台にわかれることになったが、このバスは一年生しか乗っていない。三年と二年、それに松本先生はもう一方のバスのためどこか気が楽で良い。
「次に楽器を運びますので、荷物を置いたらすぐにまたバスに戻ってきて下さい。男子は重たいの運んで下さい」
目線は変わらず小説に向けたままだが、話を聞いていないわけではない。もはや吹部男子と言えば荷物運び。荷物運びと言えば男子。今更それに異を唱える奴はいない。そんなことをすれば、社会的制裁ならぬ、吹部的制裁が待ったなし。是非もないヨネ!
いつもよりも数倍広い部屋で席に着く俺たち。並べられた椅子も、当然隣との間隔があって居心地が悪い。
合宿に来るまでは制服だったが、一度各部屋に荷物を置いた後は各々の吹きやすい格好に着替えた。体操着が六割程で、それ以外は持ってきたシャツや文化祭かクラス単位で行われる球技大会のシャツを着ている。
文化祭も球技大会も体育祭も北宇治高校の一大イベントで盛り上がると言うが、どれも非常に楽しみだ。誰もが自分のことやチームのことで必死に楽しもうとする中で、俺は一人誰もいない教室でダラダラとしていられる。万が一先生が教室に見回りが来ても、適当に体調が悪いとか言っておけばいい。
トランペットをいじりながら、ぼーっとそんなことを考えていると、ラフなシャツに身を包んだ滝先生が指揮台に上がった。広い空間に滝先生の澄んだ声は良く響く。
「さて。まず練習を始める前に皆さんに紹介したい人がいます。どうぞ」
扉が開いた。誰が入ってくるか知っている俺も、周りに流されて扉に注目する。
「「「うわあ」」」
皆が感心したような声を上げるのも分かる。
俺たちが履いたら大人っぽ過ぎるようなベージュの靴を履きこなし、同じ色のカーディガンは夏らしく彼女の周りだけは涼やかに見える。
気持ち、この間よりも気合いを入れて化粧をしている気がするが、それがさらにこの間よりも大人な女性であることを俺たちに知らしめているようだ。スタイルも良くて、顔も良い。全てで負けた気分になるが、それでも良い。このレベルになら人生単位で負けても仕方ないで許されそう。
「今日から、木管楽器を指導して下さる新山聡美先生です」
「新山聡美と言います。よろしく」
頭を下げて、にこりと笑ったその一連の仕草を見て、部員達は口々に思ったことを言い出す。
「木管…!」
「やった!」
「超美人じゃん…」
「流石、滝先生」
「え?そうなの?」
「おっふ」
さり気なく周囲の声に混ざって、一人ハートを射貫かれたやつがいるぞ。気持ちは分からなくもないけど、男子は少し興奮で顔が赤くなっている。
そんな中新山先生は俺たち部員をゆっくりと見回していた。目が合って、少しだけ目が細められる。あかん。可愛い。既婚者だけど、それがいいのだ。
「午後は木管は第二ホール。パーカッションと金管はこちらで練習します。新山先生は若いですが優秀です。指示にはきちんと従うように」
「もう。優秀だなんて。褒めても何も出ませんよ?」
「いえいえ。本当の事を言っているだけです」
「あら。滝先生にそう言って頂けると、嬉しいです」
「なになに!?」
「マジなやつ?これマジなやつ?」
「ちっ」
おい、今誰か舌打ちしただろ。周囲の様子は二人の関係が何なのかと、興味でいっぱいのようだ。
後ろにいる首からタオルを下げた塚本をちらりと見ると、目が合って気恥ずかしそうに笑った。こうやって周りの反応を見ていると、俺と塚本もついこの間二人と最初にあったときはこんな感じだったのかと何となく恥ずかしくなってくる。
「うわっ!」
優子先輩が声を上げた。何かと視線を慌てて移す。
「うおっ」
そこには死んだ魚のような目をしている高坂がいた。
「お、おーい」
「……」
「高坂。高坂ー?」
「……」
優子先輩と俺で何とか意識を戻そうとするも、完全にシャットダウンしている。
「高坂ー。目が比企谷みたいになってるわよー?」
「遠回しに俺の目が死んでるって言ってません?」
「うん」
「素直に言えば何でも許されるって訳じゃないですからね?」
「……」
くだらないやり取りにも一切反応せず、ただぽーっと滝先生と新山先生が見つめ合っているのを見ている。一体、どうしてしまったのん?
「さて、それじゃあ練習を始めましょうか?新山先生。始めに一言ありますか?」
「はい。皆さん。二泊三日という限られた時間の中で、それぞれが何かを掴んで終えることを心懸けましょうね。頑張ろう」
「「「はい!」」」
普段は女子にかき消されるはずの男子のむさ苦しい返事が、大きく教室に響き渡る。それを聞いて、しらっとした目でみてくる女子の視線は痛かった。