やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。 作:てにもつ
「不幸だ…」
この右手のせいなのか…。いやそんなわけあるかい。
高坂と、何故か一緒になって怒ったような表情の優子先輩の二人に滝先生と新山先生のことを問い詰められる地獄の様な時間は、結局香織先輩がパトリ会議を終えて助けてくれるまで続いた。
塚本と二人で遊んでいるときにたまたま入った店で偶然出くわしたという部分のみ嘘を吐いてしまったが、そう言ったのも滝先生から呼ばれていったと言う方が高坂を怒らせるような気がしたからである。
もうね、高坂が怖すぎた。あいつなんで目だけで人殺せるの?ゴルゴーンなの?
何もしてないのに一緒になって正座させられた滝野先輩なんて、途中から泣きそうになりながら『どうして、俺まで…』って言ってたのに、一通り責められ終わったら高坂に『滝野先輩、いたんですか?』って言われてたからな。
お前が滝野先輩に正座しろって言ったんだろ!…滝野先輩、本当にすみませんでした。
それにしても身体は疲れているはずなのに眠れない。何となく一人になりたくて、外に出ると意外と同じような理由からなのか、まだ起きている部員も少なくないようだ。外の椅子では鎧塚先輩がスマホゲームをしながら一年の黄前と話していたし、部屋が並ぶ廊下を歩いているとどこからか小声で話す声も聞こえてきた。
「何か飲むかー」
さっき見たときは確か、自販機のとこにも椅子があったはずだ。誰もいないと良いけれど。
「お、比企谷じゃん。ぼっちろー」
しかし俺の願いは、空しくも散った。先客がいる。スマホを弄りながら、パイナップルジュースを飲んでいたのは中川先輩だった。
「ぼ、ぼっちろー?」
「あー。これはね、ボッチの人との挨拶ね」
「……」
「ごめんごめん。そんな目で見ないで。比企谷って何かからかいたくなっちゃうんだよー」
くつくつと笑う中川先輩。喉の上下と一緒に、ゴムで結われたポニーテールが揺れる。
子どものように揺れるものを目で追っていると、もう一つポンポンと規則的に動くものが増えた。
「ほら。座った座った」
「……子どもの頃から、夜は二十三時までに寝ないと次の日起きられないからダメって母さんに言われてるんで寝ます」
「うわっ。うっわー。後輩と仲良くなりたいのに後輩の方から距離置かれちゃったよ。悲しいなあー」
止まらずにポンポンと中川先輩は隣を叩いている。口では悲しいとか言いつつもニヤニヤしているから本当は全く悲しいことはないのだろう。
「…はあ」
「お。来たね来たね。偉いぞ」
「すぐ寝ますからね?」
「明日も練習あるからねー。話し相手になってくれるお礼にジュースを奢ってあげましょう」
「別にいらないです。施しは受けても、奢られはしないって決めているんで」
「その差がよくわかんない。ほら。どういう系がいい?」
「…じゃあコーラで」
「はいよー」
中川先輩から受け取ったコーラは当たり前だが冷たい。少し水滴が付いている缶は、少しだけ夏の夜の蒸し暑さを忘れさせた。
ぷしゅっという景気の良い音と共に、缶の口からは泡が吹きこぼれる。
「はい。かんぱーい。初日お疲れさん」
「お疲れ様です」
何だか上司と飲んでいる気分だ。実際のところ、一学年上の先輩と乾杯しているわけだから、上司と飲んでいるというのもあながち間違いではないのだけれど。
ちなみに俺の独断と偏見で決めた、スーツが似合う部員ランキングにおいて、中川先輩は堂々の二位である。このポニーテールと少し身長が低いのをヒールで高く見せそうなところが、入社二年目の先輩っぽい。新入社員からは、サバサバした性格と一見話しにくそうだけど、話してみると意外とフラットに気兼ねなく話せて一定層の人気を誇ってそう。
ちなみに、一位は田中先輩。あの人にもはや解説は必要ないだろう。三位は小笠原先輩。おどおどとした感じが本当にいそう。
「そう言えばこないだはごめんね?」
「え?何かありましたっけ?」
「ほら。あすか先輩と話してるとき邪魔しちゃったじゃん?」
「ああ。あのことですか。本当に話も終わってたんで、別に構わなかったですよ」
「そっか。あの後、希美から聞いたんだけどさ、比企谷って希美と知り合いだったんだ?」
「はい。放課後たまたま会いました」
「フルート褒めてもらえて嬉しかったって言ってたよ」
「…そうですね。とても上手いと思います」
夕日の下で、一人フルートを吹く記憶の中の傘木先輩は、やっぱり少しだけ寂しい。綺麗な音色を聞いていたあの時は聞くことに集中していてそんなことは思わなかったが、今は付加された情報もあってそう考えてしまう。
「だよね!私もさ、中学生のとき、初めて聞いた時は感動したんだ」
「中川先輩は中学から吹部ではなかったんでしたよね?」
「うん。北宇治に入学してから始めた。実はさ、私が高校から吹部に入部しようと思ったのも、たまに廊下で吹いてた希美のフルートのことが忘れられなかったっていうのもあって。まあ結局、本当はフルートやりたかったけど、余りもののユーフォに落ち着いたんだけどね」
「……じゃあ中川先輩が傘木先輩に今、部活に戻れるように協力しているのは憧れってこと何ですかね?」
「え!比企谷、知ってたんだ?」
「少しだけですけど」
「もしかして、この間あすか先輩と話してたのって、希美の復帰のことだったりするの?」
「さあ。どうですかね」
「うわ。性格悪。優子の後輩なんてやってるからうつったんじゃない?」
もしこれを優子先輩が聞いたら喧嘩案件だな。いなくて良かったー。
「でもね、憧れたからとか入部のきっかけだったからとかじゃないよ。協力してるのは」
「じゃあ何でですか?」
「さあ。何でだろうねー?」
……確かに、これやられると意外とムカつくな。八幡、激おこなう。ってくらいムカつく。
「優子先輩とやること一緒じゃないですか」
「は?じゃあ言うよ」
「………」
中川先輩、どんだけ負けず嫌いなんだよ。やっぱりこういう所が優子先輩に似ている。
「私が協力してるのは、罪滅ぼしだよ」
「罪滅ぼし、ですか?」
「うん。希美は面倒事が嫌いな私とは真逆で馬鹿正直だから、去年までいた先輩と衝突しちゃったんだよね。希美は先輩達に頭下げて、それを偶然通りかかってみた私さ、先輩達に『言っても仕方ないよ。そいつら性格ブスだから』って言っちゃってさ」
「うわ。最悪ですね」
「でしょ?先輩達もそれで意地でも練習しないってなって、結果的に希美を退部に追い詰めた一つの要因になっちゃったんだ」
「だから罪滅ぼしなんですね」
「うん」
中川先輩の缶はもう空になっているようだ。その表面を爪ではじいてはコツンという音が寂しく二人しかいない空間を木霊している。
「希美、退部したときに最後に止めてくれたってあすか先輩にどうしても復帰の許可をして欲しいんだって。だから何回もあすか先輩の所に通ってるの。でもさー。あの人も性格悪いって言うか難しい人だから、きっと何か考えて復帰の許可を出してくれなくてさー。せめて理由が聞きたいんだけど。それを聞かないと、どうしたらいいのかわかんないじゃん」
中川先輩は鎧塚先輩の事については何も知らないのか。当然、傘木先輩本人も知らないだろう。
「いつまでも今のままじゃ仕方がない。だからね、合宿から帰ったら滝先生に復帰を認めてくれないかお願いしてみようと思うんだよね。さっき希美とも電話でそう決めたんだ」
「……でしょうね」
「え?でしょうねってどういうこと?」
それはそうだろう。本当はあくまで田中先輩の許可は傘木先輩が部に復帰するための十分条件でしかない。決して必要条件ではないのだ。
しかし、傘木先輩に取って田中先輩の許可は十分条件ではなく必要条件だと認識している。だからこそこの問題は『停滞』することが出来ていたのだ。
部への復帰という解答にたどり着くために一番合理的で簡単な方法は、その条件を崩壊させて正しい形に構築し直すことである。田中先輩の許可を必要条件ではなく十分条件に。そして真の必要条件は他の誰でもなく、顧問の滝先生の許可。ただ一つ。
俺は先日滝先生に確認もしている。滝先生は部への復帰は認める方針。つまりこれだけ拗れている現在の問題も、解決を図ろうとすれば実にシンプルな問題なのだ。
そして、逆に言えば。『停滞』を望むのであれば、二人を滝先生の元に行かせてはいけない。それはこっち側からするとゲームオーバーの要件。
田中先輩が想定しているイレギュラー。それは頑なに田中先輩の許可を求める傘木先輩の舵を切り替えて、滝先生という誰も異を唱えることをできなくなる存在に近づけるように持って行ける人物。『中川夏紀』。イレギュラーな存在とは彼女に他ならない。
「…ねえ、比企谷。もしかしてあすか先輩が許可を出さない理由知ってるんじゃない?」
だからこそ。
考える。改めて俺は傘木先輩の復帰を邪魔するような真似をしてもいいのか。
考える。滝先生は部への復帰を認めない事はしないと言った。
考える。新山先生だって本人達のためにも向き合ってみてもいいのではと話した。
考える。田中先輩は俺に『イレギュラー』を止めるように釘を刺した。それに答える義理はどこにあるのだろうか。
だけど思い出す。香織先輩がソロに選ばれず、涙を流す優子先輩を。
…答えは、やっぱり変わらない。俺は俺の罪滅ぼしをするために、同じように罪滅ぼしをする中川先輩と対立せざるを得ないのだ。
だから、最後に考える。きっとただ吹部に戻って吹きたいという気持ちに蓋をするような真似は間違っていると気が付きながら、それでもどうすれば止めることが出来るだろうかと。
「…さあ。どうですかね」
「…言っとくけど、私本気で聞いてるんだよ。もし知ってるならお願いだから協力して欲しい」
「それはできません。先に言っておきます」
「え?」
「中川先輩に協力することは出来ないんです。ごめんなさい」
「どうして…?」
「それを踏まえて、先輩に話したいことがあります。明日の夜、もう一度話をしましょう。場所は外のテラスにでもしましょうか」
ただし、中川先輩が話をする相手は俺ではないのだけれど。