やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。   作:てにもつ

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「…ふーん。だから希美はあすか先輩にお願いしに行ってるのね」

 

「そ。知っての通り、あすか先輩からは許可が出ない訳だけどね」

 

先が見えない暗闇の先や、ざわざわと木々を揺らす風。更けきった夜はテラスの周りの空間をおどろおどろしく演出している。座っている椅子は夏だというのに少し冷たくさえ感じた。

中川先輩の話を聞いている間、優子先輩は何かを考えたように俯いたままでいる。

 

「……」

 

「ここまで話してだんまりは酷くない?理由を教えてよ。希美は今からコンクールのメンバーに入れろって言っている訳じゃない。止めようとしてくれたあすか先輩の最後のコンクールをすぐ傍で応援したいだけ」

 

優子先輩が何も言わずにいることで、中川先輩は少しずつ声のボリュームが大きくなっていった。

 

「それに…中学生の時、私は吹部じゃなかったから、優子の方がよく知ってるはずでしょ?中学のコンクールの結果」

 

「…それは勿論わかってる。希が部活に復帰したい気持ちなんて…」

 

「じゃあなんで!希美は中学の時は関西大会目指してすっごい練習してたのに、結果はむしろ例年より悪い結果に終わって、悔しかったから高校に入ったら今度こそ全国目指すんだって言ってた。それなのに入ってみたら、あんな部活で。それが滝先生が顧問になって変わったから、また帰って来ようとしてるのに今度は一度辞めたから入れられないって。そんな酷い話ないじゃん」

 

「…けど……」

 

「私たち二年生以上の誰も、今みたいに部活が変わることなんて予想してなかったし、希美は去年の先輩達に虐められて辞めたんだよ?あいつらの仕打ち見てたでしょ?それでやる気あった同学年の生徒が辞めて、やる気のない今の二年が残った。

その二年が流れに任せてやる気出しててさ、勿論残ったんだし変わったこの環境で頑張ること自体は否定しない。だけどあんまりにも虫が良すぎるってあんたは思わなかったの?私は思うよ。辞めてった人たちに申し訳ないって」

 

「…思ったに決まってるじゃない」

 

「それなら…!」

 

「だけど!希美が帰ってきたらみぞれが…!」

 

「…みぞれ?」

 

はっとしたように優子先輩は口を閉じた。だけどもう遅い。

そして、それは俺が期待していた結果でもある。

 

「どういうこと…?」

 

「ねえ優子!」

 

「中川先輩、あんまり大声で話してると誰かが来ちゃいます」

 

「くっ…」

 

中川先輩がぐっと優子先輩に詰め寄ったが、落ち着かせるために一度引き離した。

中川先輩からしたら、探して探してやっと見つけた解決への切り口なのだ。ここで手放すわけにはいかない。だからこそ見つめる視線は力強く、それに優子先輩が根負けしたように力なく息を吐くのも時間の問題だった。

 

「…この事は一部の三年と私たちくらいしか知らない話だから口外しないでね?」

 

「わかった」

 

「みぞれは希美がダメなの」

 

「ダメって?」

 

「近くにいるとかだけじゃなくて、希美のフルートの音とか聞いてるだけで吐き気がしたり、体調が悪くなって保健室で横にならないと落ち着けない」

 

「…は?待ってよ。だって希美とみぞれは同じ中学でずっと一緒に吹いてたんでしょ!?それに希美はみぞれとは仲良――」

 

「だからそのことを希美が知らないのが問題なの」

 

「……」

 

「みぞれは希美が部活を辞めたときに声をかけてもらえなかったことを引きずっているんだよ。なんでみぞれに声かけなかったのかは知らないけどね」

 

「そんな…」

 

「あんたが希美のためを思って部に復帰をさせたいのはわかってる。希美が部活に復帰したい気持ちだってちゃんとわかるし、一回辞めたからとかそんなこと関係ないし復帰出来ない理由なんかになるわけない。

それでも、希美は部活を辞めて、みぞれは部に残ってる。勿論希美は大事な友達だし、大切な中学からの部員だったけど今は違う。だからこそ私はみぞれを優先したいし、守るべきだと思うわ」

 

鎧塚先輩が現在吹部の部員であるから、傘木先輩よりも鎧塚先輩の側に立つべきだと言う優子先輩が真っ直ぐに見つめるのに対して、話を聞いた中川先輩は俯いている。ついさっきまでとは真逆の構図になった。

沈黙が支配して時間は刻一刻と過ぎていく。何となく横を見てみれば、優子先輩と目が合った。冷たい瞳で責めるように見つめるのに謝ることはしない。

 

「……それでも私は希美を入れてあげたい」

 

「だから…」

 

「みぞれのことはわかった。だけど、希美は私にとって……吹部に入るきっかけになった人だから……」

 

特別なんだ。

まだ迷ったように視線を上げることはせず、中川先輩は呟いた。

先生のところに行くことを防ぐためには、ここで中川先輩に止まってもらう必要がある。出口を見つけることの出来ない逡巡の迷宮に中川先輩を閉じ込めなければ。まだ押しが弱い。

 

「…っ!」

 

優子先輩、と呼ぼうとしたがそれは憚られた。悔しそうに口元を歪ませて、目を閉じている。

花火大会の夜、優子先輩に対してもしかしたらと思ったこと。きっとこの表情はあの時の疑念の答えなのだろう。

 

「…中川先輩」

 

「何?」

 

しかし、今は優子先輩の事を考えるよりも中川先輩だ。

 

「伝えていた通り、俺も傘木先輩の復帰には反対です。もし優子先輩が言ったように鎧塚先輩が吹けなくなるとしたら困るのは部員全員です。なぜならうちの吹部にはオーボエの奏者は一人しかいない」

 

「……」

 

「それに対して、今年のコンクールメンバーに選ばれることはない傘木先輩は入部したところで、夏が明けてすぐのコンクールの戦力になるわけではない。つまり鎧塚先輩が吹けなくなることを考慮すれば、傘木先輩の入部は部にとってマイナスでしかないと思いませんか?」

 

何よりも替えの演奏者がいないことは致命的だが、今のままでも鎧塚先輩のオーボエの技術力が確かなものであることも忘れてはならない。現に曲の中に一部分、オーボエのソロがあるのも滝先生が鎧塚先輩の実力を信用しているが故であろう。

中川先輩は何も答えることはなかった。話し合い自体は結論こそ出さずとも、出来ることはしたし後は結果を待つのみである。

 

「中川先輩。これが俺たちが部に復帰を反対している理由です。少し落ち着いて考えて下さい。

でも、この話をしたのは脅そうとしたとかではないですから、先輩が最終的にそれでも傘木先輩のために何かをしたいというのなら、俺はどうすることもしませんし構わないと思います」

 

「…私は、それでもやっぱり……」

 

 

 

 

 

「残念だったわね。みぞれのことを話したのに、夏紀が協力してくれることはなくて」

 

三人でいたテラスに今は二人だけ。中川先輩がいたときまでは隣に座っていた優子先輩は向かい合うように座っている。正面に座って話していると、改めて西洋人形のように整った顔の上に付いているリボンがないことが新鮮というか違和感を覚える。

今もヘアバンドをしているこの人は、髪を自然に下ろしているとどんな雰囲気になるんだろうか。

 

「何も残念なんてことないですよ」

 

「なんで?目的は夏紀を丸め込もうとしてたんじゃないの?」

 

「いえ。違います。中川先輩を引き込みたかったわけではありません」

 

「へ?じゃあどうして?」

 

首を傾げた優子先輩に俺は質問を投げかけた。

 

「部活へ復帰をするために田中先輩から許可を取ることに当たって、傘木先輩の一番の失敗ってなんだと思います?」

 

「うーん…。相談相手があいつだったこととか?」

 

「お。正解です」

 

「え!?ふざけていったのに」

 

そもそも前提の田中先輩の許可がでるまで復帰せず、滝先生に部に復帰の許可を求めるのが後回しというのもおかしいが、それは本人がそうしたいというのであればミスではない。あくまでただの遠回りである。

その遠回りに当たって、中川先輩という存在は俺たちに取っては傘木先輩の行動の選択肢を広げ得る『イレギュラー』という危険な存在であり、同時に傘木先輩にとっては足枷になり得る。

 

「傘木先輩は本当に部に復帰をしたいのであれば、中川先輩を仲介するべきではなかった。

いや。実際には最初のコンタクトの段階では田中先輩と話すために同じパートの後輩である中川先輩の存在が必要だったのかもしれないですけど、そこから先は自分一人で行動するべきでした」

 

「なんで?一人だと寂しいじゃない?それに誰かと一緒の方がそういうとき勇気が出るし」

 

「これだからリア充は」

 

「うざ…。じゃあ…人数が少ない方が行動しやすいからとか?」

 

「先輩の言う通り、人数が増えれば増えるほど行動するのに時間が掛かるって言うのはありますよね。週刊少年誌で大人気だった忍者の漫画でも、機動力と組織的に戦うことを考慮して一番ちょうど良い人数は四人だって言ってましたし」

 

「面白いらしいわよね。よくクラスの男子の話聞こえてくるもん」

 

「父さんが買ってるんで今度貸しましょうか?」

 

「うーん。私でも楽しめるかな?」

 

「なんか女の子でも好きな人多いって聞きますけどね。もっとも、共通の趣味があるって体で飯でも奢らせてあわよくばそれからも都合のいい男でいさせようっていう魂胆か、もしくは腐っているかって可能性もありますけど」

 

「人間不信すぎるでしょ…」


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