やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。 作:てにもつ
「忍者の話はともかく、一人ではなくて誰かが一緒にいるからこそ行動しにくくなるっていうのは間違いなくあります」
「でもさ、二人だよ?クラス単位で回る修学旅行とかじゃないんだし、そんなに行動しにくくなるもんでもないんじゃない?」
「いいえ。二人でも行動しにくくなりますよ。むしろ二人だからこそどちらかが足枷になれば、動きにくくなる。少数であればあるほど、一人に何かがあったときの問題を分けることができないからです。
例えば、二人三脚で片方が倒れれば、一緒になってもう片方も倒れるけれど、三人四脚なら一人倒れても二人であれば倒れずに立っていやすい。
現に中川先輩が傘木先輩の足枷となる可能性を少しでも上げるために、さっきまでここで話しました」
「足枷って何かを止めるってことよね?じゃあ目的はあすか先輩の所にもう二人がお願いしに行かないようにすること?」
「いえ」
「また違うの!?」
「はい。理由はきちんと聞いていないんですけど、田中先輩はおそらく鎧塚先輩の事があるからだと思いますが、とにかく傘木先輩の復帰は認めないと言いました。であれば田中先輩の元に復帰をお願いに行く二人の行動は報われることがない、いわば現状の停滞です。
危惧していたことは滝先生に復帰を相談に行くことです。昨日、中川先輩から聞いたんですが、二人はこのままで埒があかないので合宿が空けたら滝先生の所に復帰のお願いに行くつもりだったと聞きました」
「滝先生のところにか。…確かに滝先生は反対しないでしょうね」
「問題は問題にしなければ問題にならない。つまり滝先生の所にさえ行かせなければ許可がおりることのない状況を維持し続けることで、問題にしないって訳ですね。ただ逆に言えば、滝先生の所に行けばダメだと言われることは必ずない。それ故に優子先輩の言う鎧塚先輩の問題が発生する。
だからこそ、それを止めることが目的でした」
「……そのためにあいつに事情を伝えて、滝先生の所に行くのを止めるって訳か…」
「後は滝先生の所に行かないことを信じるしかないですね」
優子先輩は少し不機嫌そうにそっぽを向いた。
「…優子先輩?」
「何?」
「なんか怒ってます?やぱり中川先輩に話すことになったことですか?」
「別に怒ってなんかいないわよ。この話をしたらあいつはどうしていいかわからなくなる。だからきっと滝先生のところに行くことはないと思うから。勿論、そのやり方が必ずしも正しいとは思わないけどね」
「やり方って……」
「だってあんた本当に頭良いじゃん。だから人の気持ちとかそういうのだって本当はちゃんと分かってる癖にわからないフリして。こんなこと言ったら夏紀が傷つくのなんてわかってたでしょ?
とは言え他にどうしたらよかったかーとか私にはわかんないから、それを責める資格ないし、本当に怒ってないの」
「……じゃあなんでそんな不安そうな顔してるんですか?」
「…ねえ。比企谷はさ、なんでトランペット始めたの?」
優子先輩の突然の質問に、俺はすぐに答えることは出来なかった。
記憶は時間が立てば色褪せると言うけれど。きっといつかは忘れてしまうものなのだろうけど。
それでもこうして思い出す。並んだトランペットとユーフォニアムはいつだって、記憶の中で輝いてる。
「……俺なんかに付き合って、トランペットを教えてくれた人がいました。その人がいたから、今トランペットを吹いています」
「そうなんだ。その人は、今でも特別な人なの?」
特別。英語で言えばスペシャル。
その言葉を誰かに当てはめることはあまり好きではない。会社勤めをするサラリーマンが自分が欠けたら仕事が回らないなんて言えば、それはシステムの欠陥だし、ましてやそれで休みが取れないなら今すぐ休む権利を主張するべきだ。『私には貴方しかいないの!』なんていう女は大体前にも同じ台詞を言っている気がするし、その誰かに捨てられた後は案外次の男で寂しさの穴を簡単に埋めていると思う。
だから特別というもの自体が嫌いである。だけど。
「…まあ。そうですね……。その人がいなかったら今自分がトランペットを吹いてたり、ましてや部活なんかには絶対に入ってなかったと思うと」
「……そっか」
「何か気になることでもあるんですか?」
「ううん。ただ私はトランペット始めたの、特に理由とかなかったからさ。何となく中学の時に吹部に入っただけで……」
『何かのきっかけを与えてくれるような存在の人ってどういう形であれ、特別で替えなんて絶対にきかない存在だと思うの』
ふと、ついさっき新山先生が言っていた言葉を思い出して、何故か嫌な汗が流れた。その考えを振り払うように、自分の口から急かされるように言葉が飛び出す。
「でもそんなの、今吹奏楽やってるから思い出すだけで、吹奏楽辞めてしばらくしたら忘れますよ」
「…ふふ。そんなことないよ。きっと」
寂しそうに笑う優子先輩に俺はかける言葉はなかった。その表情の意味をなんとなく察して、それでも俺は深入りすることはしない。
けれどその時の優子先輩の表情は、切なげでありながら可愛くて、しばらく後までずっと忘れることはできずに、思い出してはむずむずと変な気持ちになる要因になるのであった。
「そろそろ部屋に戻りましょ?明日も練習だしね?」
「……はい」
ゆっくりと部屋の方へと身体を向けて大きく伸びをした優子先輩だったが、そのままじっと壁の方を見つめているとやがてもう一度俺の方に顔を向けた。
「私やっぱりまだ寝ないわ」
「え?なんで?」
「ん」
そこそこ、と指を向けるのはじーっと見つめていた壁。
あー。なるほど。誰かが盗み聞いてたって事か。
「誰ですか?」
「一年の黄前」
「黄前か。先輩、仲良かったでしたっけ?」
「ううん。多分嫌われてる」
「正直ですね…」
「まあこんな時くらいしか話す機会ないしね?ついでにどこまで盗み聞きしてたのか聞いてくる」
「まあほどほどに。んじゃ俺は部屋戻りますね。何か変に勘ぐられてもあれ…ですし…」
自分で言ってて思ったが、時計の針が十二を回った時間に男女が二人。これは勘違いされても仕方ないような光景なのではないだろうか…。いや、それはないな。
いくら自分では目さえ隠せば、ルックスそこそこだと自負しているとは言え、優子先輩とは流石に釣り合わない。
「うん。それじゃあ、また明日ね。お休み」
「あ。優子先輩」
「どうしたの?」
「……何でもないです。お休みなさい」
「?変なの?」
優子先輩の可愛らしいパジャマの後ろ姿をしばらく目で追って、俺は踵を返して部屋に向かう。背後からは優子先輩に捕まった黄前の『うへぁ』という、なんとも力ない声が聞こえてきて少しだけ笑ってしまった。