やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。 作:てにもつ
「はい」
「いやいや。はい、ってこれ……」
「あげる」
また明日ね、と毎日約束する公園のベンチ。初めての放課後のお約束のときはドキドキしながら向かったこの場所も、数日経てば慣れてしまった。
そんなある日のことだった。いつも急に突拍子もない提案をしてくる陽乃ちゃんだけど、この日は突然黒いケースを渡された。中身は陽乃ちゃんが吹いているトランペットが入っている。
いくら子どもでも、これは簡単に人にあげられるようなものではないことは分かった。金色に輝くトランペットの価値を俺は知らないけれど、きっとお父さんにかなり無理言って買って貰ったゲームボーイアドバンスよりもはるかに高いものだと思う。
「だってー、初めて会った日に教えてあげるって言ったけど、毎回毎回持ってくるの面倒くさいじゃん?それに八幡、練習投げ出さないで頑張ってるし。楽しそうだし」
「面倒くさいであげたら、お母さんに怒られちゃうんじゃない?」
「怒られないよ。私の家、お金持ちだもん」
そういうものじゃないと思うんだけど……。
陽乃ちゃんは、いつも思うけどやっぱりなんか変わってる。
初対面の日の翌日にお互い自己紹介して分かったことは、陽乃ちゃんは別の小学校に通う三つ上の先輩だということと、以前から習っていたトランペットという楽器を気晴らしでここで吹いていることだった。
けれど、それはあくまで公開された情報で人となりは自分で判断しなくてはいけない。陽乃ちゃんは優しくて、話しやすくて面白い。きっと頭も良いんだと思う。それに可愛い。まさに完璧な人だ。ほとんど話さないけれど、少なくとも話し掛けるきっかけになればいいなって考えて観察してるクラスメイトの中にはこんな理想的な人はいない。
だけど、俺はそれが何となく怖かった。俺の目を見て、拒絶反応を起こさない様子で話し掛けてくれたからだろうか?
そんな俺の様子を気にせず、陽乃ちゃんは重たそうに持っている黒いケースの中からもう一つ楽器を取りだした。
「それにね、じゃーん!」
「何これ?」
「持ってみて持ってみて!」
「う、うん。……うわ、重い!」
「あはは」
座った陽乃ちゃんに金色の重たい楽器を返して、俺も隣に腰掛ける。
「これはね、ユーフォニアムって楽器なんだよ」
「ゆーふぉーにあむ…?変な名前」
「惜しい。ユーフォニアムだよ。ユーフォ」
俺が渡されたトランペットよりもずっと重くて大きくてくるくるしてる楽器は、立ちながらでも持てないことはないものの座って太ももの上に置かないと疲れてしまう。きっと、大きい音が鳴るんだろうな。おっきいし。
「私さ、本当はユーフォやりたかったんだよね」
「え、じゃあなんでトランペット吹いてたの?」
「お母さんに吹奏楽の花形のトランペットにしなさいって言われたから」
当たり前のように言い切った陽乃ちゃんは、嘘のように真っ直ぐな目をしていた。
「私、他にも色んな習い事してるからさ、どうせ広く浅くやるからとりあえず王道っていうか、一番無難なようにやればいいって」
「そうなんだ」
「うん。まあお母さんが言ってることも分かるんだけどね。だから別に文句はないんだけど、折角八幡がトランペットやるなら、いっそのこと前から吹きたかったユーフォやってみようかなって」
別に文句はない、か。俺だったら絶対に嫌だけど。お母さんにサファイアの方が売れてるみたいだからそっちの方が良いんじゃないって言われても、グラードンの方がかっこいいからルビーにするし、クラスメイトがジュカインが一番かっこいいとか、バシャーモが一番強いんだぜって話してても可愛いからミズゴロウ選ぶもん。可愛いから。ヌマクローになって気持ち悪くなって、ラグラージになったときは絶望したけど。
「吹いてみてよ。すっごい大きい音鳴るんでしょ?」
「お。聞いたら驚くよー。指の動かし方は八幡が持ってるトランペットと変わんないんだ。吹いてみるね?」
ブォー。
甲高くはない、むしろ丸みがある音はトランペットよりもずっと小さい音だった。小さいというのは違うのかもしれないけど。トランペットが突き刺さるような音だとしたら、ユーフォニアムは振動させる、みたいな。
「……どう?」
「なんか大きいから全然違う音だと思ってたけど、こんな音が鳴るんだね」
「渋くてかっこいいでしょ?大きいし」
「うーん。かっこいいけど、俺はトランペットの方が好きかな」
「なんで?音が大きいし派手だから?」
むしろ目立つのはあまり好きじゃないけど。ただ何となく、最初に聞いたのが昨日の陽乃ちゃんが吹いてたトランペットの音だったから気に入っちゃって。
ただ俺にはユーフォニアムの方が合っている気がするし、逆にトランペットは陽乃ちゃんにこそ似合っている気がする。音が地味なところとか、すごい俺っぽい。
「ううん。昨日の陽乃ちゃんみたいに吹けたらなって」
「お。嬉しいこと言ってくれるねえ」
「それに、これが吹けるようになったら友達出来るかなって」
「うーん。それは……どうだろうね。でも、そういうことならトランペットは難しいからちゃんと毎日練習しないとダメだよ?ってことでそのトランペットは君に預けよう」
「頑張る。でもトランペットは本当に……」
「まあまあ。そんなにやる気があるなら、持ってた方が良いって。それよりこのユーフォとか他にもホルン系の楽器の多くはね、確かにそれだけだと地味だし目立たないけど、八幡がいつか吹けるようになるであろうトランペットの音にずっと厚みが出すんだよ……って言ってもよくわかんないよね?」
「うん」
「いいのいいの。そういうのも少しずつ勉強しよう」
笑ってユーフォニアムを吹いている陽乃ちゃんは、本当に嬉しそうに吹いていた。やっぱり、そんなに吹いてみたかったんならお母さんに言われてもそっちを吹けば良かったのに。
続けざまに陽乃ちゃんは『かえるの合唱』を演奏した。
「どうどう?」
「すごいね」
「他には?」
「かっこいい」
「もっともっと」
「すごいね」
「それさっき言ったじゃん!もっと褒め方を勉強して」
明るく振る舞っていた陽乃ちゃんだったが、またしばらく吹いてから急にシュッとした。
「…私には似合わないかな?」
「似合わないって、その楽器が?」
「うん。ユーフォはソロで吹くことも主旋律を吹くことも少ないし、ほとんど目立たない縁の下の力持ちみたいなポジションで、やっぱり地味な楽器だからさ。お母さんも含めて、教えてくれる先生とかにもおすすめはされなかったんだ。でも私は初めて見たときからかっこいいと思ってたんだけどね」
ソロ?しゅせんりつ?えんのしたの何とか?
前半の話に全然ついて行けなかったんだけど、後半の内容は何となく分かった。
「最初の方は難しくて何言ってるのかよく分からないんだけど、でも陽乃ちゃんがトランペット吹いてたときより楽しそうに吹いてるから良いんじゃない?」
「え。私そんなに楽しそうに吹いてた?」
「うん。それにさっきから前から吹きたかったって言ってたじゃん。だからじゃない?トランペットは凄い上手だったけど、なんか楽しくはなさそうだったよ」
「……そっかあ。じゃあ私はやっぱり吹いてみようかな。ユーフォ」
「それがいいよ」
しばらくユーフォニアムを見つめて、何かを決心したかのように顔を上げた陽乃ちゃんはやっぱり楽しそうに笑っている。さっきまでのシュンとした顔はどこにいったのだろう。
「よし。じゃあ今日の練習しよう!ささ。楽器は置いて。まずはこのマウスピースから音を出せるようにするの」
「楽器なしで?」
「そうそう。見ててね」