やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。 作:てにもつ
「ふーん。そんな感じだったんだ」
階段を降りて三階の廊下で、俺たちは話していた。太陽はゆっくりと落ちていって、空は少しずつ茜色に近付いていく。身体を預けている中庭に面した窓ガラスは、太陽を反射して眩しかった。
「比企谷君。やっぱり影でコソコソ動いてくれてたんだね?私も釘を刺した甲斐があったってもんよー」
「まあ結局、展開はご覧の通りでしたけどね」
「私の判断ミスでもあったから。このことに関しては私からは何も言わないよ。
それに、結果はまだわからない。仲直りして部に戻ってくるかはオーボエを持たせた希美ちゃん次第だよ」
にやりと笑っている田中先輩は、話を聞き終えたときは安堵した様子だったのに、今はもうこの状況を楽しんでいるかのようだ。
判断ミスだとか、誰かを動かしたりだとか、この人は社長か。実際は副部長だから副社長だけど、実質やっていることは社長みたいなことしてるしなあ。
「それにしてもさ、みぞれちゃんも上手いことやるよねー?」
「…そうですかね?」
「今だって優子ちゃんがいなかったら、多分希美ちゃんと面と向かって話せてないでしょ?あの子はさ、一人でいるのが怖いんだよ。だから希美ちゃんに固執して、希美ちゃんがいなくなった後は優子ちゃんをずっと保険にしていた。
無意識かもしれないけど、打算的だよ」
「保険、ね…。また大分穿った見方をしますね?」
「えー。比企谷君も私と同じでしょ?」
「まさか」
「ふーん。ま、いいけどねー。私は比企谷君が好きなタイプって再認識出来たし!」
「…は?」
「あ、違うよ。恋愛的な意味じゃなくてね。私、好きなタイプは使える子だからさ」
そんなフォロー、いらないんですけど…。
俺の濁りきった視線でその意図をくみ取ったのか、相変わらず本気なのかよくわからない笑顔でケタケタと笑っている。
「はぁ。打算的なのは先輩だけじゃないですか?」
「私だけじゃないよ。人は皆、誰しもがそう。
今回の一件だって、さっきはみぞれちゃんが優子ちゃんを保険にしてたって言ったけど、優子ちゃんだってただの友達だから助けたって訳じゃなかった。あの子は嫉妬、と言うよりかは独占欲が強い子だからね。
今回のことだけじゃなくて香織の一件も。あの子が守りたいものを明確にして、その味方であり続けるのは固執するため。優子ちゃんの事は比企谷君だってよく分かってるでしょ?それを分かった上で、比企谷君は優子ちゃんの味方として行動してたんだろうしね」
「……」
「さらに言うなら希美ちゃんもだよ?」
「辞めたときに鎧塚先輩に声をかけなかったことについてですか?」
「お、さっすがー」
「違います。傘木先輩が話していたのを聞いて思ったんじゃなくて、さっき田中先輩が傘木先輩が話しているのを見ていたときの視線でそう感じたんです」
「いやーん。比企谷君、私のことそんなに見てるのー?恥ずかしいー」
性格は置いといて、見た目は美人だからそういう反応されるの嫌なんだよな。
傘木先輩の事を俺はよく知らないから、他に理由があったかどうかなんて知らないし、ましてや興味だってない。ただ、田中先輩のあの冷め切った目線には見覚えがあった。
「私は去年から希美ちゃんを知ってるし、一つ下の退部騒動の時には話もしていたからね。みぞれちゃんに吹いていて欲しかったとか、オーボエの音が好きとか。それだって立派な理由だろうけど、あの子は嫉妬してたんじゃない?」
「嫉妬ですか?」
「そ。みぞれちゃんは希美ちゃんに誘われて吹奏楽始めたって言ってたけど、希美ちゃんからしたら、自分が誘った相手が自分よりもどんどん上手くなっていくのを認めるのが辛かった。
希美ちゃんは今でも復帰したいって言うくらいフルートが好きだし、折り紙付きの実力の通り、それに見合う練習はしてる。それなのにみぞれちゃんとの差が広がっていく。それは紛れもない才能の差だよ。
しかも、奇しくもみぞれちゃんは希美ちゃんにべったりで、希美ちゃんのために上手くなろうとしてる。それに少しでも気が付いちゃったならさ、離れたくなるのは当たり前じゃない?」
「……なるほど」
確かに並べられた情報を綺麗に整理していけば、その結論にはたどり着く。話を聞いてそれは違うと俺は言うことが出来ない。
「ちなみに私が希美ちゃんに部に復帰して欲しくなかったのもみぞれちゃんのことだけじゃないよ?」
「え?」
「これはオフレコね?」
「嫌いなんですか?」
「まさか。私の個人的な感情はどうでも良いんだよ。そんなことじゃなくて、来年の部活のこと。
あの子の復帰が原因で起こりえる事態って、たくさんあるからさ。まずフルートの人間関係は拗れるの確定だよね。一度辞めたのに部に戻ってきた人間が一番上手いってさ、ずっとやっていた来年の三年生は気まずいだろうし、今の北宇治はコンクールのメンバーを実力で選ぶからねー」
田中先輩は外を見つめながら、これから起こりうる事を淡々と並べていく。
「それに南中の時は部長をしてたから。あの子が部長になることは流石にないけど、それが北宇治の良い面になることもあれば悪くなることだってあるはずだよ。あの子の性格的にね」
「あの、なんでそれを俺に?」
「そりゃ今年の様子を見てると、比企谷君は来年の部の問題からは避けられなさそうだからきちんと教えてあげとこうって優しさだよ?」
そんな話をしていると上の階から小さくガラガラと、教室の扉を開く音が聞こえた。可能性的には残っていた二年生の先輩達と黄前の可能性が高い。
階段をぱたぱたと降りてくる音に、オーボエの音が加わった。
「凄い、綺麗な音ですね…」
「上の階から聞こえてくるね。みぞれちゃんだよ」
優子先輩から聞いていた感情があった頃の鎧塚先輩のオーボエ。それを一度耳にすれば、つい今朝方までとは違うことは素人でもわかるだろう。行き場がなく、感情を閉じ込めたから機械のようにさえ思えていた音はしっとりと甘い調べに変わって、静まりかえる学校に響き渡る。
誰かの為に吹く。それがこんなに演奏を変えるというのか。
「上手くいったみたいだね」
「あ。あすか先輩」
階段を降りてきたのは黄前と中川先輩と優子先輩の三人だった。
つまり上の階には傘木先輩と鎧塚先輩が残っている。それで色々と察したのは多分、田中先輩もだろう。
「久美子ちゃん、お疲れ様ー。よしよしー。お姉さんが頭なでなでしてあげるー」
「いや、いいです」
「いいと言われてもやるもんね!くしゃくしゃの髪をもっとくしゃくしゃにしてやるぜ」
「ちょっとやめて下さい」
黄前にダル絡みしている田中先輩。さっきまで先輩がいた場所には中川先輩がやってきた。窓から腕を投げ出すようにブラリと外に出す。
気が付けば、もう夕方だ。
「綺麗だねー」
「そうですね」
「みぞれ、こんな風に吹けるんだ」
中川先輩の隣には優子先輩が並んだ。三人でしばらくの間、伸びやかな馴染みのあるメロディーに耳を傾けた。
「結局みぞれの演奏はずっと希美の為にあったんだね」
「まあね」
「希美には勝てないんだなあ。一年も一緒にいたのに」
「そんなの当然でしょ?希美はあんたの百倍はいい子だし」
「そうねー。あんたの五百倍はいい子よ」
「でもさ。みぞれにはあんたがいて良かったと思うよ?もしあんたがいなかったら、きっともっと早くみぞれは潰れてた」
少しだけ頬を紅潮させた優子先輩は一瞬呆気にとられたように目を丸くしたが、すぐに意地の悪い顔になった。
「もしかして…慰めてくれてる!」
「はあ!?」
「はいはい、照れない照れない」
「何それ!?」
「きゃー!夏紀が優しくしてくるよー!」
「気持ち悪いこと言うなー!」