やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。 作:てにもつ
「はい。お待たせしました。いちごクレープ一つと珈琲になります」
「あ。希美」
「うん。いらっしゃい」
俺たちの席にオーダーを持ってきたのはメイド服を着た傘木先輩だった。黒髪のポニーテールにメイドさんならではのホワイトブリム。真っ直ぐに伸びる肉付きのちょうど良い美脚を覆う黒いニーハイ。
俺達が知り合いでも恥ずかしがる様子はなく、いつもと同じように溌剌としている傘木先輩ははっきり言って最強だ。今日見た誰よりもメイドさんが似合ってる。ことメイドに関しては、川島さえも上回った。俺の川島贔屓を上回るって相当だぞ。もはや似合いすぎて、断られるの覚悟で写真のお願いしたい。
「いて!」
足を蹴ったのは正面に座る優子先輩だ。つーんとそっぽを向いている。
何で蹴られたのかわかんないんだけど…。それを察してか、隣に座る小町が俺の耳に近付いてきて教えてくれた。
「お兄ちゃん、鼻の下伸ばしすぎだよ…」
「え?そんな?」
「めっちゃこの先輩のことジロジロ見てるし、顔赤くなってるし、今のお兄ちゃん小町的にポイント低いどころか零点だから」
マジか。でも如何にこのボッチ四天王の一角と呼ばれる比企谷八幡であっても、メイド服を含めクオリティの高いコスプレには敵わない。素直に負けを認めよう。完敗です。
「んっ、んんっ。ところで希美。あともう一つクレープ頼んでたんだけど」
「ああ。それは今――」
「すいませーん。お待たせ致しましたー。こちらがいちごクレープになりまーす」
「夏紀!っていうか何よこれ!?どう見ても嫌がらせなんですけどー!」
優子先輩の目の前にあるのはもはやクレープではなかった。とにかく溢れんばかりの白。生クリームだ。
クレープ生地の上に生クリームといちご。その上にクレープ生地。その上に生クリームとブドウ。その上にクレープ生地。その上に生クリームと蜜柑。その上に……以下繰り返し。何層あるのか数えられない生クリームとクレープは優子先輩の顔より高くて、大きい。
こんなの食べられる量じゃないだろう。小町もあんまりのボリュームと破壊力に、眉間がぴくぴくと動いている。
「やだなー。違いますよー」
「私、ピサの斜塔なんて頼みましたっけ?」
「これが当店のスペシャリティいちごクレープですよ、お客様」
中川先輩がその物体の一番上にいちごを置くと、その生クリームの山は倒れかけた。その動きに合わせて、優子先輩の身体も動いている。猫か。
「だって小町ちゃんのいちごクレープは普通じゃない!」
「私の愛の形です。受け止めてくれますよねー?」
「くっ。ムカつく」
「もしかして、食べられないんですかー?折角作ったのになー?」
「…わかったわよ。受けて立とうじゃない」
きらりと光る優子先輩のスプーン。
「マジですか優子さん。流石に無理ですって。女の子の胃袋がブラックホールって言うのは迷信なんですよ」
「そんなことわかってる。でも見てて。高校生の底力、小町ちゃんに見せてあげるから…!」
「いや、小町。別にそんなの見たくない……」
こうして乙女のスイーツ&カロリーとの戦いが始まった。
ガツガツと食べ進める優子先輩の頬にはすでに生クリームが付いている。これで目の前にでかすぎるクレープと言う名の何かと、動きが全く止まらないスプーンがなければ可愛かった。
「優子。水、置いておく。あと二人も」
「ありがとう、みぞれ」
「どうもっす」
いつの間にかこの席には吹部の二年生が四人集まっている。机を囲む三人がメイドってのが異質だ。
「本当に夏紀と優子は仲良いねー」
「そうっすかね?」
「…希美もあれ、食べたい?」
「へ?私は気持ちだけで十分だよー」
「さっき夏紀が、あれを愛の証明って言ってた」
「真に受けちゃダメだよ、みぞれ」
傘木先輩と鎧塚先輩だって仲が良いのは大概ですけどね。
仲良さげな二人と、がっつく優子先輩。そしてそれをニヤニヤと笑いながら見ている中川先輩。
こうして四人を冷静に見ると、こないだの一件も何とか形だけでも丸くは収まったのかななんて思ってしまう。傘木先輩の復帰と、鎧塚先輩のトラウマの克服は解決したものの、優子先輩は何も解決していないのだけれど。少なくとも端から見てる小町には、この四人で一悶着あったなんて思うことはないはずだ。
「ところで、比企谷。その隣に座ってる子誰?」
「妹です」
「え、マジ?似てな!」
「確かに。優子と比企谷君と一緒にいるから誰なんだろうとは思ってたけど、まさか比企谷君の妹さんだとは思ってなかった」
「……あれ。思えば小町、今日は年上の女の人に囲まれてばっかりな気がするぞ…。
初めまして。兄がいつもお世話になってますー。比企谷小町です」
「さっきから会う人会う人にお世話になってますって。お前はサラリーマンかよ」
「しょうがないでしょ。本当にお世話になってるんだろうから」
「こ、こちらこそ?私たち、そんな比企谷と話さないからなー。パート違うし」
「そうだね。私に至っては部活に復帰してまだそんなに経ってないし」
「ほら。お前が思ってる以上に俺は人のお世話になってないんだよ。勿論お世話もしていないぞ。だから社交辞令でも、そんなに言わなくていい」
先輩のお世話になってるは何も厭らしくないのに、先輩のお世話をしてるって方は厭らしい響きな気がする。その逆で後輩のお世話をしてるは厭らしくないのに、後輩にお世話をしてもらってるは厭らしい。うお。これ世紀の発見なんじゃね?
「それに、俺が小町の友達に会っても頭下げるだけだし」
「そこはちゃんと言ってよ。小町がいつも迷惑かけてるな、みたいなこと。
ねえ、お兄ちゃん。このクレープ食べてよ。すっごい美味しいの」
「ん?じゃあ一口もらうわ」
小町がクレープを俺の目の前に差し出してくる。こういうの、妹以外の誰かだときゅんきゅんするのに、妹だと一切しない。むしろ、どちらかと言えば何となく介護されているような気分になる。一生一人で、小町に養って貰う将来が一番現実的な俺としてはなんとも言えない心境だ。
「ん。確かに上手いな」
「ね!」
「このいちごクレープ、ちゃんとクレープ生地焼いて作ってるんだよ。結構手が込んでて凄くない?」
「私たちはあんまり手伝えなかったけどさ、やっぱり二年になると文化祭も気合い入るんだよ。来年は三年だから、進路のこと意識しながらの文化祭になるだろうしね。本気で受験勉強やる気だと、文化祭来ない人もいるんだって」
「まあ、そういう人もいるでしょうね。球技大会と違って、文化祭は休んでも補講とかないですし」
「それにしても今のとか見てると、確かに比企谷って家族とは仲良いんだね」
「中川先輩の言い方だと、家族以外とは仲良くないみたいに聞こえちゃいますからね。気をつけて下さい。特に妹の前では」
「あはは。ごめんごめん。それじゃ、私たちは仕事に戻ろっか」
「うん。そうだね」
「優子ー。残さないで食べてねー」
「き、きつ…」
手を振りながら去って行く三人。と言っても、接客をしているため中川先輩は客の対応をしながらも優子先輩を見て笑っているんだろう。
優子先輩はすでに半分くらい平らげていた。これでも十分すごいと思う。ただ、敵は生クリーム。甘ったるいからそんなに食べられるもんじゃない。
「優子さん。本当に無理しないで下さいね。小町、さっきから見てるだけで胸焼けしちゃいます」
「美味しいんだけど、こんだけ量があると流石にね…。
話変わるんだけどさ、ここも結構お客さん多いけど、一年生のクラスもどこか一クラス、大人気のクラスがあるって聞いたよ。行った?」
「いや、小町達は一年生の出し物はみどりさん達のメイド喫茶しか行ってないですけど、あそこはそんなに混んでなかったから違うと思います」
「一年の教室がある階は三組行ってから通ってないんで今どうかは分からないんですけど、少なくとも俺たちがいたときまではそんな混んでるって感じのクラスはなかったですよ?」
「そうなんだ。何やってるクラスか聞いておけば良かったな」
「優子先輩のクラスは何やってるんですか?」
「うちは合唱やってる」
「合唱…うっ…頭が…!」
「はいはい。今度はどんなトラウマが出てくるの?」
「凄い。優子さんのお兄ちゃんの扱い手慣れてる感が凄い」
「どうして合唱祭の度に決まって泣き出す女子がいるんですかね。しかも決まって男子は声だしてないって決めつけられるし、挙げ句の果てに声出したら『え、お前そんな声だったの?』みたいな顔されるし」
「確かにうちのクラスにもいたらしいなあ。泣いちゃった子。
ちなみに私は演奏だから、歌わないよ」
「え、トランペット吹くんですか?」
「いや、教室でトランペット吹くのは周りのクラスの迷惑になるから禁止なんだって。 ギターやってるの」
「優子さん、ギターも出来るんですね。かっこいい!」
「お父さんにちょっとだけ教えて貰ってね。だから本当にちょっとしかできないんだけど」
知らなかった。優子先輩、トランペット以外も楽器出来たんだ。小町に褒められた優子先輩は恥ずかしそうに顔を赤らめている。誤魔化そうとしているのか、大分進むのが遅くなっていたスプーンの動きが少しだけ速くなった。
「お腹いっぱい……」
だがすぐにスプーンが止まる。はぁ、仕方ない。
机に置いてあるまだ使っていないスプーンを取って、優子先輩が手を付けていない辺りのクレープを掬い取った。まずそもそもクレープを掬い取って食べてる時点でおかしいんだよな。
「これ。ちょっと貰いますね」
「うそ。手伝ってくれるの?」
「……甘いもの嫌いじゃないですし」
「ありがとー!」
うん。甘い。生クリーム甘い。
まだまだ残っているクリームの先にいる優子先輩が嬉しそうに笑った。それと同時に亜麻色の髪と頭のリボンがふわりと揺れ動く。
「………」
同じ皿の食べ物を突いて食べるのも、この人が目の前にいるのも何故だか恥ずかしい。
「優子先輩、頬に生クリーム付いてますよ?」
「え、どこ?」
あ、惜しい。くっ、もうちょい下。優子先輩は頬を触って 生クリームを取ろうとしているが、中々生クリームが拭えない。
「取れた?」
「いや取れてないです」
仕方ない。お兄ちゃんスキルを見せつけるときが来たか。相手は一つ上の先輩なんだけど。
優子先輩の頬に手を伸ばす。うわ、ほっぺた柔らけぇ。ぷにぷにすべすべ。マシュマロみたいで俺の頬と全然違う。
そうか。俺の場合は人と会話することが少ないから表情筋が固まってて、頬も柔らかくないのか、なるほど。って、おい!なんてこと言わせるんだ!悲しくなっちゃうだろ…。
「本当だ。なんで取れなかったんだろうね?」
「まあこういう時、なんか取れないことありますよ」
「そうよね。でもほっぺに生クリームがついてたなんて、ちょっと恥ずかしい。まあいいや。食べるの再開っと。
あ、小町ちゃんも食べたかったら食べて?」
「あ、小町いたの忘れられてるのかと思ってました…。
小町はいいです。もうお腹いっぱいですし、二人の邪魔するのもあれですし。むしろ、こうして二人がちょっと良い感じになりながらクレープ食べてるの見てると、小町一体何を見させられてるんだろうって…」