やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。 作:てにもつ
「うわ。雨降ってきてるじゃんか」
クラスが優秀賞を取って浮かれていたこともあって、余所のクラスよりも解散が遅かった一年六組。外に出れば、すでに夕暮れだった。
今日は台風が来る。
朝からテレビで聞いていた言葉も、中庭から見えた青い空やどこか浮ついた空気だった北高祭の魔法で信じなくなっていたが、自転車をこぎ始めてから、まるで帰るなというように時折吹いてくる異様に強い向かい風で、『これはワンチャン台風来ますわー』に変わり、ぽつぽつと雨粒が当たる今は、それが確信になった。
折り畳み傘は持ってはいない。小町に持って行っといた方がいいよとの有難いお言葉を上の空で返事していたら、鞄に入れるのを忘れた。故に我、急いで帰らなくてはとペダルを漕ぐ早さを上げる。今日打ち上げ行ったやつらはご愁傷様だな。
『じゃあ比企谷君の占い結果は、この塔が雷で折られてるみたいに、今日の台風で人生が変わるような何かが起こります、です』
そいや、小笠原先輩のとこの占いで言われたっけなー。『塔』のデザインに雷が書いてあるからこの結果ってだけで、実質オカルト的なものは一切ない。
でも外れるなら外れるで構わない。何も起こらず、穏便に終わるのが一番だ。だから事故には気をつけて帰るんだ。信号を渡るときは手を上げて渡ります。
嘘である。
この男、信号を渡るときは一切速度は落とさずに平気で自転車すーって漕ぐし、何なら先生に『横断歩道を渡るときは、皆で手を上げてわったりまっしょー』と言われてた小学生の頃の集団下校時でさえ、ポケットに手を入れて歩き、手なんて上げていなかった。しかもそのせいで、『あいつ、かっこつけてポケットに手を突っ込んでて、一人だけ手上げないでいたから先生に怒られてやんの。だっせーっ!きゃはは!』なんてクラスメイトのネタになっていた始末である。
お?
目の前に見慣れた後ろ姿を見つけた。亜麻色の伸びる髪は今日も学校で見たし、何なら毎日部活で見ている。言って違ったら恥ずかしいし、合っていたら合っていたらで変態っぽいから言わないけど、シャンプー変えたかどうか分かるまである。変態っぽいじゃないな。これもう変態だ。
いつもと違うことは一つしかない。背負っている大きなギターである。クラスの合唱の演奏で使うと言っていた。似合わねえなあ、なんか。
「優子先輩。立ち止まって何してるんですか?」
「あ。比企谷。あんたのクラス、優秀賞だったじゃん。すごいね」
「たまたまですよ。なんか本物のゾンビが出るって噂が広まったらしくて」
「え、何それ?どゆこと?」
後ろからだとギターもあって見えなかったが、優子先輩は鞄の中を何やら探していた。がさごそがさごそ。そんな擬音は付かない。むしろ、教科書が入っていないからすっからかんという方がぴったりだ。
「傘探してるんですか?」
「ううん。違う。家の鍵を学校に忘れてきちゃったぽくてさ。いつもなら家にお母さんがいるんだけど、こういう時に限っていないから最悪よー」
「雨も降ってきましたしね」
「うん。ギターが重い分、鞄の中身はできるだけ減らしてこうって思ったのが悪かったわね。天気予報見てたのに傘も置いて来ちゃったし。踏んだり蹴ったりってこういうこというのかなー」
紛うことなく自業自得だけど、踏んだり蹴ったりとは……まあ一応言うか。俺の中で踏んだり蹴ったりって言うと、マリカで誰かのバナナ踏んだ後に続けて赤甲羅跳んできて、挙げ句の果てに硬直終わったと思ったらスターにぶつかられる、みたいに誰かの行為によって嫌な目に遭うイメージが強い。
ぽつぽつと降る雨粒は優子先輩の制服を丸く染めている。鍵を探して鞄を弄るのにも、背中のギターが邪魔そうか。
「それ、預かってますよ」
「ギター?いいよ。重いし」
「重いなら鍵とか探すのに邪魔じゃないですか。それに俺、ギターちょっと持ってみたいんですよ」
「……じゃあ」
「はい。……って、うお」
思ったより重いわ、これ。世のギタリストは路上ライブするとき、こんな重い物持ってそこまで行かなくちゃいけないのか。そりゃ、ケースにお金入れて下さいって言いたくなるわ。
「ね?重いでしょ?」
「重いですね」
「男子なのに、全く強がらないんだね」
「男はいつか大人になったら一日八時間、その上残業までしてくたくたで帰ったら、尻に敷かれる生活を我慢しなくちゃいけませんからね。こんなことで強がったり、我慢なんてしなくていいんですよ」
呆れた様に笑っている優子先輩はしばらくの間、鞄の中を探していたがやがて諦めたように大きく肩を落とした。
「あー。やっぱり置いて来ちゃったんだ…。ロッカーの中だなー。学校戻るしかないかー」
「でも雨、少しずつ強くなってませんか?」
「うわ!急に強くなったんだけど!私お天道様に嫌われてるの!?」
「確かに今優子先輩が、学校に戻ろうかって言った直後でしたしね」
「と、とりあえずそこで雨宿りしよう」
ぱたぱたと走って木の下へと向かう。もしかして優子先輩って雨女なんだろうか。
恨めしそうに、雨が強くなった空を見上げている優子先輩を見ていると、何故かふと滝野先輩の言葉を思い出した。
『吉川さ、今日の午前中、呼び出されて告られてたんだよ』
……。なんでこんな気になってるんだ。俺。
「あ、あの、優子先輩…」
「何?」
「えっと……」
首を傾げる優子先輩。おかしい。ただ聞くだけのことが出来ないなんて。
とりあえず、訝しげな顔をしている。早く聞かなくては。何かを言わなくては。
「…ど、どんどん雨強くなるんじゃないですか?いつまでこうしてます?」
「わかんないわよ、そんなの。本当にどうしよう」
「この雨じゃ、傘もないから学校に戻るだけでびっしょりでしょうし、学校から家に帰れなくなるかもしれません。だから、その……」
「な、なに…?」
「……う、うち来ますか?」
「へ?」
耳まで赤くなった優子先輩を見て、慌てて言い訳をする。
「違いますよ。ほら、小町もうちに来て下さいって言ってたし、ただの雨宿りです。うちに来たら傘もあるし、お母さんが帰ってきたら家までも近いですし、雨が弱まるまで……」
「ひ、比企谷の家……」
し、死にたい。なんで、俺がこんなことを言ってんだ。
無言のまま雨音を聞くだけの時間が数十秒。少しだけ制服を濡らした優子先輩は、俯いたままこくんと頷いた。
「……そういうことなら、ちょっとだけお邪魔しようかな?」
「……ひゃ、分かりました」
おおおおお落ち着け。さっき自分で言っただろうが。これはただの雨宿りだ。A・MA・YA・DO・RI。
「あ、もうギター持たなくて大丈夫。ありがとう」
「いや、いいです。自転車ひきながらギター背負ってるとか、超夢追ってそうじゃないですか。人生色々と諦めてるんで、こんな時くらい夢見させて下さい」
「あはは。何それ。ありがとう。それじゃ、お願いね」
「はい。急いで行きましょうか」
「うん」