やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。   作:てにもつ

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 「中学の時の吹奏楽部はどうだったの?比企谷、トランペットうまいじゃない。学校も強豪校だったり?」

 

 「いえ。俺がいた中学校はあんま強くなかったですよ。というか弱小でしたね。関東大会とか出たこととかなかったし」

 

 「ふーん。じゃあ滝先生みたいな指導は受けたことないのね」

 

 「そうですね」

 

 「はあ。これから二年間。あの先生に指導されるのかあ」

 

 「…吉川先輩って今日、パートのメンバーと海兵隊の練習は嫌だって中世古先輩に言ったんですよね?教室いなかったんで、よく知らないんですけど」

 

 「う…。それは、まさか滝先生にあんなに言われると思ってなかったから。それにトランペットパートの私たちが香織先輩に部長に言うべきだってお願いしちゃったけど、他のパートもみんな思ってたわよ。去年までなら、今日の海兵隊のクオリティでも怒られたりしなかったし」

 

 吉川先輩は大きくため息を吐いた。

 それは何に対するため息なのだろう。中世古先輩に文句を言いに行った一当事者として、藪蛇をしたことに対してなのか、それともただ単純に滝先生の嫌みにこれからついて行かなくてはならない不安なのか。

 

 「……ほんと、どうしたものか…」

 

 「…真面目にやってみるしかないと思いますけどね。それで先生と合わなかったらその時に考えて。最低、辞めたっていいんですし」

 

 「辞めるのは嫌。天使の香織先輩に会える時間が減っちゃうと思うと、生きていけない」

 

 「め、目が怖い…。それならやっぱ、やるしかないじゃないですか」

 

 「そんなことわかってるわよ。みんな軽い気持ちではあったけど、全国目指すって決めちゃった以上、やるしかないってことは。でも…」

 

 「……なんですか?」

 

 「……なんでもないわよ。あーあ。部活、これまでと同じで良かったんだけどなあ」

 

 結局、吉川先輩はそれ以上、この話題に触れなかった。しばらくお互い無言で歩く。

 先輩の家は知らないが、このまま別れるまで話さないでいても良いのだろうか。俺は別に構わないのだが、女の子は常に何か話していないと死んでしまう生き物だ、とは何の雑誌に書いてあったのだっけ。こうやって気を遣わなくてはいけないから、やはりぼっちが一番だ。一人最高。

 

 「…そう言えば、あんたって私のこと、吉川先輩って呼ぶわよね?」

 

 「ええ」

 

 「普通に下の名前で優子先輩で良いわよ。同じパートなんだし」

 

 沈黙を破った吉川先輩の提案。

 きゅ、急にそんなこと言われてもこまるんですけど。妹の小町以外に下の名前で呼んだことある女子なんて、片手で数えられるほどしかいないし。数えるって言っても、指一本も上がらないけど。

 

 「い、いや、別に今のままで良くないですか?」

 

 「良くない。私が良いって言ってるんだからそう呼びなさいよ」

 

 「でも」

 

 「ほら比企谷」

 

 唾を一つ飲む。まさか女の子を下の名前で呼ぶことがこんなにも緊張することだったとは。世の中のリア充達はこの緊張と常に向き合っている。そう考えると、ただウェイウェイしてるだけで青春(笑)を謳歌してるつもりになってる彼ら彼女らを冷めた目で見ていたが、尊敬する部分もあったのかもしれない。

 さあ、八幡。勇気を出して。どこからか、俺にとって日曜朝の顔とも言える、プリティでキュアキュアな女の子からの応援が聞こえた気がした。というか、完全に幻聴だ。だけど、八幡、頑張る!

 

 「……ゆ、ゆ。ゆ、優子先輩」

 

 「ふふ。そう。よろしい」

 

 優子先輩がへらりと笑う。

 

 「ん?どうかした?」

 

 「い、いや、なんでもないです」

 

 ぼっちは女の子に笑顔を向けられることが少ないので、こういう自分に向けられた何気ない笑顔を垣間見たときや、フレンドリーに話しかけられた時は少し驚いてしまうものなのだ。

 それが美人なら尚更。きっと今俺の顔、おかしいわ。いつも?やかましい。

 

 「さて、それじゃ私こっちだから。それじゃね比企谷」

 

 「はい。…あれ?」

 

 「ん?なに?」

 

 先輩は変わらず、呼び方が比企谷のままなんですね。

 聞こうと思ったが、果たして八幡なんて女子に呼ばれたら俺は正気を保てるのだろうか。俺は何でもないです、と首を横に振った。

 

 

 

 

 

 昨日優子先輩と帰っているときに、滝先生の言い方じゃ逆に部員のやる気がなくなってしまうと言っていたが、優子先輩の予想は正しかったみたいだ。

 

 「部員の何人かが、先生の方針に対してどうするか決めてからじゃないと練習しないって…。だから、パートリーダー会議が終わるまでは練習は休みにするって事になったの。ごめんね。本当にごめん」

 

 「いや、別に良いです。自主練でどっかで適当に吹くのは構わないんですよね?」

 

 「うん。それは勿論だよ」

 

 ひたすら申し訳なさそうな顔で謝る小笠原先輩に、俺は何も言えなかった。一年生の俺は為す術なんてあるはずもなく、黙って従うしかない。

 だが、俺としては本当に部活が休みで構わない。むしろウェルカムまである。

 自分で好きなときに吹いて、疲れたら帰る。自由とは誰しもが手にすることが出来る権利ではない。それを行使しなくては勿体ないだろう。

 ただ、文句があるとしたら一つ。

 返して!今日部活で、優子先輩に間違えなく会うだろうと思って、下の名前で呼ぶ練習をしてた俺の時間を返して!

 小笠原先輩の隣にいる中世古先輩は黙って俯いている。昨日、トランペットパートのメンバーが原因で小笠原先輩に相談し、滝先生を呼びに行かせる要因になった。トランペットパートは滝先生の方針に賛成していない生徒も多いようだから、もしかしたら今日の部活に反対した生徒の中には、トランペットパートの先輩達もいるのかも知れない。

 

 「あ、それなら、いつものトランペットパートの教室使って」

 

 「いいんですか?」

 

 良かった。こういうとき、俺みたいな根暗は『教室使って良いですか』と言いにくいから、あらかじめ使える教室があるというのは非常に助かる。

 

 「うん。むしろ部活ないのに、ちゃんと練習するなんて偉いね」

 

 「いえ、別に。ありがとうございます」

 

 「あ、後で私も行くから待っててね!」

 

 「え?」

 

 練習する教室に向かおうと、取っ手に手をかけたところで思わぬ声が掛かった。振り返ると、中世古先輩はこちらに向かって微笑んでいる。

 おかしいな。てっきり一人で練習するもんだとばかり思ってたんだけどな。

 

 「え?何かおかしなこと言った?まだ来てない子がいるからさ。練習がなくなったことを謝って、それから練習しようと思ってたんだけど」

 

 「いや、そうじゃないんですけど…」

 

 「あ、もしかして。私が練習するのが意外だったとか?私はこれでもトランペットパートのリーダーなんだから、パートの子が練習してるのに帰ったりなんてしないよー」

 

 いや、先輩はトランペット上手いから、練習してないなんて疑ってないですけど。

 にこにこと何故だか楽しそうな中世古先輩に、俺はもう何も言えなかった。

 


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