やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。   作:てにもつ

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 「すごい頭いい人だったんだ」

 

 「そうですね。頭はいいし、色々やり方が賢い人だなって子どもながらに思ってました。滝先生の基礎練習でも皆で歌うやつあるじゃないですか。恥ずかしがらないでいいんですよ、とか先生が言ってるあれ。俺、あの練習を小学生の時から陽乃ちゃんにやらされてたんですよ。マウスピースだけで吹いてみた次の日から」

 

 やれ音楽のイメージをつかむやら、演奏するときの体の使い方がどうだとか、自分の音を調整したり、息の使い方を掴むだとか。長ったらしく重要性を説明されても嫌なものは嫌だったが、上手くなるためには欠かせないとか言って公園で歌わされた。

 まあ今となってはかなり効果的な練習方法であることはわかる。現に滝先生も基礎練習に組み込んでいるし。

 ただあの時の陽乃ちゃんは、明らかにからかってる感じで笑ってたんだよなあ。ニコニコじゃなくて、ニヤニヤしてた。

 

 「ふーん。教え方がしっかりしてるね。小学生なのに」

 

 「はい。それにやり方が上手いって言うのは他にもあって、よく優しい顔した仲良し老夫婦が歌ってると近付いてきたんですよ。そうするとそれまではただ笑いながら俺が歌ってるの聞いてただけなのに、急に陽乃ちゃんも歌い出して。なんでだと思います?」

 

 「もしかして、お菓子?」

 

 「そうです。ああいうおじいちゃんとかおばあちゃんって子ども大好きだから、赤の他人でもなにかしてあげたくなっちゃうんですよね。その老齢の優しい心をうまく利用して、お菓子とか飲み物とかもらって。

 金持ちなくせに、そういうところちゃっかりしてたんです。おじいちゃん達と話しながらもらったお菓子食べて。俺は内向的で、たまに振られたら答えるくらいだったんで、陽乃ちゃんが学校の話をたくさん話してたな」

 

 「あはは。でも人間離れしてたみたいな話してたけど、小学生らしいところもあったってことじゃん」

 

 「まあそうですね。子どもっぽい一面もありました。俺が初めて合奏したのも陽乃ちゃんでした。自分が吹けるようになるのも楽しかったですけど、それよりも誰かと吹くと音に重みが増して、曲になって。それがわかってからもっと吹くのが楽しくなって」

 

 今思えば、俺はあの人に懐柔されていた。他に話す人がいなかったから、陽乃ちゃんと一緒に話す時間が楽しくて、自分から向かって行ったところも大きいため、自分から懐柔されたようなものでもあるのだが。こうして振り返れば、今の自分の考え方でさえあの人に種を蒔かれたものが多いし。

 しかも、中学時代なんて思い返して見ればあの人の言った通りになったな。あの時の忠告なんて、その時はすっかり忘れていた。

 もう、八幡のお間抜けさん。そのお間抜けのせいで、貴方、中学時代は地獄を見たわよ?

 

 「……やっぱりいいね。そうやって始めるきっかけになったみたいな人がいるの」

 

 「あ、すいません」

 

 優子先輩は鎧塚先輩と傘木先輩のこともあって、このこと気にしてるからあまり話さないようにしようと思っていたのに。話し始めると止まらなかった。

 だが、先輩は首を横に振って申し訳なさそうに微笑んだ。

 

 「ううん。私から聞いたんだし」

 

 「でも…」

 

 「ところでさ、その人は今、何してるの?比企谷の話だと大学生?」

 

 「……さあ。知りません」

 

 「いや、知らないって。ああ。今はもう比企谷が千葉にいないからってこと?」

 

 「いや、そうじゃなくって。急に来なくなったんですよ。練習に」

 

 「…え?」

 

 出会ってから一年間。

 何度も会って、話して吹いて約束をしてを繰り返した公園のベンチ。そこに彼女は何の前触れもなくいなくなった。

 

 「いつも通りまたねって別れて、それで次の日から来ないって。それなら約束なんてするなって感じですよ」

 

 「それは……ちょっと寂しいね」

 

 「……いや、今となっては過去の話ですから、もうどうでもいいです。あんなこと」

 

 「……じゃあそんな顔しないでよ」

 

 「え?」

 

 「昔あったこととかその陽乃ちゃんって人の話をしてるときは楽しそうにしてたのに、今は悲しそうにしてるじゃん。気がついてなかったの?」

 

 「……」

 

 俺、まだ昔のこと引きずってるのか?自分の顔に手を添えても、やっぱりそれはわからなかった。

 

 「…あのさ、私は比企谷が後輩でうちの部に、トランペットパートに来てくれて良かったって思ってるから。たくさん迷惑かけたけど、いつも助けてくれたし。めちゃくちゃ不器用だけど、なんだかんだでめちゃくちゃ優しいし」

 

 「なな、なんですか急に?慰め?」

 

 「勿論、三年生になって卒業するまでいなくなったりなんてしないよ。ちゃんと比企谷のこと見てる!」

 

 「本当にやめてくださいよ!さっきから急に俺の昔のこと聞いてきたり、風邪ですか!?風邪ですね!?」

 

 気が付けば俺も、隣を歩いていた優子先輩も足が止まっていた。

 

 「違うの。こないだのみぞれと希美を見てたら、ちゃんと思ってること言わなくちゃいけないんだって思ったんだけど…、なんかこういうの恥ずかしいじゃん。だけど、さっきの比企谷の話聞いたらやっぱこれじゃダメだって……。

 …あのね、本当にすっごい感謝してる。あ、ありがとう……」

 

 真っ直ぐに見つめられる。出会ったときからいつもこの人は、今と同じようにずっと俺の目を見て話してくれた。

 

 『そうやって誰かによって比企谷君が吹く理由ができて、比企谷君によって誰かが吹く理由になって。そうやって少しずつ貴方の奏でる音楽は変わっていくわ』

 

 新山先生の言葉が頭をよぎって、やっぱり次に思い浮かんだ光景は目の前の先輩がブランコに座りながら特別になりたいと呟いたこと。

 

 「…違うんです。俺の方が先輩がいてよかったんだと思います」

 

 「え?」

 

 「名前で呼んでって言ってくれたり、一緒に帰ってくれたり。そういう優子先輩にとっては当たり前かもしれないことが、俺にとっては特別で嬉しかったから。

 だから俺の方がきっと感謝しなくちゃいけないです。その…ありがとうございます」

 

 俺を写す綺麗な瞳が大きく見開かれて、優子先輩の顔が暗くても赤くなっていくのがわかった。きっと俺も優子先輩に言われたときは同じ感じだったのだろう。

 

 『その答えはわかっているのにわからない』

 

 違う。わからないなんて誤魔化すな。本当は。

 

 『そんな恋愛事のピンクな噂話に気を引かれたからなんて、そんな理由ではない』

 

 そう。そんな理由ではない。その理由を、俺はもう見つけてしまっている。先輩が知らない誰かに告白されてもやもやとしたことや、無性に心臓の鼓動が早まること。答えはいつだって自分の中に確かにあって。

 次々と俺らしくない考えが浮かんで、脳内はそれで溢れかえった。

 最初はただ嬉しかった。俺の目を見て普通に話してくれたり、さりげなく周りに誰もいない俺を気遣ってくれて。

 きっと、優子先輩にはわからないだろう。それが俺にとってどれだけ特別で、俺の価値観を変えたものだったのか。俺がこれまで触れることのなかった当たり前な優しさを、心の底から温かいと思った。

 

 それから少しずつ、吉川優子という人の内面を知っていった。

 自分が味方をすると決めた人を何があっても最後まで味方する。だからこそ、納得できないことや譲れないものにはとことん戦って、誰よりも真っ直ぐである続ける姿は強かだ。

 そのくせして、案外打たれて弱いから人並みには傷つく。それに、ちゃんと女子らしいところもたくさんあって、吹奏楽部でうまくやっていくために空気も読むし、自分の好きな誰かを取られれば嫉妬もするし。

 あーあ。黙っていれば美人なんだから、もっと楽な生き方ができるのに。なんて思いながらも、そんな困った性格がどうしようもなく俺は―――なのだ。

 

 「あ、あの……、俺……」

 

 このままではいけない。最後に残された理性は自分自身に訴えかける。

 今を逃せばきっと伝えることはないから。いつもの時間に戻れば、この人の特別になりたいとか傍にいたいとか、そんな本心から目を逸らして、言い訳を並べて現状維持することを選べるはずだから。

 

 ダメだ。考えろ。俺なんかがいて、困るのはきっと優子先輩だ。だからこそ一定の距離を保とうとしていたのに。もし余計な事をして、優子先輩が俺と築き上げてきてくれた関係性が壊れたらどうするんだ。だから今だって俺は、怖くて震えているだろう。

 ダメだ。身の程をわきまえろ。俺なんかに関わってくれた人だからこそ、俺なんかが手を伸ばしていいはずがない。俺に優しくしてくれたこの人は、誰にだって優しい人だから、勘違いして勝手に舞い上がって痛い目を見るのは中学の時でもう懲りた。だから今だって俺は、喉が張り付いて開かないだろう。

 

 言ったらダメだ。ダメだ。ダメだ。

 

 『だから絶対にちゃんと向き合って?小町からの一生のお願い』

 

 だけど、やっぱり。もしこの人が俺を認めてくれているのなら、それは―――。

 

 

 

 

 

 「……優子先輩の事が、好きです」




奇しくも今日は八月八日。
優子への告白をしたこの話が、八幡の誕生日ですね。




【挿絵表示】


梵尻さんが書いて下さいました。この話と次の話の部分にかけての挿絵になります。
まさか挿絵を頂けるとは思っていなかったのでとっても嬉しかったですし、あまりにもお上手ですので、僕だけでなく皆さんにも見て頂きたく思い後書きに挿入させて頂きました。
(当然ですが、公開の許可は頂いています。)
梵尻さん、改めてありがとうございます!

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