やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。   作:てにもつ

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 「嘘!?あすかが!?」

 

 トランペットパートにその噂が流れたときに、一番に驚いたのはやっぱり香織先輩だった。

 

 「うん。滝先生、今日わたしたちの練習に来るの遅かったじゃん?部活が始まる前に職員室であすかのお母さんが、滝先生と副校長先生と揉めてるところ見た子がいたんだって」

 

 さっきまで行われていた合奏練が始まる前に、滝先生が田中先輩の休みを部員たちに知らせた。

 休むこと自体は特におかしいことなんて何もない。全国を控えているときに休む部員はほとんどいないが、それでも風邪で学校を休んでいたりとか、受験との両立をしっかりしようとしている三年生はどうしても受けなくてはならない試験があるからということもこれまでにはあった。

 だが、俺たちが疑問に感じたのは他の部員たちに連絡を何も残さなかったこと。そしてそれを滝先生の口から告げられたからである。

 普通なら休む時はパトリに。そのパトリである田中先輩ならクラスメイトでもある小笠原先輩にでも告げるはず。だが滝先生が言ったため何か深刻な事態があったのではないかという懸念を加速させた。

 それに、やっぱりそれが田中先輩だから、というのも理由としては大きいのだろう。だからこそ、部員全員がどうしたのかと不安に駆られていた。

 噂を聞いてきた笠野先輩にパートの視線が集まっている。普段なら気にもしないはずの高坂さえも手を止めて話を聞いていた。

 

 「あすかがお母さんのこと連れて帰ったらしいけど…」

 

 「どうして揉めてたんだろうね。あすかは成績もいいし、部活と勉強の両立とかならできてるはずなのに…」

 

 「ごめん。そこまではわかんない」

 

 「香織先輩。あすか先輩のお母さんってどんな人なんですか?」

 

 「よく知らないんだ。あすか、あんまりそういうプライベートの話はしたがらないから」

 

 加部先輩の質問に、香織先輩は視線を下げた。

 香織先輩と小笠原先輩、それに田中先輩の三人は仲がいい。部長と副部長と会計という重要な役職についている三人が、役職ではなくプライベートでも親交が深いというのは、部内では割と周知の事実だと思う。

 その香織先輩でも、田中先輩のプライベートな部分はあまり知らないのだという事実に俺はあまり驚きはなかった。

 

 「香織先輩、私二年のみんなに詳しく知ってる子がいないか聞いてみましょうか?」

 

 「ううん。優子ちゃん、大丈夫。それより私たちは練習しないと」

 

 「でも…」

 

 「あの」

 

 二人の会話を遮ったのは高坂だった。

 

 「そういえばさっき久美子が職員室にプリント持っていくときに、あすか先輩たちが揉めてるところ見たって聞きました」

 

 「ほんと!?」

 

 「はい。あすか先輩のお母さんがかなり怒ってたって聞いてます」

 

 「私、ちょっと晴香と黄前さんのところに行って話聞いてくるね!」

 

 

 

 

 

 高坂の言う通り目撃者だった黄前の告げた一連の出来事は、その日の練習が終わるころには広まっていた。

 

 田中先輩のお母さんは学校に来て、田中先輩の受験の妨げになるから退部届を受け取るように滝先生と副校長に詰め寄った。それを滝先生は田中先輩の退部は本人の意思によるところではないため、絶対に受け取らないと断言して突っぱねたらしい。

 副校長も吹奏楽部は頑張っていて実績も残しているからと田中先輩のお母さんに話したらしいが、それでもどうしても退部してほしい田中先輩のお母さんは、その場で部活を辞めると言いなさいと、矛先を娘に切り替えた。だが、それを聞き入れなかった田中先輩がお母さんに引っ叩かれて、それによって罪悪感から取り乱したお母さんを連れて帰ったと。

 それが俺の聞いた噂であったが、塚本の聞いた話と合わせてみてもどうやら大方間違ってはいないようだ。

 

 「この話を聞く限りだとあすか先輩の母さん、ちょっと怖いよな」

 

 コンビニで買ったコーラを飲みながら話す。塚本は店のガラスに寄りかかって、俺は自転車に腰を下ろしているが、こうして二人でコンビニに寄って帰るのも久しぶりだ。

 優子先輩は学校に残って、香織先輩や他の二年生とあすか先輩のことを話してから帰ると言っていたので、これはその時間つぶしだ。

 

 「でも母親ってやっぱ心配なんだろうなあ。俺も成績あんま良くないから塾通わされてるし」

 

 「塚本のとは、また少し事情が違う気がするけど。だってお前の親、学校で塚本のこと思いっきり叩いたりはしないだろう?」

 

 「そりゃそこまで過保護じゃないけど」

 

 「それに塚本の話だと成績もだけど、田中先輩のお母さんはそもそも田中先輩が吹奏楽をやってること自体が嫌って話していたみたいだし」

 

 比企谷家は当然、部活をやっているからと怒られることはまずない。それに、そもそもかなりの放任主義のため、たまに母さんから塾に通った方がいいんじゃないか、と小言は言われることもあるがそれでも強制的に通わされるということはないだろう。

 

 「でもさ、俺らはまだ一年だから進路のこととか何も考えてねえじゃん?三年生になると進路とか、受験とかそういうこと絶対に考えなくちゃいけなくて、その時に自分だけでやりたいようにやることなんてできないと思うんだよ」

 

 塚本の言っていることはごもっともである。

 自分の進む道を、完全に自分の意思だけで決められる人間なんてきっといない。少なからず誰かの、何かの影響を受けて左右されながら、選択肢の中からその道を選ぶのだろう。

 その影響の中でも、親というファクターはかなりのウェイトを占める。それは育ててもらった恩義だったり、一緒に暮らしてきて得てきた信頼だったり、将来を決められているが故に敷かれたレールだったり理由は様々あれど。

 

 「今日の噂聞いてて、あんなに飄々として何でもできる感じの人でも、やっぱ色々抱えてるんだなって思ったよ。

 そんでさ、俺やっぱ改めて認識した」

 

 「何を?」

 

 「絶対に言うなよ?」

 

 「それ、フリ?」

 

 「ちげえよ!いいか。吉川先輩にもだぞ?」

 

 「なんでそこで優子先輩が出てくるんですかね?」

 

 「だって仲良さげじゃん?最近特に」

 

 「……そう見える?」

 

 「まあな。合奏の時に二人の真ん中に挟まれてるのが高坂じゃなかったら、間違いなく気まずいだろうなってくらいにはチラチラ見てるしな。お互い」

 

 「……」

 

 付き合ってからというもの、どうしても気になっちゃうんだよな。それに優子先輩が真面目な顔で練習してるの普段帰るときとは違う表情で、それもまた……。今度からは気を付けよ。

 付き合ってることをばらしたくはない。それでさっきの話は、と塚本の話を促して話を逸らす。

 

 「……俺さ、田中先輩のこと苦手なんだ。どっから本気でどっから嘘かわからないって言うか…。あ、でも嫌いじゃないんだけどな」

 

 「そんなことか。安心しろよ、俺もだから」

 

 「え?マジで?」

 

 「ああ。むしろお前がそう感じてたのに俺が驚いたくらいだけど。お前も言ってたけど、八方美人だから。でも、その八方美人を演じてる感じが昔の知り合いを思い出す」

 

 「その昔の知り合いってのはよくわかんねえけど。本当にすごい人だと思う。それに家庭の事情にしろ色々隠してるのって人間誰しも同じだってのもわかってる。

だけどあの人の場合はこう、なんだろう…底が知れないって言うか…。自分でも今回の一件で、なんでそう感じたのかってわからないけど…」

 

 自分の伝えたいことを言葉に出来ず、もどかし気にうーんうーんと唸っている塚本。俺は何となくその後ろのガラスを見つめていた。

 嘘で塗り固められた仮面を付けたまま去って行く。頭を過る。目の前のガラスに描かれていくのは、あの日の陽乃ちゃんの背中だった。


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