やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。   作:てにもつ

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 「何?ストーカー?」

 

 俺の少しだけ先を歩いていた高坂が振り返ってそんなことを言ってくるものだから、思わずため息が出てしまう。高坂が本気で言っていないのなんて、口角をつり上げている様子を見ればわかる。けれども、ガヤガヤと放課後の時間を楽しまんと談笑をしている顔も知らない生徒達は、『え、あいつストーカーなの?』みたいな顔で見てくるのだ。

 それは高坂がストーカーされそうなルックスを持っている、正に一年生の高嶺の花だからなのか、それとも俺が『こいつならやりそう!』みたいな顔をしているからなのか。

 

 「んな訳ねえだろ。ホームルームが終わって同じ場所目指してりゃ、後ろ付いて行くことくらいある。優等生の癖に、くだらないこといいなさんな」

 

 「それなら教室出るときに声掛けて、一緒に行けばいいじゃん?そうやって黙って付いてこられると、ストーカーだって勘違いしちゃってもおかしくないでしょう?優等生でも」

 

 優等生を否定しないどころか、ドヤ顔のおまけ付き。高坂のドヤ顔というサービスに、視界の端に写る何人かの男子が顔を赤らめた。

 そのピュアな心が俺への逆恨みにならないように、高坂の隣を歩くような真似はしない。立ち止まっていた高坂の横を通り過ぎて、そのまま音楽室に向かう。

 

 「……」

 

 「……」

 

 「…何?ストーカー?」

 

 「違う。それに真似しないで」

 

 「お前が俺と同じ行動してるからだろ?黙って後ろ付いてこられたら、俺みたいな優等生でもストーカーだって勘違いしちゃうんだよ」

 

 「比企谷は別に優等生じゃないじゃん」

 

 「国語は高坂よりいいだろう?」

 

 「国語だけはね。総合成績は私の方が全然いい」

 

 「負けず嫌いさんめ」

 

 「ただ事実を並べただけ」

 

 「全科目万遍なく出来る方がいいとは限らないんだぞ。日本はゼネラリストが求められても、海外ではスペシャリスト思考の方が根強いんだからな?」

 

 「はぁ。また屁理屈」

 

 学年一位の高坂さんは、短く言葉を返してきながらも隣に並ぶ。もしかしたらこいつ、意外と国語の成績だけでも俺に負けてるの根に持ってるんじゃないだろうな。

 

 「あ。田中先輩」

 

 高坂が指さした窓の向こう側に、田中先輩が一人で校門に向かって歩いていた。田中先輩の周りには、あの人と同じように鞄を持って下校する生徒達がチラホラ。少しずつ校舎から離れていく姿は、まるで初めから部活なんてやっていなかったかのようにさえ見えた。

 

 「ねえ、あすか先輩ってコンクールに出られるのかな?」

 

 「……さあ。どうなんだろうな」

 

 高坂は鞄の中に入れていた水筒を手にとって、飲み口に唇を付けた。部活でいつも見ている花があしらわれた黒い水筒は、光沢で眩しい。

 田中先輩が校門を通り過ぎるのを見て、俺たちは音楽室へとまた歩き出した。

 

 「最近の噂を聞く限りだと家庭の事情なんだろうけど、実際それさえどうなのかわからないからな。来ない理由を田中先輩が口にした訳ではないし」

 

 「でも、もし家庭の事情だとしたら、折角目標だった全国出場が決まったんだし、あと少しで終わるんだから無理言ってでも出るべきじゃない?それも私たちは来年も全国に出られるチャンスがあるけど、あすか先輩は三年生だし」

 

 「家庭の問題は俺たちにはわかんねえよ」

 

 「わかんないことないでしょ。私、怪我だったらまだ納得出来る。万全の状態で演奏出来なくなっちゃうし、私のいつもより低い実力のせいで皆の足を引っ張っちゃうと思うと、どうしても怪我を治せないって言うなら辞退できる。それでもきっと、悔しくて悔しくて死にそうになりながらだけど、まだ何とかね。

 だけど、家庭の事情なんかで吹けないなんて事になったら私なら家を出ることになったとしたって全国で吹く道を選ぶ。絶対納得なんてしないし、全国に出ることを諦めない」

 

 「高坂は吹奏楽にかける想いが人一倍重いからな」

 

 「そもそも進路だってやりたいことだって、親に決められることなんかじゃなくて自分で決めるものじゃん」

 

 「いいや。違うな」

 

 「なんで?」

 

 「高坂はそれでやれてきてたのかもしんねえけど、少なくとも俺はそんな風には出来なかったし、これからもできねえぞ。

 誰も同じ班になってくれる人がいなくて、死ぬほど行きたくなかった中学の時の修学旅行だって、普通に行くことが決まってたから嫌でも参加したし、千葉大好きだから本当は向こうに残っていたかったけど、親の転勤でこうして今こっち来てる。

 子どもはどうしたって親が決めたことの影響受けるもんだ。自由だなんて、限られた世界の中だけの話であって、あくまで決められた選択肢の中から選べるだけって言うだけ。お前の言うそれは、正論だけど正しくはねえんだよ」

 

 「じゃあさ、それならあすか先輩ってどうして部活続けてたんだろうね?」

 

 高坂の疑問に俺は首を振って答えた。

 

 「部活、好きそうには見えなかったし、どちらかと言えば自分が吹ければいいって感じに見えてた。いつか今回みたいに親の影響で部活を続けられなくなるかもしれない可能性があったなら、最初から部活に入る必要なんてなかったのに」

 

 「部に関して無関心って訳じゃなさそうだったけど、それさえもわかんねえな」

 

 「こないだ部活に来たときに迷惑はかけないって言ってたけど、皆影響されてるじゃん。香織先輩とかも」

 

 田中先輩が部活に来なくなってから一週間が経ち、香織先輩は明らかに元気がなくなっていた。部活中も優子先輩や笠野先輩が話し掛けてもどこか上の空。パート練習が全体的に暗い雰囲気で進行しているのも、リーダーの影響がかなり大きい。

 高坂の言った通り、トランペットパートに限った話ではない。特に二年生含めた上級生は、去年のやる気のなかった三年生達との間で上手くやってくれていた田中先輩への想いはかなり強い。だからこそ、どこのパートも田中先輩が抜けたことに意識が向いてしまっていて、全国の本番は待ってはくれないからと何とかやることをこなすような感じになっている。その結果、明らかに全国への集中を切らしているのが現状だ。

 

 「今のままじゃ私たち、全国で金賞は取れないと思う」

 

 「まあ初めから、全国で金賞を取るのは目標じゃねえけど。それに銀賞だって銅賞だって悪いもんじゃねえよ。銀は金より良いって書いて銀だし、銅は金と同じって書いて銅」

 

 「銀は良いじゃなくて艮だし」

 

 「細かいこと言うなよ。大体、今の部の状態の解決方法は何かあるのか、優等生?」

 

 「あすか先輩が戻ってくる」

 

 「どうやって連れ戻す?」

 

 「知らないよ。あすか先輩のこと自体、よく知らないんだから」

 

 「それならまずは情報収集だな。話す相手が俺じゃ得られる情報もねえだろ?聞いて回ってみたらいいんじゃね?」

 

 「いや、私はあすか先輩が戻ってくるって言ったの。連れ戻すなんて気はさらさらない。重要な役職を持って部活をここまで続けていた責任があるんだから、家庭の事情は勝手に解決するべきでしょう?」

 

 「俺好みの返答だけどな。本当に」

 

 高坂の部活動と吹奏楽を第一とする考え方であるならば、田中先輩の家の事情なんかに俺たちが手を出すというのは、ある意味マイナスになった労力を取り戻すためにさらに労力を費やす行為とも言える。

 五人の企画発表を行うグループがあったとして、期限まで残り少ないのに一人が熱を出した。その熱を治すために、残りの四人が看病をしに行く。そんなようなもんだろう。だから決して間違っている訳ではないのだ。

 ちゃんと正しい。高坂麗奈はいつだって正しくて、強い。けれどだからこそ、気がつかないのだろう。その正しさは誰しもに突きつけることができるものではないということを。

 俺たちは七十人以上の人間で吹奏楽をしている。それはつまり、七十以上のの異なる考え方があるということで、その中には高坂のように正しさを追求する人もいれば、間違いであっても構わない人さえもいる。

 それでも自分の正しさを貫きたいのであれば、それを振りかざして叩き付けることは不正解だ。説得、懐柔、裏工作、排他、贔屓。そして犠牲。正しくないとされることだって、間違いなく必要なのである。

 

 そんなことを考えていたときだった。

 

 「ねえ聞いた?」

 「うん。さっき職員室で――」


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