やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。 作:てにもつ
「田中先輩が辞めそうだという事実はわかりました。それで聞きたいことってなんですか?」
「うん。まあここまでの流れで何となくはわかってると思うけど、あすか先輩を連れ戻す方法なんかないかなーって?」
「ないですね」
「即答かー」
「ドラえもんじゃないんですから。何でもはできないですよ。むしろ、特技は降参で好きなことは怠惰ですからね」
「私もダラダラするのは好きだけど、諦めたらそこで試合終了だぞ。もっと熱くなれよー」
「だって無理なものは無理ですもん。しかもそう言ってる中川先輩が全く熱くないじゃないですか」
「これでも結構真面目に相談してんだけど」
「それじゃあ真面目に返答しますけど、今回のことって家庭の問題みたいじゃないですか?余所の家の家庭問題にまで首突っ込むのって良くないでしょ?」
「でもあすか先輩は――」
「その田中先輩だって余計な詮索はしないで欲しいって言ってましたよ。それに大丈夫、みんなに迷惑かけないって言ってたわけじゃないですか。だから大丈夫ですよ。信用はできないですけど」
「信用できないんじゃん…」
俺にしては珍しくはっきりと明確に伝える。浅く唇を噛んだ中川先輩には申し訳ないが、俺だって中川先輩が今できることは何かないかを探して、それでも何も思い浮かばない。同じだ。
何となく外を見れば、いつもと何も変わらない校庭が見える。もうかなり遅い時間だ。今年の吹奏楽部はかなり例外的で、余所の部活の成績はパッとしない北宇治はどの部活ももっと早い時間に練習を切り上げているため、校庭には下校中の生徒がぽつぽつと見えるだけだった
その中でただ、校門だけが何となく特別に見えるのは、練習前に見た田中先輩があそこを通っている姿が何となく印象に残っているからかもしれない。
「はぁ。そもそもどうして、そんなに田中先輩に復帰して欲しいんですか?部活のため?」
「はは。まあそうだね。ここまで来たんだから上手い人が吹くべきで、私じゃあすか先輩にはどうやったって及ばない。後は、やっぱり今の部の落ち込んだ状態は結局あすか先輩が帰ってこないと解決しないでしょ?」
中川先輩は目を閉じた。長い眉や釣り上がっている目のせいで大人っぽくも、少しだけ怖くも見える先輩だが、こうして目を瞑ると意外と幼い顔つきをしている。
「それにさ、私、あすか先輩好きだから。最後のコンクール、吹いてほしいんだ」
「……」
「だから、かな」
「……わかってるんですよね?」
「何を?」
「……中川先輩、普通に勿体ないことしていますよ?だって、もし田中先輩が帰ってこれなかったら、先輩が出られるのに。それじゃ練習したって――」
「いいんだよ」
その言葉には、確かに未練があった。コンクールへの執着も。言葉の端々から伝わっていた。乾いた笑いと、上がった口角。寂寥感が漂う、閉じられた瞳。この人はきっと賢い人だ。だからこそ、本心に蓋をすることにしたのだ。
きっぱりとその気持ちを拒絶するように、中川先輩は言い切った。その声の力強さは、俺に反論の余地を与えない。
「私は来年、ちゃんと実力でAメンバーに入るから」
「もし来年、めっちゃ上手い後輩が来たらどうするんですか?」
「その時はその時。その子よりも黄前ちゃんよりも上手くなるために練習するしかないでしょ?」
思わず息がこぼれたが、これは呆れた訳ではない。けれどそれを勘違いしたのか、中川先輩はむすっとして机から下げていた脚で俺のことを軽く蹴った。白いハイソックスと少しだけ日焼けした脚に一瞬目を奪われる。
「何か変なこと言った?言っとくけど、Bメンバーだって毎日ちゃんと練習してるんだからね?皆、オーディションの頃なんかよりずっと上達してるから」
「知ってますよ。そんなの」
「じゃあなんで今呆れたの?」
「別に。ただ……」
『たまたま香織先輩が一年生を無視するのを辞めて下さいって何回も、ずーっと三年に頭を下げてくれてるのを見ちゃってね。それどころか辞めようとしてる一年を引き留めるために、一人分でも出場枠を譲ろうと自分が辞退した』
去年の香織先輩のことを優子先輩に聞いたことがある。
中学生の時の俺は、他者にコンクールへの出場を断念させられた。でも中川先輩や、去年の香織先輩は違う。自分で他者のためにコンクールに出場しない道を選ぼうとしている。
勿論、自信はないかもしれない。言っている通り、本人がどれだけ努力をしていると言っても、田中先輩よりも実力が劣っているのは事実なのだから。
努力は裏切ることだってある。結果に繋がらないことばかりで、努力が裏切らないなんて言うのは成功者が勝利の余韻に浸っているだけ。
だから努力とはきっと、自分が出来なかったときに納得するための保険みたいなものなのだと思う。けれど、中川先輩はその努力が報われるチャンスに手を伸ばさない。努力は裏切らないのではなくて、努力を裏切ろうとしている。
「……考えてはおきます」
「え?」
「田中先輩の復帰、さっきも言った通り俺、と言うか俺たちにできることなんてないって考えは変わりませんけど。まあ何か手伝えることがあったら協力もします」
「…ん。さんきゅ」
中川先輩が立ち上がって、自分の鞄に手をかけた。スクールバッグの中の荷物は相当少ないのだろう。ぺっちゃりとへこんでいて、教科書を持って帰っていないことは明らかだ。
家に帰って復習しない。ダメですねー。学生の本分は勉学。そんなんじゃ来年控えている受験戦争に勝てませんぞ。
「遅くなっちゃったね。帰ろっか」
「そうっすね」
「あ。後さ、もう一つ聞きたいんだけど。今度はあすか先輩じゃなくて優子のことで」
「優子先輩?なんですか?」
「うん。二人ってさ、付き合ってんの?」
「……」
手に取ったばかりのスクールバッグを思わず落とす。軽い音が鳴った。教科書を持ち帰らないのは、俺も同じだ。
「ど、どど」
開いた口がふさがらない。今ならローマの真実の口の気持ちがわかった。口って空いたまま閉まらなくなるもんなんだな。
加部先輩も、中川先輩もなんでこんなに言い当ててくるの?
「お。その反応は当たりっぽいね」
「…どうして?」
「どうしてわかったのかってこと?こないだ優子と希美とみぞれで部活終わった後に宿題やってたときにさ、優子がちょくちょくラインしてて。内容までは見えなかったけど、ちらっと見たら相手のアイコンがアニメだったから珍しいなって思ったのがきっかけかな」
「そ、それだけで?」
「それだけって言うけど、アニメのアイコンの女子ってあんまりいないから普通にわかるよ。そんで決め手になったのは、優子に誰って聞いたらめっちゃ動揺してたことだね。
普段なら『あんたに関係ないでしょ?見ないでくんない?キモいんですけど』くらい言いそうなのに、ただ慌ててただけだったからさ」
「ゆ、優子先輩…。だけど俺だって根拠は…!」
「いやー。比企谷ならアイコンをアニメキャラにしててもおかしくないなーって。変えた方がいいんじゃない?」
「そんな特定のされ方かよ!」
なんかすげえ嫌なバレ方だった。
だって仕方ないでしょ?猫の画像とか論外じゃん。女子受けみたいな感じでキモいから。かといって、自分の自撮りとかアイコンにするのはプライバシー的な意味でも、目に悪い的な意味でも良くない。いや、俺の場合は顔は悪くないんだ。目に毒というよりかは目が毒。
でもアイコンを変えた方がいいと言うのなら、やむを得まい。全ての問題を解決するために至る結論。目を隠した自分の画像にするのがベスト!でも、それじゃいかがわしいサイトのトップみたいでなんだかなあ。
「はは。嘘だよ。そんな真に受けた顔しないで」
「え?」
「アイコンなんて、自分の好きなやつで良いんじゃない?優子の相手が比企谷だと思ったのは、ただ優子がよく話してる相手が比企谷くらいしかいなかったから」
「……」
「そんな目で見ないでよ。冗談だってば。比企谷は面白いなぁ」
なんか悔しい。少しいつもからかわれてはぷりぷりと怒っている優子先輩の気持ちがわかった。
「言わないで下さいね」
「隠してるんだ」
「知ってるでしょ?幸いにも、俺は部内での評判があまり良くない」
「それは何も幸いじゃないけどね。ま、隠してるなら言わないよ」
「…ありがとうございます」
「どうせすぐに、バレると思うんだけどなー」
確かに、ここは吹部ですからね。
ニヤニヤ笑いながら、『優子弄ってやろう』と言っている中川先輩。どうか口を滑らせないでいてくれることを祈る。ただ、確かにどうせいずれはバレるのであれば、せめてできるだけ良いバレ方をして欲しい。文春砲の様な形でバレるのは最悪だ。
あー。加部先輩、どうすっかなー。
「でも優子が比企谷かー」
「なんか泣きそう…」
「もう高校一年生なのに」
「帰ったら絶対小町の胸の中でわんわん泣いて慰めて貰おう」
「しかもシスコン!?そこは優子に慰めて貰うんじゃ…」
「…っ!いってぇっ!」
「あっはは!動揺し過ぎ!」