やはり俺の北宇治高校吹奏楽部の生活はまちがっている。 作:てにもつ
「あー。疲れたわー」
「うん。お疲れぇ、おにぃーちゃーん」
「おう。小町もな。んで、お前は何してんの?」
「お兄ちゃんの臭い嗅いでるー」
帰宅して、いつもならリビングから聞こえるはずのただいまの声が二階から聞こえてきたときは、自分の部屋で宿題でもやってるのかなと思っていたのに。小町は俺のベッドに寝そべって、布団を飼い猫のかまくらを思いっきり可愛がるときのよう抱きしめていた。
うん。小町だってまだ中学生だ。両親が共働きであることに加えて、お家が大好きなひねくれ者の兄の面倒まで見なくてはならないお陰で変なところで大人びているけれど、こうやって甘えたくなるときだってあるだろう。それに加えて、千葉の妹とはいくつになっても兄に甘えてもいいものなのだから。
俺は鞄を置いて、両手を大きく広げた。
「ほら。俺が恋しいなら布団なんかじゃなくて、俺の胸に来い。いつでも抱きしめてやるから」
「あ、そういうのはいいから。着てる服洗濯したいから、早くお風呂入っちゃってよ」
「……」
わからん。わからないから、ただ俺は心の中で泣いた。
「風呂より先に飯でもいいか?腹減った」
「ん。いいよ。小町もお腹空いたし」
「じゃあリビング行こうぜ」
「あー、後三十秒待ってー」
「何で?」
「お兄ちゃんパワーを吸収してるのであります!あ、今の小町的にポイント高いかも」
「そんなことねえよ。妹が自分のベッドで寝てて嬉しいのは、エロゲの世界だけだ」
最も、俺の胸に飛び込んできてたらポイント高かったけどな、ちくしょう!
学校にいたときは、中川先輩と話して小町に抱きしめてもらうんだなんて話してたのに、帰宅して早々立場が逆転しかけて、挙げ句の果てに叶わなかった。世の中は上手くいかないことばかり。人生楽なきゃ、苦しかない。
どこかほっこりした顔で、俺のベッドから立ち上がった小町は一つ背伸びをした。
「よし。じゃあご飯食べよっか!」
「うす。んで、結局何で俺の部屋にいたわけ?」
「あー、それはね、お兄ちゃん。小町は一つ、物申したいことがあるよ」
びしっと人差し指を顔の前で立てた小町は、その指先を部屋の一角に移した。
「あれ」
「えーっと、教科書とプリントの山だな」
「それからあれとあれ」
「え、読み終わった小説、貸して欲しいの?」
「違う。片付けて」
「片付けてって…。お前は俺の母ちゃんかよ。なんでそんなことまで小町に言われなくちゃなんねえんだよ」
「いい、お兄ちゃん?お兄ちゃんは優子さんと付き合ったんだよね?」
「ああ。そうだけど」
「でも二人とも部活が遅くまであるから、あんまりどこかに遊びに行けるわけじゃないでしょ?なら遠出が出来ない分、これからも優子さんがこのお家に遊びに来ることだって少なからずあると思います」
「まあ、そうかもしれないな」
「だったらお部屋は綺麗にしとかなくちゃダメでしょうよー」
「待て待て。そんなの、いつもみたいにリビングでいいじゃねえか。どうして俺の部屋で遊ぶの前提なんだよ?それに、小町だって優子先輩のこと嫌いな訳じゃないだろ?」
「あーあ。これだから女心がわかんないごみいちゃんは…」
「おま、ゴミって…」
「女の子はね、彼氏とできるだけ二人っきりでいたいもんなんだよ?そりゃ、小町だって優子さんとはもっとお話したいし、これからも仲良くしたいけど、付き合ってる二人を邪魔する様な野暮なことはしないぜ、旦那?」
「その妙なキャラは何なんだ?小町に一番似合わないキャラだぞ。それに、あのなあ小町。俺だって男なんだ。部屋で二人っきりなんてなったらどうなるかわからない」
「それは大丈夫だよ。お兄ちゃん、ヘタレだし」
ぐっ。この生意気な妹め…。
小町は『とにかく片付けること、わかった?』とだけ残して部屋を出て行った。おそらくゴミを纏めるために袋か何かを持ってくるのだろう。
まさか帰ってきて早々説教されるとは。あいつ、妹属性のみならず、着々とおかん属性まで身につけてやがる。
母さんが普段からあまり家にいないことは、困ることよりも楽なことの方が多い。ここ最近働き始めて、小町と二人で生活をしなくてはいけなくなったというのならまだしも、この生活を始めてから何年も経っているのだから尚更だ。それ故に、小町のお節介はまあ正直な所ウザったいとしか言えない。
お節介、厄介、正に俺にとってはそれ障害!なんかラップっぽい。うぇびー。
「はぁ。めんどくせえなあ」
とりあえずプリントは捨てるとして、問題は教科書だ。棚に一々仕舞うよりも、今のように床に適当に置いておく方が楽なんだけど。
本来、教科書を仕舞うために作られていた本棚のスペースは今も健在だ。ただ入学から二週間も経たずに使わなくなったため、埃が少しだけ溜まっていた。
「あれ、これ…」
こんな所に置いてあったのか。てっきり机に仕舞ってあると思っていたのに。
本棚の空いたスペースに倒れている、黒がベースの薄いメモ帳。白いトランペットが点々とデザインされているそれは、俺にとっては数少ない思い出の品と言えるものだ。
なぜならそれは、生まれて始めて家族以外の誰かから貰った誕生日プレゼントだったのだから。
「…懐かしいな」
手に埃が付くことを気にせずに、表面を撫でるように触れる。汚いとは感じなかった。
ページを開けば綺麗な文字でおめでとうと、祝いの言葉とこれをくれた人の名前が端的に書かれている。けれど、それを見ることはしなかった。見たって何も意味なんてない。その言葉は何年も前に俺が貰ったものだ。
「おにーちゃーん」
小町がリビングから俺を呼んでいる。メモ帳をスクールバッグの中に放り込んで、俺は部屋から出た。